戦いの終わりに、鐘は鳴らなかった。
勝者も敗者もいない。ただ、すべてが終わった。
どれほどの血が流れようと、風は変わらず吹いている。
パラディ島の麦畑は、ただ静かに、音を立ててたなびいていた。
── The Wall-Times Magazine
《Voices from the Post-Rumbling》より
【シガンシナ区】遺体の薬指に残された指輪――調査兵団所属の女性か
シガンシナ区の住宅で、腐敗の進んだ若い女性の遺体が発見された。死因は胸部の銃創による即死とみられる。現場には巨人による破壊の痕跡がなく、人間による殺害の可能性が高いとされている。
■ 遺体は丁寧な状態で安置
遺体は小型のベッドの上に横たえられ、両手は胸の上で組まれていた。室内に乱暴された様子は見られず、誰かが意図的に弔った形跡がある。
身元確認の重要な手がかりとなるのは、左手薬指に嵌められた古い指輪である。内側には「Forster」の刻印があった。これは、地鳴らしの最中に行方不明となった調査兵団員フロック・フォルスター氏の姓と一致する。
■ 憲兵団の見解:リディア・ノイマン氏の可能性
調査の結果、遺体が発見された住宅は、調査兵団所属の兵士リディア・ノイマン氏の生家であることが確認された。
また、ノイマン氏は、地鳴らしの一ヶ月前にウォール・ローゼ南部にあるフォルスター氏の故郷に二人で出向いていたとの情報があり、兵団関係者の間では、両者が婚約関係であったと見る声も多いという。
以上の点から、遺体はノイマン氏である可能性が高いと憲兵団は発表している。
■ 犯行は計画的か――個人情報に通じた人物の可能性
現場には巨人の侵入痕がなく、遺体の状態も整えられていた。このことから、殺害は偶発的な衝突ではなく、ある程度の準備を伴った犯行とみられ、犯人がノイマン氏の私的情報を把握していた可能性も指摘されている。
一部では、近くパラディ島を訪問予定の連合国大使団の中に、何らかの事情を知る人物が含まれるのではないかとされているが、憲兵団は引き続き慎重に捜査を進めるとしている。
■ フォルスター氏の母による証言
本紙は、行方不明となっているフロック・フォルスター氏の母への独占取材を行った。以下は、取材記録からノイマン氏に関する内容を抜粋したものである。
――リディア・ノイマン氏についてはご存知ですか。
「ええ。フロックがリディアさんを家に連れてきたんです。そりゃ、みんな喜びましたよ。ずっと音沙汰がないと思ったら、突然女の子を連れて帰ってきたものですから」
――息子さんとは親しい間柄だったのでしょうか?
「想像されているような関係ではなかったと思いますよ。母親にはわかるものです」
――指輪についてお聞かせください。
「私がリディアさんに預けたものです。正直ね、囲い込んでしまおうと思ったんですよ。ご両親もいらっしゃらないようだったし、いい子だったし、この際……ってね」
――結婚指輪ではないと。
「フロックには、もっといい指輪を買ってあげなさい、この指輪は私に返しなさいって言ったんです。でも、それが……こんな形で帰ってくるなんて」
――現在のお気持ちは?
「あの子は海のどこかに消え、リディアさんは誰にも知られずに腐っていった……こんなこと、許されていいはずがないでしょう? 二人はただ、私たちの故郷を守ろうとしただけなのに……」
■ 戦後復興の影で
パラディ島では復興が進む一方、戦争の影響は依然として深刻である。今回の事件は、失われた命の行方や、身元の分からない死者の問題を改めて浮き彫りにした。
事件の真相は未だ明らかになっていない。
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エレン・イェーガーが世界を踏み潰し、数億の命が消え去った。
その記憶はやがて歴史書の数ページに収まり、静かに過去となっていった。
年月が過ぎ、地慣らしの爪痕は草と木に飲まれた。街は建て直され、人々は生活を再開する。「対話」「平和」といった美しい言葉が、戦争の結末を塗り替えていった。
新たな秩序。連合国。安全保障。
どれも確かに、真剣な平和への試みだった。
だが同時に、それは「あの頃に起きたこと」というラベルのもと、途方もない数の死を埋めていくための作業でもあった。
イェーガー派という呼称は、少しずつ人々の記憶から薄れていった。軍備増強に走るこの島で、今や一大勢力となった彼らの残党が「反兵団破壊工作組織」と指定されていた頃の名称など、記録しておく必要がないのだ。
その思想、闘い、死……誰も深く学ばず、誰も責任をとらず、やがて名前だけが、歴史からこぼれ落ちていった。
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854年。
シガンシナ区で見つかった女性の遺体は、やがて指輪から身元が判明した。
リディア・ノイマン。彼女の記事は、少しの間だけ世間を賑わせた。
でも、それだけ。
彼女を利用して持ち上げようとした、とある新聞記者がいた。
彼はこう主張した。リディア・ノイマンは愛と正義に殉じたのだと。その死を無駄にするな、と。
過激な思想をした彼の思惑通り、それは一瞬だけ、エルディアと連合国の和平交渉の妨げになりかけた。彼女を撃った「男」の容疑者が、連合国大使の中に含まれると噂されたせいだ。
でも、一瞬で廃れた。
それは詰めが甘くて、わざとらしくて、あざとすぎる恋愛物語で。戦後の人々を慰められるような「聖女譚」にはなれなかった。
物語の中で描かれた「彼」も「彼女」も、どちらも主人公の器ではなかった。それだけのことだ。
記事の下に、整髪料の広告が掲載されていた。「自由を整える」というキャッチコピーと共に、軍服姿の男が、静かに前髪を撫でつけている。
857年。
パラディ島の――かつてウォール・シーナと呼ばれた場所――とある広場。
「同志諸君!」
壇上に立った男が声を張り上げていた。
「対話で解決するような問題なら、なぜ我々の仲間は死んでいった! 彼らの死は無意味だったのか!?」
どこかで聞いたことのあるような言葉。燃えるような激情。火を灯すような、血を沸かせる語調。
かつて同じようなことを声高に叫んだ若者たちのことなど、もう誰も覚えていない。
860年。
旧ウォール・ローゼ南部。
近代国家としての形を整える激動のなか、かつての景色は驚くべき速さで塗り替えられていった。
ライ麦畑が広がり、家族が肩を寄せ合って暮らしていた小さな一軒家も、ついに立ち退きが決まった。
誰もいなくなった家屋は吹き抜ける風にさらされ、ゆっくりと朽ちていく。手入れのされない麦畑は、今や雑草に飲まれている。
867年。
その土地は整地され、真新しい区画が引かれた。過去を土の下に埋め立て、どこにでもあるような住宅が並ぶ。
かつてこの場所に誰が住んでいたのか。誰が何を想い、何を遺し、何のために生きてきたのか。
それを知る者は、この土地には、もうひとりもいない。
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「楽園の島の聖女? あぁ、あれね」
雑踏が織りなす足音の渦を縫うようにして、金髪の少年が眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「構成が雑だし、語彙が浅いし、感情描写が安っぽくて話もつまらない」
「……なんて?」
「全体的に幼稚なんだよね。ありきたりな話で工夫もない」
「言い過ぎでは」
隣を歩く黒髪の少女が、前を向いたまま静かに問い返すと、少年は待っていましたとばかりに早口でまくし立てた。
「全部この女を引き立てるための踏み台じゃないか。よくある捏造とプロパガンダだよ」
「私は嫌いじゃない。悲しかった」
「ミカサはすぐロマンスに流されるよね」
少年の声には、自分だけが見通せる真実を抱えている者特有の優越がにじんでいた。
「もっとメタな視点から見る癖をつけた方がいいと思うよ。大衆はそうやってすぐに感情に流されるけど……」
「ありきたりと言うなら、そのありきたりな別の創作を持って来て欲しい」
「出た。嫌ならお前が書いてみろ理論!」
少年は大げさに肩をすくめる。
「議論のレベルを下げるのはいつだって感情論だ。分かってる? 全ての創作物は公開された時点で批評の対象となるべきであって、我々消費者にはその権利が」
「そういう話をしたいわけでは……」
「どっちにしても質が低くてつまんない作品だからさ。これに歴史的な価値なんかないよ」
その言葉が宙に放たれた瞬間、少女の足が止まりかける。けれど彼女はすぐに歩調を取り戻し、何も言わなかった。
誰かが命を削りながら歩んだ地獄も、明日という日を疑う必要のない者にとっては、たった一語の「駄作」で片付けられる娯楽にすぎない。他人の生き様を「幼稚」と断じるその舌は、物語の裏側にこびりついた血の匂いも、震える指先が交わした約束の重さも、知る必要がないほど安全な場所に守られている。
少女はそれを言葉にしなかった。言葉にしたところで、安全な場所にいる者には届かないことを知っているし、自分も同じ穴の狢でしかなかったから。
「二人ともヒマかよ。小説ごときで喧嘩すんな」
そこへ、緑色の目をした少年が、あくびを噛み殺しながら割って入った。気だるげな声は、この会話そのものを軽んじているようでもあり、あるいはどちらの味方もしないという宣言のようでもあった。
「エレンはこの本、どう思う?」
「そんなん死んでも読まねぇよ」
少年が問うと、彼は笑ってそう言った。
三人の足音が再び雑踏に溶けていく。
少女は黙ったまま、手の中の本の表紙をそっと指でなぞり、ふと道端に目を向ける。
アスファルトの裂け目から、背の高い雑草がひょろりと伸びていた。季節外れのぬるい風が通りを抜けると、その草は頼りなげに、けれど確かに、右から左へと一度だけ大きくしなった。
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854年。
トロスト区近郊。
もう誰も語らない名前が、かつて壁の内側で生きていた。
闇の中、風が家屋の間をなぞっていく。
月のない夜。けれど、街は完全な黒には沈みきっていなかった。空っぽの路地を、風が軽やかに抜けていく。石と影のあいだを縫うように。
あの日、五人分の足音が、狭い石畳を鳴らしていた。
誰かを撒こうとしていたのかもしれない。ただの馬鹿げた遊びだったのかもしれない。笑いながら、息を切らしながら、彼らは走った。
「ダズ、足遅すぎんだろ!」
「っ……え!? そもそも道間違えたのフロックだろうが!」
言い合いをしながら、全速力で走る二人に、サムエルが笑い転げる。
「お前ら、子どもかよ!」
その時だった。
「うわっ!」
後方で、リディアがつまずいた。焦げた瓦礫に足を取られ、前のめりに転びそうになる。その瞬間、フロックの体が自然に動いた。
「おわっ……!」
リディアの体を受け止め、そのまま後ろに倒れ込む。
路地の片隅で、しりもちをついたフロックの上に、リディアの身体が軽く覆いかぶさるようになった。
ふわりと、夜風に揺れた髪が鼻先をかすめる。柔らかな重み。思ったよりも近くて、華奢で、息がかかる距離だった。
「何やってんだよ、お前は」
「ご、ごめ」
フロックは眉間にしわを寄せ、悪態をつきながら顔を背けた。しかし数歩離れた場所で、サムエルとダズがにやついた笑みを浮かべている。
「おやおや~?」
「リディアさ~ん、今の、ちょっと狙いましたね~?」
「ち、違うしっ! 断じて、違うっ!」
リディアが飛び跳ねるように立ち上がると、サムエルとダズが爆笑した。ルイーゼまで、顔を赤らめて笑っていた。
「フロックさん、今、抱きしめ……」
「黙ってろ」
照れ隠しのように、フロックがルイーゼの頭を小突く。
「おい、ふざけてる場合じゃない。足音!」
「あ、やば……こっち来る! ほんとに来るぞ!」
空気が一瞬で張りつめる。フロックは真顔に戻り、リディアの腕をぐいと引いた。
「おい、急げ」
雑で、容赦なくて、少し乱暴で。
どこに逃げればいいかも分からない。明日どうなるかも分からない。それでも、彼らは笑っていた。
「ちゃんと走れよ。置いてくぞ」
「もう、うるさいな」
走りながら、フロックは何度も振り返った。リディアがちゃんと付いてきているか、確かめるように。怒ったり、呆れたり、真剣になったり。
「どうせ、ちゃんと待ってるくせに……」
その言葉に、フロックは何も返さなかった。
ただもう一度振り返って――笑った。
あれは、ほんの数秒の出来事だった。
でも彼女は、その笑顔を生涯忘れなかった。
そして彼もまた、そんな関係がこの先も続いていけばいいと、確かに夢見たことがあった。
彼らが通り過ぎた後、石畳の割れ目から伸びた背の低い草が、夜風に煽られて一度だけ大きくしなった。
どんな日でも、風だけは変わらない。
路地の草を揺らし、誰かの髪を攫い。壁の隙間、軒のあいだ、麦のあいだをすり抜けて。
もう誰も彼らの名前を覚えていない世界でも、そこにあった自然を、今も静かに揺らし続けている。
(終)
「進撃の巨人2の主人公がイェーガー派に与してライナーと殺し合うルートが見たい!」と思って書いたifでしたが、気付いたら公式では絶対にありえないドロッドロな共依存に突き進んでいました。しかもその相手がフロック?正気か?でも満足です。書きたいものが書けました。
主に書きたかったことリスト
・脳破壊
・NTR
・ルイーゼの「どうすればよかったんですか」
・死者を英雄に変える。英雄を金に変える。金を大義に変える。の三段活用
・forsterとforester
・「生きてさえいれば、それでいい」(執筆中、このセリフが唐突に脳内に降ってきたせいで、恋愛要素が強くなりすぎました)
本シリーズはこれにて本当に完結です。
本編を楽しんでくださった方ほどドン引きするようなifで締めるのもどうかと思いましたが、とても楽しかったです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!