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兄弟

 松田勇平は出世欲の塊だった。少なくとも弟にはそう見えた。

 

「……兄貴(おまえ)、親父のことでキメーこと考えてねーだろーな」

 

 交番研修中から数々の現場を軒並みその場で解決させ、且つ地域でも『優しいお巡りさん』と評判だったらしい二つ上の兄を、陣平は半眼で見遣る。

 陣平は兄を『優しい』と思ったことがない。結果的にもしやあれは優しさか、となるようなことはあっても、大抵の人間は兄のことを『怖い』と評した。

 

「寒いこと考えんなよ。俺は単にクソ野郎どもを全部踏み潰してやりてえだけだ」

「おーおー、とても『優しいお巡りさん』とは思えねーな」

 

 勇平は据わった目で大きな氷の浮かぶグラスを眺めていた。中身は某黒髭のブレンデッドウイスキーらしい。

 

「お前こそ何でよりによって警察だ」

 

 陣平は四月から警察学校に入る。

 勇平も異動を控えていたため、互いに報告を兼ねて飲んでいた。

 

「やっぱここの鰤の塩焼きうめーわ」

 

 そんなことを言う陣平に勇平は顔ごと視線を向けた。

 

「……陣平」

 

 真っ直ぐ見ながら名を呼ばれるのは、どこか居心地が悪かった。

 

「……んだよ……」

 

 勇平とは逆で目を逸らす陣平を、兄はじっと見続けた。

 

「親父も警察も許す必要はない。だが……自分くらいは甘やかしとけ。ガキに何ができた?」

「……」

 

 陣平は目を逸らしたまま眉間に皺を寄せる。

 この兄は全部深読みしてくる所が少し苦手だった。……それがしばしば的を射るのも含めて。

 

「……兄貴は、甘やかせたのか?」

 

 兄は何故警察に居るのだろう。

 

「だからクソ野郎共を踏み潰すんだよ。私怨でな」

 

 相手は事件なんてものを起こす犯罪者なのか、間違いを犯す警察なのか。

 

 両方な気がした。

 

 それが兄の腹いせだというのなら。

 

「じゃあ……俺は警察のなんか(えれー)やつぶん殴りにいくわ」

 

 フッと笑った兄は顔ごと視線をグラスに戻した。

 

「……じゃあ頑張れ」

 

 犯罪でなく『(えれー)やつをぶん殴る』ためには、じゃれ合える程には近づかなければいけない。

 単に上層部を目指すだけでは足りない目標。

 

 それを笑って応援する兄は、『優しい』のかもしれなかった。

 

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「警察相手に十億円、なぁ……」

 

 勇平は半ば呆れていた。

 脅す先がそんなものでは資金源は税金になってしまう。逆に言えば、日本国民全員を敵に回す気があるということなのかもしれない。

 

 警察に恨みがあるならそれこそ警視総監や警視庁長官でも指名すれば良い。そう他人事にすれば多少なりとも燃える(・・・)し労いの声も減る。死体蹴り好きが集団心理を煽るのは、残念なことに容易い。

 

 そうしなかった点、特に警察が憎いわけでもないのだろう。真っ先に対応にあたることになるのが警察だから、というだけで選ばれたのかもしれない。金が取れれば相手は何でも良いのだろう。

 

 高度経済成長において科学が急激に進歩して数十年、政治も宗教も絡まないような爆弾事件が後を絶たない。

 そして『爆弾』を手段に選ぶような人間は総じて自己顕示欲が高い。時に『自分の作った爆弾がもたらす惨劇が見たい』ほうが目的な者さえいる。営利目的かと思えばそちらはついで、なんて頭が痛い話だ。

 

 勇平の弟とその親友は、警察学校卒業後即爆発物処理班に配属されたという。

 部署が違えば配置の詳細などは伝わってこないが、爆処に人手がいくらあっても足りないこの世情を思えば、二人も現場に向かっている可能性は充分に考えられた。

 

 対して特殊事件捜査係に身を置く勇平も爆弾事件に関わることは数多い。

 物の分解が大得意だった弟は、表面上嬉々としていたりするのだろうか。だがきっと内心は勇平と同じく辟易していることだろう。

 

 弟たちかもしれない爆発物処理班の身の安全のためにも、犯人を早く捕まえなければいけない。

 

 しかし杳としてその姿は掴めなかった。

 犯人の電話での声は加工されていた。

 逆探知を行おうにも相手は移動しながら公衆電話を利用しているらしい。

 

 結局、あまりにも人質となった住人が多く、また仕掛けられていた爆弾の構造もあまりにも難解ということで、警察は要求を飲むことを選んだ。

 

 解体できないのを認め降参したのなら、担当はあの負けず嫌いな弟たちではないのかもしれない。もしくはそんな意地を張っていられないくらいの難物だったのか。

 

 ともかく、きちんと十億円全額現金で用意して受け渡したことで、犯人はタイマーを遠隔操作でとめてくれたらしい。

 

 もちろん現金はただ渡しただけではない。

 犯人を刺激しないために受け渡し場所での確保や尾行は想定されなかったが、万札十万枚全て番号は控えてあるし、アタッシュケースには一見そうと分かりようもない所に発信機が仕込まれている。

 

 もう爆発物処理班は落ち着いて解体してくれればいい。

 

 十億円というのはアタッシュケース十個を含めて優に百キロを超える。それをカートで一人で運んで行ったこと、電話口での癖などにより声は一人のものとみられること、などから、単独犯と目された。

 発信機の反応は比較的速い速度で現場付近を移動し続けており、車に乗っているものと考えられる。

 

「……金受け取ったのに現場から離れねぇってことは、まだ爆発させたい欲が収まっていないのかもしれません。またタイマーが動き出す可能性はあると思います」

 

 敬語は勇平の柄ではないが、警察は上下関係が厳しいくらいで良いと思っているため、階級が上だったり敬うべきと思う相手に対しては順守している。

 

『そんなことあるかねぇ。単に、処理班がミスって爆発して、罪が重くなる可能性にビビってんじゃねぇか』

 

 勇平に階級を越されたことを妬んでいるらしい先輩の棘のある音声が聞こえた。多分本当に再起動の可能性を捨てているわけではなく、勇平に突っかかりたいだけだ。

 

「どちらにしろ、遠隔操作できるままにしておくのは危険だ」

 

 先輩だからというだけでおべっかを使う気のない勇平はそっけなくそれだけ言う。

 階級を越されただけでは敬語を外されなかった仲間もいる中こんな扱いでは当然、当の先輩には余計気に入られない。

 つまり溝は深まるばかりである。

 

『だいたい、今は地べたを走ってんだ、そう簡単に超高層に電波が飛ぶかよ……』

 

 携帯だって超高層ビルだと中継機余計に設置してんじゃねぇか。

 先輩がイライラした様子で小さく吐き捨てた。

 勇平は多少気になったが、面倒なので取り合わず上司に乞う。

 

「処理班には、受信機能のありそうな部分を優先して分離するよう伝えて下さい」

 

 それを受けて上司は機動隊に連絡を取り始めたらしい。

 こうした通信を交わしつつ、勇平たちはいくつかに別れて犯人を追っていた。

 

 特殊犯係──略称をSIT、の彼らは出動となると物々しい装備をまとうイメージが多い。

 しかし今は警察が追っていると犯人に悟られる訳にはいかないため、一般人に紛れていなければならない。

 そのため身なりはスーツなどの軽装だ。

 

 タブレットで発信機の信号を追う勇平は、捜査車両のひとつの助手席に収まっていた。

 

「三丁目交差点を右折……本当、離れる気配がまるでねぇ」

 

 運転する同僚も小さく溜め息をつく。

 

「もう一度犯人がスイッチオンするためには何が必要だと思う?」

「さあな……十億円は全て本物、ケースの一つに付けられた発信機は鍵穴の内側……」

 

 どれにも鍵はかかっていないから、もし探られるとしても遅いはずだ。

 

「警察かマスコミが犯人を貶すような発表をやるか……犯人お気に入りのスポーツチームが試合に負けるか……」

「オイオイ、勘弁してくれ……」

 

 同僚が運転しながらげんなりした声をあげる。

 

「冗談にならねえこともあるからタチが悪い」

「それな」

 

 言いながらもまさかな、と思いながら二人はカーナビが伝えるニュースに耳を傾ける。

 

「野球かサッカーか、今どこか試合やって……ん、そこ映像遅れてるのか? タイマー止まったって発表はもうやっただろ」

 

 女性キャスターの声が未だ『タイマーは刻々とカウントダウンを続けています。犯人のかた、聞こえますか? 聞こえて……』なんて言っている所だった。走行中のためテロップなどがあったとしてもナビには映されない。

 

『犯人から入電』

「何だって?」

「オイまさか……」

 

 止めたのに止まってないとか言いやがってとキレられる可能性は思いつかなかった。

 しかし事態は彼らの想像の更に斜め上を行った。

 

『オイ! まだ止まってないのか!? リモコン効かなかったのか!? 止めかた分かるか!?』

 

 スピーカーにされているらしい警視庁の電話機からの声が特殊犯係の通信に乗せられた。

 

「何だ……めちゃくちゃ焦って……声変えるのも忘れてやがる……?」

 

 運転する同僚は眉をひそめ、多少動揺しているようだった。

 

「犯人の車両が停止してるのはあの先の電話ボックス付近だ。ひとまず向かうぞ」

 

 勇平は落ち着かせる意図も込めて普段通り淡々と促す。

 ああ……と頷く同僚は平静を取り戻したように見えた。

 

『会話をどうにか引き延ばしてくれ……機を見て確保する』

 

 別の車両で犯人を追っている仲間の声がした。

 

「……俺らも車停めて出るか?」

 

 運転する同僚に問われて、勇平は逡巡ののち頷いた。

 

「あぁ……だが、まだ早くないか……?」

 

 ぽつりと呟く勇平に、同僚はハンドルを切りつつ、

 

「何がだよ。犯人が慌ててて色々ヌケてそうな今はチャンスだろ」

 

 逸るように答えた。

 

 車を降り、電話ボックスからよく見えない位置までを全力で走り、あとは二人とも通行人のふりをして普通に歩く。

 

『いや、違う、そっちじゃ……何だって? そんなのは……』

『すみません、やっぱり右上の? ……ああ、いえ、すみません、現場から聞いて伝えているものですから……』

 

 犯人の緊迫した声にのらりくらりと仲間が返している。

 

 件の電話ボックス内に男が一人。

 物陰からその様子を窺う仲間数名。

 

 通行人のふりをする勇平と同僚も電話ボックスのすぐそばまで来ていた

 

『オイそうじゃな』

 

 犯人の焦った声が途切れた。

 物陰にいた仲間たちが電話ボックスに駆け寄る。

 そして。

 

 隙を見てすり抜けた犯人は信号待ちの車の間に逃げ込もうとし──。

 

 勇平は思わず走り出した。

 

 仲間内でも足の速い彼が犯人に追いついたのは一瞬のことだった。

 けれどそこには──車の列で見通せなかった対向車線には、迫る一台のトラック、急ブレーキによるタイヤのスキール音。

 トラック運転手の懸命な超反応も虚しく一人の身体が宙を舞い、接地後も数メートルを転がって滑った。

 

 赤い痕が続く。

 

 誰もが呆気に取られる中逸早く動いて、撥ね飛ばされた者に近づく者があった。

 

「……ッ、オイ、オイ!! 何でだ兄ちゃん、何であんたが吹っ飛ぶんだよ!! ……俺は、俺は……!! っ、犯罪者なんだぞ……!」

 

 倒れた男は薄らと目を開いた。

 

「…………あぁ、知って、る」

「!?」

「オイ、お前! 大丈夫なのか!?」

 

 もう一人駆けつけて来たのは勇平の知らない男だった。

 

「……っ、コイツ、俺を後ろから引っ掴んでっ、そん時ゃもうトラックの前で……ッ」

「……の、から、対向、に、飛び出すなよ……危ねえだろうが……」

 

 あぁ、喋りづらいな、と勇平は息を吐く。

 

「そんなことより!!」

「そんな、じゃねぇ、大事、だぞ、お巡りさんの、言うことは……」

 

 あぁ、交番にいた頃注意したガキは、今は飛び出しなんかしてないだろうな?

 

「あんた……あんた、何言ってんだ!! ……知ってた!? お巡りさんだって!? ……じゃあ兄ちゃんも俺らを追ってたんだろう!!」

「ま、松田ぁッ!?」

「チッ! お、オイ、逃げるぞ!」

 

 ……やっぱ、そうか。

 

 単独犯じゃ、なかったんだな。

 

 この慌てぶり、もう一人は分からないが、きっと爆破自体が目的だった訳ではない。要求が飲まれることのほうを望んでいたのだろう。

 

 超高層マンションに取り付けられた爆弾のタイマーを止めるには、リモコンの電波が届く所にいなければいけない。

 そんな爆弾が二つ。

 一つの解体は間に合ったとはいえ、そうでなければ犯人たちは要求を飲まれた場合、両方止めに向かわなければいけなかった。

 現金を受け取った後一人で止めに動くのは隙が大きすぎるし、移動が間に合わず止められないかもしれない。

 

 要求が通れば必ず爆破をとめる意思があった中、二人だったからこそ離れた別々の高層マンションに爆弾を仕掛け、ことをややこしくできた。

 

 その確信は、犯人の一人のこの慌てぶりを目にするまで持てなかったにしても。

 ……可能性だけでも誰かに伝えていれば、良かったのかもしれなかった。

 

 しかし二人いたということは、もしこの自称犯人が事故に遭っていたら、残る爆弾は爆発していたのかもしれない。

 

 もしかしたら俺は、弟本人かその同僚を殺してしまっていたかもしれない。

 

「……っ! おい、オイ、しっかりしろよ! 救急車、呼んだからな!」

 

 仲間に逃げるぞと言われても逃げず、スマホ片手にそんなことを言う犯人に、勇平は思わず笑う。

 

「……ハ、ありがと、な」

 

 犯人の目から涙が溢れる。

 

「本当、何でだ……何で……」

 

 自称犯人が泣きながら勇平の手を握った。

 

「……思わず、動いた、だけだ……あんただって、そう、だろ……あんな、に、慌てて……ハ」

 

 仕掛けた本人がである。同僚も一瞬固まっていた。

 

「何笑ってんだよ……!」

「……自分が、これじゃ……様に……ならねぇなぁ……」

「……馬鹿野郎!」

「お互い、様、だろ…………もう、」

 

 道路に飛び出すんじゃねえぞ

 

 そう言って閉じられた『優しいお巡りさん』の目は、二度と開くことはなかった。

 

 

 

 傍らで号泣する自称犯人は特に抵抗することもなく、現行犯逮捕された。

 もう一人は、事故現場での会話から仲間というのが明らかであったため、逃走しようとしてその場で職質を受け、任意同行を求められる。その後、仲間の供述などもあり逮捕状が出た。

 

 彼らの車から押収された証拠品には、二つの爆弾それぞれのリモコンも含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なあ萩原(ハギ)、俺は……誰を殴ればいい?」

 

 萩原は顔をくしゃくしゃにする。

 

「……陣平ちゃん、勇平ちゃんは……」

「……わーってるよ。……兄貴は…………自分(テメェ)でやるって……」

 

 そう、言うよな……。

 

 俯いた陣平の声は、段々と小さく、掠れていった。







爆弾犯が死ななければ、松田さんと萩原さんも死ななかったのかもしれない、という話。

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