──8歳の時、お母さんが倒れた。
床に蹲りながら苦しそうな顔をするお母さんを見て、心臓の鼓動が早くなり、変な汗が滝のように流れてきた。このままじゃいけない。このまま何もしなかったら、お母さんが大変なことになる。そう思った私はすぐに病院へ連絡をして、救急車を呼んでもらった。病院へ向かう途中、私はお母さんの手をずっと握っていた。
「おい、倒れたって本当なのか?」
病室に現れたのは見覚えの無い髭とサングラスのおじさん。汗だくで息を切らせながら慌てふためいているその様子から、お母さんの言った通りこの人が"お父さん"だということはあながち間違っては無さそうだ。
お父さんのことはうっすらとしか覚えていない。一緒にどこかに出かけたとか、何かを買ってもらったとか、そういうことはしてもらったことがない。お父さんの情報はお母さんからたまに聞いていたくらい。何でも、前に国を守った英雄だとか。そんな凄い肩書きがあるみたいだ。
「いい?お母さんはしばらく入院することになったから、お父さんの言うことちゃんと聞くんだよ」
「いつくらいに帰ってくる……?」
「……出来るだけ早く帰れるように、お母さん頑張るね!」
そう言ってお母さんは、頭を優しく撫でてくれた。
「それじゃ……行くか……」
どことなくぎこちない様子のお父さんは、果たして同じようなことをしてくれるのだろうか……。
その界隈ではお父さんは名の知れている人で、家の近くの剣術道場に行けばすぐに人集りができる程だった。大戦の英雄……その称号がそうさせているのだろうか?
「座村さん、娘いたんだ」
「ああ、少し預かることになってな」
「ちゃんと育てられるんですか?」
それは私も思った。
「ま、力の限り頑張るさ」
その言葉にどこか安心した自分がいた。ずっと一緒だったお母さんと離れ、あまり面識のないお父さんとの二人暮らし。不安しか抱いていなかったが、お父さんはお父さんなりに精一杯父親をやってくれると宣言した。
「娘さんも剣術はやるの?」
不意にそんな質問が飛んできた。剣術……刀なんて握ったことすらない。だけどお父さんは侍。周囲が同じ目で私を見ることに、私自身何も違和感など抱かなかった。
「いや……流石にそんな危なっかしいことはさせられねぇよ……。女の子だし……」
「やる」
「え──?」
サングラスをしていても、お父さんの焦りようは伝わってきた。
「私も強くなって、敵をやっつける!」
強くなる意味も、敵が誰なのかも、当時の私には分かっていなかった。それでも何故か、私の心は剣術を学ぶことを選んだ。強くなって大切な人を守りたい、大切な人の傍にいたい。漠然とした想いがあったのだろう。
侍の娘として、私も同じ道を歩んでみたかったんだ。それがお父さんとの"繋がり"になると思ったから。
お父さんの家に住むことになったので、必然的に学校も転校することに。新生活への不安は多いが大丈夫。きっと友達だってすぐにできる。自己紹介をしてみんなに挨拶、するとすぐに女の子たちが寄ってきて一緒に喋ってくれた。
優しい人たちばかりで、この時は安心していた。
お父さんとの生活も悪くない。少し過保護な面もあるけど、私を大事にしてくれていることは分かった。お父さんを見習って目を瞑りながら竹刀を振り回していると、大抵ケガをする。それをお母さんに会った時に見られると、お父さんはこっぴどくしかられていた。そんな家族の光景に胸が暖かくなった。ああ、これが家族なんだなと。両親に囲まれて楽しそうに笑う私と同じくらいの年齢の子たちの気持ちも、分かるようになってきた。
英雄のお父さんとの生活、道場での剣術指南、新しい学校。当初の不安は無かった。そう、何も。お母さんが死んじゃってからは特に、お父さんは気にかけてくれるようになった。2人だけの生活。大切な人がもう遠くに行かないように、行ってしまわないように。それだけを願っていた。
「人殺しなんだろ?」
お父さんのことは学校の授業でも習う。その時に耳に飛び込んできたのが"その言葉"だった。曰く、お父さんの他にも"妖刀"という物の契約者は数人いて、その人たちのおかげで今の日本がある。他の国の悪い人たちが日本に攻めてきたのだけど、それらを返り討ちにし、敵国にまで攻め入ったのがお父さんたち。
そこでお父さんたちは、大勢の人たちを殺した。多くの人たちの命を奪って、私たちの命を守ってくれた。
そう理解してくれる人は、存外少なかった……。
「人殺しの子だから、お前も人を殺すんだろ?」
「剣術を習ってるのもその為か?」
「人を殺す方法を勉強してるんだぜ、きっと」
湧き上がってきたのは怒りと悲しみ。そんなことは無いと声を大にして言うも、数の暴力でそれはかき消される。耐えきれず言葉を発した男子に突っかかり、取っ組み合いの喧嘩になった。まだ幼いからか腕力差は無かったけど、複数人に囲まれるとなると話は別だ。
頭を叩かれ、机を蹴飛ばされ、水をかけられる。
「暴力女!」
「人殺しの血が流れてるくせに!」
何で……何でこんな思いをしないといけないの……?
お父さんは皆を守った英雄なのに……どうして人殺しなんて呼ばれないといけないの……?何で家の前にゴミを放置されないといけないの……?何で……家の壁に酷いことを書かれないといけないのかな……?
積み重なったストレス、恐怖、悲しみで頭がおかしくなりそうだった。それでも耐えなきゃと思っていた。もしこのことがお父さんに知られたら、絶対にお父さんは私と距離を置こうとする。お母さんと一緒で、私の元から離れようとする。
だから私は……。
「やり返してみろよ!」
「へっ、殺してみな!」
ただひたすらに……。
自分の思いを押し殺した……。
「人殺しの血は根絶やしにしないとなぁ」
狂気──私の身に振りかざされようとしていたのは、文房具のひとつである鉛筆。鋭く尖った先端が、私の顔めがけて振り下ろされようとした。
その時だった──。
「とぉーっ!!!」
鉛筆を持った男子が勢いよく吹っ飛んだ。私の目はハッキリと捉えていたんだ、とある男子がそいつにドロップキックをかましたのを。それを受けて、窓の方まで飛ばされたのを。
「男が女の子に寄ってたかってみっともない……。恥を知れ恥を」
ミナトとの距離が深まることになったのは、その時からだった。