殺意を抱いて実行しようにも兄がいるからうまくいかなくなるまでのいきさつ。
□成分表示□
独自解釈と捏造設定とご都合主義。
メイン要素は家族愛。
原語と翻訳のすきなところつまみぐい。
他サイトにも掲載。
「ほーら見てごらん、僕の妹! ほっぺがもちもち」
「もちもち」
うにょんと頬を伸ばされて舌打ちをこぼす。「なるほどな、これはジェームズの妹」「だろ! ……待ってシリウス、君今どこで判断した? なあおい」だる絡みする兄と兄の友達をジトリと見つめた。
「おかえり。騒ぐなら夜中はやめてね」
「はーいはい。年々口うるさくなるんだよなあ、誰に似たんだか」
「やあ口から先に生まれた男」
「僕に似たとでも言いたいのか親友?」
友人とジョークを飛ばして快活に笑う少年。ジェームズ・ポッター。生き残った男の子——の父親に、いずれなる、かもしれない男の子。
——要は、死亡キャラの妹に転生した件、というやつだ。
夢とうつつの境が混じり合って、ぼんやりと異質な記憶を把握し始めたのは三歳頃、きちんと内容を選別できるようになったのは七歳前後のことだった。ジェームズでさえ既に父母はそこそこに高齢の出産であったのに、わたしはさらに年が離れていたから、そして前述の理由によって幼少期は日頃あんまりにもぼんやりしていたものだから、それはまァいろいろと過保護に……いや……うん……そこはどうでもいいとして。
悪戯が好きな兄貴はなにかとわたしに興味津々で、というかおそらく自らの妹を、新しいおもちゃ、ぐらいに思っているふしが否めず、ゾンコの悪戯グッズでちょっかいかけてきてはふつうに肉体の年齢につられてギャン泣きするわたしにヤベッと焦ってはめちゃくちゃ怒られていた。怒られろばーか。
転生前と合算したら精神年齢が上、とか思うこともない。映画を一本見て主人公になりきることってある? 誰かはあるかもしれないけどわたしはないタイプ。
人格に多分に影響を受けた自覚はあるけれど、その程度、ともいえる。
「君はホグワーツではどの寮に組み分けされるんだろうねえ」
「ハッフルパフ」
「アナグマ? かわいいけどやっぱりグリフィンドールがいいねえ」
「ハッフルパフ」
「なんでそんなにかたくななんだ? 父さんも母さんも、それになにより僕ともおんなじ寮だぞ」
「だからだよ」
「は?」
「母さん! ジェームズがいじめる〜!」
「待て待てそれは卑怯それは卑怯、交渉しよう。糖蜜ヌガーでどうだ」
「もう一声」
「く……足元見てくるな……アップルパイもつける……」
わたしはあんまり熱心な読者でもなかったので、ハリー・ポッターシリーズにおけるジェームズ・ポッターは「九割九分の人たちにとってはいいやつらしいけどいじめっ子でもあったので善人かどうかやや怪しい」みたいな雑な解像度だ。
妹を揶揄って遊ぶあたりはいじめっ子な気がするし、もちゃもちゃ揶揄いながらも可愛がってくれるあたりは善人な気がする。わかんねえや。家族には優しいタイプなのかもしれん。
そもそもそこまで評判が分かれるあたり、光のジェームズ・ポッターと闇のジェームズ・ポッターがいるタイプなのでは? ロールパンナちゃんみたいに。二重人格ジェームズ・ポッター。流行るよ。たぶん。世界的に流行するかは微妙いけど。
「逆に聞くけど、他の寮だったらだめなの?」
「そんなまさか。どの寮に組み分けされてもかわいい妹だよ」
「ありがとうおにいさま、かわいい妹のハンバーグ取らないで」
「はは」
「とらんでまじで」
はははと笑ってごまかし、ジェームズはハンバーグをもぐもぐ食べた。わたしのハンバーグである。おかしい。取るなっつってんだろ。
「やろうかハンバーグ」
「いいの!? ありがとうシリウスおにいちゃん」
「いいってことよ、俺はジェームズから貰うからさ」
「あれっおかしいな僕のハンバーグが……」
ハンバーグが一周していった。
わたしに自らのハンバーグを与え、親友からハンバーグを奪い取ったこちら、ジェームズが入学早々にお泊りにお呼びしたお友達が彼である。シリウス・ブラック。雑な記憶では、ジェームズの友達で殺人鬼でハリーの保護者、ぐらいの記憶しか残っていない。いや殺人鬼は冤罪だっけか?
雑な記憶じゃない方でいうと、家族ぐるみの付き合いを通り越して、ジェームズの似てない双子の兄弟、ぐらいの扱いを受けている。ホグワーツ一年目は一週間泊まり、二年目は半月泊まり、三年目は一ヶ月で四年目は夏季休暇まるまる二ヶ月お泊りしてそのままホグワーツに行くらしい。他のホリデーはそもそも帰省していないとのことなので、もはや実質うちに住んでいる。今年はシリウスのホグズミード許可証も父さんが書いていた。いいのそれ。ていうか効力あるのそれ。四捨五入保護者だから平気なの?
ともあれシリウスは(ジェームズとは違って)まあまあ親切だ。最初の方は〝なんだこのいきもの……〟の顔をしていたけれど、最近は慣れたのか兄ムーヴをかましてくる。本人曰く、年下の異性の親戚とかどう扱っていいのかいまいちわからなかったのだそうだ。
言うてもブラック家の御親戚とか、魔法使いのおうちの子数年目のわたしでもわかるぐらいアホほどいるし、年下の異性の親戚もやっぱりいっぱいいそうなもんだけどな。
「婚約者候補扱いじゃないことがないからな……」
「たそがれてる……シリウス疲れてるの?」
「たぶん疲れてるかなあ」
ジェームズは肩をすくめてみせた。大人びたしぐさだ。友達を気遣える男、いいね、たぶんモテるよ。ただお友達を気遣えるんだったら妹のハンバーグ取らないでもらってもよろしいか?
ステーキならいいとも言ってないんだよなあ。
➤
「グリフィンドール!」
ほ〜らね、の顔をする兄貴には目潰しを食らわすとして。……眼鏡って視力矯正以外にも防護機能としても役立つんだね。
「ポッター……あなた……本当に妹さんがいたのね……」
「あはは、え? まさかイマジナリーだと思われてた?」
「エヴァンスと話す口実のためのイマジナリーシスターじゃなかったんだね」
「リーマスが言うとガチ感が出るからやめてほしいな」
「ちょっと待てよ、だったら俺の証言はなんだと思われてた? それこそホリデーで遊んだ話とか」
「ジェームズに合わせてるんじゃないかと」
「そもそも君たちは常にエイプリルフール男だから」
「「どこの誰が年中四月馬鹿だって」」
なんだか初対面の方々にもわたしの存在が把握されている。片方のエヴァンスさんはジェームズの話にしばしば出てくる人——うん? ちょっと待ってこのひとハリーのお母さんでは? 将来の姉?——だとして、もうひとりの人は……リーマス……聞き覚えはある、ジェームズのお友達……ハリー・ポッターにリーマスって出てきたっけ……?
ともかく、はじめまして、と言うと「わぁ人見知りして猫かぶってら」「初対面からけっこうずけずけ言うやつだろ、しっかりしろ」
子どもの力ではろくに音も鳴らない! わたしは悲しい!
「ほんとこのひとたちって」
嘆息したエヴァンスさんが「こっちにいらっしゃい。私はリリーよ、リリー・エヴァンス。今年から監督生だから、なにかあれば頼ってね」と自己紹介を述べつつ、隣の席を手で示した。
「僕はリーマス・ルーピン。僕も監督生だからたいていのことは……彼らの悪戯以外ならなんとかできるよ」
「なるほど」
ルーピン先生だった。先生お名前リーマスって仰るんだね。
「なるほど?」
「ああえっと、ジェームズとシリウスのともだちの。あとお聞きする名前だとピーターさん?」
これも嘘ではないので、指折り数えて未だに出てこない名前に首をかしげると「僕だね」とソバカスの子が言った。ジェームズに合わせてる説を出した人だ。なるほどね。……ピーター、おそらく他でも聞き覚えあるんだけど全く思い出せないんだよな。原作キャラだったんだろうか。
「ペティグリューじゃないピーターさん、じゃなければの話だけど」
「ジェームズって基本ひとさまのファミリーネーム言わないからわかんないですね……シリウスとミズ・エヴァンス以外はほんとに初耳。ミズ・エヴァンスはむしろファーストネームが初耳」
「エヴァンスは許可がもらえてないからファーストネームを呼べない」
ジェームズは神妙な顔で言った。嫌われてんのか?
「ポッターは本当に、本ッ当にすぐに調子に乗るから……」
エヴァンスさんもやはり神妙な顔で言ってから「ポッターが二人だと区別がつかなくて不親切よね、名前で呼んでもいい?」と小首を傾げられた。どうぞどうぞ。
「ありがとう。私だけじゃアンフェアね、あなたさえ良ければリリーって呼んでくれるかしら」
「リリーさん」
「ちょっと固いわね。リピート・アフター・ミー。リリー」
「リリー」
「そんなかんじ!」
「僕はポッターのままなのかい」
「そうね」
嫌われてんのか……?
➤
「ミニポッター」
「新入生のポッター」
「ミズ・ポッター」
「マローダーズじゃない方」
入学から半月が経過した。わたしを呼ぶときに用いられる呼称の一覧がこちら。ファーストネームで呼ばれることもあるものの、ほとんどはクラスメイトやルームメイトのみに留まる。ホグワーツ二年目以上になるとほぼゼロ。
もしかして:ジェームズ・ポッターってめちゃくちゃ校内有名人?
「まあね!」
ジェームズは鼻高々に胸を張った。
リリーにごみを見る目をされているけれどそこはよろしい?
「つまりわたしがやたらと羽ペンだの教科書だの靴だの隠されるのはもしかしたらば我が親愛なるおにいちゃんのせい……?」
「おにいちゃんそのへん初耳なんだけどちょっとお話ししよっか」
「笑顔が素敵だねおにいちゃん」
「そうだろ~よくわかってんね我が親愛なる妹~おい笑顔が素敵だというなら僕の目を見ろ。おい」
兄に詰められる気配を察し、スッ……、とリリーの後ろに隠れると、よしよしと宥めるように頭を撫でられて、それから肩を抱かれてくるっと回転させられてジェームズの前に差し出された。
裏切られた……!?
「いや……なんか……そういうコミュニケーションなのかと……」
「どういうコミュニケーション?」
「新手のかくれんぼのお誘い」
「そんなわけがないね」
そんなわけがないのはわかっていたのだが魔法界は全く文化が違うこともしばしばあるので一縷の望みをかけていた。全く文化が違う魔法界であろうともそんなわけがないらしい。希望は潰えた。わたしはかなしい。
わたし自身が入学早々嫌われている可能性も考えたのだが、とはいえ嫌がらせまでの進度がちょっと早すぎる。入学半月。飛行訓練とて来週末だ。スタートダッシュキャンペーンだ。誰かと特に喧嘩した記憶もない。知らないところで恨みを買った可能性もあるけどそれよりなにより兄がめちゃくちゃ有名だった。校内一やもしらん。
「手口が陰湿……たぶんスリザリン……」
「そういう偏見よくないよマイブラザー」
「そうだねマイシスター。ただ僕が恨み買ってんのがだいたいスリザリンでもあるんだ」
「どうして……」
エヘヘェとジェームズはきわめて雑に誤魔化した。もうちょっとなんかなかったか。下手くそな口笛を吹いて姿が消える。家宝の透明マントの使い方が些か雑すぎる。
「ジェームズが消えちゃったから言うけど……」と、ピーター。羊皮紙レポートをぱたぱたとじみちに乾かしている。
「彼はちょっと……悪質なひとたちの相手をしているのもあるからね。それで、そういうひとたちはスリザリンに多い。まあジェームズも監督生じゃあないから勝手にしてるわけだけど」
勝手にて。
「悪質なひとたち?」
わたしが繰り返すと、ん〜と唸りながらピーターが目線をあげた。ピーターのレポートを眺めていたシリウスが、ソファの上で足を組み直し、指折り数える。
「悪口、陰口、ちょっとした悪戯魔法。マグルは奴隷にして飼うのが正解だと思ってあまつさえ実行しようとするクソバカ阿呆ども」
「……先生に言うべきじゃないかなあ……」
「罰則で懲りるやつらだったらな?」
飄々と肩をすくめたシリウスに「それはそれとして、度が過ぎるときもしばしばあるのもそうよ」リリーが釘を刺した。
「しばしば。ええ、しばしばね」
「そりゃあな、君のかわいい
シリウスが鼻で笑い飛ばした。ちょっと嫌な笑い方だった。
「あの陰険野郎、良い顔したくて必死なのさ。心配しなくてもあんなの誰も構わねえってのに」
「
「それ以外のなにがある? 君はいつも話題に一足遅いものだからな——」
「さて、十時だ」
リーマスがぱたんと本を閉じて、はっきりとした口調で言った。シリウスも口を閉ざした。
あくまで柔らかな声で、鳶色髪の少年はわたしに目を向ける。
「そろそろ一年生は寝る時間じゃあないかな」
「そうだね、背も伸びなくなるぜ、おチビちゃん」
マントからふたたび姿を現したジェームズがわたしのつむじをぐりくりと押す。この性悪兄貴……自分の背がわりと伸びたからって……。
「嫌がらせについては明日の朝食前にじっくり聞こうか」
「……あ、朝はなるべくぎりぎりまで眠っていたいなあ。わかるでしょ兄上殿」
「わかるとも妹御よ。早めに叩き起こしてクィディッチの練習場に引きずっていってあげようか。箒の後ろに乗せて縦に五回転してやったら目も覚めるだろうねえ」
鬼?
「女子寮にどうやって入るつもり?」
「いやだなあ窓があるだろ」
ノンデリ?
「んーやっぱり我が妹ってばバランス感覚がいいな、これだけやっても振り落とされないなんて」
「三歳半も年下の妹を振り落とす気まんまんで飛び回るお兄様ってどう思う?」
「最高だろ」
「親愛なるマイブラザー、わたしたちってばつくづく話が合いませんことよ」
「ねえ来年シーカーやらないか? 小柄だから向いてるよ」
「やらない」
「ならチェイサー。僕と同じポジション」
「やらない」
「ええ〜ビーターがいいの? しょうがないなあ」
「それ以上食い下がるってんなら今すぐここから落ちてジェームズに突き落とされたって泣きわめいてやる」
「オーケーお兄ちゃんが悪かったよ、落ち着こうか。ほら身を乗り出さない……ち、力強っ」
➤
『さあやってまいりました、天気は快晴、風向き上々! 本日はホグワーツ寮対抗クィディッチ初戦、グリフィンドール対スリザリンのカードです——』
クィディッチは面白いスポーツだし箒で飛ぶのは楽しいけれど、それはイコールでクィディッチにプレイヤーとして参加したい、ということには繋がらない。
試合模様全体が見たくてクァッフルもスニッチもブラッジャーも平等に疎かになってしまうに決まっているのだ。
『——えー実況はわたくし、ポッター、解説はマクゴナガル先生に務めていただきます。え? ポッターはチェイサー? そうですね、というわけで〝じゃない方〟のポッターです。一年生にして大役をいただいちゃったな〜。いったいどなたが我が愛しの兄弟を箒から叩き落としてくださるのか、楽しみにしております』
「当たり強いなー!? 僕なんかしたかなー!?」
『わたしの蛙チョコ』
「あーあれどおりで買った覚えがないと思ったんだよなあ!? ごめーん!」
『ごめんで済んだら
「待ってそこまでの刑事事件レベル扱い?」
『さて両者ピッチに出揃いました。出揃いましたねグリフィンドールチェイサー』
遠くでジェームズがくちびるを尖らせて、すいっと列に並んだ。
『赤金のユニフォームと緑銀のユニフォームが太陽光に光り輝き……あれっ思いのほかまぶしいな……ともあれキャプテン同士握手を交わします。みしみし言っているのが実況席からでも聞こえますね。お互いを用いた握力身体測定が始まりました。クィディッチ選手ならばせめて箒で勝負する前にお相手のてのひらを握りつぶそうと目論むのはやめていただきたいところです——』
ホイッスルが鳴り響いた。選手たちは箒を駆り、空へと舞い上がる。弁舌を止めることなく目を細める。全体を俯瞰できる実況席。選手なんぞになってしまったらば忙しくって兄弟のプレイもろくに見られないじゃんね。
……いや、べつに、ジェームズの試合風景を見たいから実況に立候補したとかそういうわけじゃあなくて。ないんですよ。わかってくださいますね。
「実況のポッター」
「呼ばれ方が増えたあ」
これは予想外の副産物なのだけれど——初戦を無事に実況しきった結果、嫌がらせが収まった。
「おまえがスリザリンのシーカーのプレイをべた褒めしたからだろ」
シリウスが不機嫌そうな顔でわたしのつむじをぐりぐりと押す。揃いも揃って背の高い兄たちはわたしの成長を阻害するつもりしかないのか。
「グリフィンドールはもっとほめたし!」
「当たり前だ人を嵌めることしか能のない蛇どもとはわけが違うんだよ」
スリザリンをこき下ろすときのシリウスは少し早口になる。実際寮贔屓とかでもなく、実況はどうしてもグリフィンドールに偏った。ルールガン無視で怪我しかねないプレーはさすがに称賛し難い。
で、そんな中でシーカーを特定で賞賛。心当たりはある。
「うまかったでしょ、ウロンスキーフェイント」
「……。まあまあ」
「いやいやいやまあまあってなにまあまあって、絶対うまかった、まあまあとかじゃない、すごくうまかった」
「はいはいわかったぺちゃくちゃ切り株、お口を閉じな」
誰が童話の登場人物だ。
シリウスはわたしの肩に肘を置いて体重をかけると(重い)「いいかおチビちゃん」と言った。少しだけいつもよりもまじめな物言いで、渋々とわたしはなんでしょうか王子様と返事をする。平手で後頭部をすっぱたかれた。ふざけるなよこの顔だけ王子様。年下の女子は丁寧に扱うべき筆頭の対象だろうが。
妹扱いか。
ならまあいいか。
「まともなホグワーツ生活をしたかったらあいつに関わるなよ」
「あいつって誰。……スリザリンのシーカー?」
「文脈でわかろうな切り株ちゃん」
ひじで脇腹を殴った。びくともしなかった。くそ……。
「関わる機会自体がないでしょ、クィディッチ選手ってことは同級生じゃないし。それこそ実況ぐらいじゃない? ちなみにあの人誰なわけ?」
「知る必要あるか?」
「教えてくれたってよくないですか、生き別れのお兄ちゃん」
軽口にちょっと笑ったらしく、シリウスの身体が揺れて、下敷きにされているわたしまで振動した。
「……レギュラス・ブラック」
「……ああ〜……」
ブラック家の
「気をつけるけど……そうなると、相手さんがそもそもわたしに近寄らくない? そういうタイプってジェームズのこと絶対嫌いだろ」
「まあそうなんだけどな」
「そうなんだあ」
「だとしてもお兄ちゃんは心配なもんだ」
「お兄ちゃんなんだから心配すべきはそれこそ実の弟の方なのでは」
「は? 俺はシリウス・ポッター」
「顔怖いよゆるしておにいちゃ〜ん」
許された。砂糖菓子羽根ペンもくれた。もう父さん母さんと養子縁組してしまえばいいのに。
➤
いやだ、たすけて、哀願の声。けらけらと嘲笑うトーンははっきりとわかる。踊り狂う足にとうとう躓いてべそをかいているひと——レイブンクローかなあ、あれ——を囲んで、集団が手をたたいて笑っていた。
嫌な感じだ。
とても嫌な感じだ。
「【
覚えたての呪文はうまくいったらしい。
それしかうまくいかなかったともいう。
「げんき〜マイシスター? お土産は百味ビーンズゲロ味厳選集だよ」
「帰ってくれ」
バーティボッツの厚紙箱を振るジェームズにわたしはげんなりと返した。足がぐにゃんぐにゃんのペラッペラでなければわたしの方から積極的に逃げ出したいところだ。まあ無理なんですけどね!
グリフィンドール寮に組み分けされただけあるのかないのかまあ単にわたしが向こう見ずだっただけだとして、うっかり勇気出しちゃったせいで足の骨抜かれちゃったのがご覧の有様よ。先生たちがすぐに来てくれてよかったね。
「せっかく見舞いにきてあげたお兄様にその態度はなにかな」
「もうわたしの兄とかシリウスだけでいいかもしれない。ねっシリウス・ポッター」
「我が妹よ、ガキな我が片割れを許してあげてくれ」
「いやいやいやいや君と僕のガキ度はどっこいどっこいだろ。考え直しなさい我が妹よ。こいつのツラだけのお上品さに騙されてる」
保健室のベッド脇、ジェームズが親指でシリウスを示して不平不満を垂れるので「へー」とわたしは相槌を打った。「聞いて」ジェームズは抗議を示した。聞いたところでどっこいどっこいな自覚はあるのかよという感想になるけれどそれでもよろしいか。
「明日には退院できそうか?」
「マダム・ポンフリーはそう仰ってたよ。骨生え薬って死ぬほど痛いらしいんだけどどうしようね……」
「仕方ないなあ、鏡置いてってあげるから魘されて起きるようだったら叩き起こしてくれていいよ。失神呪文を撃ちにきてあげよう」
「善意のつもりなのかもしれないけど、怪我人に失神呪文は善意だったら尚更やめてほしいかも」
魔法族にも蛮族はいるらしい。たとえば眼前の親愛なる兄のように。
「ジェームズが両面鏡を置いていくとなるとその場合叩き起こされるのは俺じゃないか?」
「そうだよ」
「そうなの?」
そうだよではなくない?
「兄ならそのぐらいしないとね」
「なるほどな」
「なにもなるほどではない」
これだから生まれた親と年月日と苗字が違うだけの双子は。
「クラゲ呪文の失敗作っぽいよな」
シリウスはわたしの足の裏をつんつんとつついている。感覚的に足の裏、おそらく土踏まずと思しき場所だが、ぺちゃんこなので外観だけだとイマイチわからない。なんなら普段と感覚が違うので、わたし自身でさえも土踏まず……かも……? ぐらいの認識しかない。
「どうだろ。下手人はマックスウェルどもだろ? 案外脊髄引き抜くとかそういう呪文の発展過程だったりもしそうだよね」
「ねえ今すごい怖いこと言った」
「ね〜足の骨とかでもなければ死んじゃうよなあ。ひどいことするよ」
あははとジェームズは笑った。わろてる場合か。
「……ところでジェームズなんかめちゃくちゃ怒ってない? ふつうに怖いんだけど」
「砂糖菓子羽根ペンもう一本いるか?」
「ありがとうシリウス。露骨に話逸らすじゃんね」
「ゴキブリごそごそ豆板もある」
「それは……ふつうにいらない……」
わたしの退院と入れ違いに、上級生がナメクジのゲロ撒き散らしながら医務室に担ぎ込まれていた。
「O.W.L.の学年だからね、なんでもありの防衛術対人実戦でめっためたにされちゃったみたいだ」
お昼ごはんに鉢合わせたピーターがさらっと述べていた。薄々思っていたけれど、ホグワーツって修羅の国かなんかなのだろうか。
ピーターはわたしの腕がちょっと短いのを見て(年相応に短い、年相応に)遠いところにあるローストビーフをよそってくれた。優しすぎる。兄たちも見習ってほしい。主に実の兄。
「あっれー僕の妹ったら骨生やし直したら身長短くなっちゃった?」
「誰かこの人退治して」
「いいねえ、退治できるような誰かに助けを求めてごらんよおチビちゃん。いるならね」
ぐりぐりとつむじを押して愉快げに笑っているけれど本当にいいんだな? 本当に助けを求めていいんだな? 求めるからな?
「リリー! 助けてー!」
「ポッターあなたいい加減にしなさい!」
「ごめんなさい」
「的確な人選だ……」
➤
なんでもない日おめでとう。
上級生は週末にホグズミードに行くのでハニーデュークスのお菓子の分け前をくれたりくれなかったりする。シリウスはわりとくれる。ピーターもくれる。リーマスは時と場合によりけり。夜中やご飯の前だとやんわりたしなめられる。ごもっとも過ぎる。ジェームズはくれるときもあるけれどだいたい悪戯を仕込んでいたり「え~ほしいの? どうしよっかな」と無駄な小芝居を入れてくるのでくれない判定でいい気もする。
お兄様ったら身長が高くていらっしゃる上に足も長いものだから、蹴り飛ばしやすいところに脛がございますよね。
なのでつまりこれは意趣返しってやつである。
「スコーンもらった」
自慢しに行くと「おや」ジェームズが目をまたたかせた。
「誰から?」
「クィリナス……えーと、前にうっかり一緒に骨抜かれかけたレイブンクローの子」
「なるほどね、よかったじゃん、一個ちょーだい。ありがと♡」
「なにも……言ってないのに……!?」
あざやかな手つきで五つもらったスコーンのうちひとつが奪い去られた。止める暇もなかった。
ここは談話室、だがまだ人は少ない。空きコマの多い一、二年生以外だと、自由時間を効率よく確保している成績上位者しかいない。リリーはスラグホーン先生にお呼ばれしているみたいで、不在。
人数増えて特にリリーが来た頃に泣きわめいて悪人に仕立て上げてやろうかな……と思いながらジェームズを見送ると「彼は変なところで素直じゃないから教えておくね。あれなにか呪いか薬が混入されてないかチェックしてる」とんでもない情報がリーマスから齎された。
「されるの!?」
「三回に一回くらいだけどね」
だけどってつくわりには頻度高くない?
「一応初期に自分のせいで嫌がらせがきたのを気にしているんじゃないかな」
「それにしてもせめて一言言えばいいのにどうして素直になれないの……? そういうお年頃なの……?」
「ンッフフそうかもね」
ソファの背もたれに肘をついて、リーマスがくすくす笑った。最近だいぶ顔色が悪かったのでちょっと心配だったのだけど、この程度で笑えるなら大丈夫だろうか。
「その調子だと、レイブンクローの子とは仲良くしているみたいだね」
「うん」
まあたぶんこちらも心配されているようなので、わたしも素直に頷いた。
「クィリナス、すごく頭が良いんだ。呪文を唱えるのだけはちょっと苦手みたいだけど、成績はわたしより断然良いんだよ。たぶんうちの学年の首位はクィリナスだね」
わあこれめちゃくちゃおいしい〜もっと貰ってこようかな、などと好き勝手言ってるジェームズの声が聞こえてきたので——取られる!?——いそいそとわたしもスコーンを口にした。本当においしい。どこからもらってきたんだろう。意外と自分で作ったりしたんだろうか。
こんなにおいしいんだからリーマスにも分けてあげようね。スコーンを差し出すと、引っかき傷だらけの顔が「いいのかい? ありがとう」やわらかくほころんだ。
「最近は魔法史教えてもらってる」
「魔法史。例年の傾向からしても、躓く人が多い科目だね。時系列ごとに整理するとわかりやすくなりそうかな、と思うけれど……どのあたりがわからない?」
「どことかいうレベルじゃない、もう全部聞けてない」
あれはもはや授業ではなくお昼寝の時間である。ビンズ先生の一本調子の朗読はそれすなわちオルゴール伴奏付きの子守唄である。あるいは失神呪文。もしくは生ける屍の水薬。ともかくそういうたぐいの代物。断じて授業ではない。
力説するとリーマスは生ぬるく目を細めた。
「君もビンズ先生の授業眠くなるタイプか……」
「あの眠気に抗えるのは宇宙人かなにかだよ……」
「なら僕は宇宙人かも」
「宇宙人さん、月の裏面どうなってるか教えて」
「うさぎがたくさん住んでるよ」
「同じ草食なら鹿の方がいいな……」
何故なら大きな体躯は何事にも有利なので。チビと揶揄される身としては——年相応なのにな。兄どもが揃いも揃って年頃の平均よりも背が高いから。
真面目くさって答えたものの、言葉は返ってこなかった。あれ。リーマスを振り返る。
リーマスは不可思議な顔つきで、ソファの背もたれから覗く形でわたしを見下ろしている。頬杖はもうやめたみたいだ。
「なにか知ってるの?」
「……無重力空間にうさぎが住めないことぐらいは知ってるよ……?」
「……うん。たしかに、さすがに子供扱いしすぎたね。実はドラゴンが住んでる」
「……。ほんとに?」
「ほんとほんと」
ベッドに入ってうつらうつらし始めた頃、あれそういえば——と気づいた。ルーピン先生って狼人間だった、ような……もしかしたらば月の話振るのってタブーが過ぎたんじゃないか?
いやいやいやだとしてもまだ決まったわけじゃない、いける、人狼じゃない可能性にこのスコーンを賭けよう。いやでもあの傷たしかにそういえば。いや。
……わたしはなにも気づかなかった! うん! よし! おやすみ!
「月にドラゴンなんか住めるわけないだろ〜まったく。周りの人の言うことをまるっとうのみにしてちゃあ成長できないよ」
「こ、こ、このクソ兄貴! でも言ってたのリーマスだよ!?」
「えっ? ……ちょっ、とケトルバーンに確認する用事ができた」
「ほらあ~!」
「ぺちゃくちゃ切り株ちょっとうるさいよ」
「なんですかポンポンポットポッタラー」
「こ、このクソ妹……」
➤
「わからん」
「僕もわからない」
クィリナスとふたりで呻いた。じつのところクィリナスはレイブンクローなだけあるのか勉強ができるんだけど、わたしもわりと勉強は出来る方である。出来る方なのである。血筋ってやつなのかもな。わはは。真面目な話をするとちゃんと予習復習しているおかげである。つまり予習範囲外はちょっとわからないこともあったりする。
スラグホーン先生がこないだ出してきた宿題、おできを治す薬で——それだけならいいんだけど、調合応用だったもので。つまりオリジナルの一手間を加えて効能をグレードアップさせようってことらしく、今まで教本だよりだったわたしたちでは完全に詰んだ。
「よし、二人ともわからないなら仕方ない」
わたしはさくっと開き直ることにした。詰まっている時間がもったいないんだよ、こういうのは。
「他の人にヒントをもらおう」
「君のお兄さんとか?」
「ジェームズは魔法薬学に関しては〝それっぽい良い感じの色になったところをシュイッ〟とか言い出すからだめ」
「なんて?」
「そうだよねえそうなるよねえ……!」
あのときはさすがに途方に暮れていたところをシリウスが教えてくれたが、彼は彼で、シリウスなりの親切心なのか単に手間を端折りたいのか、なにもかもすっ飛ばしたアンサーだけを直で教えてくるのでこれまた除外。暗記試験ならば正解不正解のお相手になってもらえるので好都合なのだけど、今回はヒントがほしいのであって答えがほしいのではないのである。
「リリー。……あっ、い、いま大丈夫ですか……」
図書室にリリーはいた。お隣にまったく知らない顔の男の子がいたので、一瞬にしてわたしは蚊の鳴くような声になった。もしかしたらばお邪魔してしまったかもしれない。借りてきた猫のごとく大人しくなったわたしにクィリナスが二度見して、リリーが思わずというふうに吹き出した。
「いいわよ。ね、セブ」
黒髪の男の子がちらっとわたしを見てすぐに目を羊皮紙に戻した。「気にしないで。彼、シャイなの」リリーが付け加えた。
「どうしたの?」
「スラグホーン先生の自由課題で——」
「——ああ、もしかしておできを治す薬?」
「そうです。ええとそれで——クィリナスもうちょっとよりなよ、彼女はバンシーとかじゃないから取って食べないよ」
「ば、ば、バンシーと疑ったわけじゃあなくて!」
「お友達を揶揄わないのよ」
リリーにたしなめられた。はぁいと素直に返事しておく。
「それに取って食べるのは鬼婆よ。バンシーは泣くだけ」
「たしかに! リリー物知りね」
横の男の子に胡乱な目で見られているような。
「えーとそれでですね、おできの構造を考えると膿や角質の除去および修復という観点になるでしょう? だからたぶん色素の沈澱にも効能が示されるんじゃないか、肌のしみだとかを取り除ける効果ぐらいは作れるんじゃないかって話をして」
「た、ただ僕たちの目指した結果としては皮膚の新陳代謝を早めることになるので……原理でいうと成功していて、つまり蛇の牙をより緻密に砕いたうえで山嵐の針の分量を増やしたらば実現自体はできたんですが、皮下組織の老化が……」
「まあそれはそれで新しい効能は生まれてはいるんですけれどわたしたちの意図するところではないじゃないですか。縮み薬の応用でどうにかならないかなって検討してたんですけど詰まっちゃっ、て」
クィリナスと羊皮紙を確認しながら交互に話しつつ、ふと顔を上げると、リリーはきわめて真剣な表情をしていた。
「……そうね……そうね、縮み薬というよりはむしろ……セブルス聞いてた?」
「過剰促進反応だろ」
「そうよね、だからたぶん反時計回りの撹拌が必要だと思うのだけど」
「そこは同意見だよ。けれど撹拌による魔法力の変換を行なったとして——」
ヤバいお二人が盛り上がり始めた。いや盛り上がり始めただけなら良いんだけど、わたしが内容についていけなくなってきている。なんかすごいはなししてるきがする。
途方に暮れてクィリナスを見ると彼も若干身体が引けていた。そうだよねなんだか大事になってるよね。
「スラグホーン先生にご相談するべきかも」
「そこまで!? でもスラグホーン先生が出したレポート……」
「大丈夫よ、大丈夫。むしろ先生を混ぜてあげないと拗ねちゃうわ」
寂しがり屋の方?
スラグホーン先生のお部屋をご訪問すると、気のいい魔法薬学教授はニコニコとわたしたちを出迎えてくれた。わたしたちというか主にリリーを。つたなく説明するとニコニコしながら褒めてくれて改善案をいくつかあげてくれてついでにお菓子をくれた。
わーいお菓子だ!
クィリナス食べないの? 食べなよおいしいよ。
「このレポートは毎年出しているのだけれど、たいていは過去の例に倣うからね——それも悪いことでもないのだけれど、熱心な生徒は評価したい——グリフィンドールとレイブンクローに五点ずつあげよう。それと、後輩たちを教え導く先輩たちにも五点ずつだね。提出を心待ちにしているよ」
スラグホーン先生はウィンクをひとつくれた。
「それでだね……私はクラブも主催していてね」
「クラブ」
「かんたんな社交サロンみたいなものだよ」
サロンに簡単とかあるのか?
「君たちもどうぞ——お兄さんも呼んできてくれるとうれしい」
ウーン。招待状を受け取ってニコッと笑みを浮かべて「善処します!」と答えた。リリーがこっそりと苦笑していた。
「評価してくださったなら、最初はわたしじゃなくクィリナスに渡すべきだよ。少なくとも蛇の牙をもっと丁寧にすりつぶす案はクィリナスが言ってくれなきゃ実現しなかったもの」
「いいんだよ」
「わたしがよくない。スラグホーン先生は悪い人じゃないけどちょっとデリカシーが足りない!」
憤然と言ってのけたものの、クィリナスが弱りきった顔をしたので、一旦矛を収めることにした。そうだね。よく考えると陰口もよくないね。これはわたしが悪かった。
「それはそれとして、賭けてもいいけど、わたしが渡したところでジェームズは絶対行かないよ」
「そうねえ。実際、スラグホーン先生がお誘いに成功しているところは見たこともないわ」
リリーがのんびりと相槌を打ったところで「ジェームズ?」と男の子が眉を上げた。
「ああ……ええ、そうね、彼女はポッターの妹さんなの」
「〝じゃない方〟のポッターです」
そういえば名乗っていなかった。失礼をば。いつもの自己紹介をしたわたしを見て、黒い目がまばたきをする——一瞬、わたしは身構えかけた。ただ見据えられただけにしてはなんだか妙な感じがした——すぐに視線は切られた。
「じゃあ、リリー、また」
「セブルスその——ええ、そうね、また——」
リリーは歯切れ悪く挨拶を返した。クィリナスにもわたしにも目を向けなかった。わたしの視線に気付いて、リリーはすこし目を伏せると、ちいさく付け加えた。
「彼とポッターは……その……あんまり相性が良くないのよ」
「……。あんまり?」
「だいぶかも」
ナルホドネ!
「兄上、スラグホーン先生からラブレター預かってるよ」
「ありがとう妹御。はいどうぞシリウス」
「どうもジェームズ」
「ナチュラルな横流し」
「彼ってば老若男女モテるから、対処法を良く知ってるのさ」
「しかしこいつはどうしような、レギュラス宛のふくろう便に混ぜとくか?」
「君の弟くんにはまったく同情するよ」
「もうしーらない……」
➤
「またお兄さんと喧嘩したの」
「あいつが悪い」
わたしの糖蜜パイ食べたのが悪い。わたし悪くない。ジェームズの蛙チョコカードコレクションひっくり返したのとかも正当な反撃です。
ふてくされながらクッキー缶を開けるわたしに、クィリナスはちょびっと苦笑した。
「今月五回目だね」
「え、そう? 意外と少なかったね」
「うーん?」
最初に指先に当たったクッキーを口の中に放り込む。チョコチップクッキーだ。クィリナスにも向けると、彼は戸惑ったような顔をして、でもすぐに指を伸ばした。おいしいよ。これはリリーがくれました。うれしい。みんなお菓子よくくれる。
「そもそも難しいお年頃できょうだい揃って主張が激しいんだからぶつからないわけがないんだよね。それで片方は慣れるのに必死な新入生で片方はO.W.L.の時期でぴりぴりしているべきだからね。まあアニキの方は絶賛わたしと喧嘩中でも試験期間中でもめちゃくちゃ元気に中庭で花火上げてるんだけどね。意味がわからねえや」
「あれミスター・ポッターだったんだ」
「いつものマローダーズだよ……あれで試験ひとつでも落ちてたら鼻でせせら笑ってやる」
「また喧嘩になるよ」
「いいんだよ、きょうだいなんて噛みついてるぐらいがちょうどいいでしょ。知らないけど」
「そうかな」
「たぶんそう」
全く中身のない会話だ。あとたぶんジェームズはやたらと器用で要領がいいので、言うても落ちないだろう、あの感じ。
「そういえばテスト……呪文学のパイナップルタップダンス、どうだった?」
「いけたんじゃないかな? なんかワルツ踊ってたけど」
「それはそれで器用だね」
べつに落第点をつけられるほどでもないだろうし、落第点をつけられたとして留年というわけでもないだろう。まだ一年生だし。「うっかりテーブルから葉っぱを踏み外しそうになって」クィリナスはつぶやいた。大丈夫だと思うけどなあ。
「魔法史は半分しか埋められなかったけど半分埋めたってことは平均より上だからね」
「そんなことはないと思うけど」
「いいかいクィリナス、ビンズ先生の眠気ってのは八割の生徒が勝てないから、そもそも用紙を白紙で提出するところから始まる」
「そんなことは……ないと……思うけど……?」
クィリナスがゆっくりと首を傾げていく。まァきみはビンズ先生の眠気に勝てる人だもんね。その素養は大切にしてね。
クッキー缶を閉めて、よいしょと立ち上がる。
「良い天気だから箒競争しよ」
「一年生だけじゃあ箒に乗れないよ」
「ここでシリウスお兄ちゃんを頼ります」
「ホントのお兄ちゃんの方は?」
「わたしのお兄ちゃんはシリウス・ポッターだけですけれども。どういうことでしょうか」
「今回の喧嘩はけっこう長引きそうだね」
やれやれとクィリナスが肩をすくめた。
試験が終わって、この良い天気なら、きっと中庭だと思う。女の子たちがいっぱいいるので。うちの兄貴どもはキャーキャー言われるのがけっこう好きなのだ。目立ちたがり屋め。ジェームズとは喧嘩中なのでちょっかいかけられても威嚇するとして——
「彼があなたになにをしたというの?」
——足を止める。
「そうだな。むしろ、こいつが存在するって事実そのものがね。わかるかな……」
一連の騒動について——わたしはあまり、詳細な描写を割きたくはない。にんげんを手際よく吊り上げる杖捌きに、おお、とクィリナスが声を漏らした。感心したような様子だった——わたしを振り返ってなにかを言おうと開きかけた口は、しかしすぐに閉ざされた。
わたしはどんな表情を浮かべていただろうか。
「誰か、僕が
「……先生呼んでくる……」
囃し立てる声を意識から無理矢理締め出して、わたしは力なく言った。リリーのように、衆人環視の状況に割って入るような勇気はなかった。
呼んできたマクゴナガル先生は、寮生の醜態は無論のこと、呼んでくる間にも呪文の撃ち合いでしっちゃかめっちゃかになった中庭含めて、しこたま激怒した。
……リリーはたぶん、ジェームズのことは嫌いじゃあない。まあほんとに常日頃から余計なことを言う天才なんだけれども、正義感にあふれていて、情に厚くて、格好いいし楽しいので。身内の贔屓目を差し引いての感想である。
たぶん、嫌いじゃないんだけど。
……。
……〝いじめっ子〟かあ……。
「学期末に罰則って、我ら、つくづく不運じゃあないか?」
「マクゴナガルったら頭が硬いんだから。——あ、おーい」
ぶつくさとぼやいたジェームズがわたしに気づいて手を振る。わたしは振り返らないことにした。
「あいつ聞こえてな……い感じでもなさそうだな、お友達につつかれてる」
「……ふつうにばっちり無視されてない?」
「またなにかしたのかい」
「そういや喧嘩中とか言ってたか」
「喧嘩中でも無視するタイプじゃないんだけどな〜……他になにしたっけな……」
➤
今年からシリウスは家を出て一人暮らしを始めたので、ポッター家に遊びに来たのは休暇開始から半月後のことだった。それはそれとして、わたしはまだ学期末の出来事を引きずっていたし、ゆえにこそシリウスとも今回ばかりは喋りたくなかった。ジェームズに対してもそうだけれど、必要な返答でも端的に切り上げていたらば、兄たちふたりは気を悪くする——とかいうよりは、困惑したようだった。
それでもって、当然、そこまであからさまな態度は当事者じゃなくたってわかる。
「ジェームズたちとなにかあった?」
母さんに直球で聞かれた。
「……うーん……」
「言いたくない? そこまでひどいことをされたの?」
「そういう感じじゃない。二人とも心当たりとかないと思う」
なんせわたしは見ていただけだ。……見ていただけなのである。先生は呼んできたとかそんなものは逃げでしかなかった。わたしの主観として。
母さんはすこし眉を寄せた。
「確かに、ジェームズもそう言っていたわね」
……ジェームズたちの方から先に聞き取っていたみたいだ。まあそうなるか。
「理由を言ってあげないと、謝る機会も、仲直りのしようもないのよ」
「……わかってる」
とはいえ、わたしに謝られたところでそれは筋違いだ。わたしは謝罪を欲しているのではなく、けれど、では——どうすればよいのだろう?
わたしではないわたしの記憶はこういうときの対処法を教えてはくれなかった。いじめっ子と親しかったことはないみたいだ。清廉潔白である他、つまり、ある種の幸運とも言えるのだとわたしは思う。
こんこんとノックの音。ブランケットを頭から被った。
「……寝てる?」
ジェームズの声だった。
「……あいつの方から話に来ないなら話したくないってことだろ。放っとくのも手なんじゃないか」
「うーん。でもなんかこれほっといたらだめな気がするんだよね」
「リーマスのときもそれ言ってたな……」
「入るよ〜【
「デリカシー」
ちなみに個人の部屋を解錠呪文で開けるのはひとんちの室内へ直接姿現しする次ぐらいに無礼。
ベッドの上に鎮座した丸まったブランケットを見たのだろう。「これはばっちり目を開けて寝てそう」ジェームズが朗らかに言った。仕方なく顔だけ出した。
「暑いだろ、それ」
「べつに……」
「ちょっと待ってやっぱり元気なくなってるよ。ていうか顔真っ赤、脱水じゃあないか!? 真夏に毛布の中に籠城しない! とりあえず水取ってくるから飲みなさい。シリウスはその駄々っ子引きずり出しといて」
ジェームズは矢継ぎ早に指示すると早足で出ていった。とうさーん!? と階下の声がこちらにまで響いている。「はいはい、出てこようなもぐらちゃん」「ぐぅう……」「うわマジで暑。つうか熱」シリウスに脇をもたれて引きずり出された。額に手の甲をつけられて顔をしかめられる。
「毛布に籠もっておきながら汗もかいてないし……もしかして風邪ひいてないか? この真夏に器用だな……元気爆発薬も飲んだ方がいいかもな、持ってくるからちょい待ってな。もう毛布頭っからかぶるなよ」
「……やさしい」
「はいはい優しいシリウス様に感謝しろバカタレ。こんな弱ってんのにひとりで籠もってるんじゃあない。体調悪いならそう言えっての……」
「やさしくてやだぁ……」
「はあ? ——うわちょぉ待っ泣い、ジェームズ!」
「嫌なやつじゃないのがいやだあ」
「な、なんの話だよ本当に!」
べそべそと泣きながら最近ずっとこんこんと考えていたことがぜんぶ口から出た。ついでに嘔吐感のせいでちょっと胃の中のものも吐いた。
けっこう家族全員慌てたらしい。ベッドに押し込まれて元気爆発薬を飲まされてしばらく寝込んだ、そのあとに聞いた話になる。
「……あー……そっかあ……あん時見てたんだね。どーりで……マクゴナガルのやつ、嗅ぎつけるのやけに早いなとは思ったんだよ」
ジェームズがぼやいた。目を向けると気まずそうにちょっと目が逸らされる。やけに早い、ということは、比較できる体験があるということだ。
「……常習犯……?」
「ひ、人聞きが悪い」
言い方に狼狽えても否定はしない。わたしは無言でブランケットの中にもぐった。
静かにブランケットをめくられたので逃げ場はなくなった。
「……まあ。うん。ちょっとよくないかな、とは、思わなくもないよ。リーマスとかにちょくちょく呆れられてる雰囲気は感じるし……」
もごもごとジェームズは言った。「まァムーニーはマジメだから」シリウスは茶化した。
「けれど——見ていたならわかるだろ? 同じ人間だっていうのに、親が魔法使いかそうじゃないかだけで、当然のように
眼鏡のレンズ越し、榛の瞳が侮蔑するように細められた。
「言葉だけの卑怯者の方がマシだった。あいつらは黒魔術を研究して、マグル生まれ相手に
指が伸びて、わたしのくせっ毛の黒髪を撫でた。
「……骨抜きになる呪いも……あのグループから回っていたんだ。マックスウェルは、マルシベールに教えられたとかほざいていたよ——マルシベール、エイブリー、最悪な奴らだ。ちょうどシリウスが通りかからなきゃ、マクドナルドは彼らに磔の呪文をかけられていただろうね。僕が先学期最後に
額をなぞる指の腹の感触に目を閉じる。ジェームズの説明は淡々としていた。学生のやんちゃ、で片付けられない、危険で陰湿で差別思考の集団なことは理解できた。
それで。
「それは」
わたしはつぶやいた。
「それは
「先生に言いつけたところで、罰則なんざ、大して効果もないんだ」
すぐさま切り返したのはシリウスだ。
「あいつらは陰険だ。徹底的に心を折らなきゃ次は誰が——本当に背骨を抜かれていたかもしれないって思わないか?」
「——人を傷つける理由に、わたしを使うの」
わたしは呻いた。
シリウスは口を閉ざした。
「それに……ねえ、誤魔化さないで。建前を使わないで。あのとき、ふたりとも、
あのとき。わたしは何を考えたのか。それはもちろん、まずは幻滅だ。腹立つことはそりゃあもう数え切れないぐらいいっぱいあるけれど、なんだかんだで良い兄で、尊敬できる兄だと思っていたから。怒りもある。情けなさとか悔しさとかそういうものもある。理由がどうであれ、出力として人を虐げて馬鹿にして娯楽にするなんて——あっちゃならないと思う。わたしはそう思う。
それで。それよりも。なによりも。
「わたし、あのとき、ふたりが怖かったよ」
いつも気遣ってくれるリーマスが眉をひそめて、リリーは怒り狂っていて——けれど否定的な反応はそのぐらいだった。ピーターは手をたたいて囃し立てていて、クィリナスだってなにかのショーみたいに感心していた。ふたりにはそういう力がある。場の空気を巻き取って、自分たちの味方につけられる力がある。良くも——悪くも。
そこにいるのが誰であろうと。その行いを客観的になぞれば——肯定できる場面の、はずが、ない。と。わたしは思う。
正しくないことを正しいかのように称賛しないでくれ。
その果てに行き着く先を考えて背筋が凍るようだった。
「相手はわたしではないけれど、それでも、わたしの骨を抜いた人と同じようなことをしていて——それは、わたしは正しくないと思うよ……」
同じことをされたら。同じことを返してよいのか。目には目を、歯には歯を――ハンムラビ法典は四千年近く前に定められた法文だけれど、あれすらも、過剰な報復を阻止するために制定された規則だ。
頭を撫でる手は完全に止まっていた。ブランケットをもそもそと取り返して、てのひらをどかして、もう一度、頭からかぶる。
しばらくの間があって「鼻と口はせめて出して、また体調悪化するよ」とすこしだけめくられた。
➤
新学期、キングス・クロスの九と四分の三番線には、ホグワーツ特急のお迎えがきた。
特急の廊下で鉢合わせたクィリナスは、コンパートメントの荷物入れにスーツケースを詰め込んで(一緒にいたクィリナスのぶんも詰め込んで)そそくさと去っていった兄たちを見て、わたしを見て、尋ねた。
「な、仲直り……して……ない?」
「したような……そうでもないような……」
さすがに、話すぐらいはするようになったけれども。あとは彼らは息をするように気遣いをこなしていくので。たとえば先程のスーツケースのように。
でもやっぱり、クィリナスの評価は正しい。仲直りしたとは言いがたい。かもしれない。ジェームズとシリウスとの距離感は、腫物扱いのようなシンプルに居心地が悪いような、なんともびみょーな関係を引きずったままだ。
「……クィリナスに当たることはないと思うよ。そういうところの線引きはちゃんとしてるもの」
「そこは、し、心配してない」
「そっか。ごめん」
「そこまで落ち込んでるのは心配かもしれない」
「……ありがとうございます……」
「なんか丁寧だね……」
ホグワーツ特急は煙を吐き出して走り続けている。時折汽笛が鳴り響く。
本日のイングランドは全体的に晴れているようだった。麦畑が黄金色に輝いている。わたしはそれを窓枠に頬杖をついて眺めていた。
「そ、そんなに怒ることだった? たしかに、パンツを脱がせるのは、さすがにやりすぎかもしれないけど……あの人はみんなの前でエヴァンズさんを
クィリナスは百味ビーンズの箱を振って、てのひらにざらざらと並べた。クィリナスは百味ビーンズの無難な味を引き当てるのが何故かとても上手い。
「あ、ああいう言葉を使うのは、
そうだね、とわたしはちいさく相槌を打った。
「
「……才能なくてもよくないしね」
「うん、まあ、そう」
わかっている。わかっているよ。そういうことはわかっているよ。ジェームズたちも似たようなことを口にしていたよ。理由があれば許されると言うなら——……いや、よそう。クィリナスとまで喧嘩したいわけじゃあない。
「……天文学の観察日記を何日かつけるの忘れちゃったんだけどシニストラ先生は何分怒ると思う?」
露骨に話を転換させたわたしに、クィリナスは目をまたたかせて、それから首をひねった。
「な、何日かなら、許してもらえるんじゃないかなあ……雨天とかあるだろうし……」
「よしきた半分は埋めたから許されそう」
「それ何日かって言わないよ」
「なんですって」
シニストラ先生には十五分ほどめちゃめちゃ怒られて追加の課題を科された。間違いなくわたしが悪いですね……。
➤
こん。ここん。こんこん。
ベッド脇の窓の留め金を外して、開ける。寮室に風が吹き込んだ。なにもない虚空からちらりと布地が翻り、榛の瞳がのぞいた。
「夜のお散歩しない? 空で」
「……いつもの友達は」
「寝てるよ。まあ僕問題児だからね」
問題児の自覚があるタイプの問題児。いかがなものかな、お兄ちゃん。
透明マントの中に潜り込んで、ジェームズの背中にはりつくと、ローブのやわらかな感触が頬に触れる。
夜の風にはそろそろ冬の冷たさがにじみつつあった。鼻をくすぐる冷えた感触。
「……いろいろ考えたんだけどさあ」
「……うん」
「まあだめだよねってのはそうなんだよね」
「うん」
具体的になにを示す単語もなかったけれど、心当たりはあった。おそらくジェームズの言葉はそれを指しているのだろう。
「リーマスからはこの件ばかりは露骨に無視されてたしね」
「うん」
「エヴァンスには毎回怒られてたしね」
「構ってもらう手段としては最悪だと思うよ」
「ほんとだね。ただまあ、なんというか、構ってもらう手段では……なかったつもりなんだけど……」
「少なくともわたしからはそう見えたよ」
「はい」
ジェームズは肩をすぼめた。
「正しいことと思い込んでるならさすがにダサいし、誰かのために泥をかぶっていると思い込んでるならもっとダサいよ」
「ヴッ。……そうだね」
夜風はぬるく吹きすさぶ。高度を上げる箒に、わたしはジェームズの背中によりピッタリと貼りついた。ジェームズが操る箒はクィディッチの競技場を横切り、今は中庭の外縁に沿っている。
「……反撃ぐらいはしてもいいよね?」
「……。程度によりけり」
「あっすっごく嫌そうな声……」
「今までの揉め方を知らないからよくわからないんだけどパンツ脱がせるのはちょっと悪意の方が強すぎると思う。わたしだったら相手を半殺しにしても気がすまない」
「そ、そうだね……君は女の子だから……」
「あれっもしかして男女の差で済むと思ってる? ねえお兄様お聞きしてもよろしいかしらこれわたし反省と仲直りのお話に連れ出されたという認識でお間違えありませんよね?」
「すみません」
ジェームズは箒の上で器用に平伏してみせた。わたしは大袈裟に溜息を吐いた。
「……わたしの我儘なんだけど。……家族は、ちゃんとかっこいいと誇れる人であってほしいんだよね……」
「……そうだね、かわいい妹」
「ねえそういうところ茶化すの嫌い」
「ほんとにごめんって」
城の窓には点々と明かりがともり、おそらく、幾人かの先生は起きていたのだと思う。透明マントって先生の目も欺けるのかな。箒に乗せてもらったのは一年ぶりだけれど、今回は危険運転はなく、至極快適だった。
「……ジェームズ」
「ん?」
「快適過ぎて寝そう」
「待って」
➤
『えっ今の見ました!? 綺麗なフェイント〜! 優雅さがひときわ異なるんですよね、ニンバスは小器用な動きが得意な一方で速さに欠けることもしばしばあるので相応の技量が求められて』
「親愛なる我が妹は箒のカタログ紹介を任されたのかな!? それとも実況!? おまえスリザリンのシーカーがお気に入りすぎないか!?」
『お黙り我が兄プレイで魅せな』
「年々生意気になりつつある……!」
何事も程度が過ぎるとよくないものらしい。ところで程度のラインを具体的に明示してくださらない? マイルールじゃあわからないんですよ。明文化してもらわねえと。
「なにが起きたらこの季節に寒中水泳なんてものを……」
「はぐっしゅ……スリザリンのシーカーを褒めすぎてもよくなかったのだそうで、純粋にプレイがよかったのに……」
「ああ。……まあそうか」
うっかり湖に叩き落とされたのでローブを絞りながらくしゃみを連発していると、通りすがりの親切な人が乾かしてくれた。「お名前なんですか。あとでお礼しますね」「……。いいだろ名前は」「ええ……?」監督生バッジはつけていない。本当に単純に見ていられなかっただけのようだ。色はハッフルパフ。ふうん。レイブンクローならクィリナスに聞けばいいし、スリザリンは意外とシリウスが詳しい(意外でもないかな?)のだけれど、一番なんにもわからないところ来たな。ハッフルパフ寮にあとで突撃したらわかるかな。だめか? 怒られるか?
「まあ名乗らない方がかっこいいですもんね。〝あなた、お名前は!〟〝名乗るほどの者ではない……〟」
「は?」
本気で意味不明と言わんばかりの声を返された。
「えっ知りません? 小説とかでたまにあるじゃあないですか」
「……小説は読まない」
「助けてもらったよしみでお貸しましょうか」
「勉強に不要なものは読まない」
「ストイックだ!」
言うても小説も勉強にはけっこう役に立つけどな。魔法史とかマジで眠くなるので頭を抱えていたら、リリーがおすすめの歴史小説をいくつか教えてくれた。「私も眠くなるのよね」リリーは悪戯っぽく笑っていた。かわいい〜姉にほしい。ジェームズ頑張って。
なんか変な思考入ったな。
まあともあれ、役に立つというのもわたしの感想だ。人それぞれというものなのでしょう。
「あまり目立つような行動を取るべきじゃあない」
上級生は溜息混じりに黄と黒の上襟を直した。
「特におまえは、ただでさえずいぶんと目立つ兄弟がいる。いくら区別して目立とうとしたところで、余計な火種を買うばかりだ。混血とつるんでいることも然り」
「んー。目立とうとしているように見えます?」
「でなければ——」
「目立つために混血
わたしは意識してへらっと笑った。あんまり賢く見えないように。反感なんて見えないように。
たまに聞く評判なんだよなあ、そういうの。混血やマグル生まれ、純血でも変わり種、劣等生、爪弾き者たちと率先してつるんでいるポッター。変人な素振りをして変なひとに見えるように振る舞っているポッター。引き立て役を引き連れている
「それはちょっと心外かも」
わたしが仲良くなったクィリナスは頭が良くて友達に気遣える人なので。混血だからとかじゃあない。
「……おにーさんの忠告は耳に留めますね!」
ぴょんと立ち上がる。ローブについた土埃を払って、改めて、上級生を見上げた。わたしよりも頭三つ分は背が高い。
「もうちょっと落ち着いた振る舞いを覚えろって周りからも言われてるんです。まあ言ってくる兄貴が一番落ち着いてねえなとは思わなくもないんですけども。あと乾かしてくださったのはホントにありがとうございます!」
「……はあ」
上級生は茶髪をガシガシと掻いた。
「今後は俺の前で湖に落ちたりしないでくれよ。ポッターの縁者なんか助けると面倒な奴らに睨まれやすい」
「それは善処しますけどわたしだって落ちたくて落ちてるわけじゃあないんで……あだっ」
デコピンされた。痛い。目の前で落ちたら助けるんですねと言わなかっただけわたしは黙ってた方では!? そうでもない? そっか。
➤
スラグホーン先生に「少し残ってくれないか」と言われて身構えないわけがない。というかスラグホーン先生以外でも身構える。
なんですか。わたしなにもしてない。いや忘れてるだけかもしれないけどだとしてもパイナップル献上したら見逃してほしい。
「うちの寮生たちの……やんちゃが過ぎたようで」
「……あー……なるほど……」
ホントにわたしなにもしてないしなんにも悪くなかったパターンだ。
「謹慎が明け次第、退学を選択させる手はずになっている。君が追加でなにか処置しておきたいことなどはあるかね」
「えっそこまでですか?」
面食らったわたしに、スラグホーン先生はこちらも驚いたような顔をして、それからすぐに顔を険しくさせた。
「いいかね。まあ多少の悪ふざけであれば——私としても、学生同士の交流に口を挟むほど野暮じゃあない。けれど、氷点下の日に、極寒の湖に突き落とすのはわけが違うんだ。死んだとしてもおかしくないんだよ」
……。あー……。
とりあえずこの言葉で、ジェームズとシリウスがやらかしてたことがどういう枠組みなのかはなんとなく把握できた。悪い人じゃあないんだよなあ、スラグホーン先生だって。
「あ、いや、そこまでしなくていいです。うーん。しいていえば留年だと嬉しいかもって感じで」
「私の教え子が優しいことは誇らしいが——しかし、そこまでするべき出来事だよ」
「ええとですね、先生のお言葉はありがたいです。実際、ガッコの中なら今みたいに、謹慎とか、退学とか、先生がご指導してくださるって安心できましたし」
べつにわたしも相手方への親切で言ってるわけじゃあない。わたしそんなに優しくない。
「じゃあですよ、ガッコの外、ホグズミードの外れの湖とかで叩き落されたらわたし死ぬ可能性高くないです? で、退学ってそれやりやすくなりますよね?」
まだわたしは二年生だからホグズミードには行けない。でも、三年、四年——わたしだってハニーデュークス行きたい! ゾンコ行きたい。ウィンドウショッピングを気兼ねなく楽しみたい。
ホグワーツの中はイギリス一安全だ。わりと誇張無しに。ダンブルドア先生がいらっしゃるのは前提として、スラグホーン先生も実はかなりの腕前なのだとリリーからちょこっと聞いたことがある。マクゴナガル先生も魔法省のエリート上がりで、フリットウィック先生は最強の決闘人だとかなんだとか。今のハッフルパフ寮監はそろそろ引退かな〜という話になっているけれど。後任はスプラウト先生が有力説。
つまりね、ちょっかいかけてきたら叩き潰してくれるってわかっておいてこのぬくぬくを手放したくはないよね。
スラグホーン先生はしばらく難しそうな顔で唸っていたけれど「……被害者の君がそのように述べるなら、そうしよう」と言った。
「そして、少なくとも彼らのホグズミード許可証は卒業まで剥奪だな」
「わあい。ありがとうございます」
➤
閑散とした談話室で黙々と課題をしていた。シニストラ先生厳し……はい、わたしが悪い、はい。
それにしてももはや低学年は誰もいない。一回休憩入れるべきかも。顔を上げると、ソファにもたれかかった——もたれかかりすぎて頭が半分、背もたれを越えて落ちかけている——シリウスに指でちょいちょい呼ばれた。なにかな。
「お菓子」
「わあ」
蛙チョコレートデラックス。ふつうのやつよりちょっとお高いやつ。カードの枠がきんきらできれいなんだよね。
目を輝かせるわたしに、シリウスはくるりと体を捻って、今度はソファの背もたれにのしかかる形になった。
「それで俺と仲直りして」
「……えー」
わたしは半眼になった。シリウスは居心地悪そうに目を逸らした。
「ジェームズとは仲直りしたんだろ」
「したよお」
「俺とは」
「でもジェームズは反省してたよ」
蛙チョコレートデラックスをシリウスの手にお返しすると、彼はきゅっと眉を寄せた。
「……シリウスは反省してる?」
「……ウウン」
「……したくないの?」
シリウスはもごもこと口元を動かす。変なところで正直だ、このひと。
「……スリザリンを希望するやつにろくなのはいねえよ」
「マーリンもスリザリンだよ」
「マーリン以外はろくなもんじゃねえ」
「暴論来たな」
「——例のあの人の出身寮だってわかっていて、なお、入りたいやつがいるとすれば」
シリウスは目を伏せていた。
「それはあいつの思想に賛同する人間でしかない」
マグルを下等生物として捉え、マグルから生まれた人も、その血が混じった人も、嘲笑う。マグルの血が入っている己とは向き合うことなく。マグルたちを虐殺し、殲滅し、拷問する。家畜の如く飼う方法を提案する。
「俺の実家のように」
……シリウスは、けっこう苛烈な教育を受けていたらしい。教育だとあくまでも建前のごとく述べられた言葉。そういう名目でもたらされたもの。過剰な言葉だとかは序の口。趣味や外出の制限。一言一句まで厳しく取り締まる。鞭打ち、水責め——虐待を通り越して、拷問のようですらあった。とか。そういう話。
「スリザリン全員が馬鹿げてるとは思っちゃいない。スラグホーンとかは実際良いやつだし」
「スラグホーン先生ね、先生」
「おデブなセイウチはでもちゃんと
「無視?」
「アルファード叔父上もアンドロメダねえさんもスリザリンだった。彼らは良い人だった。組み分けは絶対じゃない。——だとしても、あいつは黒魔術の研究をしている。俺たちの秘密をコソコソと無遠慮に嗅ぎ回ったりもした。
シリウスはきつく目を瞑って「俺は、あいつに対しては、反省したいとはこれっぽっちも思えない」声を絞り出した。
「……」
たぶん、これは、シリウスの根本にかかわる、難しい話なのだろう。トラウマにも似ている。ある種ハンデとも言える強固な実家のしがらみから抜け出し、実家に似たもの全てを否定し、拒絶し、そのように振る舞うことでようやくスタートラインに立てた。と、少なくとも本人は思っている。
わたしは。
……わたしは。
「蛙チョコレートじゃ〜ん。もーらい」
「あっ」
シリウスの手にあったチョコレートをジェームズが奪っていった。唖然とするわたしたちの前でパッケージを剥いて一口で食べた。ねえほんとに奪っていったよこの人。
咀嚼して飲み込むと「じゃあちょっと血の繋がらない方の兄弟を借りてってもいい?」ジェームズはさらりと言った。
「私もこちらの女の子をお借りしてもいいかしら、マローダーズとばかり会わせているとなんだか教育に悪そうだものね」
「待ってくれないかエヴァンズ、僕が兄」
「だからこそでしょう」
リリーは鼻を鳴らすと「おいでなさい」とわたしの背中を押した。兄たちふたりを振り返ると、ジェームズがシリウスになにやら話しかけている。この距離では聞こえない。
「ねえ、違っていたら申し訳ないのだけれど……ストレートに聞くわね。ポッターたちとは、セブルスに対してやっていたことでぎくしゃくしていたの?」
「……ジェームズから聞いた?」
「彼はなにも言わないわ。普段は回りすぎるほど口が回るのに、そういうことは、一言も」
わたしの背中にブランケットをかけて、リリーはソファの隣に座った。
「それでもね、最近そういうことがほとんどなくなったから」
「それはリリーの話が効いたんじゃあないかなあ」
「かもしれないわね。だとすれば、五年以上も言い付けていたことにようやくあの人たちは聞き耳を持った、ということなんですけれども」
一年生から続けてたのかよ。すごいな。年季の入ったいじめっ子じゃあないか。
……どういうきっかけで行われたのか、普段はどういうやりとりだったのか、わたしはよくわからないから、いじめっ子と断定するのもなにか変な気もした。たった一回こっきりしか遭遇していないので。
「ポッターとは、話し合いはついたのね」
「まあ。うん。なんか。そんなかんじ」
時間はかかったけれど。少なくともぎくしゃくすることはなくなった。
「ブラックとは難しい?」
「シリウスは反省してないもの」
反省していない人との仲直りはとても難しい。
「……ただ、なんていうか、この件だけ反省が難しいようにも見える」
「そうね。ブラックの事情が大変なのは私にもわかる——」
リリーはふと息を吐く。
「ポッターたちの所業は許しがたいわ。セブルスがしていることも許しがたい。そこは弁別して考えるべきよ。許されないからといって私刑が通るはずがないでしょう。ましてあんな晒し者みたいに。本当なに言ってるのかしらあの人たちって思ってたわ」
わあ、辛辣。超同意見。
「……許さなくてもいいの」
リリーが杖を振って、ホットチョコレートを出した。わたしの手元にそっと添える。わたしは素直に受け取った。あまい。
「実際、私は許していないもの。反省の姿勢は評価するけれど、今まで積み重ねてきたことはゼロにはならない。良くも悪くもね」
「ン」
「許さなくてもいいし、許してもいいのよ。セブルスが最悪なことをしてきたのも事実で、それに……けっきょくあなたはセブルスではないのだから」
「……ン」
「許してもいいの。許せないままでもいいの。許せなくても、話してもいいのよ」
リリーに抱きついて、彼女の腕とブランケットのあいだに顔をうずめる。「頑張ったわね。いっぱい考えて疲れたでしょう」そっと背中を撫でられる。
こういうときにわたしの薄っぺらい積み重ねというのはなんの役にも立たなくて、リリーの声はやさしくて、少し泣いてしまいそうだった。
「あのね、君が僕の妹を実の妹みたいに可愛がってるのは嬉しい。仲直りしようと思ってくれたこともうれしい。でもああいうのはやめて。買ってもらったから受け取りたいけれど、意図しているところを踏まえると受け取れなくて、困ってたの、わかるだろ?」
「……俺は、どうすればよかった?」
「そうだなあ。一緒に考えようか、親友」
朝食の席でエッグタルトを頬張るシリウスの隣に座って「それ美味しい? どこにあった?」と尋ねると、シリウスは目を丸くして、それからお皿に残っていたもう半分のエッグタルトをわたしに差し出した。
「シリウスのじゃないの」
「ちょっと冷めてるくらいが美味しい」
確かに美味しかった。「あれ、せっかく考えたけど、必要なかったかな」隣に座ったジェームズが謎なことを言うので、なに? と振り返ると雑に頭を撫でられた。おい。誤魔化すな。
➤
「ピーターげんき?」
「ひくしゅ。元気だよ。ぺ、ぺくしゅ」
「めちゃくちゃくしゃみしてるけれどダイジョブそ?」
「花粉の季節だからね。ぴくしゅ」
なんかくしゃみの音かわいいね。「花粉症を治す魔法薬がほしい……」ピーターが小さく呻いた。ないんだっけ。大変なんだな。
「くしゃみ止めとか医務室でもらえないの」
「あるけどああいうのって無理やり止めるだけだから、薬が切れるともっと悲惨になるんだ……」
「ほんとにたいへんだね……あ、こんちはリーマス。リーマスは体調どうなの?」
「最近は大丈夫だよ」
青褪めたリーマスが柔らかく微笑んだ。一ミリも信用できない顔色(ここでいうミリは㎜ではなく1/1000を示すミリの方だ、どうでもいいね)してるけど大丈夫らしい。
ほんとか? お気遣いましましの嘘じゃあないか?
「それよりテストはどうだった?」
話を逸らされた。仕方ない、乗ってあげるとするか。
「魔法史は前よりちょっと取れた! リリーが貸してくれた小説面白いんだよ」
「よかったね。天文学は? 最近追加課題させられてただろう」
「あれはかんたん。追加課題させられてたのはわたしが宿題出さなかったからだし」
「出さなかったのかい……」
リーマスの表情に若干呆れがにじんだ。はい。すみません。もうしません。以後気をつけます。
「魔法薬学も落とすようなとこないものね……それに、スラグホーン先生最近わたしに優しいから! 多少のミスはお目溢しくれそう!」
「砂糖漬けパイナップルでも渡したのかな」
「ちがうよ。ひみつ〜」
わたしもニコニコとしてみせると、リーマスは目を細めて、肩をすくめてみせた。へへへ。絶対言わない。
「君は魔法薬学得意だよね」
しみじみと言うのはピーターだ。
「ジェームズに似たのかな」
「は? 違います。あの感覚派と一緒にしないで。目分量で大成功するルールブレイカーと一緒にしないで」
「ご、ごめん」
ピーターに平謝りされた。「やめなさい」リーマスにシンプルに叱られた。ごめんなさい。でも感覚だけでなぜか成功するやつとはホントに一緒にされたくない。あいつなんなの?
「なんだい嫉妬かな〜? 僕の天才性に嫉妬かな?」
噂をしたら出てきた!
「帰って!」
「帰ったら君と同じ家」
「そうだった。帰らないで」
「僕もしかして家から追い出される?」
「うちに泊まるか我が友」
「ありがとう我が友。でも君って自宅にはふつうにガールフレンド連れ込んでそうだからやだ」
「偏見……! さほど親しくもないやつ家に連れ込めるわけないだろ!」
口が滑ったシリウスは各方面から冷たい視線を注がれた。ガールフレンドのことさほど親しくもないやつって認識? やめなよプレイボーイ。
➤
七年生といえばN.E.W.T.の年だ。わたしは三年生なのでぜんぜんなんにも関係ないけどね。選択科目が増えるのでちょこっと意識するとか、そのくらいだ。
「じゃーん。HEAD BOY……」
キメ顔とやたらと渋い声とともにバッジを掲げたジェームズに、わたしは一拍の間を置いてから「ダンブルドア先生ボケちゃったのかな?」とつぶやいた。
即座にヘッドロックを食らった。かわいい妹になんてことをするんだ! さいてい!
「そういえば我が妹、けっきょく選択科目なににしたのさ」
「我が兄とりあえずつむじに顎乗せるのやめてくれないかな」
「相談に乗ってあげようとしたらもう出しちゃったよとか言いやがった我が妹」
「拗ねてんの……? そんなことですねんの……?」
「俺も気になるな、妹御よ」
「増えたね兄御」
シリウスはやっぱり今年も夏季休暇の後半はうちにお泊まりしに来ている。おそらくどころではなくジェームズのつむじに顎を乗せているので一番下のわたしは下敷き。つぶれそう。ぶん殴るよほんと。
みぞおちと脛を狙って悶絶しているところを抜け出す。
「魔法生物飼育学と古代ルーン文字学、あとマグル学」
純粋に気になる学問ふたつと、個人的に、マグルの経験がふんわりある身として魔法族から見たマグル学ってどうなってんの? が気になる学問ひとつ。
「ルーン文字学は難しいよ〜?」
「クィリナスも取ってるからなにかあったときは二人でくるね」
「仲良しだな……」
「いちおう同じ寮の友達もいるわりに、クィリナスくんとはなんか一緒にいるね。波長が合うのかな」
「え。うーん。うちの代ってどの寮も人数が奇数で、ペアを組むタイプの合同授業だと一組は確定で別の寮同士で組まなきゃいけないのね。グリフィンドールとレイブンクローの合同授業ではわたしとクィリナスがほぼ毎回組むようにされてるから、課題の話とかなにかと共通しやすいんだよね」
「思ったより合理で来たな」
もともとわたしはあんまり手広く交流するタイプではない。クィリナスも人見知りするきらいがある。のでまあ、必然的にふたりになりがちだ。今のところは支障はない。ジェームズの指摘通り、わたしはルームメイトの他ちまちまと同寮の同級生には友人知人がいる。クィリナスは……同寮生とは相変わらずあんまり喋ってないらしいものの、昨年度は、最近ハッフルパフとの合同授業で一緒に組んでくれる人がいるとか聞いた。よかったねって思います。
「子どもたち」
父さんがひょこっと顔を出した。
「教科書買いに行く帰りにアイスクリーム食べるひと〜?」
「「「はーい」」」
声は三人揃った。もはやジェームズとシリウスが二年目のころからの恒例のやりとりだった。
……よく考えるとシリウスの教科書リストがうちに届いている時点でもはやホグワーツ的にはシリウスってばほぼポッター家の一員扱いされてるの? いいのそれは。七年目まで恒例になっているあたりいいのかも。そうかも。
➤
「初ホグズミード付き合えない! ごめんね!」
「それはむしろこっちから全力でお断りだったからいいんだけど」
「今なんて? もっかい言ってごらん」
「なんだったかなー忘れちゃった! またマローダーズで遊ぶの?」
「ううんデート」
ジェームズのあっさりした言葉を「へー……」と聞き逃しかけて「……へえ!?」わたしは二度見した。ジェームズはくるくるの黒髪の毛先を無意味にいじっている。あっさりしたふりをしていたのはよくわかったよ。
「リリーのこと諦めるの!?」
「あのさあ人聞き悪すぎるからね」
じとりと睨まれた。睨みながらもくるくるの黒髪の毛先を無意味にいじるのは辞めない。
「エヴァンズとデート」
エヴァンズ。それはつまりEvansということだろうか。リリー・エヴァンズ。ジェームズの想い人。いずれ夫妻になるはずが現在なんかそんな感じには全く見えなかった人。
「……幻覚?」
「妹よ、少ししつけが足りなかったかもね……」
「シリウスお兄ちゃ〜んジェームズクソ野郎がいじめる〜」
「あっバカ」
「呼んだかぺちゃくちゃ切り株」
「そうだったこっちのお兄ちゃんもいじめてくるんだったわ……」
呼ばれて出てきたシリウスがわたしの頭に顎を乗せる。ねえもうこの顔だけ王子様どうして何年経ってもこの有様なの。妹扱いだからか! ならいいか。
「それでプロングス、愛しのエヴァンズとデートだって?」
たぶんニヤニヤと笑みを浮かべていることだろう。
「今度はなにを質にとったんだ?」
「あのほんと人聞き悪すぎるよね? ふつうに! デート! オッケーもら……もらえたんだよね? 不安になってきた。幻覚?」
「いやちょっと知らない……」
幻覚の可能性はめちゃくちゃありそうだなと思う。所感。談話室をウロウロし始めたジェームズに「ちゃんとオーケー貰えてたよ」肖像画をよじ登ってきたピーターが言った。おかえりピーター。
「見てたの」
「忘れ物取りに行ったら照れまくりのジェームズとこっちも照れてるリリーに遭遇した僕の気持ち」
「気まずい」
「面白い」
「両方」
リーマスは男子寮の階段から降りてきた。顔色はわりと良い方だ、よかったよかった。今日はマシな日らしい。新月だからかな。
「リリーも照れてた!? やっぱり……つまり……僕の幻覚ではなくて……脈がある?」
「そのまま素行が真っ当なままならね」
「苦節六年ちょっと、よかったねジェームズ」
「初デート頑張ってこいよ」
「でも一回くらいフラれといたほうが力がつくような気もする」
「なんで肉親が一番辛辣なんだ? 応援してよ。もしかしたら未来のお姉ちゃんだぞ」
力説するジェームズをしばらく眺めて「二年前」わたしは無表情に言った。「ぐう」ジェームズは唸った。ぐうの音は出るみたいだ。
「初ホグズミード俺が付き添ってやろうか」
「ありがとう、でもふつうに要らない。わたしもう十四ですよ」
肩をすくめたシリウスが「叫びの屋敷はいいぞ、肝試しにはぴったりだ」と提案した。わたしってばお休みで肝試しに行くタイプだと思われてる?
➤
「ひとりかい」
「ひとりですね〜」
ベンチに座って膝の上でハニーデュークスのお菓子を並べている——これぜーんぶわたしの! うれしい。皆々様からお菓子はよくもらっていたけれど、初めて自分で買える——わたしのお隣に、奇特なお客さんが現れた。
「それは?」
「ゴキブリゴソゴソ豆板ですね」
「……。食べるのかな」
「兄に仕込みます」
「ああ、ポッター」
「伝わらなかったんだった。えーと、シリウスに仕込みます」
隣の人がかすかに身じろいだ。
「——兄弟ではないだろ?」
「ジェームズの魂の生き別れらしいんでじゃあわたしも妹かな、的な」
半分冗談で言っていたシリウス・ポッターが最近定着し始めて、シリウス・ブラック゠ポッターとか名乗り始めてるんだけど。楽しそうでなによりです。あとはリリーと喧嘩しないでいただければ妹としては最上……そういえば、最近は喧嘩してないな? よしよしその調子。
「彼はブラック家だ」
「本人の証言だと家系図から消し飛ばされたらしいですけどね」
昨年の夏に家に現れたとき、シリウスはそれはそれは清々しげに言い放った。清々しそうではあったけれど、同時に、後戻りのできない不安定さも抱えていた。
まあわたしはそのとき別の理由で兄たちから距離をとっていたのでどうとも、なんとも、という感じですが。ジェームズは兄妹ふたりに気を遣う羽目になって大変だったのかもしれない。よくわからない。あのひと悩んでるときに表に出したりしないから。
「事実は変わらない」
「ジェームズやわたしや父さん母さんが、シリウスを家族だと思ってるのも変わらないですよ。スリザリンのシーカーさん。……もう違うんだっけ」
わたしが顔を上げると、黒髪の男の子は灰色の目でじっとわたしを見つめていた。一度も話したことはない。でも名前は知っている。レギュラス・ブラック。O.W.L.の年だから彼はクィディッチを引退した。わたしは残念に思っている。彼はスリザリンのチームの中でも飛び抜けて素晴らしいプレイヤーだったから。
「父母は悔やんでいたよ。イカれたポッターとは関わらせるべきではなかったとね」
「それはどうも。あなたも同意見ですか?」
「さて」
緑と銀のスリザリンカラーを傷ひとつない指先が整える。襟元の監督生バッジが陽光を反射してひかった。
「ジェームズ・ポッターは、ひとつの家庭とシリウス・ブラックの未来の選択肢を崩壊させたことを理解していると思う?」
「あるいはシリウス・ブラックにそれでも人生を楽しむ方法を教えたとも言えるんじゃあないですか。ところで、それって妹のわたしと問答したいの? 本人たちでもなくて?」
シリウスが家族と訣別するまでに果たしてジェームズの影響がどれだけあったものか。わたしは知らない。知る由もない。ジェームズは意識しているかどうか。それも知らない。けれど——そもそもジェームズとシリウスは特急で初めて出会ったと言っていた。そこから数時間一緒だったにしたって、グリフィンドールに入寮しようと決めた決定打ではないか、決定打だったとしてもきっと些細なものだったと思う。
そして、グリフィンドールに入っただけのシリウスを糾弾したのも——またブラックのひとたちだ。
わたしが知っているのは、これくらい。
「……君は典型的なグリフィンドールだね。蛮勇だ」
「そう思いますか、スリザリンさん」
「物怖じせずに意見をぶつけるのは人と場合を選ぶべきだろうね」
「そうかもしれませんね。たとえば、人避けの魔法がかかっていない場合や、腕に印がない人を、選ぶべきだとか?」
「そうだね」
レギュラスは目を細めた。
「古今東西、ちょっとした警告に女子供を吊り下げるくらいは、ごく当然のことだから」
わたしが知っている当然と比べて、彼のそれはちょっと乖離があるみたい。
「……わたし、校内でたまに危険な目に遭ったりしてるんですよ」
わたしは話を転換した。「だからね、心配した先生とかがね、貰い物をくれたりしていたの。お守り」相手の表情の機微と、利き手に握られた杖からは目を離さない。そういうことは教わっている。
「効果を今確かめますか? あなたが、自分の手で」
レギュラスはしばらく無言だった。わたしたちは睨み合っていた。
「……稚拙」
わざとらしく嘆息して、立ち上がる。
「警戒を知っているなら開心術の存在も知るべきだ。お馬鹿なポッター」
「けんかうられてる!」
「——あなたと今やり合うつもりはありませんよ」
レギュラスの口調が、丁寧に、なめらかに変化する。眼差しはわたしの後ろに向けられている。
「ねえ、親愛なる兄上。僕たちは既に赤の他人だ。なので——まあ、すべて意味はなし」
うっそりと口角を上げた。端正な顔立ち——シリウスほどではないけれど——ぞっとするほど、つくりもののような表情。
「ただの冗談です、冗談」
……彼の視線が外れて、去っていって、その背が見えなくなってようやくわたしは力を抜いた。がさがさと後ろの茂みから音がする。顔を出したのは大きな黒い犬だった。鼻を鳴らしてちいさく鳴いているから、わたしは少し笑って、その首元に抱きついた。
「ごめん」
変化を解いた元黒犬さんがちいさく呻いた。わたしは首を横に振る。抱きつく腕に力を込める——怖かった。本当に怖かった。話聞いているとまずわたしはなんにもしてないじゃん、と、思う。思うけれど。でも兄と呼ぶからには、そういうこともひっくるめての家族だった。ジェームズは少なくともそういうつもりだろう。わたしだってそういうつもりだ。
だから言うべきことはひとつだ。
「シリウスがいてくれてよかった」
「……おまえたちってたまに、図ったように、似たようなことを言うんだよな……」
誰を引き合いに出されたのかは、なんとなくわかっていた。
「聞いてくれよ兄弟、今日のデート——どうした? 誰となにがあった?」
「……ジェームズ、ゴキブリゴソゴソ豆板いる? シリウスに仕掛けようとしたのに気づかれちゃって」
「あのな、いいか、それはな、食べものじゃない」
「食べものではあるんだけど僕も食べたくないかな。ところでおふたりさんは言いたくないの? それとも本当になにもなかった?」
「言わない」
「なにもない」
「そっか」
「クィリナスは将来人を脅したりしないでね」
心の中で思うだけにしようとしていたんだけど、クィリナスがぎょっとした表情でこちらを見たあたり、たぶんどころではなく思いっきり口から出ていた。
「お、脅されたの?」
「うーんまあなんかえーっとなかったことにしたことがあったりなかったりなかったり」
「先生に言いなよ」
「えへへぇ」
「そ、そうやってごまかすのは、かなり、よくない」
「……そうだね」
正論だったのでわたしは素直に頷いた。素直に頷いただけなのに「落ち込んでる……」と言われた。落ち込んでいるように見えたかな。それは……それは、もしかしたら、わたしはけっこう参っていたのかも。
ところでさっきのクィリナスの台詞、なんだかどこかで似たような言葉を聞いたような、と記憶を辿るとわたしがジェームズに向かって言っていた。ウーンこれはブーメラン。兄妹似た者同士だねって感じで片付けたいな。だめかな。
「……どうして争いはなくならないんだろうね」
「急にスケールが大きい……」
「もっと強くなりたいな〜」
まったく進まない課題を前にころころと転がって駄々をこねていると、溜息をついたクィリナスが教科書を閉じた。呆れられてしまったかな。
「変なこと言ってばっかでごめんね」
「君が言ってることはわりとよくわからない」
「え、うん、そう?」
「マシンガンみたいに話し出したり、逆に頭の中で自己完結してずうっと黙ってたり、する」
「ふつうにごめん」
「君が知っていても僕は知らない人の前に突然引っ張り出されたりもする」
「マジでごめん」
なんだかいっぱい罪状が羅列され始めたぞ。ここはわたしの断頭台なのやもしれん。
「……。だから……」
クィリナスは奥歯にものが詰まったような顔をした。ちょっと珍しくてじっと見ていると、すっ、と目を逸らされた。
「今更だしあんまり気にしてない。そのへんは」
「あ、はい」
今更って表現的にけっこう諦められてそうではある。「それでも友達でいようとしてるのは僕だし」「ありがとうございますクィリナスさま」「それはやめて」「はい」拝むのは怒られてしまった。
「ぼ、僕が脅すようなやつと疑われていたら、それは心外」
「ごめん」
「でも君はそういうことを思っていたとしてまず詰めるところから始めそうだから、たぶん違うなと思った」
そのとおりだな。
クィリナスは微妙に逸らした視線を改めてわたしの方に持ってきた。じ、と、彼は眼力が意外とあるので、ちょっと居心地が悪くなる。
「言う気はないの」
「……うん。ないよ」
ねえ。だってさあ。いくら縁を切っても、遺伝子って変わらないから、それってけっこうしんどいんだろうね。好きであっても嫌なところは嫌なのだ。嫌いだったらばいかほどか。ちょっぴりわかってしまう気持ちを隠しておく。しまっておく。
わたしは、なーんにも言わないよ。なんにもね。
➤
『さぁて今年度の寮対抗杯も残すところ最終戦、N.E.W.T.を控えた我が兄のコンディションはクィディッチも成績も果たして万全なのでしょうか!』
「なんっで妹かつ同寮にメンタル攻撃されてるのかなあ!?」
『同寮で妹であってもわたしは実況、ゲームには常に公平! 公平に揺さぶりをかけます。レイブンクローのキャプテンも今年ご卒業のはず! おめでとうございます! もっとも学期末に単位を落とさなければの話ですが!』
「おいポッターおまえ妹の教育どうなってる!?」
「うわこれ全部こっちに回ってくるな、なんだって兄貴なんかに生まれちゃったんだ僕ってば」
➤
学期最終日、すなわち、ジェームズたちの卒業。いつものふざけっぷりはなんなんでしょうね、という態度で粛々と祝辞を読み上げるジェームズ。それともあれ、誰かポリジュース薬とかで変装してない?
続いて祝辞を述べたリリーがジェームズにウィンクしている。ジェームズがちょっとニヒルに笑ってみせた。うーん。カップルだね。あそこからくっつける保険があったんですね。
席をちょっと立って、歩くことにした。身内のイチャイチャとかあんまり得意ではないのだ。末永く幸せになってほしいね。……末永く幸せであるべきでしょうとも。
わたしは未だに、ジェームズたちが一部の人に対して行なっていたことを擁護する気にはさらさら、なれない。けれどジェームズが、だから無残に惨たらしく死ぬべきだ、なんてことも思わなかった。だって兄妹だから、というより——どんなに嫌いな人間でも、たぶん、そうは思えないような気がする。ジェームズはひどいことをしていたけれど、それは、彼が命を擲つべきであるという見解は等号では結ばれない。
同様に、ジェームズとリリーが幸せになるために、他の誰かに不幸になってくれ、と願えるほどにわたしは強くなかった。
湖のほとりはずいぶんと静かだった。わたしはふうと息を吐いた。
「……卒業おめでとー」
「ありがとう。面と向かって言ってくれる?」
「ウワッびっくりし——あ、落ちる落ちる、助けて我が兄」
「なんでそうなるかなあ!?」
面食らったジェームズが、今まさに、水面にざぶんと落下して波紋を作る寸前だったわたしを逆さに吊るした。ありがとうでもこれ完全に吊るし上げの絵面。
「ポッター!」
「まずい」
ああリリーがバチギレてる。最近ようやくファーストネームで呼び合い始めていたのに。あのこれはほんとに誤解です——いや背後から話しかけてきたのはジェームズなんだけど——いろんな意味でだれか助けて!
➤
「教科書買いに行くのに毎回暖炉経由じゃつまんないだろ」
七年間、毎回暖炉経由で教科書を買いに行っていたのは果たして誰なのやら。
そう宣ったシリウスが引っ張り出してきたのは新品のぴかぴかのオートバイだった。ヘルメットをわたしに投げてニカッと男は笑う。
「後ろ乗れよ」
ヘルメットをキャッチしたわたしは真顔だった。いやあのすっごくかっこよかったんですよ、すごくかっこよかった。
それは前提ね。
「ねえこれで何人落としたの?」
「僕が知る限りだと片手の指の数を超えてる」
ジェームズも真顔だった。二桁行ったら教えてほしい、距離を取るので。一緒に歩いていたら刺されそうなタイプの身の危険を感じる。
「ハンサムって大変なんだね」
「どういう同情……」
「そうなんだよ親愛なる妹御。わかるかい、このハンサムは自覚が足りないんだ」
「俺は褒められているのか? 貶されているのか?」
両方かなという感じではある。
「ジェームズは買い物中にちょっとでもお片付け進めといてね」
「我が妹、ゾンコの選りすぐり品目要らない?」
「死ぬほど要らない。シリウスに聞けば?」
「だからホグワーツにいる間に後輩に売ってくればっつったろ」
「マイシスター、グリフィンドール寮でフリーマーケット開催するつもりない?」
「早く片付けなって」
ジェームズは肩をすぼめて、不要品と引っ越し先に持っていく品々の選別作業に戻った。卒業したので一人暮らしするのだって。教科書類とかは買うのめんどくさいから貰ってもいいけど悪戯グッズは本気で要らない。ああいうのは人が使ってんの眺めてうわ〜ってするのが様式美なの。
➤
今年からはマローダーズはいないし、リリーもいない。ちょっとさみしくなるかなあと思った。まあわたしも四年目となればそろそろホグワーツも折り返し、であるからしてさみしいとか言ってる場合でもないのかもしれない。
「あらはじめまして、ポッタラーさん」
「……はじめまして」
なんか変な人って学年問わずいるみたいだし。
レイブンクローのカラーをまとって、ブロンドの少女(たぶん、わたしよりは年上)は美しく微笑んだ。木の枝に逆さに引っかかったまま。いったいぜんたいなにをどうやったらそうなるんでしょうね。あと確かにわたしの先祖はポッタラーだけれども、わたしはポッター。
ともあれ、わたしは杖を振って、彼女をおろしてさし上げた。「ありがとう」やっぱり微笑んだそのひとはわたしの髪に花を挿し掛けた。きれいな花ですね。……きれいな花には毒があると聞くけれど、まさか毒花じゃないよな?
「お兄さんとはついぞ縁がなかったけれど、あなたとはお話できるのね。あなたはどこにもいないからかしら」
「禅問答の方?」
「うふふ」
からころと少女は笑う。わかりやすいほど典型的な不思議ちゃんだ。レイブンクロー、クィリナスみたいな生真面目な優等生が多い一方で、たまにこういうひとがいる。「葉っぱついてますよ、触っていいですか」「ええどうぞ」見かねたわたしは許可を取って彼女のローブを払った。ありとあらゆる箇所に葉っぱと枝が引っかかった形跡が見受けられる。
「助けてもらったし、助けてくれたのがあなただし、少し楽しいお話をしてもいいかしら」
「はあ」
「ありがとう。あのね、わたし十二年後に死ぬの」
彼女はあっけらかんとした口調で言った。わたしはさすがに二度見した。
「事故よ。そう決まっているの」
「……予見者ですか?」
カッサンドラ・トレローニーは魔法史に詳しくなくたってぎりぎり知っている名前だ。
「いいえ、いいえ違うわ。でもそう決まっているのよ。わたしは二年後に結婚して三年後に娘を産んで十二年後に死ぬの」
「……そう……なんですね……」
どうしよう、正直このひと、ちょっと怖いかもしれない。ていうかちょっとどころではなく怖いかもしれない。
言葉を探しあぐねていると「ねえでもね、それでもいいのよ」少女は言った。銀色の瞳がやわらかに円を描く。
「わたしたぶんそれが一番幸せだから、そういうふうに生きるの。それに、素敵じゃあない? 過去に立てられた予想が証明されていく道筋の興奮は研究者につきものよ。わたしはわたしが識っているとおりに未来を歩んで死ねるのよ。その過程にどれだけの未知があるのか——」
少女は一歩わたしに近寄った。
わたしはさすがに半歩引いた。
「——気になるでしょう?」
わたしを銀の瞳が覗き込む。まるで奥底までつまびらかに観察するように。
「あなたは変えるの? どうなのかしら。存在しないあなたは変えようとするのかもしれないわね」
鼻先三インチも離れていないような場所で微笑まれると、焦点がうまく合わず、ちょっと奇妙な光景に見えた。わたしが押し黙っていると彼女はようやく、一歩引いて、元の位置に戻ってくれた。
「じゃあねばいばい。きっとうまくいくといいわね、あなたは」
少女は笑って、城の方へと戻っていく。「パンドラは? どこ行ったの、あの変人ちゃん!」「またナントカハムティンガーを探しに行ったのかも——」木の葉のさざめきに似た喧騒を他所にわたしはしばらく呆けていた。
けっきょくなんだったの、あのひと。わたしなんだか災害に遭った気分ですよ。
➤
「……湖で釣れるのはせいぜい魚か大イカか
「ご迷惑をおかけして……はぶぇくしょん!」
「うるさい」
すみませんねやかましくて。
ハンカチを取り出して洟をか……かもうとしたのだかハンカチもびしょ濡れだった。当たり前過ぎる。乾かそうと杖を取り出しかけたが、それより先にハンカチはきれいに乾いた。
「ありがとうございます」
「ああはいはい」
いつかのハッフルパフの上級生は呆れた顔つきでわたしを眺めている。
「また突き落とされたのか? 懲りないやつだな」
「ん〜えへへ大丈夫ですよさほどしないうちにやつらは己の所業を未来永劫後悔する羽目になる」
「うわ……」
へらへらと笑いながらもわたしがすっとポケットから取り出した試験管を握りしめると、上級生に半歩距離を取られた。やだなあわたし誰彼構わず魔法薬を頭から浴びせるタイプのヤバい人じゃあないですよ。吊るし上げも晒し上げもしないですよ。
それはそれとして手を上げるなら相応の報いがあると想定するべきなんじゃあないかなとわたし的には思う。怒っているのかと聞かれると怒っている。あなたがたのご両親や兄姉が
「俺の目の前ではやるなよ、絶対に」
「ポッターに関わることなんて後始末をしたくないから?」
「ご理解いただけているようで……その調子で俺が見つけるタイミングで湖に落ちるのもやめておいてほしいけれどな」
「まあそのへんはわたしにもどうにも。今後は落ちないといいなって思います」
「俺も心底そう思うよ」
上級生はわざとらしく溜息をついた。胸元には監督生バッジが光っている。
「そういえば見ないうちに監督生になったんですか? おめでとーございまーす」
「薄々思っていたけれどおまえ今になっても俺の名前わかってないな?」
「わかってたほうがいいですか?」
「いやわかられているとおまえは名指しで突撃してきそうだからいい。一生わからないままでいろ」
「今のわたしはそこまで迂闊じゃないですよお」
「つまり昔はやりそうな程度には迂闊だったんだな。最悪だ。人助けなんてするもんじゃない」
上級生はぶつくさ言いながら城の方へと帰っていった。捨て台詞がハッフルパフっぽくない発言すぎてちょっと笑った。寮生とか先生の前ではいっつも猫かぶってんのかなあの先輩、じゃなきゃバッジもらえないでしょ。
きれいに乾かしたローブ(これは自分で乾かした)のポケットに、きれいに乾かしてもらったハンカチ(乾かしてもらった方)を畳んでしまって、わたしは湖畔を歩き出す。城に帰るまでにどうやってあいつらはめ殺してやろうか考えておかないとな。まだ怒ってます。自分の所業を棚上げしてひとのこと謗るやつどう思う? わたしは嫌いだよ。自分の兄がやっていても嫌だったんだから他人ならば言わずもがなだ、絶交ものだね!
気が済んだらスラグホーン先生にチクっとこうかな。うちの寮監はマクゴナガル先生だものの、スラグホーン先生、あのひとの方が便宜を図ってくれる。適時適切に適切な人を、要するに適材適所というやつだ。違う? ちがうかも。
➤
なんか大広間の真ん中あたりにやたらふくろうが集っている。偏り的にレイブンクローのテーブルだ。なんだろう。興味を惹かれて中身を覗こうときょろきょろしていると、ふくろうの群れから逃げてきた様子のクィリナスと目が合った。クィリナスは早足でわたしのところへやってきた。
「と、隣、空いてる?」
「空いてるよ。座る?」
「座る……ああもう、今日は災難だ……」
長椅子に腰掛けたクィリナスはちょっと息を切らしている。ふくろうの群れをかき分けてきたなら息も切らすだろう。カボチャジュースのコップをあげるとすぐに飛びついた。
わたしがのんびりキドニーパイを切り分けていると「生き返った……」と息をついた。
「ところでなにあれ」
行儀は悪いけれど、フォークでふくろうの大群を指す。
クィリナスがげっそりした顔で首を横に振った。
「ギルデロイがね……」
「……ああ〜……」
わたしらと同学年のギルデロイ・ロックハート。今年からはレイブンクローのシーカー。プレイは正直、あんまりぱっとしない。それはそれとして、クィディッチではないところではけっこう有名人だ。ちょっと、なんていうか——悪い意味で。
「バレンタインカードがたくさん届いたみたいだ」
「へえ、意外と人気なんだね」
「ぼ、僕は、席が近くて……」
「避難してきた、と」
「そう」
まあお顔はよろしい方なのだと思う。そういう点では人気でもおかしくないだろう。見た目が良ければすべてよし、と思う心境はわからなくもない——なにせシリウスなんて超最高級美人を知っているものでね。
「ただね」
「うん?」
「僕が見たカード——宛名だけだけど——筆跡、どれもおんなじだった気がするんだよね」
わたしは一口サイズに分けたキドニーパイを今まさに口に入れようとしていたところだった。お隣のクィリナスを見る。きわめて神妙な顔つきをしている。もう一回、ふくろうの群れを見る。いっぱいいるね。百匹はくだらないんじゃないかな。
「……あー」
一度無意味に相槌を打って、キドニーパイを頬張った。わあ。おいしい。ホグワーツの料理はごくたまーに大きな当たり外れがあるんだけれど、これは大当たりかも。
「……クィリナス忘却呪文かけられる?」
現実逃避するにはキドニーパイの美味しさはちょっとだけ足りなかった。
「かけられるものならまずは僕にかけてるかな」
「あはは。忘れたことにしようか」
「そうだね」
ちょっと人が怖い話だった。今年そんなのばっかりだな、これでO.W.L.が来年に控えてるってホント? これ以上怖い話がいっぱいポンポン出てきても困るよ。
……あれ、とわたしはふと思う。バレンタインカードか。そうだね、今日はバレンタインだ。バレンタインデー。
「ていうかミスター・ナルシー゠ロックハートは置いといて——」
「君けっこう言うよね……」
半眼のクィリナスがカボチャジュースに口をつけた。
「——クィリナスはハッフルパフの愛しのアレックスにカード送れたの?」
「ブッ、」
ゲホッゴホッガハッと咳き込む音。そうだね。ジュース飲んでる最中に聞くことではなかったね。口元をローブでぬぐったクィリナスが目を白黒させてわたしを振り返る。
「な、なんで知って」
「隠したかったなら合同授業中でも羊皮紙に下書きするのやめた方がいいよ、レポートに若干うつってたから提出ついでに消してあげたわたしに感謝してほしい。そして誠意はお菓子の形をしていると思う」
「ありがとう……ありがとう……なんのお菓子を貢げばいいかな……」
「蛙チョコレート♡」
➤
『いけーっそこだぶちのめすのです! いける! やれるよその棍棒を脛をめがけて!』
『ポッター! 暴力行為を煽るような実況は禁止です!』
『ああごめんなさいマクゴナガル先生、ちょっと湖突き落とされた時の恨みが——』
『なんですって?』
『——あ、いや、さておき、一方で粘りますスリザリン! 今年のスリザリンのチェイサーはとかく技巧に優れており、クァッフルを的確にパスでつなぐ!』
『ミズ・ポッター、話があります』
『わ、わたしにはないもん、ないです、ねえ先生お好きなクィディッチですよお、ほーら! だから実況に集中しましょ! ね!』
『ええそうですね。後でじっくりお話しましょうか』
『わあ詰んだ』
➤
「危ないことはしない! せめて報告しなさい!」
「あとから聞いてどれだけ心配したと……!」
「ごめ゙ん゙な゙ざい゙お゙があ゙ざん゙お゙どお゙ざん゙」
わたしのイースター休暇は本気の説教から始まった。わたしは恥も外聞もなく泣いた。泣いちゃお。わたしは無力。親には逆らえない。
「僕も怒ろっかなって思ったけど予想以上に詰められてて可哀想になってきちゃったな」
「なんで帰省してるの……?」
ジェームズはにこーっと笑って、マクゴナガル先生からの手紙をヒラヒラ振ってみせた。
わたしはまた泣いた。お説教第二弾いやだよお。
「妹をいじめないのよ、ジェームズ」
一緒に来ていたリリーが呆れ顔でジェームズを見た。
「そんな! いじめてないよ! これは兄妹の戯れ」
「リリー助けてジェームズがいじめる」
「う、裏切り者」
リリーは仕方のない子ねという目でわたしを撫でてジェームズを軽く叱ったあと「けれどね、ジェームズが言っていることもわかるでしょう?」とわたしを諭した。
「知らないうちに危ない目に遭っているだなんて、心臓が止まりそうになるわ。ましてや隠しているだなんてね」
「そうだよ」
リリーに叱られて嘘泣きをしていたジェームズがけろっとした顔でわたしを振り返った。
「我が妹はちょくちょくそういうの隠すよね。僕たちを心配させたくないのかもしれないけれど、こっちはね、隠された方が心配するんだ。もっと悪化していたら——恐ろしい想像だよ」
真剣な声だったのでわたしは黙りこくる他なかった。珍しくも正論で叱られている。それもジェームズから。
ちいさくなってしまったわたしをしばらく眺めて「……マ、父さんも母さんもそういうことを散々言っただろうけれどね」ジェームズは口調を切り替えてわたしを解放した。それでも気まずくてリリーの背中に隠れていると、しがみつかれてコアラでいえばユーカリになった魔女はちょっと笑った。
「そういうところは末っ子ね」
「む……」
「ところでマイシスター、そろそろ僕のリリー返してほしいんだけど……」
「あら、わたしの婚約者はあなたですけれども、わたしあなたに所有された覚えはなくってよ」
「すみません」
ヒエラルキーは目に見えてわかる通り。
ところで、今の台詞のうち一言がさすがに気になったので、わたしはリリーの背中から顔を出した。
「婚約者?」
リリーがちょっと照れくさそうにはにかんだ。ジェームズはニヤッと笑ってみせる。
「僕たち結婚するのさ」
「マイブラザー、我が校きっての高嶺の百合の花をいったいどうやって丸め込んだの?」
「我が家のぺちゃくちゃうさちゃんはどうして突然人聞きが悪い言い方をするんだ?」
ぺちゃくちゃうさちゃんの本気の威嚇を見せてやろうじゃないか。
「妹御、こないだ父さんと母さんに詰められた時——あああの説教の続きじゃないから身構えなくていいよ」
「切り出し方がひどい」
「それはごめん。まあそれで、あのとき〝そんなに心配するなら二人とも健康診断受けてよ〟とか暴論かざしただろ」
「いやだって自営業だからって行かないじゃんさあ?」
「龍痘の初期兆候が二人とも見つかった」
「は?」
「お手柄だね」
「あっ、うん、お手柄やったー……えっ龍痘? あれって進行状況次第じゃ致死率百パーじゃなかった?」
「本当にお手柄だからなにか買ってあげようね。箒とかでいいかい」
「クリーンスイープの新型ほしい」
➤
マローダーズにふくろう便を送ったり、あと先生方とか、まだ学内に残っているジェームズ&リリー時代を知る生徒とか、そういうひとたちに突撃をして、ふたりのアルバムを作った。森番さんも協力してくれた。森番さん今もハグリッドだったしなんならジェームズとリリーの友達だった。もっと早く知ってたらたくさん交流できたのに! わたしあと二年しかホグワーツにいないんですけど!
「フィルチさん! あの僭越ながらお願いなのですがジェームズとリリーのお写真とか持ってませんか」
「馬鹿にしてるのか?」
「ち、ちがいますあのえっとふたりが結婚することになったのでどちらかかどちらもが写っている写真などありましたらご提供いただけると」
平身低頭していたらフィルチさんもくれた。聞いといてなんだけどほんとに持ってると思ってなかった。
リリーとお友達だったはずのセブルスさんにも聞きたかったのだけれど、連絡がつく人はどこにもいなかった。まあそういうこともある。苗字もわかんないんだからこれ以上探しようもない。そもそも、セブルスさんもリリーは……ワンチャンあるかもしれないとして、さすがにジェームズの結婚祝いは嫌だろうしね。
式は七月半ばに行われた。フラワーシャワー——花々が星に変わり、しゃらしゃらと高く音が鳴る。祝福のひかりが降り注ぐ。
「どうぞ兄上、姉上」
「僕が兄です」
「私が姉ね」
ふたりはくすくすと笑って、わたしが恭しく差し出したアルバムを手に取った。仕掛け絵本、あるいは憂いの篩、もしくはプロジェクションマッピングの如く、写真から光がこぼれて、眼前に当時の光景を映し出す。かがやく日々よ。あなたがたの旅の軌跡を。彩りを添えてその先へ。
色褪せても綺麗な思い出は鮮明ならきっとより綺麗なのだ。
「な、え、待って、な、泣かないで」
「すごい、泣かした」
「泣かせたな」
「あーあ泣いちゃった」
「号泣だねえ」
「だ、誰かフォローしてくれてもよくなあい!?」
おい特にそこの血の繋がらない兄貴は膝叩いて大爆笑してるんじゃなくて、ねえ、ねえ〜!? ……あれちょっと待ってもしかしてシリウスあなたまで泣いてる?
生まれたときからいる方の兄と今しがたできたばかりの姉に抱きつかれてわたしは悲鳴をあげた。うそ。悲鳴はあげたけれど、けっこううれしかった。学生のつたないお小遣いの範囲でどうすればいいのか試行錯誤したので。
喜んでくれてありがとう。わたしやっぱりあなたたちが大好きだよ。これからも一緒にいたいよ。アルバムにページを増やして笑っているところを眺めていたいよ。
——ちなみに、今年五年生のわたしは、監督生バッジはもらえなかった。ジェームズに引き続き監督される側らしい。つまり今までみたいに落ち着きゼロのまんまで行っちゃって問題ないんじゃあないかな! ね!
「監督生だった身からするとね、本当に自重した方が良いよ」
「はい」
リーマスに柔らかに叱られた。大人しくしますう。
➤
まあ楽しい日々なんてのは一瞬で過ぎ去るのだ。結婚式はもちろんのこと、夏季休暇もね。
「勉強漬けで死にそう」
すなわちO.W.L.生にはこの問題がつきまとうわけ。
「き、基礎がきちんと理解できていれば問題は……」
クィリナス、本当にマジで頭が良いので、この調子である。「それ寮内で言ってないよね? あと愛しのアレックスちゃん」「揶揄わないで」威嚇されてしまったので、はいはい、とわたしは手を上げた。合同授業のレポートで宛名まで練習してたのが悪いってのにさあ。
ちなみにクィリナスとアレックスは晴れて付き合い始めたのだとか。よかったね。わたしは相変わらずクィリナスとは話すし勉強会をする。ズッ友なので。
「それはそれとして今みんなO.W.L.でピリピリしていてマジで刺されかねないからそういうの言うのはやめた方がいい」
「ええ……」
「言わない方がいい」
「わ、わかった」
真顔で押し切ると押し切られるのがクィリナス。不服そうながらも頷いたので、わたしも頷いて、勉強に戻る。
ぜんぜんわかんない。こういうのって昔の知識がどうこうそうで無双! とかそういうのはないの? そんな都合の良いことはないの? あいにくと魔法史とマグルの歴史はまず西暦が噛み合わないところから始まるのだ。マーリンの生まれ年とか数百年単位で違う。ふざけないでほしい。
魔法薬学はわたしはなんか気合いでどうにかなるけれども、古代ルーン文字学はもう泣きながら謎の文法を覚えるしかない。マグル学はマグル学でなんかたまに明らかに模範解答の方が頓珍漢なのだ、もうこれ教科書的には間違ってるってわかった上で正解書いちゃ駄目かなあ!?
「わたしきっと将来マグル学の教科書を改訂する旅に出る……」
「……ホグワーツのマグル学教授に就職しなよそれは」
「クィリナスが就職してわたしが改訂した教科書使って」
「やだよ……」
クィリナスはモゴモゴと言った。
「……僕は黒魔術に対する防衛術の方がいいな」
「えっあれ毎年一年持たないのに?」
わたしは顔をあげた。
「でもかっこいい」
「格好いいのはそうかも。うーん。じゃあ防衛術の教授になったらわたしが改訂したマグル学の教科書横流ししといて」
「……どういう権限で?」
「なんか……ほら……うまく……」
わたしが杖で適当に円を描いていると「勉強飽きたの?」静かに聞かれた。飽きたかどうかでいうと飽きましたね。これもう覚えらんないよ。机に突っ伏してうとうとしているとクィリナスがブランケットをかけてくれた。ありがとう。ほんとに寝てしまう。
➤
クリスマス休暇といえば! チキン。ケーキ。おいしいね。食べ物しかないのかと言われるとそうかも……となるタイプのにんげん。つまりわたし。
「あれ」
喜び勇んで帰宅しようとして、しかしキングス・クロス駅のどこを探しても両親はいなかった。困った。さすがに免許すら取れてない姿くらましで自宅に敢行するのはちょっと怖い。ばらけたりしそうだし。下手すると行き違いになりそうだし。
「ええ……ポッターさーん! ミスター・ポッター! ミセス・ポッター! マジでどうしようこんなときこそジェームズがいるべき」
なにかと突拍子もない兄がいるといろいろ話が早かったりする。しかしあやつは二年半も前に卒業してしまったのでここにはいない。なんならリリーと夫婦生活を営んでいるのでいるはずがない。これはジェームズに手紙を書くべきなのでは。
と、思ったけど梟飼ってる同級生はとっくに御家族と合流して行っちゃったなあ……。クィリナスは当然ながらコンパートメントもアレックスと一緒なので、わたしはご遠慮させていただいた。いやあ身内のイチャイチャはちょっと。
こうなると身内のイチャイチャに耐えてでもいるべきだったかもしれん。
「シリウス……も御実家にいるはずがない……」
ロンドンのグリモールド・プレイスに御実家があることはわかっている(両親が子どもを預かる最低限の筋として毎年手紙を書く宛先だ。返信を読んだ母はたまに舌打ちしていた。治安)けれど、だからなんだという話でもある。シリウスの自宅の住所はわかるのだがロンドンではない。やはり梟がいる。
うーんうーんと唸っていると「おや、まだ残っている子がいるね」と、背後から声がした。カートをガラガラと押す音もセットだ。
「車内販売のおばちゃん!」
これこれこういう事情なので梟貸してください、とおばちゃんに頼むと快く了承をもらえた。よかったよかった。万事解決。
「まさかホグワーツ特急に残ろうと目論んでいるのかと。でも、確かにあなたの方は兄弟と違って悪ガキでもなかったねえ」
「はい? まァジェームズに比べればそりゃマンティコアだっていい子ですよ」
大爆笑された。おばちゃん苦労してんのね。
両親宛と、念の為、ジェームズにも。前者はシンプルに、愛娘のお迎えをお忘れですよという内容だ。ジェームズには、両親来ないんだけどまあ当然どっか旅行とかでわたしのクリスマス休暇をうっかりすっかり綺麗に忘れてすっぽかしてるんだろうけど、一応まさかなんだけど倒れてないよね? 確認してきてくれない? という内容で。
「無事か!?」
手紙を送った相手はジェームズなのにシリウスがすっ飛んできた。しかも血相変えてだ。ジェームズと生き別れの双子:シリウス・ポッター扱いしてるけれど、送り先を間違えるほどではない。さすがに戸惑っていると「お嬢ちゃんには傷ひとつつけさせていないよ」販売員さんがのんびりと言った。シリウスはぎくっと肩を強張らせた。
「うお……ばあさんあんたいつまで現役なんだよ……」
「なんだい」
「スンマセン。そうじゃねえ。怪我はないんだな?」
「おばちゃんと楽しくおしゃべりしておりました……ああねえ、聞きたいことあるんだけどジェームズとシリウスって昔——」
「悪い、今無駄話してる暇ない」
シリウスは早口に言って「荷物これだけだな? よし、姿くらましするから捕まれ」荷物をきれいに小さくしてポケットに突っ込んでしまうが早いか、わたしにてのひらを差し出した。目を白黒させながらもわたしはシリウスの手を握る。きついチューブを通り抜ける感覚——慣れない——ぽん、と音を立てて、わたしたちは小さな戸建ての前にいた。ここ知ってるぞ。ジェームズとリリーの愛の巣♡だ。
シンプルになんで?
「シリウス——」
「家に入ってから」
見上げた彼は険しい面持ちである。屋内の人となにやら難解な言葉を交わして(ほとんど聞き取れなかった。知らない言語だ)すぐに扉が開いた。招き入れたジェームズがあまりに蒼白な顔で、リリーなどなにも言わずにわたしを抱きしめた。ほとんど掻き抱くようだった。
いい加減になにが起きたのかをわたしは察した。
「父さんと母さんは——生きてる?」
声はわずかに震えた。
ジェームズは一度くちびるを引き結んだ。喉がちいさく上下に動いた。
それから、口を開いた。
「いいや」
➤
どちらも高齢だった。けれど、天寿にはさすがに早すぎて、持病でもなかった。龍痘だって寛解したばかり——もともと、ポッター家は聖28一族へのリストインにNOを突きつけている。父も母も年々過激さを増す純血主義への反対を表明していた。
家の上空には闇の印が打ち上げられていたそうだ。
「母さんなら……絶対派手な葬式にしろってぼやいただろうけどね」
「レゲエかけろとか」
「あはは。言いそう。葬式なんだっての。で父さんはニコニコ笑ってみてる。まったく止めない」
「ていうか実際そんなこと言ってたよね、五年ぐらい前に」
「あーはーん? まったく覚えてないな。僕の神童たる記憶力もにぶったか……」
「神童、二十歳過ぎればただのひと」
「本日も辛辣な妹に僕は落涙」
言うわりには榛には涙のひとつもなかった。ただでさえろくに櫛に従ってくれない髪の毛が、見るも無残にぼっさぼさになるまで撫でくり回される。わたしはされるがままに、頭がふらふらと揺れた。
「泣かないの」
「泣かないよ」
迷う様子もなく、さっぱりとした言葉だった。頭を揺らすてのひらが止まった。
「もう大人だからね。君こそ、泣かないの」
「妹は兄より先には泣かない」
「めちゃくちゃ僕に泣かされてたくせにねえ……?」
「泣かせてた自覚あるんじゃねえか」
ハハハとジェームズは顔をくしゃくしゃにして笑った。そのままもたれかかるから、頬がわたしの後頭部にくっついた。
「リリーに怒られるよ」
「リリーは兄妹が戯れていても怒らない。し、理由にされた方が、怒る」
「……ごめんなさい」
「秘密にしておいてあげよう。なにせお兄ちゃんだから」
葬式はつつがなく行われた。ふたつの柩は燃されて消えた。葬式の準備と後片付けが終わると既に年を越えていた。新年。ハッピーニューイヤー、とは、言いがたい。
わたしは、クリスマス休暇はジェームズとリリーの家で過ごすことになった。たぶん夏季休暇もそうなる。
「どんどんと人がいなくなるわね」
リリーもまた、何年か前に父母が死んだらしい。「チュニー、教えてくれなかったから、帰って初めて知ったの。読まれない手紙だけ送ってたことになっちゃったわ」なんだか今とてつもなくひどい話が聞こえた気がするが、本人は気にしていないような口振りだった。感情は既に消化したのか。単にわたしの前でわざわざ言わない、というだけなのかも。
いつものように髪の毛ボッサボッサのままで起床したわたしに、リリーはしばらくクスクス笑いの発作に襲われていた。今は櫛と整髪剤でなんとか梳かそうと奮闘している。母を思い出した。忘れたことにした。
「ふふ、ほんとにあなたたちの癖っ毛って頑固! やり甲斐があるわ」
今一瞬惚気られたかな? 夫婦仲はよさそうで、なにより。
「リリーの髪の毛が羨ましいな〜」
「ん〜。そうねえ。でも私は黒髪か茶髪がよかったなあ。みんなしてないものねだりね」
「なんで? とってもきれいな赤毛だよ」
「あはは。ジンジャーよ、ジンジャー。でも確かに、魔法界のひとたちはあんまりそういうことは言わないものね。今からでも誇ろうかしら」
寝ぼけ眼のジェームズが頭鳥の巣のまま階上から降りてきて、リリーはもう一度クスクス笑いの発作に襲われた。ジェームズがここぞとばかりにキメ顔(ボンバーな頭で!)するものだからいよいよ爆笑。わたしもちょっと笑った。
「ふっふふふふ、っ、ゲホッ、」
「おっと」
「やりすぎたな」
すぐに駆け寄ってきたジェームズがリリーの背中をさする。口元を抑えた彼女の顔色は蒼白だった。嘔吐く音が何度か——背中を丸めた。嘔吐前の、どこから痙攣に似た筋肉の収縮。
「リリー? 気持ち悪い? ジェームズバケツ出してバケツ」
「ちょっと待ってね」
「だいじょうぶ」
「全く大丈夫じゃなさそうだよ」
様子がおかしい。いくら笑い過ぎと言ったってなにもそこまで。風邪かなにかだろうか。と言っても、わたしが見る限りで言うなら、最近のリリーはべつに体調が悪いわけでも——確かに多少熱っぽい様子ではあったけれど——?
なにかが引っかかった。
顔を上げる。カレンダーを見る。
クリスマス休暇。新年を迎えて、一九八〇年の一月。
「あ」
「え?」
「つわり?」
「……え?」
➤
魔法界は間違いなく戦争中だった。偶然の積み重ねで成り立った薄氷の上に生きていた。
わたしは確かに物語を知っていたけれど、記憶にもおぼろげな程度の物語の力など、良くも悪くもリアルの感触よりは遠かった。戦争は遠く離れた出来事だと思っていた。
すべては過去形で語られる。
➤
「お久しぶりでーす」
ひらっと手を振って愛想よく挨拶した一方で、未だに名前のわからないハッフルパフの上級生——なんで毎回わたしが湖に落ちたときばかり遭遇するんですかね——は、挨拶すらもなく、わたしをじろじろと見た。
「また突き落とされたのか」
ほんとにご挨拶過ぎるでしょ。
「今回は自分から落ちました♡ 地面に叩きつけられるよりマシかなって♡」
どうしてそんな引いた顔するの? わたしなにも悪いことしてないんですけど。悪いことしてきたのあちらさんの方なんですけれども。
やだよねえ学校の中に戦争の話持ち込んでくるの。ポッターの妹を叩けば騎士団員の何人かの戦意も削げるんじゃあないかって、それ誰から吹き込まれたんだろうね。誰から吹き込まれたにしても未成年を手駒にしようとする人間は最悪だし、どのような背景があれ唯々諾々と従うよりは助けを求めるべきじゃないかなーと思うのである。どっかの元スリザリンのシーカーさんだって直接危害は加えてこなかったんだぞ。
……いやまあ、うん、あの、振り返ってみると彼も彼で非常に怪しいラインだったけど。それはね。危害を加えられていないのでギリギリセーフではあるよね。たぶんね。おそらくね。……ほんとか?
……そういえばあのひと、最近見ないな。
「ところでスリザリンの監督生って一人減ってません? 同じ監督生ならわかります?」
なんの気なしに振ってみると、相も変わらず名前不明の上級生さんは首を傾げた。
「……詮索か?」
無感情な声。
「身を削るぞ」
「……あー……」
わたしは居住まいを正した。わたしのキャラクター的に、空気を読まずに突っ込んでいってもいいんですけれども、なんというか——そういうのじゃないな、というのは、わかる。
それとこのひとはなんだかんだで先程わたしをまた釣り上げてくれたので。恩があるよね。恩があると強気に出にくいよね。
「……もう聞きません」
「それが賢いだろうな」
はは。こわ。なんで人生でこんな何度も脅されなきゃいけないんですかね、ほんと。
乾いてフワッフワになったローブの襟を整えて、わたしはぺたんと地面にあおむけに転がった。雪が降りそうなどんよりとした曇天。あーあ。……戦争って嫌。喜ぶべきことに喜ぶのに専念したいだけなのに、それすらも、どうしてこんなに難しいんだろうか。
わたしの血の繋がらないお兄ちゃんの弟さん。シリウスと血は繋がっているけれど赤の他人になったひと。けっきょくシリウスとあなたってどういう関係だったのかな。なんにもわかんないままどっかに行っちゃったや。
➤
夏季休暇は、やっぱりジェームズとリリーのおうちにお邪魔することになった。
二人の第一子は休暇の半ばに生まれた。
「わあ……」
「どうしてそんなに離れてるの? 来ても大丈夫よ」
「赤ちゃんよくわかんない……」
できる限り赤ちゃんから距離をとるわたしに「一昨日までのあなた、ずっと私の後ろをついてきてたのに」リリーが笑っている。臨月のお腹はすごく重そうだったので心配だったんだよ。今は。ちょっと弱っちい存在への恐怖の方が。
「抱っこするかい?」
「むりむりむりそんなぐにゃぐにゃ」
「ひとの息子になんてこというんだ」
「えっとはいあれですね! 聡明なるリリー様やお兄様の顔立ちによく似ていらっしゃるかと存じます!」
「うんうん、よくわかってるじゃあないか。しばらくこれで揶揄えるな」
「ジェームズのバカアホ嫌い」
いい笑顔のジェームズがわたしのこめかみをぐりぐりと締め上げた。助けを求めてじたばたする妹にリリーの一言。
「仲良しね」
「ね゙え゙」
リリーの助けは期待できない。というか彼女はわたしとジェームズの戯れを見守るのが好きらしい。リリー自身はお姉さんとの姉妹仲が微妙だから、というのもあるみたい。まあそこはいい。そこはいいんだけどわたしはこの頭蓋骨を割りそうな兄から逃げたい。威嚇していると「ニフラー?」鼻で笑われた。
父親になったなら父親としてふさわしい振る舞いをしろ! というかホントに誰か助けてくれ!
「ようやく生まれたって? これ土産——お、プロレス中か。俺も混ぜろよ」
「僕は審判で」
「見物でもいいかな」
「せめて誰か一人でも助ける素振りぐらい見せてほしいと思うんだけどどうかなあ!?」
「え? 助けてほしいの? じゃれてるんだと思ってた」
「ううううるさいなあ!」
ハリー。ハリー・ポッター。名前はリリーがつけて、後見人にはジェームズの希望でシリウスが指名された。わたしは未成年なのでだめだそうです。ふてくされてやろうか。
開かれた瞳はたしかに緑色で、リリーから受け継がれたことが一目瞭然だった。くるくるとした黒髪はジェームズだ。わたしも癖っ毛なのでお揃い。
……生き残った男の子。ただでさえ曖昧で、加えて年月の経過で擦り切れた記憶を、不意にわたしは久々に取り出した。そもそも、どうして例のあの人はちっちゃな赤ちゃんなんて狙ったのだろう。彼の手口は、
「——おめでとう。新しい命の誕生をこそ寿ぎたい。そして……お祝いも早々に申し訳ない。君たちの命にかかわる重要な相談がある」
マローダーズも各々帰宅して、それからさらにあと。夕ご飯も終えた頃に現れた見舞客、ホグワーツ校長:アルバス・ダンブルドア——理由は彼が連れてきた。
「闇の帝王を打ち破る力を持った者が、七つ目の月が死ぬときに生まれる」
夢を見る。
緑の光が世界を焼く。
➤
忠誠の術という方法で彼らは守られることになった。ダンブルドア先生の提案だそうで。守人を一人選択し、その中に秘密を封じ込める。守人以外は秘密を明かせない。開心術や
「シリウスにしたよ」
「わたしは!?」
唯一残った妹だというのに。
声を上げると、ジェームズは呆れ返ったようにわたしを見つめた。
「未成年がなんだって?」
ぐう。
「だ、だとしても、ダンブルドア先生とかのほうが絶対いいでしょ。一番強いのはあのひとだよ?」
「お若い学生ちゃんは知らないかもしれないけれど」
兄上殿はもったいぶった様子で指を立てる。
「忠誠の術は、もしも守人が死ぬと、秘密を知ってる全員が守人代わりになるんだよ。ダンブルドアは強いけど、だからこそ——旗頭は狙われやすい」
ご尤も。
そもそも咄嗟に抗議してしまったけれど、わたしもシリウスが最も適任という点には疑いの余地はない。
「……ゴドリック・ホロウを君の家と思っていいと、言ったばかりで、なんだけど。夏季休暇以外はなるべくホグワーツに残るようにしてくれないか」
「言われなくても、N.E.W.T.に備えて勉強するならマローダーズのリーダーのそばよりホグワーツの中の方がましだよ」
わたしがおどけるとジェームズはかすかに笑った。「同じ年の僕だったら絶対に耐えられなくて脱走しただろうから、うん、逆でよかったよ」こちらもまたおどけた。
脱走はしないでもらってもいいかな?
「というか、夏季休暇ならいいんだ?」
「僕をなんだと思ってるんだ。家族を追い出して路頭に迷わせると思ってるわけ? へえ〜?」
「拗ね方が想定の百倍めんどくさい」
機嫌直してよ、わたしが悪かったから。……これわたしが悪いのか? なにかが間違っている気がする。
「いいかい、危ないことはしないように」
「親愛なるお兄ちゃん、わたしが今まで一度だって危ないことした?」
「夜中に箒で天文台の上を突っ切った」
「それは主犯のジェームズが出頭すべきだろ」
「確かに。そのときはシリウスも連れて行かないと」
「あのときシリウスいなかった気がするんだけどな」
「ほら双子って運命共同体だから……」
「生まれた年と月と日と苗字が違うだけの双子だものね、じゃあ仕方ないか」
いつものようにいけしゃあしゃあとくだらない会話。九と四分の三番線のホームでわたしたちはハグを交わした。
まるで万全の布陣を敷いているようだった。
だとしたら、どうして物語の彼らは死んでしまったのだろう。
➤
大広間に集う人数はあまりに多いにしても——合同授業ともなると、誰がいないのか、明白に証明される。O.W.L.で落ちてしまったから? そうだったらばまだましだけれど、たぶん、きっと、そうではない——
「ジョシュアは——」
「
ひそひそとした囁き声。ほらやっぱり——言葉を飲み込んだ。近年はこういうことばかりだ。欠けた顔は補填されない。マローダーズがいたならば、花火でもあげて気持ちを明るく、ついでに城中を物理的に明るくでもしただろうか。
手紙は書けない。梟便の出入りだけで居場所が割れるはずもないのだけど、それでも慎重に慎重を期すならば避けるべきで。
学生時代ってもっとこう、勉強に追いつかなくて嘆いたり、進路のことで頭を悩ませたり、人間関係で困ったり、そういう感じじゃないんだろうか。どうして身内の生死に怯えなければならないのだろう。
お母さんとお父さんに会いたいな。
まあもう会えないのだけど。
……会えないのか。
「……」
ブランケットにくるまって夜はちょっと泣いた。窓を叩く音はない。夜間外出で箒を駆るような馬鹿は、うちの兄貴たちくらいなものだから。
➤
「痩せた?」
「かもね」
クィリナスとは魔法薬学の授業で久々に顔を合わせた。授業をとり続けている人数が相変わらず各寮奇数なもので、わたしとクィリナス、つまり寮の垣根を越えた友☆情は、スラグホーン先生にとっても都合が良いのだと思う。たぶんね。
「アレックスとはうまく行ってるの」
「う〜ん……う〜ん?」
クィリナスは催眠豆を潰しながら首を三十度傾けた。うまくいってる回答前提で聞いたつもりだったんだけど、なにその反応。うまくいってないの? 心配になってきたよ。
「……魔法薬学やってる場合じゃなくない? 授業なんか放り出して早く抱きしめて君が一番だよ……って囁きに行きなよ」
「な、なんでたまに劇台詞みたいなことを……」
「ジェームズはいつもそうする」
「ああ彼ならね……」
「——おほん、これこれ、君たち。恋は魅力的だが、授業は放り出さないように」
「あっはいすみません! 点はわたしから引いてください! すぐに取り返すので」
「まったく」
スラグホーン先生は言うわりにクスクス笑って「それよりも、お喋りをしている暇があるほどの成果を見せてもらいたいものだね」と仰った。ふーん。ヤッベ。頑張ろ。
まあわたしってば魔法薬学のセンスはピカイチですからね。
「この品質をいつも維持してくれるとより良い成績がつけられるのだがね」
「あはは先生ったらヤダな〜砂糖漬けのパイナップルで手を打っていただけたりしません?」
「うむ、まァやるべきときに出来るならばよろしい」
クィリナス、あのね、また買収してる……って目で見ないでくれるかな。これは適切な交渉術。買収とはまた異なると思うんだ。
「買収ではあるよね」
「はい」
「……。ご不幸があったと聞いたんだけれども」
わたしはちょっと首を傾げた。「あったけど。うーん」元の位置に頭を戻す。
「……そうだね。あったよ。でもとっくに、わたしでなくとも、至るところにあるのだと思う」
クィリナスはちょっと躊躇う様子を見せた。視線が振れて、それから、唇を動かす。
「……な、なにも、聞かれたくない?」
茶化してもいいかなと一瞬思った。あんまり真正面から受け止めたくなかったのだ、わたしの傷を直視してしまうから。クィリナスは間違いなくわたしを見ていた。ちょっと小心な態度は相変わらずだ。臆病は観察眼を生み、それは気遣いと表裏一体にもなるのだと思う。
本気の心配を茶化すのはよくないよなあ。
「……そう……かも……ね」
「それは、僕でも」
「うん。嫌かも。……気遣ってくれたのは、ありがとう」
クィリナスはちいさく頷いた。わたしは——今は、友達の気遣いを真正面から受け取るのは、とても難しかった。
死は遠いものだと思っていた。わたしがかつて自らの身を以て学んだはずの死は、そうだとしても、自我と隔てたつくりものの物語のように感じていた。けれど——父母は死んだ。あっけなく殺された。わたしはそれを防ぐどころか、感知することさえもできなかった。
ジェームズとリリーはのちに死のさだめを辿る。ハリー・ポッター、小さな息子を守るために。
生き残った男の子が生み出されるまでの物語。
➤
なんにもない春の日。イースター休暇で帰れる人々は皆帰り、そういうわけで、ホグワーツに居残っているのは、家に残っているとさみしい人とか……帰った方が危険な人とか。そんな感じだ。
「また突き落とされたのか」
「……ンや自由意志ですよ、ハロ~」
わたしが水の中からヒラヒラと手を振ると、相変わらずのハッフルパフのカラーをまとった彼は、呆れたように目を細めた。HEAD BOY——首席バッジが胸元で光る。今年の首席って誰だっけな。三学年前の首席がジェームズとリリーなのは知ってる。相変わらず湖周辺でしか(それも落とされたか落ちたか入ったかで全身浸かっているときぐらいしか)出くわさないので、このひとが一学年上だったこともわたしは今初めて知った。
「突き落とすようなひとはそもそも、もうとっくにホグワーツになんか通ってないでしょ。仮面をつけて人を殺してる」
「はあ。俺が突き落とすとは考えないのか?」
わたしは無言で上級生を見つめた。じっと見つめる。上級生はしばらく無表情だったけれども、構わずじっと見つめていると、目を逸らした。
「……冗談だよ」
ほんとか?
「まあ冗談ならそれに越したことはないですもんね」
咄嗟に杖は取ったものの——冗談だと言うなら冗談なのだろう。わたしは手を振って適当に流した。大イカがべろんと腕を伸ばしてわたしの真似をした。
「なめられている気がする」
彼はぼやいた。
「そいや今年度首席ってことはもうすぐご卒業ですか。卒業おめでとうございます」
「若干早いな。追い出したいのか?」
「追い出したいとか思うほどわたしあなたのこと知らない。名前すら知らない」
「それもそうだな。こっちはよく知ってるが」
「え〜」
能天気の代名詞になりそうなぐらい鮮やかな青空を眺めながら、わたしは適当に相槌を打つ。
「〝じゃない方〟のポッターですか?」
「実況のポッター。最近やめたみたいだが」
「ご贔屓あざーす。いやN.E.W.T.を来年に控えた身で続けるのもなって」
「湖に突き落とされたり呪文の的にされたりしている方のポッター」
「おっとお」
「いっつもヘラヘラ笑いながら犯人の頭っから魔法薬ぶっかけてる方のポッター」
「あはは」
「レイブンクローの落ちこぼれとつるんでるポッター」
「クィリナスのこと落ちこぼれって言うのはちょっと見る目ないですね、あいつはうちの学年で首位ですよ」
「それは知ってる。立ち回りは落ちこぼれ未満だ」
「ああ。うーん。まあそうかも」
クィリナスは人付き合いは下手。恋人ができたあたりは多少改善したのかもしれないし、単に彼のそういうところも大好き! という人と出会えた、ということかもしれない。わたしはあんまり詳しくない——異性の親友をあんまり快く思わない恋人ってけっこう多いらしいので、アレックスとの交流も当たり障りのないこと以外は聞かない。
「最近は能天気が取り繕えてないポッター」
「……いじめるの楽しいですか?」
「けっこう」
「ハッフルパフ返上してくれ」
「俺もどうして自分がスリザリンに割り振られなかったのかは不思議だよ」
和やかな春の陽気。ぬるい水がローブに染みて少し重い。わたしは目をつむる。瞼を通る毛細血管が視界を赤く染め上げた。
「……死んでほしくない人がいるときってどうします?」
片目を開ける。陽光を背に、顔には少しばかり陰を落とし、名前も知らない上級生は心底怪訝そうな顔をしていた。
「……死にそうな原因を排除する?」
「はは、うーん、そうですよねえ」
例のあの人を殺せる気はしないなあ。
➤
夏季休暇。つまりホグワーツ在籍最後の夏季休暇だ。わたしはジェームズとリリーの愛の巣にまたもお邪魔することになった。ハリーはちょっと喋れるようになっていて、わたしを見て「ぱっぱ!」と叫んだ。わたしはパパではない。あなたのパパはそこで爆笑している。
覚えられてないのはそりゃ当然として、もしかして色で判別された?
「なーいない、ばっ」
「ばー」
ハリーの言葉に合わせて顔の前でぱっとてのひらを開くと、わきゃー! とハリーは手を叩いて笑った。これ十回目なんだけどよくウケるもんだな。
「なーいない、ばっ」
十一回目もやるの。
「ばあ。いやあ最近ブームみたいで日に百回はやるからねえ」
「ちょっと待って」
「よろしくマイシスター」
「殴るよマイブラザー」
「ほんっとに助かってる、ありがとう、このうちに掃除をしなきゃ……」
リリーが慌ただしく駆けていった。「僕は買い出し行ってくるから」ジェームズはコートのボタンを留めている。
「この状況だろ? めったに家を開けられないからさ、シリウスとかピーターからの配給で食いつないでたんだよね。いやあ一時期ふつうに食料尽きかけて」
「死なない?」
「死ぬかも」
おい真面目くさった顔で言うとる場合か。
「死なないように買いに行ってくる〜ハリーをよろしく。なんかあったらクローゼットの中に逃げ込みなさい」
「ぐ、具体的……はい……」
リリーをよろしく、と言われないあたりも、逃げ場所を指定されるあたりも、かなり生々しい。ジェームズはぱっと笑って「それじゃあリリー、行ってきますのキスを」「いいから行ってきて」「はい」リリーはさっさと二階に上がっていった。そんな惨状なの?
「ドクシーがうっかり巣を作ったっぽくてね……二階の天井裏全域に」
「あっ、それは、かなりヤバい……」
ジェームズはハリーの頭を撫でてわたしの肩を叩いて、姿くらましをした。ばちん! と音を立てて、我が親愛なる兄の姿は消えた。
「まんまなーい」
「ママいないね。少ししたら戻ってくるよ」
「ぱっぱ、まんまない?」
「わたしパパじゃないかな」
「ぱっぱ?」
「もうパッパで良いかも」
ジェームズは泣くだろうけれども。ハリーはきょとんと目をまたたかせて、それから「なーいないばっ」といないいないばあを要求した。十二回目ですが?
二十回付き合わされた——あれっほんとに日に百回やってたりする?——のち、ハリーは「ほっき」と玩具の箒をべしべしと叩いた。今はちょっと飛ばれると困るので飛ぶ機能はオフですよ。
「ほっきねんね?」
「動かないねえ。ねんねしてるのかもねえ」
「うむん……わんちゃん? わんちゃんなーいない?」
「わんちゃ……え、シリウスあいつ……」
血の繋がらない方の兄が甥っ子のご機嫌を犬の姿でとってる説、浮上。たぶんホントにやってそう。
リリーは上の階でドクシー相手に手こずっている気配を感じるし——バタンガチャンバン!「ほんっとこいつらときたら……!」——ジェームズはどこまで買い出しに行ったんだか、たぶん潜伏場所がバレないようにけっこう遠く。
と。
思って。
「……」
——あれ。
これわたしとハリーってふたりきりなの、と、気付いた。
わたしはカーペットに直に膝を付けたまま、凍りついていた。
ふたりきり。ハリーとふたりきりだ。そもそもだからジェームズは「ハリーをよろしく」と言った。リリーは「ありがとう」とわたしに感謝を述べた。
予言があるから例のあの人はハリーを狙う。ジェームズとリリーを狙う。ジェームズとリリーはハリーを守ろうとして死んでしまう。そうして〝ハリー・ポッター〟の物語は始まる。
ジェームズは外出中。リリーは二階の掃除中。秘密の守り人の護りの中にわたしはいる。予言にさだめられたいのちとふたりきり。
予言があるから例のあの人はハリーを狙う。ジェームズとリリーを狙う。
予言があるから。
予言の子がハリーだから。
——予言の子が、じゃあ、先に死んでしまったら?
〝……死んでほしくない人がいるときってどうします?〟
〝……死にそうな原因を排除する?〟
〝あなたは変えるの?〟
耳の内側でばくばくと脈を刻む音がはっきりと聞こえていた。ハリーは玩具の箒をぺちぺちと叩いている。無防備にもわたしに背を向けて。箒の尾をむんずとつかんでいる。
今なら。
今なら殺せる。
てのひらが伸びた。その背に触れた。あたたかい体温を辿ってくびもとに触れる。くすぐったかったのだろうか、ハリーはむずがるように声をもらして頭を振った。気にせずとらえてもう片方の手は杖を握る。死の呪文を撃てるほどの能力はわたしにはないけれど、どっちにしろそこまでは要らない。赤子ぐらいなら切り裂き呪文だけでも——
黒髪がこすれた。ジェームズと同じ黒髪。わたしも悩まされるくせっ毛。
「なーいない」
ハリーが振り返った。
緑色がわたしを見る。
こちらを、見る。
「ぱっ!」
頭だけでもわたしのてのひらぐらいのサイズしかない。わたしをみる。表情の意図すら知らない子ども。わたしの見開かれた目の意味すら知らない子ども。そのくちもとがきゅっと引き結ばれて、口角の上がったくちびるが。
それが。
ちがう、錯覚だ、錯覚に決まってる、だって一歳児だよ、まだ骨格もふにゃふにゃで、そんな、ジェームズの笑い方と、そっくりとか——
「——は、」
ああ、ああ、憎らしい甥っ子。ジェームズが遠くない未来に死んでしまう元凶。リリーが命を賭してしまう根源。たかだか生まれたばかりの赤子。そうなるなら、そうなってしまうくらいなら、いくらふたりに恨まれても、憎まれても、その果てにどのような末路を辿ろうとこの子さえ、
「……おまえ、さえ……」
——どうして、
——どうしてそんなに父親に似ている!
このような内心などたかだか一歳の子が知るはずもない。あまたの感情がどろどろと溶けてくっつき合った最悪の混沌。もはやわたしでさえも全貌を知らない成れの果て。その前で。無邪気に笑う、わらうのだ。いっそ泣いてくれ。わたしの害意を悟って泣いてくれ。殺意に触れて泣き喚いてくれ。そうしてわたしを突き放して——突き放されたわたしは覚悟を決められたはずだった。独善は潰えてみにくい自らを直視する。
ハリー。
赤子はみどりのいろをふしぎそうにまたたかせた。リリーと同じ色。つぶらな瞳はやはりわたしを見ている。笑える。笑ってしまう。わたしはあなたの誕生を心から祝えない。どうしてこのような記憶があるのだ。まっさらに生まれたらばよかったのに。
甥の誕生を。一片たりとも祝えないくせに。
——縊り殺すこともできないだなんて。
ばたばたと涙は頬を伝ってわたしのてのひらにこぼれた。ハリーが箒から手を離して、いまだつたない伝い歩きで、こちらに寄った。ハリーの指がてのひらをつたったわたしの涙に触れた。
「ぃたーいたい?」
そのままわたしの指をちいさな手がにぎる——最悪、さいあく、さいあくだ! 自己嫌悪がなんら正当性のない憎悪に転じて腹の中で渦を巻く。
殺したかった。殺してしまいたかった。千載一遇のチャンス、きっと最後の機会だった。衝動は唐突だったが本気だった。
本気だったのに。
「見ていてくれてありが——まあ、どうしたの……?」
ばかなわたしは機会を逃した。
やさしいてがふれる。背中を撫でる。いよいよしゃくりあげるわたしにリリーが戸惑っている。最悪の妹をそうとは知らずに気遣っている。わたしを抱きしめる。抱きしめてしまう。愚かなわたしはいっそう激しく嗚咽した。この優しさは遠くない未来に失われる。
ばちんと姿現しの音。帰宅のあいさつは文頭で途切れて、早足の足音の直後、二本の腕は、わたしとリリーと、ハリーごと抱きしめた。さすがに驚いて焦っていたのか、コートを脱ぐ手間も惜しんだらしく、木製のボタンが肩に当たって少し痛かった。痛くて泣いた。そういうことにした。涙ににじんだ視界でもくせっ毛は判別できた。ふたつの頭。くしゃくしゃの黒髪。
ほんとに——ジェームズに、そっくりだ。
ちくしょう。
ちくしょうが。
➤
「まあときには暴れたいときもあるよね」
なにも吐露しなかったわたしに、ジェームズはおどけて、もっともらしく頷いた。ぐしゃぐしゃとてのひらがわたしの頭を雑に揺さぶって「言いたくなったら、言うんだよ」手を離した。
わたしは頷いた。絶対に口にしないことだけはわかっていた。
ホグワーツ特急への乗車への送迎は断った。狙われている夫妻が子どもを連れて出られるわけもない。
「浮かない顔だな」
断ったらシリウスが付き添いにやってきた。残当ではあるのだけれど。
丁寧にぴかぴかに磨き上げられたバイク、その後ろに乗る。キングス・クロス駅どころかホームからトランクを詰め込むところまで手伝ってもらった。最高学年でありながら、まるで新入生の如き手厚いサポートを受けている。
「今にも世界が終わりそうな顔してるぜ」
うりうりと頬を両手で捏ねられた。
なにも言わないわたしに、シリウスはちょっと首を傾げて、手を離した。わたしの顔を覗き込む。
「——安心しろよ。私が我が兄弟の秘密を漏らすはずないだろ?」
そうだと信じたかった。
そうだと信じていたかった。
けれど。
記憶が脳裏で点滅する。生まれたときから植え付けられた物語。定められた始点。だったらどうして——
汽笛が音を響かせ「ヤベ」シリウスは慌ててコンパートメントから退室した。黒髪のハンサムがばたばたと汽車を降り、わたしに向けて手を振るので、わたしは間を置いて、それからちいさく手を振った。
汽車は走り出した。
車窓の脇に頬杖をついて、外を眺める。車内販売は訪れたけれども断った。なにも口にする気が起きなかった。コンパートメントには他の誰もいなかった。人避けの魔法をかけた。誰とも会いたくなかった。
➤
あの日からずっと調子が悪い。くわえてN.E.W.T.の年だ。ハロウィンでさえもなにも騒げる気にならなくて寝込んでいた。そもそもこのご時世、わたしばかりでなく皆もハロウィンをまともに騒ぐ気にはなれないようで、校内には、どこか張り詰めた緊張が漂っていた。
「ねえ、ちょっと、起きて——」
ルームメイトに叩き起こされた。窓の外は真っ暗で、明らかに夜だった。眉をひそめるわたしの鼻先に紙束が突きつけられた。なにも読めないよ。
「なに、」
「例のあの人が」
紙束を奪い取るようにつかんだ。適切な距離を取る。ようやく焦点が合い、文字が読み取れた。
「——死んだって」
生き残った男の子——
——ポッター夫妻、死す
➤
雪降る大通りを歩いていた。サリー州、リトルウィンジング。プリペット通りの四番地。
玄関前にたどり着き、一呼吸だけ間を入れてから——やっぱりもう一度——チャイムを鳴らす。「はいはい」無愛想な返事とともに玄関扉が開いた。細い面持ちのおんなのひとだ。彼女はわたしを見て、目を見開いた。
バタン!
大きな音とともに扉は閉ざされた。
「……まあ、そう、ですよね……」
くしゃくしゃの癖っ毛。もちろん黒髪。眼鏡こそかけていないけれど、榛の瞳。目鼻立ちも似通っている。ジェームズ・ポッターを知っているなら、きっとわたしが彼の血縁なこともわかるだろう。天を仰ぐ。雪がしんしんと降り続けている。
——行くあて、とか、まあ、なくもない。騎士団員たちの何人もと、入団はしないながらも引き合わされていた。兄夫妻は、騎士団員として前線に身を投じながらも、学生のわたしを万一残していく懸念を抱えていた。マクゴナガル先生などは寮監でもあるので、わたしの今後についてかなりダイレクトに尋ねたし、スラグホーン先生は、こちらはまァジェームズの代わりにという雰囲気があったけども気遣いでもあった。クィリナスとかもふつうに心配してくれた。そもそもポッター家の遺産はわりとかなりけっこういっぱいある。いやほんとに。グリンゴッツの金庫の中身はわたしとハリーが各々一生豪遊しても問題はない。その生活を三代続けるぐらいになるとやや怪しいけど。まあ。うん。さて。アパートを借りる宛もあるし、友人知人であれば何人かは転がり込む先もある。
行くあてはある。あるので。というかそもそもアポイントメントも取らなかったので。立ち去るべきである。ハリーの顔を見に来たわけでもなし。どの面下げてという部分も大きい。
ただ。
……ただ。
「……」
どうしようかな、と、思っていると、ふたたび扉が開いた。
「そこに突っ立っていられるとね。怪しまれるのよ。うちがまともじゃないって」
細面のおんなのひとはぶっきらぼうに言った。
「はい」
ですよねー、と、おもう。
「……何度言わせるの。入んなさい」
……入りなさいという意味だったらしい。まったくそんなふうには聞こえなかったけれど。
わたしはしばし絶句して、それからちいさく息を吐いて、おじゃまします、と口にした。
応接間の端に飾られた樅の木を見て、クリスマスだったことを思い出す。家族の日だ。ほんとうに邪魔をしてしまった。でっぷりと……ふくよかな男の人が、ソファに座って、新聞を読んでいた。わたしを見て露骨に顔をしかめた。
乱雑にお茶が出される。カップはけたたましく音を立て、紅茶は若干ソーサーに飛び散っていた。わたしはなにも言わずにお茶を口に含んだ。しぶい。無言でふたくちのんだ。ひとが淹れたお茶を飲むのは久しぶりだった。
「あの男の親戚なんでしょう」
「姉妹です」
ああそう、無関心な相槌がひとつ。
「それで、あの子を引き取ってくれるの?」
「……え。……ああ、いえ……わたしは」
濁すと隠すつもりもなさそうに舌打ちされる。「魔法使いってのは本当に常識を知らないもんだな」男の方も不満を飛ばしてきた。名前がわからない。ダーズリーなのは覚えているんだけれども。
「置き手紙ひとつでなにもかも説明したつもりになっている。頭がパッパラパーなんだ。パッパラパー」
ハリー・ポッターの話ってそういえばそんな感じだったっけ。場違いなくらいに唐突に、ふとそんなことを思う。
「おまえさんもどうせまともな仕事にはついとらんのだろうさ」
「……そう、ですね。わたしは……まだ学生なので」
ちょっと意表を突かれたような顔をして、それから、なんとかダーズリー……ほんとに思い出せないな……ミスター・ダーズリーは身動ぎした。ふんと鼻を鳴らす。
「そもそも子の不始末なんぞ親が来るべきだ。ポッターの親はどうした、貴様の親は、ええ?」
「二年前にどちらも他界しました」
さすがに気まずそうな顔をされた。
「わ——私は……ダドリーの様子を見に行ってくる。おしめを替えねば」
新聞を畳んでソファから起き上がったミスター・ダーズリーがえっちらおっちらと歩き出した。スリッパが廊下を叩く音。そうして去っていく。
「あの子に会いに来たの」
残ったひと——ミセス・ダーズリーは、素気なく言った。「あの子」「あんたの兄弟の息子」わたしの兄弟。ジェームズ・ポッターの、息子。ハリー・ポッター。
「……あの子、いますか、この家に」
「あんたらが押しつけてきたんでしょう」
わたしはそうなると知っていた。
わたしはそうなったことを知っていた。
しかしわたしは、今に至ってもなお、確信できていなかった。
席を立とうとした——〝魔法使い〟と一秒でも長くふたりきりでいたくないのだろう——ミセス・ダーズリーに「ハリーのことではなくて」と、わたしは言った。
「……ジェームズとリリーは、ゴドリック・ホロウという村の墓地に、葬られました」
ミセス・ダーズリーが細い目でわたしを見下ろした。
「聞いたこともない地名だわ」
「魔法使いの村です」
「ああそう。やっぱり」
侮蔑の混じった声音だ。「地図を」「要らない」わたしの言葉を遮るように、つん、とミセス・ダーズリーは突き放した。
「リリーはけっきょく、魔法使いとして死んだのね」
尖った顎が引かれる。「馬鹿みたい」ミセス・ダーズリーが吐き捨てた。わたしはぼんやりと彼女を見上げた。
「あんたもそうなんでしょう。魔法使い」
「分類はそうですね」
わたしはつぶやいた。
「なんでもできる」
「なんでもはできません」
「蛙の卵だとかを煮詰めて喜ぶんだわ」
「わたしも蛙の卵は苦手です」
「まともな職にもつかないでそのへんをぷらぷらとほっつき歩く」
「その点は否定はできませんね」
魔法使いの職業は、マグル、あるいはわたしが保持するわたしではないひとの記憶からすれば、いずれも、とうていまともな職とは言えない。
「それで」
ミセス・ダーズリーはわたしの目を見ていた。おそらく榛の瞳を見ていた。わたしを通してわたしではないものを見ていた。
「そのくせに生き返ることもできないの?」
マグルのお伽噺、曰く。
魔法は動物とも話せて、時をもごく簡単に操れて、人を生き返らせることもできるのだという。
そういう物語を信じていたことがあった。
わたしにもあった。
すべては過去形で語られる。
「そうなんですよね」
わたしはつぶやいた。
「魔法って、なんにもできるわけじゃあ——」
ぼろと涙がこぼれた。
「——なく、て」
咄嗟に手の甲でぬぐう。
ホグワーツは、ハロウィンからこちら、ほとんどお祭り騒ぎだった。ダンブルドア先生やマクゴナガル先生が多少窘める声すら遠く、さしたる力は持たなかった。魔法界は狭い。街ゆけば浮かれた人々を見かける。ダイアゴン横丁はいつになく活気にあふれていた。当たり前だ。例のあの人は死んだ。これに乗じて
イギリス魔法界の敵が斃れた。万歳。万歳。ハリー・ポッター万歳。生き残った男の子、万歳。万歳。万歳——
こだまして、反響して、それで、脳裏にこびりついて、
「生き返らないんですよ」
魔法使いたちは喜んでいる。
「ジェームズもリリーも死んじゃったから」
多くの犠牲を遺しながらも例のあの人が斃れたことを喜んでいる。
「ハリーが生きてたってわたしなんにもよろこべない」
そんなことよりにいさんをかえして。
リリーをかえして。
ちっちゃいあの子の両親を返して。
わたしのかぞくをかえして。
腹の底でこどもみたいに喚いて暴れるわたしがいたから、頭の中で殴って叩いて黙らせた。
あまりにも滑稽だよ。たかだか赤ちゃんひとり殺せなかったくせに。
涙は一滴だけだった。少し前に号泣したのがまるで嘘みたいだと感じる。
「お時間取らせてしまって申し訳ありません。紅茶、ありがとうごさいました」
立ち上がって頭を下げたわたしに、ミセス・ダーズリーはなにも言わなかった。なにも言わないままの彼女にわたしもそれ以上声をかけることはなかった。見送りはなくわたしはダーズリー家をあとにする。
雪が降っている。降りしきっている。髪の毛と頬に白い雪が付着して溶けていく。頬が凍りそうなつめたさもなにも気にならない。アスファルトの路面をブーツの踵で叩いて、わたしはふと、ダーズリー家を振り返った。予感のような直感だった。そしてそれは当たっていた。
二階の隅の窓のところに彼はいた。ベビーベッドは窓際に置かれているのか、つかまり立ちの要領で、ぺたんと窓にちいちゃなてのひらをつけていた。去年の冬の記憶はないのか、あっても雪景色は物珍しいのか、白く染まった家並みをしげしげと眺めているようだった。
くしゃくしゃの黒髪と既に面影をうかがわせる顔立ちにしかし榛の色は消えた。緑の瞳は鎮座せど赤毛とは似ても似つかない。
息を吐く。目くらましの呪文。視線を意図的に切った。ぐるりと身体を回転させれば姿くらましの音がとどろいた。
かの家に御座すはいずれ英雄となる少年で、わたしの兄でも姉でもないのだ。