小さい頃だと一歳下は遥かに子供で、そして一歳上はどう考えても大人だった。僕が出来ないことをなんでも出来る、分からないことをいっぱい知っている。近所に住んでいた萩町由美佳という一個上の幼馴染みは、僕にとって憧れ以上の何者でもなかった。それは小学校に入って、男子と女子の間に少しずつ壁が出来ていっても変わらない。一歳という差が大したモノでもなくなり、向こうも自分と同じ「子供」に分類されると分かっても尚。
小学四年生になって僕はようやく気が付いた、この気持ちが単なる憧れではないと。
これは恋心というべきものだったのだ。
とは言えどうして良いか分からないまま、当然だが彼女は一足先に次のステップへと進んでいった。それも僕ではどうにもならないようなレベルの、県外にある全寮制中高一貫進学校へ。せめてそれまでに告白しておけたら良かったのだけれど、そうもいかないまま涙を呑んで別れを受け入れて三年程過ぎた頃。
何の因果かはたまた祟りか、どういう訳かは知らないが――由美佳さんは帰ってきた。内部進学を蹴り、特に秀でたところも無い近所の高校に通うために。ご近所ネットワークではあれこれと言われはすれど、それはまあ問題じゃない。
僕は自分の勉強も投げ出して駆け出し、久しぶりの邂逅を果たしたのだけれど。
彼女は僕の顔を見て、まずこう言ったのだ。
「反原発運動って、興味ないかな」と。
プロ市民、という言葉が出来たのは僕たちが産まれるよりも前のことらしい。「ごく普通の感性を持ち少し責任感が強く善悪の判断基準が鋭いだけの一般市民」を自認するが、実際には極度に左翼的な思考と行動を持つ「活動家」を指すという。まあどんな思想があれど別に咎められる謂れはないし、他人に押し付けなければそれで構わないとは思う。
思うけど、そりゃ思うけど。もしも身近な誰かが「目覚めた」ならば、平生ではいられまい。何があったか無かったか、どうしてこうなったのか、知りたくなる筈だ。たった一年の間にそうなっていたりしたら、特に。
僕の境遇をラノベのタイトル風に言うならば、こうなるだろう。
――ずっと憧れてた先輩が少し見ない間にプロ市民になっていた、と。
どうもこっちへ戻ってきたのも、プロ市民活動による人間関係の都合であるらしい。本人曰く「周囲が正しい理解を持ってくれなかったから、ここで活動しても無意味だと悟った」とのことで、要するに寮内であれこれやらかしたようだ。だけどまあ結局追い出されず中等部卒業までいられたんだから、単に変人扱いされていたのを曲解して自爆した可能性もある。
自身の成長によって分かってきたけれど、由美佳さんは思い込みが激しいし人の話を聞かない所謂残念な美人だ。一緒にいた時は気づかなかった、でも知識が付いたり色々あって冷静になれた今なら理解できる。今思えば幼稚園の時から「するな」と言われた事は絶対するし黙ってろと言われた事は大声で言いまくる、結構なクソガキムーブだった。当時としては大人の言う事聞かずに何でも思うままに突っ走れるのがスゴく格好よく見えたし、実際それでガキ大将的な慕われ方はしていたけれど、あれは親や先生からしたら相当に迷惑な生き物だっただろうな。
そう思えるくらいに成長しても僕は、未だに由美佳さんを――好きなんだけどさ。
「私はね、皆に正しい事を知って欲しいんだよ。メディアに踊らされる人生は人生じゃない、人間はもっと自由であるべきだ」
……以前と変わらない真っ直ぐな目で、ゴリッゴリのプロ市民ぶりを見せていても。僕の気持ちは、変わらない。
中学三年生は、忙しい。それでも好きな人に誘われたら何処にでも行ってしまう、向こうにとっては只の後輩とか幼馴染み扱いであっても。こうやって距離を詰めていけば、いつかは関係が進むかもしれないし。そう、一緒に同じ時間を過ごせれば幸せだ。
幸せだけど、でも。
名前も聞いた事がないどっかの政治家さんの街頭演説サポートに貴重な休日を費やすのは、間違っている気がしなくもない。せめて有名な人とか、あるいはバイト代が出るんならまだ良いのに。どうも「若者が自発的に無償で協力している」というのが、ある特定の層には凄く効くんだそうだ。こうやって泡沫候補が泡沫で終わらないようにする事で、結果的に政府与党へのカウンターになるとかかんとか。
僕としてはそんな回りくどい話はどうでも良いけど、由美佳さんは今日も綺麗だからまあ良いや。なにしろ背が高くてスタイルが良いし顔の印刷も特上という、神様が依怙贔屓したんじゃないかと思うような容姿の人だ。隣に立てるだけでも役得かな、うん。
「んー……暑いねぇ春先だってのに。やっぱり気候操作による反動だよ」
「はあ……ですねぇ……」
この人が言うには近年の異常気象は人為的なもので、switchだかWiiだかそんな組織がやっているんだそうだ。……陰謀論も積極的に取り入れてくる辺り、フットワークは軽いんだよフットワークは。方向性がおかしいだけで。水分補給しなされよーと渡された缶、そこに印刷された「水素水」の文字を見ないようにしながら僕はそんな事を思っていた。
「まあ、あと少しだからさ。終わったらお昼ご飯行こうね、ちょっと遅くなったし奢るぜ奢るぜー」
二人で汗をかき、それが済んだら一緒にお昼。話だけ聞いたらデートなんだけど、生憎色気がありゃしない。
でもここで仲良くなれば告白も出来るかも、なんて期待してしまう僕がいる。そんな都合の良い事は無いとわかってはいるけど。
アイドルタイムのファミレスは人も少なく、二人でのんびり過ごすには良い時間だ。
……なのに、どうして。どうしてバイト上がりのクラスメイトにウザ絡みされなきゃいけないんだ、僕が何をした。学外でまでどうしてこんな。
「あんだよ翔太ー、こんな美人連れてお出掛けかよー」
ついさっきまで着ていた制服から私服にコスチュームチェンジした三島数葉は、ニヤニヤしながらマイクのようにフォークを突き付けてくる。やめろバカ刺さるだろバカ。
中一の時に会って以来コイツとは腐れ縁、……正確には僕がずっと「数葉ちゃん係」を押し付けられている。根がバカ過ぎる上無駄に行動力だけあるからほっとくと何をするか分からないという理由で、僕はコイツの手綱を取るはめになっていた。これで良いんだろうか、日本の教育。
あとこの店も中学生にバイトさせるなよ、労基や児相が飛んでくるぞ。
「ま、詳しく聞かせてもらおうか。あー店長ー、こっち和風ハンバーグセット一つ追加してー」
おい。まさかお前奢らせる気か、ファミレスボンバーするぞ風雲バカ野郎。
……まあ、ここで怒っても仕方ない。バカだから。
「えっと、一個上のその……幼馴染みというか先輩というか」
「まあそんな所。それより貴女、戦争に関する歴史認識に付いて聞きたいんだけど」
こっちが関係性をどう言おうか迷ってるのに、それを遮ってプロ市民的な話に移行しようとする由美佳さん。
しかしその言葉は、あっさりと散ってしまう。
「せん……そ……? うーん。分かんない、歴史ったって「昔」ってことしか知らないしー」
興味無さげに僕のお冷やを勝手に飲み干し、僕のネギラーメンも勝手に食べながら数葉はヘラヘラ笑っている。そう、コイツはシンプルにバカだ。思想も何もない、一直線なバカ。義務教育の敗北を地で行く女、九々も覚束無い奴。
そのバカっぷりには、さしもの由美佳さんも絶句してしまっている。いやしかしまあ、そこで挫けないのが由美佳さんではあるのだけれども。
僕は知っている、バカは話が通じないんじゃない。まず話を聞いていないし聞いたとしても理解しないのだと。
果敢に自分の思想を伝えようとするも相手のバカさで空回りする由美佳さんを横目に、僕は大分減ってしまったネギラーメンを啜りながら思う。まあこれもこれで平和な時間だよな、と。
無駄な論説ですっかり消耗した由美佳さんは、帰り際『なるべく友達は選びなさい』と溢していた。うんまあ、それは分かります。ああも何一つ理解してくれない人間は初めて見たんだろう、慣れてても辛いのに初見じゃ無理だ。
でもまあ、楽しかったと言えば楽しかった。あんな顔は初めて見たし、なんだかんだでデートみたいな感じにはなれた。次はもっと上手く行くと良いな、なんてね。
僕は正直言って、思想の右左とかは興味がないしそれこそどうでも良い。否定はしないけど肯定もしない、本人がやりたい事をすれば良い。
でも調べれば調べる程、プロ市民って危険な気がする。あんまり誉められたものではないし、出来れば改善するべきかもしれない。
僕がどう言おうと意味はないけどね、うん。妹がリビングに放り出したままの雑誌を片しながらだと、特にそう思ってしまう。自分の身内にさえ届かない僕の声が、どうしてあの人に届くものだろうか。
「……全く、こんなもん出しっぱなしにするなよな」
まるで僕をその道に引きずり込もうとするかのように広げたまま配置された本は、どれもこれも過激と言うかなんと言うか。四肢切断傷口姦アンソロジーだのコックボア合同誌だのBL出産特集号だの、悪趣味極まりない。どういう訳かうちの愚妹は友達から良くない影響を受けまくったらしく、この手の漫画を心の底から愛好している。この春から両親が海外に行って環視の目が無くなったから、余計に酷くなってるし。て言うか年齢制限どこいった、作り手が泣くぞ。兄としてそういうのを諌めたりはしたけど聞く耳をもってもらえず、それどころか僕も同好の士に引きずり込もうとする始末。
友達は選ぶべきだぞ、妹よ。
とりあえず悪趣味の塊を重ねて隅に押し込み、僕は大きく伸びをする。
そろそろ風呂に入って、寝てしまおうか。明日あした又明日、そうやって日々を積み重ねよう。幸い僕の偏差値でも由美佳さんのいる公立高校は余裕だ、一年後には同じ学校に通えるし名実ともに先輩後輩、そこからどうにかして告白しよう。猶予は一年として、それまでにはなんとかなるさ。どんなにアクが強かろうが話が通じなかろうが、同じ人間なんだからきっと突破口はある筈だ。
多分きっと、最後にはハッピーエンドが待っている。そうでなければ、話が落ちないし。