この唄が、貴方に届きますように

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 昨年頒布したカナ・アナベラル短編小説集『アナベルの花』に収録されている短編の一つです。

 夢消失の元となったと言われているのが、ロシアの民謡であるポーリュシカ・ポーレ。
 もし、カナちゃんのルーツがここにあるのなら?という考えから話を広げていきました。

 カナ・アナベラルという一人の少女が辿った悲恋物語。
 読んでいただければ幸いです。


ポーリュシカ・ポーレ

 

 -序-

 

  

 幻想郷。   

 

 外の世界から忘れられたものが集う、最後の桃源郷。その性質ゆえか、現代社会から見れば幾分か文明発達が遅れている。

 人里を除けば、地上の大半は自然に覆われており、上空から見れば四季に応じて色とりどりの美しい風景を見せてくれるだろう。  

 

 そんな幻想の土地に、歌が響いていた。

 

 発生源は、1人の少女。和の式合いが強いこの土地から少し外れた、特徴的な服装をしていた。白色の帽子に、青白を基調としたエプロンドレス。スラリと伸びた手を覆うように、純白の手袋をはめている。  

 

 洋の色が強い格好であり、その色合いだけを見れば、おしとやかなお嬢様という印象を受ける。しかし、身に纏った本人が、そのイメージを打ち消している。  

 

 儚さを吹き飛ばすような、生命力に満ち溢れた笑顔。ゆっくりくるくると回りながら、気ままに歩を進める姿は、天真爛漫という言葉がピッタリである。  

 

 彼女の肩には、小鳥が数羽止まっている。警戒心が強く、他の動物の気配を察知すればすぐに飛び去るはずなのに、まるで巣の中にいるように羽を休めている。  

 

 【♪〜♪〜】

 

 彼女は口ずさむ。いつから歌い始めたのかは分からない。休むことなく、途切れることなく旋律は続く。  その歌に、歌詞は無かった。元々歌詞がない曲なのか、それとも覚えていないだけなのか。ずっとメロディだけを奏で続けている。  

 

 金色の髪を靡かせた少女は、歌い続けながら空を見上げた。雲ひとつない大空。その青に向かって、手を伸ばす。  

 

 何かを掴み取るように、何かを探すように。遥かな高みに向かって、少女はただひたすらに手を伸ばした。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -1-  

 

 【草原よ 広き草原よ この景色は どこまで続いていくのでしょうか】

 

 

 

 物心ついた頃から、私たちは一緒だった。

 

 都市で流行っているような娯楽があるわけでもない。大勢の住人がいて、毎日毎日活気と喧騒に包まれているわけでもない。私が住んでいる村は、そんな場所だった。

 

 村の世帯ほとんどが、農業を生業としていた。たいして目立った需要があるわけでもないから、観光客なんてほとんど来ない。たまに来るのは、役人さんくらい。それも、こんな辺境の村だからか毎回同じ人が視察に来る程度。かといって、どこかに行くわけでもない。

 

 他の村がどうなっているかまでは分からないけど、生活していく分には困らない。でも、それ以上の娯楽や贅沢・・・・・・遠い都市に家族旅行とかはとても出来ない。

 

 朝起きたら近くの川まで行って、集まったほかの女の子たちとわいわいおしゃべりしながら洗濯をする。

 

 お昼を食べたら、忙しい時期は畑の手伝い。そうでない時はのんびりと過ごして。

 

 変わりない平凡な日々と、身の丈に合うくらいの娯楽。それが、私の全てだった。

 

 

 

 「アレクー!いる~?」

 

 

 

 そう大声で呼びかける。決して広くはない村なので、私の呼び声はすぐに村全体へと広がる。

 

 あらあら、と親戚のおばさんが微笑むのを横目に見ながら、何度も彼の名前を呼ぶ。

 

 こうすれば、あなたが出てくるのを知っているから。変な噂が立つから止めろ!と以前言われたけど、知ったこっちゃない。いつまでも私を待たせるあなたが悪いのよ、と全てを相手に押し付ける。

 

 そんなことをしていたら・・・・・・ほら、来たわ。

 

 バンッ!と目の前の玄関が開かれたと思うと、顔を赤くした同年代の少年がズカズカと近寄ってくる。そのまま目の前まで来ると、私の両肩をつかんで必死に揺さぶってくる。

 

 「カナ!いい加減大声で呼ぶのは止めてくれって言っただろ!」

 

 「あっ、おはようアレク!今日も元気そうね♪でも、どうして止めてほしいのかしら?」

 

 茶色の髪と、深い蒼色の瞳。身長は私より少し小さく、私の事を見上げる体勢になっている。村には同い年まではいかなくとも歳の近い女子もいる中、何故男子である彼と一番仲良くなったのかは良く分からない。 

 

 家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いだったから・・・・・・これは大きな理由の一つになりそう。

 

 お互いがお母さんだけを見て育ったことで、同じお母さんっ子同士通じるものがあったから・・・・・・これはどうだろう?私のお父さんは物心つく前に亡くなってしまった。アレクのお父さんは兵隊さんで、最後に村に返ってきたのは2年前くらいのこと。

 

 母親に育てられた者同士、何かのシンパシーが働いたのかもしれないけれど、これは理由の大半を占めるようなものではなさそう。他にも色々な理由が頭に浮かんでは消えていきを繰り返す。でも結局、一番の理由ははっきりしているんだけどね。 

 

 私の挨拶を兼ねた問いかけに対し、それまで勢いよく揺らしていた両手がピタッと止まる。慣性で後ろによろけそうになったのを難なく踏みとどまって、ニヤニヤしながら彼を見やる。

 

 「いやだって・・・・・・その・・・・・・お前と出かけるのが知られると恥ずかしいし」

 

 「あら、そうなの?私はアレクと2人きりでお出かけ出来るのが凄く嬉しいわ♪」

 

 「だからそういう事大声で言うんじゃねえええええ!!!!」

 

 こちらに掴みかかろうとするアレクとひょいと躱して、笑いながら逃げる。意地になって追いかけてくるけど残念、この年齢くらいまでは女子の方が早く成長するのだ。彼より幾分か早いスピードで村を飛び出す。

 

 「それじゃ、行ってきまーす!」

 

 見張りのおじさんに挨拶をして、叫んでいる彼の猛追を受けながら、私は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぜぇ・・・・・・ぜぇ・・・・・・」

 

 「はぁ~疲れた~。アレク、大丈夫?生きてる?」

 

 20分後、私たち2人はとある場所で突っ伏していた。

 

 2人は、といってもその疲労度には結構な差があり、既に回復しつつある私と、現在も生き絶え絶えの彼という対照的な様子となっている。かけっこでは、ここ一年負けた記憶がない。たまに畑仕事を手伝って来た成果が現れているのだと自負している。

 

 風が吹く。

 

 どこまでも広がる草原の、心地よい香り。自然の息吹を全身で受け止めたくなって、再び緑色の絨毯に身体ごと飛び込む。ポフン、と軽い音を立てて寝転がり、うんと一度、伸びをする。

 

 新緑が揺れる。静かに、繊細に。荒々しく、豪快に。一時たりとも止まることなく。地はこれだけ騒がしいのに、対照的に空はどこまでもおだやかだった。仰向けとなった私の視界に映るのは、吸い込まれそうになる蒼色の天井。意味もない行為だと分かっているのに、無意識に手を伸ばしてしまう。

 

 届かない何かを掴もうとして。その何かの内容すら分からずに。

 

 案の定、何の成果もなく空を切った右手がペタンと垂れる。そのまま力が抜けていき、柔らかな草原と一体となる。

 

 天高く昇る太陽の光が、大地を照らす。雲一つない空は、まるで時が止まったかのように澄み渡っている。

 

 この草原を歩き続けたら、どんな景色に出会えるのだろうか。

 

 あの空の向こう側には、どんな世界があるのだろうか。

 

 ここに来るたびに、そんなことを思ってしまう。

 

 以前、役人の大人が村の視察を終えた後、ぼそっとつぶやいた言葉を聞いたことがある。

 

 「俺も、いつかは首都に配属となりたいもんだ・・・・・・」

 

 空を見上げながら、誰に言うでもなく空気と混ざって消えていった独り言だった。耳が良い私だから聞こえたつぶやきは、不思議と私の心に残った。今まで杓子定規のように決まった日にち、決まった時間、決まった行動を崩さない役人さんは、見た目だけ人間で中身は機械なのではと怖かった思い出がある。

 

 そんな大人がふとした拍子に表に出した感情。ああ、この人も私たちと同じ人間なんだと思うと同時に、こんな几帳面な人があこがれを覚える首都はどんなものなのかと思いを馳せた。子供だけど、いや子供だからこそ、その想像力はとどまるところを知らない。

 

 どんな家に住んでいるのだろうか。

 

 どんな食事をしているのだろうか。

 

 どんな服装をしているのだろうか。

 

 一介の田舎娘である私には想像もつかないくらい、綺麗な人がいるのかな。どれだけ輝いて見えるんだろうなと想像する。代り映えのしない私の住む村とは比べ物にならないくらい、毎日新しい体験をできるんだろうな。

 

 顔見知りの人たちで完結しているくらい人数の少ない私の村と違って、文字通り数えきれないくらいの人がいるんだろうな。

 

 一度も見たことのない場所は、私の頭の中で未知の光景となって広がる。せめて、実際にその目で見てきた人が村に来ればいいのにな、と考えた時もある。

 

 といっても、近隣の地区ならいざ知らず、遥か離れたこの国の首都に詳しい人なんてそうそういない。1年に2~3回くらいしか村に来ない商人さんから、買い物のついでに近郊都市の生活について聞けたことはある。でも、逆に言えばそれくらい。近郊都市でも、こんな辺境とは比較にならないくらい発展した街だとは思うけどね。

 

 一度は、その未知の景色を見てみたいな、とは思う。憧れもある。

 

 ・・・・・・まあ、憧れているだけだけど。

 

 ある程度回復した身体を起こして、アレクに歩み寄る。私より疲労困憊といった様子でぐったりしていた彼は、起き上がるまでにはまだまだ時間がかかりそうである。体力の回復に意識を割いていたためか、私に対する警戒も薄れていた。

 

 足音に気づいてこちらに振り返ろうとするが、もう遅い。

 

 「とうっ!」

 

 「ぐふっ!?」

 

 掛け声とともにダイブした私の身体が、見事に彼に命中した。

 

 普段は避けられる事が多かったけど、追いかけっこで体力を使い果たしたことが響いて、僅かな抵抗もなくくっつけた。彼とくっついた体勢のまま、ぎゅっとしがみつく。

 

 平らな胸板に顔を擦りつけると、彼の鼓動が聞こえてきた。先程までの運動の影響か、いつもより早い心拍を刻んでいる。

 

 ドクン、ドクンと力強い音。あなたが今、生きている証。

 

 おい、離れろよ!という慌てた声を無視してそのまま顔を埋める。

 

 草原に吹く風が入り込まないくらい、ぴったりと。そのまま深呼吸すると、私の身体が彼の匂いで満たされる。汗をかいている事で、いつもより濃く感じる。ドキドキとかではなく、心から安心することができる、そんな匂い。

 

 叶うのなら、いつまでもこうしていたいなと思う。彼の背中まで腕を回し、全身で抱きしめる。

 

 「か、カナ!いい加減離れろよ!そして嗅ぐな!犬かお前は!!」

 

 「えーいいじゃない、別に。減るもんじゃないし。代わりに私の匂いもいくらでも嗅いでいいわよ」

 

 「ばっ・・・・・・女子がそんな事言うんじゃねえ!!」

 

 顔を真っ赤にしながら必死にアレクがもがくけど、生憎私を振り払う事は出来ないみたいである。

 

 おまけに私の言葉が刺さってしまったみたいで、伝わってくる心拍数が更に増した。何だか無性に嬉しくなってしまう。それに、さっきの言葉は冗談ではなく本心だし。

 

 いつもいつもあなたの事を考えてしまうくらい、ずっとずっと夢中で依存しているのだから、あなたにも1日のうち少しくらいは、私の事を考えていてほしい。

 

 未だに私一人振りほどけない彼の体温を、鼓動を、匂いを、五感全てで感じ取りながら、自然と笑顔になる。

 

 贅沢は出来ないまでも、毎日不満なく過ごせる日常。

 

 顔見知りで完結された小さな村。

 

 そして、いつも一緒にいる大切な幼馴染。

 

 これが、私の人生。この先もきっと代り映えしない、それでいて掛け替えのない日々が続いていくんだろうなと朧げに思う。

 

 それでもいい。それでいい。それがいい。

 

 今、アレクとこうやって過ごす時間が幸せなのだから。

 

 抱き着いた体勢を崩さないまま、私は口を開いた。

 

 そこから出るのは、言葉ではなく、歌。

 

 

 

 【♪~♪~】

 

 

 

 昔からお母さんに聞かせてもらった民謡の一つ。私も大好きになった歌を、風に乗せて響かせる。

 

 優しく全身を撫でる風。透き通った空。大切な人。

 

 その全てを身体全体で実感しながら、私は再び目を閉じた。

 

 

 

 ・・・・・・願わくば、この日々が、ずっと続きますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -2-

 

 【草原よ 美しき草原よ 私を撫でるこの風は どこに辿り着きますか】  

 

 

 

 私たちは、いつも一緒だった。  

 

 物心つく前から家族ぐるみの付き合いで。

 

 お互いのお母さんが忙しい時は一緒に遊んで、食事をして、湯浴みをして、同じ布団でくっついて寝た。

 

 隙間風が遠慮なく吹く冬は、寒くて寒くて、あなたをギューっと抱きしめて朝まで過ごした。腕の中で感じる事ができるあなたの体温が、鼓動が、そのまま私に伝わってきて、言いようのない幸福感で満たされる。  

 

 8歳くらいになると、あなたは顔を赤くして一緒の湯浴みや就寝を嫌がるようになったけど、その分私からグイグイ迫るようになった。おかげで、一緒の就寝は今でも時折続けている。

 

 彼が本気に嫌だったら離れるつもりはあるけど、何だかんだで最後は隣にいてくれる。元々、私は遠慮する性格ではない。やりたい事は我慢せずに全部やるタイプだから、用のない時はずっとあなたと一緒に過ごす。

毎日ベッタリくっついているせいか、村の人たちからはアレクに甘えるお犬さんみたいだと言われている。言い得て妙だなとは思いつつも、くっつく事はやめない。      

 

 そんな私が休日の今日、家の中に閉じこもっていた。彼と喧嘩したわけではない。彼に会いたくないわけでもない。

 

 むしろ逆。いつも通り、ううん、いつも以上に会いたくて会いたくて仕方ない。

 

 「・・・・・・よし」

 

 と呟く私。本日何度目となるか忘れてしまったセリフを再び口にして、小さく息を吐く。 鏡に映る自分。その全身全部を余す事なく確認する。  

 

 髪のセットはバッチリ。お母さんから受け継いだブロンド色の髪を見つめた後、顔を確認する。  

 

 いつも通りの私の顔、というわけではない。活発な表情なのは変わらないけれど、隠しきれない緊張が表に出ている。  

 

 意識してニコッと笑うけど、どことなくぎこちない。何よ、私らしくないと思いつつも、解決案なんて思い浮かばない。時折、家事仕事の合間にお母さんが私の様子を確認して、あらあらと笑顔を見せてくる。  

 

 「カナ〜!ボーイフレンドが来たわよ〜!」  

 

 お母さんの声が聞こえた。  

 

 遂に来た。今か今かと待ち望んで、もう少しだけ待っていてほしいと思ってしまう矛盾した感情。顔に熱が灯るのを自覚しながら、返事を返す。  

 

 「分かったわ!今行く!!」

 

 元気に返事を返す、つもりが声が少し上擦ってしまった。  

 

 もう一度鏡を見る。先ほどより幾分赤くなった顔が鮮明に映し出されていた。もしかしたら、人生で1番緊張しているかもしれない。元気いっぱいのおてんば娘は何処へ行ったのやら。  

 

 「カナ。いるか~?」  

 

 彼の声が耳に届く。玄関の薄い扉一枚を隔てた先に、彼がいるのが分かる。

 

 彼の声はいつも通りのものだったけれど、少し困惑した色も混ざっている。  

 

 ここ1、2年間ほどは私が彼の家に押し掛けて遊びに行くのが当たり前になっていた。それが突然、お母さん経由で、  

 

 『今日はカナちゃんが家まで来てほしいんだって』  

 

 という伝言をお願いしたのだから、彼も何があったのかと思うだろう。  

 

 『今日』という日付的にある程度の予想はついているのかもしれないけれど、その詳細までは流石に分からないはず。この日のために、頑張って隠してきたのだから。      

 

 よし、と心の中で活を入れて勢いよく玄関を開いた。

 

 「おはよう!アレク!!」

 

 「おはようカ、ナ・・・・・・?」  

 

 玄関を開けると、私の一番大切な人が立っていた。

 

 前までは私の方が背が高かったのに、今ではほぼほぼ同じくらいまで追いつかれてしまった。身長でどちらが高いか言い争い、決着が付かないくらいには僅差である。 

 

 顔を合わせて変哲の無い挨拶・・・・・・をするはずだったけれど、彼の挨拶が途中不自然な形で途切れた。        

 

 私の姿を見て、表情が固まっている。

 

 「ふふっ、どうかしら?アレク」

 

 からかうような言葉と共に、その場で軽く一回転する。

 

 白と青の色合いを基調としたエプロンドレス。すらりと伸びる両手には、純白の手袋がはめられている。

 

 彼の好きな草原の空を思わせる衣装。それを纏って、彼の目の前に躍り出た。

 

 毎日着ている服は、動きやすさや機能性を重視したもの。勿論不満はない。でも、おしゃれかどうかと聞かれれば、回答に迷ってしまう。

 

 でも、今日の服は自信を持って言える。『アレクに綺麗だと思ってもらうため』に用意した渾身の衣装であると。

 

 裁縫の達人であるお母さんに頼んだり、たまに訪れる商人から、アレクに見られないようにこっそり買ったり・・・・・・ぎりぎりで今日という日に間に合った。

 

 あとは、アレクから一言を引き出すだけ。

 

 一緒にいるだけで満足なのは変わらない。でも、私だって女の子だ。意中の人に恰好を褒めてほしい。

 

 「ほら、アレク。早く感想を聞かせて?」

 

 「いや待て、人いるんだぞ」

 

 僅かに背を屈め、上目遣い付きの私の問いかけに対して、アレクは軽く振り返って周りを見渡す。

 

 午前中ののんびりとした時間帯ということもあり、広場に近い私の家の前は、割と人が通る。

 

 おまけに私の服装を見て、足を止める人もそれなりにいる。とはいえ、いつも通りアレクとセットなので、優しい視線と共に遠巻きに見守っていてくれている。

 

 周囲を確認して、自分の予想以上の人がいる事に気づいたようで、こちらを向き直る。

 

 「あー・・・・・・カナ?いったん草原に向かわないか?」

 

 ポリポリと頬を搔きながら提案をしてきた。

 

 草原に向かうこと自体は私も賛成である。この服の準備もあって、最近は中々向かえる時間が取れなかったから、身体も今か今かとウズウズしているのは確かだ。

 

 でも、それよりも優先するべき事項がある。 

 

 「ほーら、は~や~く~」

 

 少しだけポーズを変えて、彼の提案一旦保留する。う、と声が漏れるのが聞こえたけれど、構わずに継続する。あなたの口から、この服の感想を聞くまでは梃子でも動かない。その強い意思を進言するかのように、じっと彼を見る。

 

 そのままじっと待ち続け、数十秒が経っただろうか。今まで視線を向けあっていた彼が、急に顔を横に向けた。 

 

 望んでいない対応に、む、としかけたけれど、次の瞬間負の感情が消し飛んだ。

 

 「まあ、なんだ。その・・・・・・誕生日おめでとう。似合ってるよ」

 

 ぼそっと、本当に小さな声で彼がつぶやいた。

 

 恥ずかしがりやで、素直になれない彼の言葉。口に出すのが恥ずかしくて、誰にも聞き取れないように抑えたのだろう。でも、残念。私って地獄耳なの。だから今の言葉、全部聞こえちゃった。

 

 褒めたり祝ったりするのが照れくさいからか、一度にまとめて言うところが彼らしい。

 

 エプロンドレスに手袋・・・・・・何を隠そう、本日は私の誕生日。それに合わせて用意してもらった服を褒めてもらえた。その事実に、心臓がギューって締め付けられるような感覚になる。

 

 私ってほんと単純だなあ、って感じてしまう。でもしょうがない。嬉しくて嬉しくて嬉しくて。どうしようもないくらいに幸せな気持ちになってしまい、顔に出てしまうのを止められない。

 

 会話が途切れて、どうしたのかとこちらを見てきたアレク。きっと彼には、ここ数年で一番喜色満面になっている私の顔が映っているだろう。

 

 私の顔を見て、さっきのつぶやきがバッチリ聞かれていたと悟り、バッと顔を背けた。

 

 表情が再び見えなくなってしまったけれど、耳が真っ赤になっているのが分かる。ああもう、そんな態度や反応、私を喜ばせるだけよ?

 

 「アレク。もう一度」

 

 「絶対聞こえてただろカナ!・・・・・・もう一度は、その、恥ずかしいつーか、えっと・・・・・・」

 

 言葉を口にしようとして、ごにょごにょと語尾が小さくなっていく。仕方がない。強行手段を取らせてもらおう。    

 

 彼が口籠もり、俯いた隙を見てグイッと前に出る。気づいて慌てるけどもう遅い。ギュッと抱きしめて、耳を彼の口と触れ合うほどまで近づけた。

 

 「ばっ・・・何やってんだお前!人いるんだぞ!?」

 

 「あら、そうだったわね。ごめんなさい、『今回は』他の人が多い場所でしてしまったわ♪次からは『いつも通り』隠れて・・・・・・ね♪」  

 一部分を強調させて返答すると、いつの間にか遠くから見ていた友人たちが黄色い歓声を上げた。観衆(野次馬ともいう)がさらに増えていることが分かったのか、アレクはより一層暴れ出す。

 

 「わざとだろカナああああああああ!!?」

 

 「あっはは!それくらい大きな声でもう一度言ってくださるかしら♪」      

 

 抗議もお構いなしに密着を続ける。普段、避けてばっかりいる方が悪いのだ。一緒に寝る時、私が寝た(と勘違いした)後に恥ずかしそうにしながらも抱きしめて来てるんだから、今もそういうふうに積極的になってほしいのに。

 

 まあ、私が起きてるってバレたらきっとしてくれなくなるので、今後も黙っているんだけど♪

 

 ひとしきり抱きしめて堪能した後、彼の抵抗が緩まった瞬間を狙い、パッと離れて駆け出した。

 

 アレクのお望み通り、草原に行くとしますか。油断していたのか、とっさに反応出来なかった彼も、自由になった瞬間顔を赤くしたまま追いかけてきた。

 

 始まった追いかけっこは、結局今回も私の勝利。そのまま草原に来た私たちは、思い思いに過ごした。アレクに褒めてもらえたエプロンドレスを身に纏いながら口ずさんだ歌は、自分でもびっくりするくらい上手く歌えた気がする。

 

 

 

 【~♪~♪】

 

 

 

 寝そべって歌いながら、隣にいるアレクを見る。直接言われたことはないけれど、私の歌がお気に入りみたいで、歌っている間は黙って聞いている。

 

 何もない場所、というけれど、これ以上の幸福は必要ない。手に届く範囲の幸せがあれば、それで十分。

 

 (だから・・・・・・願わくば、この日々がずっと続きますように。)

 

 奇しくも、2年前と全く同じ感情を心に宿す。

 

 等身大の幸せを感じながら、私は静かに歌い終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は夕方くらい。暗くなる前に帰ってきた私は、元気よく挨拶をする。   

 

 「ただいま〜!」

 

 と村の入り口に入る。が、そこで違和感を感じた。  

 

 村の空気が、おかしい。  

 

 3時間ほど前に私の家の前でアレクと話していたときは、優しく、穏やかな雰囲気だった。それが今では、肌感覚で分かるくらいにピリピリしている。     

 

 アレクも、様子がおかしいことを感じ取ったみたいで、私の手を握る力が微かに強くなった。

 

 元々あまり広くはない村だから、慎重に歩いていても原因には直ぐにたどり着く。村に入ってわずか数分で、その光景を見た。

 

 広場に、見知った来訪者がいた。定期的に視察に来る役人のおじさんだ。でも、今日は見に来る日ではないはず。いつも優しそうな笑みを浮かべているおじさんが、顔を俯かせている。その彼に、1人の女性が掴みかかっていた。私にも見覚えのある人だった。  

 

 

 

 アレクのお母さん。

 

 

 

 その事実を確認した瞬間、ドクン、と心臓が鳴る。認識した状況から、私の頭の中で、瞬時に一つの仮説が立てられた。でもそれは、絶対に起きてほしくない、間違っていてほしい仮説だ。    

 

 「おいおい、どうしたんだよ。カ、ナ……?」  

 

 「っ!ダメっ!!」  

 

 後ろからかけられた声で、我に返る。  

 

 アレク。彼に見せてはいけない。私の仮説が真実なのだとすれば、彼は『当事者』になってしまう。彼の視界を遮ろうと、両手を横に伸ばす。  

 

 それで状況が好転するわけでもない、時間稼ぎにもならない、全く意味のない行為。

 

 当然、そんな大声を出せば周りも気づく。

 

 十数メートル先にいた2人が、声に反応してこちらを向いた。

 

 両者の顔が見えた。何かを我慢するように、歯を食いしばっているおじさん。顔を赤く腫らし、涙を流し続けているアレクのお母さん。その手には、1個の帽子が握りしめられていた。

 

 軍人さんが被るような帽子。私は、その形状に見覚えがあった。

 

 数年前、休暇で村に帰ってきたアレクのお父さんが被っていたものだった。その帽子が、帽子『だけ』が今、ここにある。

 

 ひゅ、と息が吐く音がした。

 

 まずい。そう思った時には手遅れだった。

 

 

 

 

 

 アレクが、顔を真っ青にしてその帽子を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -3-

 

 【草原よ 遥かなる草原よ この地平の先に あなたはいますか?】

 

 

 

 「・・・・・・え?」

 

 と小さな声を漏らしたのは、誰だったろうか。

 

 目の前には、知らない大人のたちが立っていた。

 

 服装から、恐らくは国の役人さんであることが分かる。でも、いつも視察に来てくれるおじさんはいない。それより一回りほど若く見える人、いや人たちだった。

 

 違う、何もかもが違う。優しいおじさんとは正反対の位置にいるような、怜悧で冷たい顔をしていた。 

 

 「指令だ。明日の正午までに準備をしておくように」

 

 「ま、待ってください!俺は、俺たちは構いません。覚悟もしていました!でも、アレクやヨウラン、ルカまで連れて行くのですか!?彼らはまだ15歳にもなってませんよ!!」

 

 村の広場に集められた私たち・・・・・・全員の想いを代弁するように、一人の青年が声を荒げた。

 

 300人を超す私たちと向かい合うのは、3名の大人の人。真ん中の大柄な男性が、身体の前に紙を掲げており、その両脇には銃を持った男性が直立不動で佇んでいた。

 

 黒々とした立派な銃。今まで私が見た事がある銃といえば、害獣を追い払うという名目で、1丁だけ許可を受けて村で管理している猟銃のみ。その年季の入った猟銃とは、何もかもが違う。

 

 銃に詳しくない私ですら、一目見ただけで分かってしまった。見た目も性能も、全く比較にならないことが。

 

 その事実を裏付けるかのように、この人数差でありながら3人の大人たちからは緊張や動揺といった様子は微塵も見られない。

 

 「・・・・・・もう一度言う。これは指令だ。『12歳以上60歳以下の男子全員を徴兵する』。言い間違いも、保留事項も一切ない。明日までに準備が終わっていなかった場合は・・・・・・」

 

 一旦言葉を止めた役人さん。そのセリフに反応して、両隣の二人が少しだけ銃身を持ち上げた。

 

 びくっと後ずさる私たち。その様子をゆっくりと一瞥し、彼らは淡々と踵を返して去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄々、予感はしていた。

 

 今までも、大人の男性が兵隊さんとして村から出て行ったことはある。でも、数年前まではアレクのお父さんみたいに志願した人だけだった。1年に一人いるかどうか、本当にそれくらい。

 

 それが強制となり、頻度が多くなり、人数が多くなり・・・・・・。

 

 少しずつ、でも確実に、『その』足音が近づいてくる。耳をふさいでも、目を閉じても、身体を丸めても、眠っていても、私の心は言いようのない気持ち悪さでいっぱいになっていた。

 

 その正体は、薄々ながら自覚していた。でも、必死に目をそらしていた。そんなはずはないと。そう、アレクは私と同い年なのだ、まだまだ選ばれるはずがないと。

 

 その甘い考えは所詮、幻想でしかなかった。

 

 

 

 アレクのお父さんの訃報が届けられてから2年。私たちの日常が、完全に崩れ去った。

 

 

 

 時刻は夕方前。夏の終わりかけくらいの時期だからか、空はまだまだ明るい。

 

 ・・・・・・その色に反するかのように、村の広場には重い空気が流れていた。

 

 呆然とする青年。怒りをあらわにする男性。今後の生活のことを考え、へたり込む女性。

 

 村の働き手である男手がいなくなったら、女の細腕だけで回りきらない事は火を見るより明らかである。

 

 ほかの村から移住を頼もうにも、平時ですら来訪人がほとんどいない。ましてや、戦時中の今なら猶更である。それに、ほかの場所でも同じように男性が連れていかれた可能性が高い。

 

 広場にいる皆が、察していた。明日から働き手の大半がいなくなったら、この村は長くは保たないと。

 

 「・・・・・・っ!!」

 

 ようやく私も、先程の衝撃から正気に戻る。バッと顔を上げて振り返り、彼を探す。

 

 大切な人を。私にとっての、全てと言っていい人を。

 

 目的の人は、広場の外れにいた。人に溢れ、決して広くはない広場を縫うように走る。途中、躓きそうになりながら、前へ前へと身を進める。

 

 「アレクッ!」

 

 彼の名を、その後ろ姿に向かって呼ぶ。声に反応し、ゆっくりと振り返った彼は静かに笑った。

 

 「カナ、ちょっと話そうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人で、手を重ね合わせる。今まで何度もやってきた行為。毎回私から差し出して、彼に拒否されて。最終的に渋々といった具合で手をつなぐのが通例となっていた。

 

 今回は、違う。お互いに手を差し出して、指を一本一本絡ませて握り合う。そのまま一歩一歩、歩き続ける。

 

 私もアレクも、どこに行こうとは言わなかった。口にしなくても、行先は分かっていたから。

 

 幾度も幾度も見てきた風景。歩き慣れた道。見飽きるほど記憶に残っている景色を、無言で見渡す。

 

 私だけじゃない。彼も、一言も話さない。話そうといったのは彼なのに・・・・・・なんて、言えるはずがない。

 

 彼もまた、歩きながら景色を見渡していた。代り映えのないこの場所を、余すとことなく。見逃さないように。その目に、焼き付けるように。

 

 思えば、いつもいつも走ってばかりで通り過ぎてきた道。こんなにじっくりと目にするのは初めてかもしれない。

 

 歩くスピードは、私の方が気持ち速め。この数年間で、すっかり体力も、歩幅も逆転されてしまった。

 

 ずっと私の背中を追っていた彼と、肩を並べて歩む。・・・・・・この先も、ずっと続くと思っていた、ずっと続いてほしかった景色を。

視線を彼に向けると、バッチリと目が合った。気づかないうちに私のことを見続けていたみたい。

 

 その視線を受け止めて、真っすぐに見返す。夕日に照らされた彼の表情は、笑顔だった。私を誘った時と変わらないその笑み。

 

 10秒、20秒、30秒、1分、2分・・・・・・決して短くない時間、お互いに視線を交し合い、最後はどちらからともなく前に向き直った。

 

 同時に、指まで絡めあっていた手を離す。理由は、目的地に着いたから。

 

 草原。私が、私たち二人が、多くの時間を過ごした場所。

 

 夕日に染まった草原を見るのは久しぶり。夕方や夜まで居座ると、お母さんにこっぴどく叱られるから、いつもは遅くならないうちに帰路についていた。

 

 でも、今日だけは別。私たちが満足するまでここにいる・・・・・・満足なんて、そんなの絶対無理だろうけど。

 

 二人で、肩を寄せ合って座る。夕風が届けてくれるのは、草原の青々とした匂い。そして、大好きな貴方の匂い。

 

 「俺さ、有名になりたいって思ってんだ」

 

 「うん」

 

 朱色で覆われた空を見上げながら、彼は口を開いた。その横顔は、僅かに影がかかっていた。

 

 「何でもいいから村で一番になって、有名になって、他の町まで伝わって、最終的には都市でも噂になるくらいデカい事をしてさ」

 

 「うん」

 

 「一生遊んでもいいくらい裕福になって、美女たちを侍らせて暮らしてーな、って」

 

 「うん・・・・・・って、それは聞き捨てならないわよ浮気者」

 

 私というものがありながら、と軽く小突く。そのまま、じっと彼の顔を見つめる。

 

 彼の笑顔を。ずっと張り付けていた、『少しずつ剥がれはじめていた』偽りの笑みを。

 

 「だからさ、俺嬉しいんだよ。俺、兵士として大活躍すれば、一気に近道になるから、機会があっちから用意してもらったっていうか、その」

 

 「アレク」

 

 彼の言葉を遮るように、胸に抱きしめた。

 

 私は大好きだけど、彼は嫌がる行為。いつもだったらすぐに暴れだしてしまうけど、今日は違った。

 

 私の胸にすっぽりと収まった彼は、ピタッと止まった。分かりやすいくらい、わざと饒舌に語っていた言葉が途切れる。

 

 あなたは、そんなに口数が多い人ではない。そんな風に自分からどんどん気持ちをひけらかす人ではない。きっと、私を無理にでも安心させるために強がっているだけ。

 

 そのまま、両腕を使って頭を抱きしめる。

 

 今は、そんな分かりやすい嘘を聞きたくない。私のために、気を使ってほしくない。

 

 ありのままの気持ちをぶつけてほしい。本当の想いを、私に伝えてほしい。

 

 

 だって、もう時間は残されていないのだから。

 だって、・・・・・・私ももう、限界だから。

 

 

 右手で彼の後頭部を優しく撫でる。左手で、より強く抱きしめる。隙間なんて出来ないくらい、風すら入り込めないくらい密着する。

 

 痛いくらいに触れあって、身体中で実感する。すっかり覚えてしまった彼の体温。彼のより強い匂い。そして、誘われた時からずっと震えている彼の身体。その全てを、閉じ込めようと力を込める。

 

 「・・・・・・怖いんだ」

 

 やがて、ぽつりとアレクが声を出す。お腹の底から絞り出したような声だった。少しだけ顔を上げた彼は、これ以上ないほどに表情をゆがめていた。

 

 「情けないって分かってるんだ!守るためだとか、親父の仇を討つだとか、本当だったらそういう事を考えなくちゃいけねえんだと思う!でも、今の俺には、とても出来ねえっ・・・・・・!」

 

 「怖いんだ、俺!銃で撃たれるのって、どれだけ痛いんだ?銃で相手を撃つのってどれだけ痛むんだ?分からない!いや、それ以上にっ・・・・・・」

 

 

 

 『お前と離れるのが怖い』

 

 

 

 怒声のような声は、最後の言葉を紡ぐときには小声になっていた。

 

 でも、密着していたから聞こえてしまった。彼の、アレクの秘めた想い、全てを。

 

 夕日が見えるくらい、天気は良いのに。こんなにも気持ちの良い風が、吹き渡っているのに。

 

 ポタ、ポタ。

 

 一滴、二滴と落ちていく。私たちの所だけ、天候は生憎の雨模様。私とアレクが流す雨は、その嗚咽は次第に強さを増していった。

 

 嫌だ。離れたくない。ずっと隣にいたい。

 

 貴方への想いが、止め処なく溢れていく。でも、溢れても溢れても、それ以上の量が心の中から湧き上がってくる。震える彼の身体を抱きしめる私の手も、腕も、そして身体も、同じくらい震えていた。

 

 「私も、嫌だっ!好きなの!どうしようもないくらいに好きなの!!」

 

 一度口から漏れてしまったら、もう止まらない。決壊した感情が、濁流となって溢れていく。

 

 「ずっと一緒にいられると思っていた!一緒にいることが当たり前だと思っていた!このまま成長して大人になって、結婚して、子供を産んで、おじいさんおばあさんになって、そうやって天寿を全うするんだと思ってたっ!!それが、私の『夢』だった!なのにっ・・・・・・」

 

 ありふれた日常。代り映えの無い日々。それが、あっけなく奪われる。もし、人生経験を積んでいたのなら、他の感情を抱いたのかもしれない。でも、今の私には到底無理だった。

 

 明日以降、アレクと会えなくなる。何日?何週間?何カ月?何年?・・・・・・一生?

 

 トクン、トクン、と伝わってくる彼の鼓動。あなたの体温が、匂いが、笑顔が、その全部が、手の届かない遠くまで行ってしまう。

 

 分かっている。私なんかより、戦いに行くアレクの方がずっと辛いって。でも、心の底から湧き上がってくる感情の奔流を、止めることができない。

 

 私たちは、抱き合って泣き続けた。幼い子供の時のように、大声で。喉が枯れるくらいに、ずっと、ずっと。その方法でしか、感情の表し方が表現できなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらい、泣いたのだろうか。

 

 このまま時が止まればよいのに、と今日ほど強く願ったことはない。

 

 この先手に入るであろう富も、幸福もいらない。今、私の腕の中にある命。この人と一緒にいられるのならば他に何も。

 

 でも、時は止まらない。誰にでも等しく、平等に流れ過ぎていく。夕月夜を纏っていた空は、薄暗い藍へと色を変えていた。

 

 魔法の時間は、もう終わり。どれほど願っても、告げる12時の鐘が鳴り響けば、魔法は解けてしまう。

 

 抱きしめあっていた身体を離す。これ以上帰りが遅れると、暗闇で道が見えなくなる可能性がある。村に戻って、明日の準備をしなければいけない。・・・・・・だから、これが本当に最後の我儘。

 

 「アレク」

 

 一言、呼び止める。その言葉に込められた力に反応して、彼が振り返る。

 

 彼の視線を感じ取りながら、数歩後ろ向きに、後ずさるように離れる。

 

 あなたの視界に映るのは、暗くなりながらもはっきりと分かる、青い草原。その中に浮かび上がるのは私という人影。

 

 アレク。

 

 私の、大切な人。ずっと一緒に過ごしてきた人。全てを捧げたい思った人。

 

 今までたくさんのものを貰ってばかりだった。到底返しきれないほどの幸せを、胸いっぱいに。 

 

 だから、今度は私が恩返しする番。静かに息を吸って、言葉を紡いだ。

 

 それは、歌。以前、アレクのお父さんが一度だけ村に戻ってきたときに聞かせてもらったもの。

 

 

 

 

 【草原よ 広き草原よ】

 

 兵隊さんの歌。それだけを覚えている。一回だけしか聞かなかったから、正確な歌詞は忘れてしまったけど、構わない。元から、歌詞通りに唄うつもりはない。

 

 【私の唄が 遠く離れてしまった 貴方の元まで届きますように】

 

 私の想いを、溢れんばかりの想いを込めて唄うから。偽りのない、この気持ちを。

 

 【この声が あなたへの目印となりますように】

 

 ずっと、ずっと、ずっと。

 

 【この場所で あなたのことを待ち続けます】

 

 

 

 

 「アレク!!」

 

 唄い終わって、僅かばかりの刻も置かずに、あなたに向かって叫ぶ。

 

 たくさん泣いて、先程まで唄い続けて、これ以上無理をしたら喉が潰れてしまうかもしれない。そんなの、構うもんか。今、伝えられなければ意味がない。

 

 「私、ここで待っているから!!」

 

 今も、これからも。この先どこまでだって待っている。

 

 「この草原で、唄い続ける!どこまでも駆ける風が、草原を超えて、町を超えて、山を越えて、私の声を貴方に届けるから!だからっ、この声を辿って、絶対戻ってきて!!」

 

 あなたに一生を捧げる。その想いは、一生変わらない。だから、あなたが戻ってくるまでこの草原で唄い続ける。

 

 何日だって、何週間だって、何カ月だって、何年だって・・・・・・一生だって!

 

 胸に抱えた想いを、全て吐き出した。後先考えずに声を出し過ぎたせいで、言い終えた後に軽くえずいてしまった。

 

 「カナっ!?」

 

 アレクが駆け寄ってくる。

 

 止まったはずの涙が、流れ落ちそうになる。それをこらえて、両手をいっぱいに広げる。

 

 引き寄せあうように、再び抱きあった。その温もりを忘れないように、残っている力全部を使って抱き締めた。

 

 立った状態での抱擁。私は、先程とは逆で彼の胸にその身を預けていた。

 

 ずっと小柄だと思っていた彼は、いつの間にか私の身長を越していた。

 

 草原の風を感じながら、あなたとの最後の時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アレクが旅立ってから、私の生活は一変した。

 

 彼を始めとした男子、男性がいなくなり、村に残ったのは女性、老人、幼子のみ。今までですら、村全体で協力して、支えあってきた事で成り立っていた部分があった。その支えあいが、働き手、大黒柱が抜けたことで一気に厳しくなった。

 

 私も今までの洗濯、雑用に加えて体力仕事を率先して引き受けた。たまに行う程度だった畑仕事は、他の人の畑も手伝わなければならなくなったため、毎日行うようになった。来る日も来る日もクタクタになりながら、それでも村のためにできることは積極的に請け負った。

 

 日々の食事も、月日が流れるにつれて段々と量が少なくなっていく。村にいる数少ない幼子にだけは何とか満足に食べさせられるよう、畑で土まみれになりながら鍬を振るった。

 

 同時に、毎日欠かさず草原に向かった。一日中畑仕事をして足や膝が笑っている日も、大雨が降った日も、一日たりとも休まずに。

 

 この私個人の我儘に充てられる時間は、日没後を除けば一日1時間程度。移動の往復時間もあるから、草原で過ごせるのは長くても30分。短い場合は数分の時もあった。

 

 それでも、唄うことだけは止めなかった。

 

 あなたがある場所は、分からない。前線にいるのか、後方にいるのか。今戦っているのかどうかさえ。

 

 風の止まぬ草原。私は唄う。唄い続ける。

 

 この声が、あなたに届くことを願って。この声が、あなたが帰ってくるための道しるべになることを祈って。

 

 

 

 ・・・・・・でも、世界はそんなに優しくは出来ていなかった。

 

 

 

 半年後、役人さんが村に訪れた。以前来た3人とは違う、初めて見る人たち。

 

 前と同じように広場に村人を集めて、事務報告をするかのような口調で、淡々と語った。

 

 

 

 『こちらの村から徴兵を行った者は先日前線に投入。1週間前、敵の爆撃機によって壊滅。一昨日の時点で未だ連絡が着かず。現時点での生死は不明』と。

 

 

 

 余りにも簡単に言うから、内容がすぐに頭に入ってこなかった。時間をかけて、ゆっくりと皆にその言葉が浸透していき・・・・・・

 

 『ガッ!!』

 

 と、音がした。

 

 いち早く役人さんが発した言葉の意味を理解した若い女性が、件の役人さんに掴みかかっていた。新婚の夫を連れていかれた人だった。

 

 返してよっ、ジークを返してよっ!!と叫び続ける彼女は、この場にいる村人全員の感情を代弁していた。・・・・・・その人が前に出なかったら、多分私が役人さんに掴みかかっていた。或いは、ほかの誰かが。

 

 でも、役人さんは来た時と変わらない、無関心とも呼べる冷たい視線を女性に向ける。両隣の2人も、手に持った銃を構えることすらしていない。こんなもの脅威ですらない、と言わんばかりに平然と立っている。

 

 私たちの敵意、いや、それ以上の激情を込めた視線を、こともなげに見返している。

 

 女性の糾弾は、数分間続いた。彼女が疲れ果て、その場で座り込む。自由になった役人さんはその人を一瞥し、踵を返した。

 

 役人さんが居なくなっても、誰も一言も話せない。

 

 その中で、私は一人静かに抜け出した。そうしないと、こみ上げる全てを制御できず、近くの人を傷つけそうだったから。

 

 いつもの道を通って、草原にたどり着く。そのまま叫ぶように歌う。抱えきれず、このままでは破裂してしまいそうな激情を、吐き出すように。

 

 

 

 【---っ! -------っ!!】

 

 

 

 その日は、不思議なことに風が吹かなかった。

 

 絶好の晴れ日和だったのに、澄んでいるはずの蒼色の空は、視界が酷くぼやけて見ることが出来なかった。

 

 ・・・・・・それでも私は、唄った。

 

 約束を守るため、叫ぶような声で唄い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -4-

 

 【草原よ 永遠の草原よ この景色と共に 私の想いも残してくれますか?】

 

 

 

 広場には、村の人全員が集まっていた。今回は、役人さんが来たからではない。

 

 村人全員での移住。その決行日が今日だった。

 

 昨年発生した大飢饉が、ただでさえ少ない収穫量に致命的なダメージを与えた。

 

 それに加えて、疫病の蔓延。その死神の鎌は、年齢関係なく村を襲い、総人口を三桁から二桁まで減らした。・・・・・・あれだけ元気だったお母さんも、病にかかってからはあっという間だった。

 

 人の命なんて、どれだけ気を使っても簡単に、突然に散ってしまう。

 

 巡視に来た新しい役人さんに村長さん以下皆が頼み込み、先週ようやく隣の村への移住が認められたのだ。村全体の食糧が尽きかける、ぎりぎりのタイミングだった。

 

 隣、といっても元々この村が離れにあること。加えてこの人数で、かつ女性、子供、老人が中心であることから到着するまで数日ではきかない。

 

 食料も後僅か、更に道中は安全とは程遠い。持っている武器は、残弾数発の猟銃一丁と畑仕事に使っていた鍬くらいという、文字通り犬おどしになるかどうか程度。野生動物の襲撃に遭おうものなら、考えるだけでも恐ろしい。

 

 広場に集まった村人を見やる。徴兵された人たちは、誰一人戻ってこなかった。数年前どころか、1年前と比較しても随分減ってしまった。この先の移動で、恐らく更に減る。移住先の村だって、働き手は既に奪われているだろう。力を合わせても、その未来は決して明るいものではない。

 

 それでも、生きるために。彼女たちは命をつなぐために村を出ていく。

 

 ・・・・・・その輪から離れた場所で、私は皆に向かって頭を下げた。

 

 ニノ、サーシャ、ナタリア、エレナさん、ヨークおじいさん、ハンナおばさん、村長さん・・・・・・皆が、悲しそうな顔をしている。

 

 村に残る選択をしたのは、私一人だけ。理由は、誰にも聞かれなかった。多分、周知の事実だとは思うけど。

 

 15歳にも満たない少女が一人きりで生きていけるかどうかなんて、火を見るより明らかである。それでも、村長さんも私の意思を尊重してくれた。

 

 移住も村に残るのも、どちらも命がけ。この先どころか、明日どうなるかも分からない。

 

 「今まで、本当にありがとうございました」

 

 だからこそ、自身の最も大切なものを求めることに決めた。

 

 「・・・・・・みんなっ、元気でねっ!!」

 

 精一杯の笑顔で、笑う。不格好な私の笑みに釣られたのか、何人かが無理やり笑って手を振ってくれた。

 

 いつまでも見ていると、後まで引きずりそうになってしまう。私も手を振った後、背を向けた。

 

 皆も遠くないうちに出発するだろう。それよりも早く、私も村から出た。

 

 お母さんのお墓参りには既に行ってきた。村に残る、なんて言いながら結局私も、二度とこの場所に来ることはないだろう。

 

 本日は晴天模様。雲一つない大空の下、一歩一歩歩く。

 

 私の心境は・・・・・・よく分かんない。ふふ、と笑みを浮かべて、見飽きるほど見てきたでこぼこ道を進む。

 

 足元の土には昨日までの足跡が付いている。くっきり残っているものや輪郭の欠片くらいしか残っていないものまで様々な彩りがあり、何百回と通ってきた過去の記憶を思い起こさせる。

 

 そして、この道を通るのもきっと最後。もう、戻ることもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんなに早い時間に来れるのは、いつ以来だろうか。

 

 仕事が片付いてから訪れるのが常習化していたため、お日様がてっぺんに昇る前に到着できたのは随分久しぶりな気がする。

 

 草原の景色は、変わらなかった。あなたと一緒にいた時も、あなたがいなくなってからも、変わらずにここに在り続けた。どこまでも、どこまでも。遥か彼方まで、この地の果てまで届くくらいに、遠くまで。

 

 本当に、残酷なまでに美しい場所。両手を広げる。全身を使って、草原の風を受け止める。

 

 風に靡くのは、エプロンドレス。10歳の誕生日に初めて纏った服を着て、身を任せる。

 

 流石にもう入らないかな?と思ってたけど、びっくりすることに着ることができた。数年前からあまり成長していないのは、早熟だったからか、あるいは栄養不足か。所々キツイ部分はあるけど、動く分には問題ない。

 

 あなたに褒められた服。青と白を基調とした色合いは、程よい晴れ模様を表している。本日の空は、それ以上にご機嫌みたいだけど。

 

 ご機嫌すぎて、既に汗でびっしょり。こんなことなら、水くらいは持ってくればよかったなと一人ごちる。

 

 一息ついて、静かに目を閉じる。頭の中に浮かび上がる映像は、今までの人生の記憶。遊びまわったり、叱られたりといった記憶が多いけど、それはそれでお転婆な私らしい。

 

 十数年分の、家族や友人、知り合いなどたくさんの人たちとの思い出が蘇る。先程別れるときは我慢できたのに、今になって涙が溢れてきそうになる。

 そして、その映像の大半を占めるのは、勿論あなた。

 

 物心ついた時から、彼と一緒だった。一緒にいるのが当たり前だった。小さかった彼。泣き虫だった彼。成長して、私の背をあっという間に越していって、臆病で、勇敢になった彼。

 

 目を開ける。私の視界に映るのは、どこまでも広がる空と草原。そこに、あなたの姿はない。

 

 

 

 「だから、私は唄い続けます」

 

 

 

 一度だけ、深呼吸。再び開いた口から流れるのは、数えきれないほど唄った想い。

 

 いつか戦争が終わり、帰路に就くあなたが迷わないように。

 

 いつかまた、あなたと一緒にこの景色を見たいから。

 

 この変わらぬ地で、変わることのない私の想いを、永遠に。

 

 

 

 【草原よ 広き草原よ】

 

 【この場所で あなたのことを待ち続けます】

 

 

 

 今までは時間がないから1日に1回くらいしか唄えなかった。

 

 でも、今回は別。時間だとか、体力だとか、気にする必要なんてない。

 

 だって、あなたが戻ってくるまで止めはしないから。

 

 ・・・・・・ねえ、アレク。私、一つだけ嘘ついちゃった。

 

 あなたに一生を捧げる、この気持ちは一生変わらない、って思ってたけど、訂正するわ。

 

 多分ね、『死んでも変わらない』。

 

 私が死んで、どんな存在になったとしても、例え私というものが消えてしまったとしても、あなたに私のすべてを捧げたい。ずっと、ずっと唄い続けるわ。

 

 重すぎるって?お生憎様、私みたいな女に惚れられたのが運の尽きよ。

 

 

 

 【私の唄が 遠く離れてしまった 貴方の元まで届きますように】

 

 

 

 -例え日が暮れても、再び朝が来ても、大雨が降っても、声が枯れ果てたとしても-

 

 

 

 【この声が あなたへの目印となりますように】

 

 

 

 -幾星霜の刻を超えて、この唄と共にあなたを待ち続けます-

 

 

 

 ぐっと、遥かな空に向かって手を伸ばす。

 

 青空に昇る太陽が輝きと共に、新緑色の風が吹く。吹き付ける息吹を身体中で感じながら、私は静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -終-

 

 

 

 「はぁ・・・・・・」

 

 晴れ模様の昼下がり。異変の兆候もなく、境内の掃除も終わったためお茶をすすりながらのんびりしていたら、(不本意なことに)すっかり聞き慣れてしまった歌が耳に入ってきた。

 

 だんだんと音が大きくなっているのを見るに、目的地はこの神社みたいである。

 

 ため息をつき、懐からお札を一枚取り出す。

 

 「【♪~♪~】・・・・・・って、うわっ!?」

 

 「うるさいわよ騒霊!!」

 

 階段を登り切った彼女に向けて、お札を投げつける。直撃コースだったけど、寸前のところで気づかれ、ひらりとかわされてしまった。

 

 当たってひっくり返ったら、少しは静かになったのに。最近、避け方が上達してきた彼女に危機感を覚えつつも、お祓い棒をもって歩み寄る。

 

 「こら、騒霊。神社に近づいたらなるべくその歌は控えるようにって言ったでしょ?」 

 

 「あら、巫女さんこんにちは!相も変わらず暇そうね!」

 

 元気よく挨拶を返されるが、その内容は中々のセリフであった。

 

 喧嘩売っているのかしらこの小娘、と見た目の年齢はほとんど変わらない相手に向かって怒りを飛ばす。そもそも、異変解決が本業の私が暇を持て余しているのは平和な証拠である。

 

 他の輩にこんなことを言われたら問答無用でお札のおかわりを飛ばすのだけど、彼女の場合は少し例外だ。

 

 「じゃ、先にお参り済ませておくね~」

 

 と手を振った彼女は、ふわふわ飛びながら本殿正面に向かい、手前で降り立った。エプロンドレスのポケットに手を入れ、小銭を取り出して賽銭箱に放り込む。

 

 チャリンと乾いた音が鳴り、作法に則って二礼二拍手一礼を行っていた。

 

 彼女は今から1年ほど前、今と同じように歌詞のない鼻歌を奏でながらズガズガと神社に押し入ってきた。初めて見る顔だったけど、のんびり休憩中だった至福の時間を邪魔されたことで虫の居所を悪くした私の手でお灸を据えてやった。

 

 その後、もし次に来る機会があるのなら、神社の敷地内に来たら騒がないこと。来るならお賽銭を持ってくる事を言い聞かせた。

 

 といっても、期待はしていなかった。今まで無遠慮に神社に押し入ってくる人物は数知れず。人、妖怪、神様、などなど多岐にわたるが9割9分は冷やかしの連中である。気の置けない中ではあるけれど、お賽銭を入れてくれた記憶はいくら探しても出てこない。

 

 むしろ、宴会で騒ぎまくって境内をめちゃくちゃにされた記憶は鮮明に残っている。だってつい先週のことだし。

 

 それに比べれば、曲がりなりにも訪れたらお賽銭を入れてくれるようになった彼女は、神社にとって大変貴重な存在である。

 

 結局歌うことは止めないはた迷惑な騒霊とはいえ、退治するのはしばらく待っておいてあげようというのが私の心境であった。

 

 「まったく、あんたいつもいつもその鼻歌歌っているわね。そんなに毎日毎日歌いたいのかしら?」

 

 と面と向かって聞いたことはあるけれど、明確な回答は得られなかった。まあ、無理に聞くものでもないけれど。

 

 え、騒霊は妖怪じゃないから退治する必要はないのでは、だって?まあ似たようなもんでしょ。

 

 頬杖をつきながら、彼女の参拝する様子を眺める。

 

 ぼんやりと見ながら今まで幾度も行ってくれた参拝の姿を思い出していき、そこでふと疑問が生じる。

 

 彼女、カナはいつお願いをしているのだろうかと。

 

 二礼二拍手一礼での作法におけるお願い、お祈りをするべきタイミングは二種類ある。一般的に知られているのは二拍で手を合わせた時。もう一つは作法を始める前、お賽銭を入れた時である。

 

 手を合わせてお祈りを届けるか、お賽銭にお祈りを込めるのか、どちらにするかは参拝者の自由である。

 

 でも、カナの様子を見ていると、ポケットから取り出した小銭をすぐに放り投げていたし、二拍後すぐに一礼をしていた。これでは神様にお願いごとをする時間が取れていないのではと勘ぐってしまう。

 

 別に無視してもいいのだけれど、少なくとも他の連中よりは神社に対して有益なことをしてくれている。アドバイスくらいはしてみようと、うんと背を伸ばした。丁度参拝が終わり、振り向いた彼女に声をかける。

 

 「ねえカナ。今更だけど、あんたいつお願いしているのかしら?」

 

 「へ?」

 

 「へ?じゃなくて、お願い・・・・・・いやお祈りね。見た感じ、自分の願いを込めている時間がないように見えたから」

 

 何気なしに聞いた言葉。当然、すぐに返答が来るのだと思っていたけれど、返ってきたのは沈黙であった。

 

 きょとん、とした顔でカナが首をかしげている。今の質問に首を傾げる所があったかしら?と疑問に思ったのだけれど、彼女の口から続けられた言葉に一瞬硬直してしまった。

 

 「お願いって、参拝するときは何か願ったほうがいいの?」

 

 「・・・・・・あー・・・・・・」

 

 彼女の発したセリフに呆然としてしまい、幾ばくかの思巡の後、理解が訪れる。

 

 確かに作法は教えたのだけれど、一番根本的な部分である、お祈りをするという事を教えるのを忘れていたのである。

 

 神社でお賽銭を入れたら、神様に感謝を伝え、神様にお願いごとをする。

 

 これは、日本に住むものであれば当然知っている当たり前の事象。たとえ幻想郷であってもそれは変わらない。むしろこの地は信仰がより力に直結する。

 

 かつてオカルトボール関連の異変時に一度だけ外の世界を見たことがあるけれど、そちらよりも幻想郷に住む人の方が神社関連の成り立ち、作法について詳しいだろう。

 

 でも、もちろんそんな人ばかりではない。彼女に関しては、名前からして日本以外の土地からこの場所に流れ着いた可能性が高い。

 

 国が違えば、常識も、当たり前も違う。

 

 無意識のうちに『神社では神様への感謝を伝え、自分の願いを神様にお願いする』事を当然彼女も知っているのだと思い、説明を省いてしまっていた。

 

 これは私の落ち度である。頭をポリポリと掻きながら説明をすると、彼女は「へぇ、そうなのね!」と目を輝かせた。

 

 説明を忘れていた私を責める色は一切無く、新しい知識を知ることができた、という喜びにあふれていた。

 

 内心ホッとしつつ、彼女と並んで本殿の前に立つ。

 

 「そういう訳だから、問題・・・・・・とまではいかないけど神様に感謝すると同時に、何かしら願っておいたほうが良いわ。折角お賽銭まで入れて貰っているしね」

 

 「うーん・・・・・・急に言われると、すぐには出てこないわね。ちなみにこの神社ではどんな神様を祀っているの?願い事を決める参考にしたいわ」

 

 「いや、実は私も分かんないわ」

 

 「そっちの方がだいぶ問題じゃないかしら!?」

 

 あなたよく今まで巫女が務まってたわね!?というか本当にこの神社の巫女なの!?とぎゃーぎゃーうるさいので耳をふさいでやり過ごす。実際知らないのだから仕方ない。まあ現状害はないから深く調べなくてもいいでしょ、と放置しているだけである。

 

 今まで作法云々言っていたのに、と突っ込まれたら返す言葉もなかったけれど、幸い深くまでは追及してこなかった。助かったわ。

 

 カナも数分後、言いたいことを粗方言い終えたのか、ふぅ、と息を吐いて本殿に身体を向ける。折角だから、と言って悩み始める姿を見るに、お願い事を考え始めたみたい。

 

 でも、先ほど当の本人が言った通り、いきなり願い事と言われても中々パッとは思い浮かばないものだ。

 

 伝えなかった私が悪いのだし、次に来る時までに考えておきましょ、次回だけはお賽銭とらないから・・・・・・と言いかけて、ふと口を閉じた。

 

 うーんうーんと悩んでいた彼女が、そうだ、と呟いて顔を上げたのである。

 

 その横顔には、笑顔が浮かんでいた。神社を訪れる彼女は常に笑顔だったけれど、そのいつもの笑みとは何かが違う気がした。

 

 そのまま二礼二拍手一礼の作法に入る。二回礼を行い、パン、パン、とよく響く音で手を合わせる。

 

 そして、笑みを絶やさぬまま、口を開いた。

 

 

 

 『この唄が、遥か彼方まで届きますように』

 

 

 

 「よし、と。巫女さん、このやり方でよろしかったかしら?」

 

 「・・・・・・え、ええ。でも、別に口に出す必要はないわ。心の中で願うだけで十分よ」

 

 「あ、そうなのね。次からはそうするわ。ふふ、良かったわ。このお願い事があったわね」

 

 最後の一礼から顔を上げ、あっけらかんと笑う彼女。その願いは、とても抽象的なものだった。

 

 笑ったまま、口から旋律が奏でられる。いつもの歌。彼女が常に口ずさんでいる、歌詞のないメロディが響き始める。

 

 身体をクルクルと回しながら、楽しそうに歌っている姿を見ると、いつも湧いてくるはずの小言が口から出てこない。

 

 知らない歌なのに、うっとうしい歌だと思っていたのに、何故か今の彼女にはピッタリのように見えた。

 

 私の視線を感じたのか、既に階段近くまで移動していたカナがピタッと回転を止める。おっとと、とバランスを直して、笑顔でこちらに向き直った。

 

 「前に巫女さんから聞かれたこと、答えるわ!実はね、私もこの唄を知らないの!!」

 

 「気が付いたら騒霊としてこの土地にいたの。生前のことなんて、全く覚えていないわ!幽霊でも亡霊でもない、何で騒霊になったのかも分からない!」

 

 かつて、何気なしに私が聞いたことへの返答。重い内容のはずなのに、彼女からは悲壮感が全く伝わってこない。

 

 純粋に、ただ真っすぐに前を向いている。

 

 「そんな私だけど、この唄のメロディは覚えていたの!題名も、歌詞も、なーんにも覚えていないわ!でね、初めて唄った時、顔も名前も知らない『誰か』がぼんやりと頭に浮かんだの。その時に、これだけは感じたの。きっと、その『誰か』に届けたいんだって!!」

 

 「だから、私はこれからも唄う!毎日だって、毎週だって!騒霊らしく、ずっとずっと唄い続けるわ!!・・・・・・私自身、この唄が大好きになっちゃった、っていうのもあるけどね♪」

 

 じゃあね!と、今度こそ背を向けて階段を降りて行った。

 

 遠ざかるにつれ彼女の口ずさむ歌は、少しづつ小さくなっていく。でも不思議な事に、微かにだけれど、そのメロディが耳に届き続ける。

 

 「わっ!?」

 

 急に強い風が吹き、とっさに顔を手で覆う。

 

 暖かで心地よい風が全身を包むように通り抜ける。その勢いのまま木々を揺らし、さらに遠くまで駆けていく。

 

 顔を覆っていたゆっくり手を離すと、先ほどまでは意識していなかった、雲一つない大空が私を、私たちを見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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