別世界の元神がオラリオに来たのは間違ってるだろうか IFシリーズ 作:さすらいの旅人
「くっ……ごふっ……何だ、今のは……!?」
腹部を抉るような衝撃が内臓を揺らし、建物を突き破った際に背中へ走った痛みが遅れて全身へ広がる。肺の奥に残る血の味が、今しがた受けた一撃の異常性を雄弁に物語っていた。アルフィアは瓦礫を踏みしめながらゆっくりと立ち上がるが、視界の揺れが収まらない。
仮面を被った正体不明の存在――『仮面の狩人』が右手を向けていたため、魔法を放つつもりだと判断した。だが、それは完全な誤認だった。魔法の予兆と同じ動作から繰り出されたのは、魔力ではなく物理的な衝撃波。その事実が、アルフィアの理解を一瞬で崩壊させる。
もし魔法であれば、先ほど詠唱した【
加えて、ただの衝撃波で『Lv.7』の自分を容易く吹き飛ばすなど、本来あり得ない。アルフィアは生まれて初めて、自分が吹き飛ばされる側に回った屈辱を味わっていた。
「舐めた真似を……ッ!?」
怒りが一瞬で沸騰し、視界が赤く染まりかける。しかし、彼女は即座にそれを押し殺した。視界の端で、『仮面の狩人』が猛スピードで接近してくるのが見えたからだ。地面を蹴る音すら聞こえない。ただ、空気が裂ける気配だけが迫ってくる。
突進しながら攻撃を仕掛けるつもりだと察したアルフィアは、あえて動かずに迎撃の構えを取る。距離を取りながら【
距離があと僅かとなった瞬間、アルフィアは拳へ魔力を集束させ、タイミング良く迎撃しようとした。
直後、『仮面の狩人』の姿が突然かき消えた。
「てぇい!」
「がっ!」
背後から放たれた蹴りが、背中に突き刺さる。肺の空気が一気に押し出され、アルフィアの身体が軽く浮いた。背骨に沿って走る激痛が、思考を一瞬で白く塗りつぶす。
「くっ!」
前に倒れ込みそうになるが、痛みを噛み殺しながら体勢を整え、地面を滑るように着地する。呼吸が乱れ、胸がひゅうひゅうと鳴った。
「おのれ……ッ!?」
「たぁっ!」
二度の攻撃を許してしまった怒りが沸騰するが、振り向いた瞬間、眼前には既に『仮面の狩人』がいた。次の攻撃へ移るために、わずかに腰を捻っている。動作が滑らかすぎて、まるで時間が歪んでいるかのようだ。
「ちぃっ!」
回し蹴りが迫る直前、アルフィアは瞬時に後方へ跳躍し、紙一重で回避する。蹴りの風圧が頬を切り、髪が舞い上がった。
一旦距離を取ろうとしたその瞬間――『仮面の狩人』が再び姿を消す。
消えた瞬間の空気の揺らぎすら感じ取れない。まるで世界の法則そのものを踏み越えて移動しているかのようだ。
「おらぁっ!」
「あぐっ!」
またしても背後。背中へ叩き込まれた蹴りの衝撃で、アルフィアは体勢を整える暇もなく地面へ倒れ込み、瓦礫の上をゴロゴロと転がった。肺が焼けるように痛み、視界が揺れる。瓦礫の破片が皮膚を裂き、服の内側へと食い込む。
二度、三度と背後を取られるなど、英雄として名を馳せた自分の戦歴には存在しない屈辱だ。
だが、今は怒りよりも先に、理解が追いつかない。
何故、ここまで容易く背後を取られる?
何故、魔法の動作で物理攻撃を繰り出せる?
そして――何故、『Lv.7』である筈の自分が、ここまで一方的に押されている?
アルフィアの胸中に、初めて戦慄が芽生え始めていた。
倒れ伏したアルフィアを見下ろし、『仮面の狩人』――隆誠はゆっくりと歩みを止めた。瓦礫の散らばる路地に、仮面越しの冷たい視線が落ちる。
「どうした。【ヘラ・ファミリア】の英雄ともあろう者が、そんな程度なのか?」
その声音には嘲りよりも、失望の色が濃かった。隆誠にとってアルフィアは、ただの敵ではない。七年後のオラリオで聞いた嘗ての英雄の名は、彼の中で確かな重みを持っていた。だからこそ目の前の現実が、あまりにも軽くて失望しかかっていた。
アルフィアは膝をつきながらも、なお鋭い眼光を向けてくる。だが、その瞳の奥には理解不能の光が揺れていた。
彼女は【ヘラ・ファミリア】の中でも異端の天才。十代半ばで既に『Lv.7』へ到達し、団長【女帝】すら舌を巻いた『才禍の怪物』。もし
だが今、その英雄が地に伏し、隆誠の一撃に翻弄されるばかりで、反撃の糸口すら掴めていない。
瓦礫の上で息を荒げるアルフィアは、信じられないものを見るように隆誠を睨みつけた。
(馬鹿な……私が、ここまで一方的に……?)
隆誠はそんな彼女の心中を見透かしたように、肩をすくめる。
「期待外れだな。英雄と呼ばれた者なら、もっと抗ってみせろよ」
その言葉は挑発ではなく、純粋な評価だった。
隆誠は転生した事で格闘による手合わせを好むが、争いなどの戦いを好まない。平穏な人生を過ごしたいと心から願っている。だが、力を示さなければ黙らない者たちがいることを、彼は嫌というほど理解していた。
初めて【フレイヤ・ファミリア】の眷族たちと対峙した時もそうだった。どれほど友好的に接しようとしても、彼らは力の差を突きつけられるまで話を聞こうとすらしない始末。そして今、目の前のアルフィアも同様だから、こうして実力差を見せ付けている。
隆誠はゆっくりと歩み寄り、倒れた彼女の前で立ち止まる。その足取りは静かだが、周囲の空気が重く沈むほどの圧を帯びていた。
「さっさと立て。それとも、力の差を理解した途端に恐くなったか?」
仮面越しの視線は冷たく、まるで彼女を英雄として扱っていない。その態度こそが、アルフィアの誇りを最も逆撫でする。
「……ふざけるな、小僧」
低く、押し殺した声。だがその内側では、怒りが爆ぜる寸前まで膨れ上がっていた。
ゆらりと、アルフィアが立ち上がる。その動きはゆっくりなのに、周囲の空気が一瞬で鋭く変わった。殺気が濃度を増し、瓦礫の影が震えるほどの圧が生まれる。
彼女はこれまで、【ロキ・ファミリア】を含む他派閥の冒険者達に『洗礼』を浴びせてきた。英雄としての矜持、圧倒的な実力、そして誰にも負けないという自負。それらすべてが、彼女の戦いを支えていた。
だが今、状況は真逆だ。
自分が『洗礼』を受ける側に回るなど、想像すらしたことがない。ましてや、こんな無様な姿を晒して地に伏されるなど屈辱以外の何物でもなかった。
(私が……この私が、あんな小僧に……!)
怒りが胸を焼き、思考が赤く染まる。アルフィアの魔力が膨れ上がり、周囲の瓦礫が浮遊するほどの圧が生じる。
隆誠はその変化を見ても、微動だにしない。ただ、仮面の奥で静かに彼女を見据えていた。
「やっとその気になったか」
隆誠は、怒りで魔力を荒立てるアルフィアを前にしても、微塵の怯えも見せなかった。寧ろ、その声はどこか弾んでいた。
挑発というより、待ち望んでいたかのような声音。アルフィアの殺気が濃度を増していくほどに、隆誠の気配は逆に静まり返り、研ぎ澄まされた刃のような静の圧を放っていた。
互いが身構え、次の瞬間に動こうとした刹那。
世界が、割れた。
隆誠の視線の先で、突如として光の柱が天へ向かって伸び上がった。
それは一本ではない。
遠方、街の奥、塔の影など、次々と光柱が立ち上がり、夜空を白く裂いていく。
「アレは……」
隆誠は動きを止めた。仮面の奥の瞳が、わずかに揺れる。
あの光には見覚えがあった。
以前、フレイヤが眷族達を連れて【イシュタル・ファミリア】を潰した時――
神々は下界へ降りる際、必ず条件を受け入れなければならない。その中には、死に瀕した場合――強制送還されるという絶対のルールがある。
一度送還されれば、二度と下界へ戻れない。どれほどの力を持とうと、どれほどの想いがあろうと、神は下界への干渉を完全に断たれる。
隆誠は光柱を見つめながら、静かに息を吐いた。
(誰かが……いや、複数の神が消えたのか)
光柱は天へ吸い込まれるように消えていく。その光景は美しくも、あまりに残酷だった。
アルフィアもまた、怒りの最中でありながら、その異変に気づき、僅かに眉をひそめる。
「刻限か。だが、私の知った事ではない」
光の柱が意味する神の送還を理解していながらも、アルフィアは一切気に留めなかった。今の彼女は怒りに支配され、目の前の隆誠を叩き伏せること以外、何も考えられなくなっていた。
「それは俺も同感だ」
隆誠もまた、状況が不味い方向へ進んでいることを察していた。だが、本気を出した英雄を前にして背を向けるなど、彼の矜持が許さない。
この戦いは、途中で投げ出すべきものではない。だからこそ、隆誠は踏み止まり、再び構え直した。
直後、空気が裂けた。
どこかから声が響き、極寒の吹雪が三条となってアルフィアへ襲い掛かった。
「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」
氷の牙のような吹雪が一直線に走り、周囲の瓦礫を凍らせながら迫る。
しかしアルフィアは隆誠の攻撃とは違い、難なく後方へ跳躍して回避した。怒りに支配されていても、彼女の戦闘本能は鈍っていない。
(さっきの声は……)
魔法そのものよりも、声に聞き覚えがあった。隆誠が視線を向けると、駆け足でこちらへ向かってくる二人の影があった。
「無事か、名も知らぬ若造!」
「その風体……お前がフィン達の言っていた『仮面の狩人』か」
(やはり、この二人か……)
鎧を纏ったドワーフの男性――ガレス・ランドロック。【重傑】の二つ名を持つ、【ロキ・ファミリア】の重戦士。
ローブを纏うエルフの女性――リヴェリア・リヨス・アールヴ。【九魔姫】の二つ名を持つ、オラリオ最高峰の魔導士。
隆誠は二人を見て、内心で溜息をついた。
(少々面倒になったな)
頼もしい援軍であることは確かだが、隆誠にとっては煩わしい連中でもある。特に、彼等の団長フィン・ディムナが非常に頭の切れる男だと知っている以上、余計に厄介だ。
「状況はよく分からんが、あの怪物を相手に一人で戦うとは流石じゃな!」
「【静寂】のアルフィア……まさか生きていたとはな!」
ガレスは隆誠を称賛し、リヴェリアは警戒を強めながらアルフィアを睨む。
二人の登場により、アルフィアの表情が僅かに変わった。怒りの炎が、急速に冷えていく。
「……雑音が増えた。興も削がれた」
その言葉と同時に、アルフィアは右手を翳した。
「【
衝撃波が奔り、ガレスとリヴェリアへ直撃しようとする。
二人は身構えるも、隆誠が咄嗟に片手を前へ出して防御壁を展開した。衝撃波は壁に吸収され、二人は無傷のまま立っている。
「何じゃと!?」
「アルフィアの魔法を、こうも簡単に防いだだと……!?」
覚悟していた痛みが訪れず、二人は驚愕に目を見開いた。隆誠は何事もなかったかのように手を下ろす。
アルフィアはそんな反応を気にも留めず、背を向けた。
「『絶対悪』からお呼びもかかっている事を忘れていた。今夜はここまでだ」
「何だ、逃げ――」
「貴様には何れ借りを返す。それを忘れるな」
隆誠が挑発して引き留めようとするも、アルフィアは低く冷たい声を残して去っていく。
その直後、彼女が通った道にある全焼中の建物が崩れ落ち、追跡は不可能となった。
隆誠は崩れた瓦礫を見つめ、静かに嘆息する。
(英雄との戦い……中断か。惜しいな)
仮面の奥で、僅かに残念そうな光が揺れていた。
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