使い魔のフリーレン ~ゼロからの旅路~   作:お団子

92 / 96
第86話『微熱の覚醒』

 

「ふぁ……」

 アンリエッタ姫は、小さくあくびを漏らした。口元を上品に隠しながら、窓の外へ視線を向ける。

 二つの月は、今日も寄り添うように夜空を泳いでいた。

 その淡い月光を浴びながら、アンリエッタは静かに物思いへ沈んでいく。

 

 思えば、長い道のりだった。

 

 王族として生まれた以上、女として生まれた以上。想う相手と結ばれるとは限らない。そんな覚悟は、幼い頃から嫌というほど理解していた。

 だが、それでも自分はこうして、三年もの間逢瀬を重ねてきた大切な人と、結婚式を挙げようとしている。

 これ以上の幸福など、きっと存在しないだろう。

 

 運命に『もしも』が無意味なのは分かっているが、それでも、もし少し歯車が違っていたなら、好色で名高いゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世へ嫁ぐ未来だって十分あり得たのだから。

 

(ウェールズ様、今頃あなたは、何を思っているのかしら?)

 

 遥か遠く、この空の向こうにいるであろう愛しい人へ、そっと想いを馳せる。

 三年前、彼と初めて出会ったのは、ラグドリアン湖で開かれた、母マリアンヌの誕生日祝賀会だった。

 

 ラグドリアン湖には、古くより『水の精霊』が棲まうと伝えられている。

 

 かつてはモンモランシ家が管理していたその湖は、今なお『水の国トリステイン』を象徴する場所として知られていた。

 神が自ら細部まで作り上げたとも称されるほど、美しい湖畔。その湖には古くから一つの伝承が残されている。

『ラグドリアン湖の前で交わされた誓いは、決して破られない』というものだ。

 

 最初にウェールズと出会ったあの日、アンリエッタは、水の精霊が宿るというラグドリアン湖のほとりで誓った。彼との永遠の愛を。

 けれどウェールズは、その誓いを返してくれなかった。

 どうしてなのか。それだけが、ずっと心のどこかに引っかかっていた。

 

(こうして結婚するのだから……あの時、誓ってほしかったですわ)

 

 思い返すと、少しだけ頬を膨らませたくなる。

 ……とはいえこれから先、時間はいくらでもあるのだ。

 順番こそ逆になってしまうけれど、結婚した後に改めて、水の精霊の前で誓えばいい。今度こそ、ウェールズもちゃんと言葉を返してくれるはず。

 

(そういえばルイズは、どうしているかしら……)

 

 今度は、大事な詔を任せた幼馴染のことが気になり始める。

 ちゃんと詔が書けているのだろうか、一度気になり始めると、もう落ち着かなかった。

 結婚すれば、自分はアルビオンへ移り住む。そうなれば、ルイズとも今までのようには会えなくなるだろう。だから、最後に少しくらい、遊びに行ったっていいはずだ。

 マザリーニの小言だって、これで最後になるかもしれないのだから。

 

 アンリエッタはいそいそと、昨夜と同じように支度を始める。

 実は以前にも、『視察』という名目でトリステイン魔法学院を訪れたことがあった。もっとも、その時はまだルイズが入学する前で、会うことはできなかったのだが。

 

 学院の授業水準はどうか。食事は貴族でも満足できるものか。教材や設備に不備はないか。そういった視察が本来の目的だった。

 だが、学院生活を送ったことのないアンリエッタにとっては、ほとんど『学校体験』のようなものだったが、あの時は本当に楽しかった。

 そしてその際、マザリーニへ半ば無理を言って用意させた学生服も、まだ手元に残っている。

 実は今回、この制服をこっそり持ってきていたのだ。

 

 アンリエッタは純白のドレスをそっと脱ぎ、代わりに学生服へ袖を通していく。

 本来なら侍女たちに着付けを任せるところだが、お忍びでそんなことをさせるわけにはいかない。

 慣れない手つきで、一人きりの着替えを進めていく。

 こういう珍しさも結婚してしまえば、もう滅多にできなくなるのだろう。

 だからこそ今は、この少しだけ自由な時間を楽しみたかった。

 

(あとは、適当に髪を結んで、お化粧をして……)

 

 当時より少し胸も成長してしまった。

 学生服のボタンを上まで留めると苦しかったため、上を二つほど外して整える。スカート丈は問題ない。むしろ、こんな短いスカートなど普段は絶対に履かないからこそ、少しだけ気分が浮き立っていた。

 

 こうなると、とてもトリステイン王女には見えない。

 どこにでもいる、ただの女学生だ。

 昨夜も、こうしてルイズのもとへ忍び込んだのである。

 

「さて……」

 

 準備は整った。最後の小さな冒険へ出かけるとしよう。

 そんなことを考えていた、その時だった。

 コン、コンと、背後の窓が、静かに叩かれる。

 

「だ、誰!?」

 一瞬、アンリエッタの肩がびくりと跳ねた。

 

 ラ・ポルト?

 それともマザリーニ?

 まさか、聞き耳でも立てられていたのだろうか。

 そんな風に身構えていたアンリエッタだったが……。

 

「ぼくだ」

 

 その声を聞いた瞬間。アンリエッタの身体が、別の意味で震える。

 あと数日もすれば、毎日のように耳にすることになるであろう、美しい声。

 

「ウェールズ……様?」

「そう、だよ……。久しぶり……だね、アンリエッタ」

 

 やがて窓を覆うように、一つの影が浮かび上がる。

 逆光のせいで顔立ちはよく見えない。

 だが、その輪郭は間違いなくアルビオン皇太子、ウェールズだった。

 

「な、なぜここに……?」

 

 当然の疑問を口にするアンリエッタ。もうすぐ、自分がアルビオンへ向かうのだ。あと数日もすれば、挙式で再会できるというのに。

(それとも……わたくしに会いに来てくださったの……?)

 

 待ちきれずに来てくれたのだろうか、自分と同じように『最後の独り身』を惜しんで。そう考えると、胸が熱くなる。

 だが同時に今の自分の格好を思い出し、アンリエッタは急に恥ずかしくなった。

 

 学生服。しかもボタンを少し外したまま。王女としては、あまりにもはしたない。

 どうしましょうと慌てかけた時、ふと、もっと根本的な疑念が脳裏をよぎる。

 本当に、この人はウェールズなのだろうか?

 一応、試してみよう。

 

「ウェールズ様。風吹く夜に――」

 

 それは三年前、ラグドリアン湖で逢瀬を重ねる中、二人だけで決めた合言葉だった。

 それを聞いたウェールズは、しばらく沈黙した。

(……まさか)

 疑念が、じわじわと膨らみ始める。誰かを呼ぶべきか。

 そんな考えまで浮かび始めた頃。

 

 

「――水の誓いを」

 

 

 返ってきたのは、正しい答えだった。それだけで、アンリエッタの疑念は霧散する。

 彼女は安心したように窓を開けた。どうやらウェールズは、『飛翔(フライ)』で窓の外へ浮かんでいたらしい。

 警備の目を縫って、ここまで来たのだろう。

 

「もう……こんな風に忍んで来なくとも、あと数日もすれば、わたくしがそちらへ参りましたのに」

「……会うのが、待ちきれ、なく……てね。いや……だ、たったかな……?」

 

 ほんのわずか。ウェールズの言葉が途切れる。

 だが、アンリエッタは気にしなかった。

 

「別に、嫌とは申しておりませんわ。相変わらず意地悪なのですね」

 

 くすり、と。アンリエッタは微笑む。

 一度疑い、それが晴れてしまった以上。もう彼女は、『ウェールズ本人である』ことを疑っていなかった。

 だからこそ時折生じる、微かな違和感にも気付けない。

 

「それより……どうしてこちらへ?」

「最後の夜を……きみと、一緒に……過ごし、たくてね」

「え……わざわざ、そのために?」

 

 その言葉だけで、アンリエッタの頬は熱を帯びる。

 期待と幸福で、胸の鼓動が速くなっていく。

 

「だから……少しだけ、付き合ぅて、て……くれ、ないか、い? アンリエッタ」

「は、はい……!」

 

 緊張しているのは、自分だけではないのだろう。アンリエッタはそう思った。

 だからこそ、彼の微妙な言葉の間も、どこか上擦った口調も、「照れているせい」だと自然に受け入れてしまう。

 

 アンリエッタは一度奥へ引っ込もうとする。

 だが……。

 

「……その姿も、とて、も綺麗だよ」

 

 その一言にアンリエッタは、思わず嬉しそうに振り返ってしまった。

 

「だからそ、のまま……、来て、くれないか?」

「……はい」

 

 疑うことなくアンリエッタは、差し出された彼の手を取った。

 

 

  さて、同時刻。

 

「で、どうすんのよアレぇぇぇ!!」

 キュルケ、モンモランシー、ギーシュの三人は、〝飛行魔法〟で夜空を逃げ回っていた。

 その背後から、火竜が猛烈な勢いで迫ってくる。

 

「もっと街から離れるわよ!」

 

 キュルケは叫ぶと同時に、さらに速度を上げた。

 やがて進行方向の先に、左右を切り立った崖に挟まれた渓谷地帯が見えてくる。

 

 人気もないし、戦うならここしかない。

 

「ギーシュ! モンモランシー! あんたたちは下がって!」

「はぁ!? 正気なの!?」

 

 突然の宣言に、モンモランシーは素っ頓狂な声を上げる。

 いや、戦わずに済むなら本音ではありがたい。ありがたいのだが……。

 

「ぼ、ぼくも戦うぞ! トリステイン貴族の勇敢さを見せてやる! ぼぁっ!?」

 

 ギーシュは薔薇の杖を掲げて勇ましく叫ぶ。その次の瞬間、火竜の吐いた極大の火炎が、彼の真横を掠め飛んでいった。

 先ほどまでの威勢など、一瞬で吹き飛ぶほどの圧倒的熱量。

 しかも不運なことに、爆散した岩片の一つが後頭部へ直撃した。

 

「ちょっ、ギーシュ! 大丈夫!?」

 

 気絶して落下していくギーシュを、モンモランシーが慌てて『浮遊(レビテーション)』で減速させる。

 幸い、でかいタンコブができた程度で済んだようだ。

 それに安堵しつつも「何やってんのよ、もう……!」という愚痴は忘れない。

 そんな二人の頭上から、まだ『飛翔』しているキュルケの怒声が響いた。

 

「だから引っ込んでなさいって言ってるでしょ! 別に無策で挑むわけじゃないわ!」

「じゃ、じゃあどうするっていうのよ!」

 

 本来なら、狙われていたのはギーシュたちだった。

 だがキュルケが何度も『炎球』を撃ち込み、無理やり敵意を引き寄せていたのだ。

「……そんなの、決まってるじゃない」

 キュルケは独り言のように呟く。

 

「限界を超えるしかないでしょ」

 

 脳裏に浮かぶのは、二人の少女。タバサ(親友)ルイズ(仇敵)

 

 一か月前の修行。

 二人の背中を追いかけるばかりだった、あの歯痒さ。

 置いていかれる感覚。それはもう、御免だった。

 

「いつまでも、あの二人に置いていかれるなんて嫌なのよ……!」

 

 左右を切り立った崖に囲まれた渓谷。

 その片側で、モンモランシーが不安げに見守る中。

 キュルケは、五メイル先で業火を口内に宿し咆哮する存在と対峙する。

 

 ハルケギニアにおいて、最も怒らせてはならない種族、『火竜』。

 その怪物を前にしてなお、キュルケは一歩も退かなかった。

 

 キュルケの脳裏に過る、二人の少女。タバサ(親友)ルイズ(仇敵)

 一か月前の修行では二人の後姿を追いかけるような、そんな歯がゆさを覚えていたが、いい加減自分だって、彼女たちに追い付きたい。その気持ちは強く持っていたのだ。

 

 両側に切り立った崖。その左側でギーシュとモンモランシーが、心配そうに見下ろす中。

 キュルケは五メイル先、業火を口に宿らせ激昂する……ハルケギニアで最も怒らせてはならない種族、火竜と対峙した。

 

 

 

「―――くっ!」

 

 火竜の爪が、薙ぎ払うように迫る。キュルケは『飛翔』で紙一重に回避した。

 直後、竜の喉奥が赤熱する。ブレスだ。

 キュルケは即座に『炎球』を叩き込み、その意識を逸らす。

 

 一瞬だけ生まれた隙。その間に射線から離脱する。

 次の瞬間、先ほどまでキュルケがいた空間を、灼熱の業火が薙ぎ払った。

 

「――――ぐっ!」

 

 直撃こそ避けた。

 だが、熱波と衝撃だけで飛行姿勢が崩れる。キュルケはそのまま地面へ叩き落され、泥の上を無様に転がった。

 自慢の赤髪は泥にまみれ、服の中まで土が入り込む。

 だがそんなことを気にする余裕などない。

 

 一方、火竜は止まらない。爪、尾、巨体そのものによる圧殺。

 次々と襲い掛かる攻撃を、キュルケは再び『飛翔』で回避する。

 だが、見下ろしていたモンモランシーには、はっきり分かっていた。

 勝ち目なんて、どこにもないと。

 

「なによアイツ……! 全然無策じゃないのよ……!」

 

 当然だ。

 火を操る生物として、火竜は生まれながらの完成形。火のメイジであるキュルケが、真正面から炎で挑むこと自体が無謀だった。

 勝てるはずがない。

 

「キュルケ! 逃げなさいよ! こんなところで意地張ったって意味ないわよ!」

 

 モンモランシーの叫び。その通りだった。

 いつもの自分なら逃げている。

 こんな命懸けの戦い、いつもなら馬鹿らしいと笑って終わっていた。いつもなら……。

 

「生憎と……こっちにも意地があるのよ……!」

 

 泥まみれのまま、キュルケは立ち上がる。

 雨の中、花を咲かせ続けたルイズ。

 死線の中で魔法を掴み取ったタバサ。

 ゴーレムの群れへ飛び込んだマチルダ。

 みんな、ボロボロになりながら前へ進んでいた。

 

 

『キュルケって、そこまで私の魔法を習得しようって意気が無いでしょ』

 

 

 フリーレンの言葉が脳裏を過る。

 そうだ。自分は今まで、『必死』になったことがなかった。

 だから今。生まれて初めて、自分を極限まで追い込む。『必死になる』。

 

「あたしだって……!」

 

 強風に吹き飛ばされる。転がる。叩きつけられる。

 それでも、立つ。

 

「あたしだって、追いつきたいのよ……!!」

 

 火竜が咆哮した。喉奥に、灼熱が収束していく。

 次で終わらせるつもりだ。

 

「ブレスが来るわ! 逃げなさい!!」

 

 モンモランシーの悲鳴。だがキュルケは、静かに目を閉じた。

 精神力は限界、もう魔法など撃てない?

 

(そんな固定観念、ぶち壊してやるわよ……!)

 

 極限まで削られた精神。死の恐怖。

 その全てを、無理やり魔力へ変えていく。

 研ぎ澄ませ、集中して。

 そして、自分の中に生まれ始めた『新しい感覚』へ、全てを賭ける。

 

(失敗したら――あたしはそれまでってだけよ!)

 

 杖を掲げる。脳裏に浮かぶのは、自分だけの『放出のイメージ』。

 ルイズは爆発。タバサは槍。マチルダは鍵状。

 なら、自分は。当然、『炎球』だ。

 

 

 キュルケは杖を向ける。

 今ここで使うべきは〝地獄の業火を出す魔法(ヴォルザンベル)〟ではない。

 もっと単純で、もっと純粋で。もっと、自分らしい魔法。

 

 全ては、あの二人が立つ高みへ、辿り着くために。

 

 先に放たれたのは、火竜の業火だった。

 キュルケ一人を丸ごと呑み込めるほどの、圧倒的な熱量と範囲。

 もう逃げられない。

 

「キュルケ!!」

 

 モンモランシーの悲鳴が飛ぶ。だが、死を目前にしたキュルケの表情は、不思議なほど静かだった。

 ゆっくりと杖を掲げる。三枚花弁の魔法陣が、杖先に浮かび上がった。

 そしていつものように、ただ『炎球』を放つ時と同じ感覚で、魔法を撃つ。

 

 

「――――〝一般攻撃魔法(ゾルトラーク)〟!!」

 

 

 杖先から放たれたのは、青白い炎球。それは真正面から火竜のブレスへ突っ込み次の瞬間。灼熱の奔流そのものを、真正面から貫いた。

 勢いは止まらない。青白い光弾はそのまま火竜の頭部へ直撃し、炸裂した。

 

 轟音、衝撃。

 そして、火竜の頭が、吹き飛んだ。

 

 

「……うそ」

 

 モンモランシーが、呆然と呟く。

 その頃になって、気絶していたギーシュもようやく目を覚ました。

 

「ふぁ……な、何が起きたんだい?」

「……キュルケが、一人で火竜を倒したのよ」

「へぇ……すご――って、えぇぇぇぇっ!?」

 

 それを聞いたギーシュは両手をあげて驚いた。

 ドラゴン。それはエルフと並び、恐怖の象徴として語られる存在。

 それを、同級生がたった一人で討ち取ったのだ。

 

 普通ならあり得ないだろう。

 だが現実として、頭部を失った火竜の巨体が、目の前で崩れ落ちていく。

 それだけで十分だった。

 

「もしかして……〝一般攻撃魔法〟でやっつけたのかい? それなら納得かなって思うけど」

「え? なによそれ?」

「ほら、モンモランシーも知っているだろう?『民間魔法学』の最優秀者だけが使えるって噂の魔法さ!」

「あぁ……なんか言ってたわね……」

 

 モンモランシーは曖昧に頷く。正直、そんな話は半分与太話だと思っていた。

 だがもし、もし本当に、今の魔法がそれなのだとしたら、とんでもない魔法よね……。と、モンモランシーでさえ、そう思ってしまった。

 

 一方、当のキュルケはというと。

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 肩で息をしながら、ゆっくり深呼吸を繰り返していた。

 失敗していれば死んでいた。本当に、紙一重だった。

 だが、それでも……。

(やった……!)

 胸の奥で、確かな手応えが燃えていた。

(越えた……! 壁を越えたのよ、あたしは!!)

 

 

 

 

 キュルケは思わず、杖を持った手を空に上げる。

 次の瞬間、頭を失った火竜の巨体が、再び動き出した。

 

 

 

 

「――――は?」

 

 キュルケの笑顔が凍りついた。

 

「えっ!?」

「な、なんだぁぁぁ!?」

 

 ギーシュとモンモランシーも絶叫した。

 頭を失ったはずの火竜が、平然と立ち上がっていく。

 

(うそでしょ……! こいつも同じなの……!?)

 

 脳裏を過るのは、先ほどの光景。

 首を失ってなお動き続けていた、あの兵士たち。

 寒気が背筋を駆け抜ける。これはもはや生物ではないではないか。

 人間や幻獣の皮を被った、別種の怪物のような、そんな悍ましさだけがあった。

 

 驚くキュルケをよそに、火竜の首の断面が、ぼこりと脈動した。

 次いで断面から、噴水のように炎が噴き上がる。そのまま火炎放射を放ってきたのだ。

 

「やばっ――!」

 

 キュルケは咄嗟に身を翻す。

 だが、さっき放った〝一般攻撃魔法〟の反動で、精神力が大きく乱れていた。

 もう魔法が間に合わない。

 

「キュルケ!!」

 

 モンモランシーが悲鳴を上げる。だが助けに飛び込む勇気は出ない。

 ギーシュも、拳を握り締めたまま立ち尽くしていた。

 そして、キュルケの姿は、炎の濁流に呑み込まれた。

 

 

「うそ……でしょ……キュルケ……」

 

 モンモランシーは震える声で、炎の中へ消えた同級生の名を呼ぶ。

 だが、悲しみに暮れる暇すら与えられなかった。

 首なし竜は「獲物を仕留めた」と判断した瞬間、新たな魔力反応へと狙いを変えていたのだ。

 ずしん、ずしんと。

 巨体を揺らしながら、今度はモンモランシーたちへ迫ってくる。どうやら近くの魔力を自動感知し、襲撃するように動いているらしい。

 

「きゃああああああああああ!!」

 

 モンモランシーは半泣きで悲鳴を上げた。ギーシュも震える手で杖を構える。

 だが相手は、首を失ってなお動き続ける化け物竜だ。『ドット』の自分たちが、勝てるわけがない。

 

(け、けれど……! 恋人の前で逃げるわけにはいかない……!)

 

 せめてモンモランシーが逃げる時間だけでも稼がなくては!

 

「ワルキューレ!!」

 

 薔薇の杖から、青銅の乙女騎士たちが生成される。

 

 だが、火竜はただ爪を一振りしただけだった。

 それだけで、ワルキューレたちはまとめて粉砕される。二秒持たなかった。

 

「いやぁぁぁぁ!! いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「逃げろ! 逃げてくれモンモランシー!!」

 

 恐怖で完全に硬直したモンモランシーを、ギーシュが必死に叫んで促す。

 だがもう遅い。首なし竜の断面が赤熱する。

 再び、火炎放射が放たれようとしていた。

 その瞬間――。

 

「――――〝一般爆発魔法(エクスプロージョン)〟!!」

 

 突如。火竜の眼前に、小さな魔力光が生まれる。

 次の瞬間、それは一気に膨張し、大爆発。

 轟音と共に、首なし竜の巨体が吹き飛んだ。

 

「――――へ?」

 

 モンモランシーは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、呆然と声のした方を見る。

 ギーシュも同じく、信じられないものを見る顔を向けた。

 

「大丈夫? 助けに来てあげたわよ!」

 

 そこには、いつの間にか停車していたジープの後部座席から、杖を突きつけるルイズの姿があった。

 

「る、ルイズ……」

「なによその顔。普段すましたあんたでも、そんな顔するのね」

 

 ルイズは余裕たっぷりに鼻を鳴らす。実際、彼女の放った魔法によって、火竜は崖下へ叩き落されていた。

 だが――。

 

「あ、安心するな! あの竜、首が吹き飛んでも動き続けるんだ!」

 

 ギーシュが慌てて叫ぶ。

 

「だろうね。『あれ』は身体が完全に朽ちるまで止まらない」

 

 冷静に答えたのは、運転席のフリーレンだった。

 ハンドルを握ったまま、その視線だけは崖下へ落ちた火竜を見据えている。

 

「そ、そうなのよ! しかもキュルケが……!」

 

 モンモランシーは、炎の中へ消えたキュルケのことを叫ぶ。

 だが、それを聞いてもなお、フリーレンの表情は変わらなかった。

 

「ミス・フリーレン。ここは私が」

 

 助手席に座っていたコルベールは、静かにそう告げると、〝飛行魔法〟で崖下へ降下していった。

 キュルケが呑み込まれた地点には、大穴が穿たれている。

 火竜が体勢を戻すより早く、コルベールはその穴を覗き込んだ。

 

「……良かった。無事のようですな、ミス・ツェルプストー」

 

 果たして、キュルケは生きていた。

 火炎放射が迫った瞬間、偶然この落とし穴へ転落したことで、焼死を免れたのだ。

 

「よ、よかったぁ! 間に合ったんだね、ぼくのヴェルダンテ!!」

 

 そう、この穴を掘ったのは、ギーシュの使い魔――ジャイアントモールのヴェルダンテだった。

 穴の底では、大きなモグラが鼻をひくひく動かしている。

 

「ほんっと、死ぬかと思ったわ……」

 

 泥まみれになったキュルケは、コルベールに手を引かれながら立ち上がる。

 

「ありがと、ギーシュ。あんたに借りを作る日が来るなんてね」

「キュルケ! あんた本当に大丈夫なの!?」

「ええ、なんとかね!」

 

 モンモランシーの叫びに、キュルケも大声で返した。

 

「本当によく頑張った。後は任せたまえ」

 

 コルベールはそう言うと、キュルケの泥だらけの頭を優しく撫でる。

 キュルケは少しだけ面食らったように目を瞬かせ、年相応に頬を赤くした。

 

 だが、その間にも。

 首なし竜は再び立ち上がる。

 断面から、先ほどと同じように灼熱が溜まり始めていた。

 

「ねえ、大丈夫なのフリーレン? コルベール先生一人で……」

「コルベールなら問題ないでしょ」

 

 援護に向かおうとしていたルイズへ、フリーレンはあっさりと言い切る。

 一方、コルベールはキュルケから視線を外し、背後の竜を振り返った。

 

 その瞳は、いつもの温厚な教師のものではない。

 凶悪な爬虫類を思わせる、獰猛な光。

『炎蛇』、その異名に相応しい表情だった。

 

「そうか……死してなお、操られているのか」

 

 頭を失っても動き続ける。生態系を完全に逸脱した異常。

 ならばやるべきことは一つ。

 コルベールは〝飛行魔法〟と『飛翔(フライ)』を重ねる。陽炎のような高速移動。

 一瞬で火竜の懐へ潜り込み、その首の断面へ杖を突きつけた。

 

 

「――〝地獄の業火を出す魔法(ヴォルザンベル)〟」

 

 

 次の瞬間。獄炎が炸裂した。

 火竜のブレスすら呑み込み、体内から体外まで一瞬で焼き尽くしていく。

 耐火性を誇る鱗も甲殻も、彼の炎の前では『薪』に過ぎない。

 赤と白と黒と、禍々しく色を変える炎が、竜の全身を包み込んだ。

 

 

「よく見て覚えておきたまえ、ミス・ツェルプストー。『焼き尽くす』という意味とは、どういうことなのかを……」

 

 

 燃え盛る炎を背に、コルベールは静かに語る。逆光で、眼鏡は白く染まっている。

 その奥に浮かぶであろう懊悩が、キュルケには妙に寂しく見えていた。

 

 やがて、火竜は完全に灰燼へと変わった。脅威が消えたことで、一同はようやく息を吐く。

 全員、フリーレンたちのジープへ集まった。

 

「とりあえず、みんな無事で良かった」

 

 コルベールは安堵したように肩を下ろす。

 キュルケは消耗しているし、ギーシュも頭に大きなタンコブを作っているが、あの怪物相手にこの程度で済んだなら奇跡だった。

 

「もうっ! 本当に怖かったんだからぁぁ!!」

 

 ほぼ無傷のモンモランシーだけは、涙目で絶叫していた。

 一方、ギーシュとキュルケはウェルダンテを撫で回している。

 

「ほんっと良い使い魔ね! ちゃんと可愛がってあげなさいよ!」

「もちろんさ! ぼくの愛しのヴェルダンテ!」

 

 そんなやり取りを横目に、フリーレンたちは、燃え尽きた火竜の死骸を見つめていた。

 

「あれ、結局なんだったの?」

「そうよ! 首が無いのに動いてたのよ!?」

 

 モンモランシーが半泣きで訴える。キュルケも真顔で続けた。

 

「それだけじゃないわ。ベアトリス姫を攫った奴らも、首を飛ばされても普通に動いてたのよ。『先住魔法』かなにかかしら?」

「……何があったの?」

 

 フリーレンの質問に、巻き込まれた三人は事情を説明した。

 

 不穏な魔力の気配を探知したから向かってみれば、ちょうどベアトリス姫が攫われかけていたこと。

 

 彼女をさらった連中は、首を切り飛ばされたにもかかわらず平然と動き回っていたこと。

 

 そいつらがけしかけてきた火竜があの、首をなくしても動き回る化け物であるということ。

 

 それらをかいつまんで説明した。

 

「首を飛ばされても、動き回る……ですか?」

 話を聞いていたシエスタは、なんとも恐ろしいとばかりに顔を青ざめさせた。

 

「でも、あのドラゴンを見た以上、間違いないのは確かね……」

 ルイズも、冷や汗を少し流して呟く。

 なんとも恐ろしい魔法だと、死者が動き出すなんて……。

 

(そういえば、あの洞窟内で沸いた死者と、何か関係があるのかしら?)

 

 未踏の洞窟内で出会った、あの死者の群れ。

 フリーレンやアニエスが言うには、あいつらは元々動き回って生者に襲い掛かっていたと言っていた。ジャネットも戦ったとか言ってたっけ。

 あれと何か関係があるのだろうか?

 

「ねえ、フリーレン、何か知って……」

 

 ここでルイズは、己の使い魔を見て……息をのむ。

 フリーレンは、ずっと神妙な顔で聞いていたのだが、多分、今までにないくらいに冷たい色の目を宿していたからだ。

 それと同時に、すごく「面倒くさい」といったような、苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべていた。

 

「……やっぱりいるのか」

 

 やがて、フリーレンはぽつりと呟く。

「ねえ、知ってるんでしょ!? 教えて、あれはいったい何なの?」

 最初に食ってかかったのはモンモランシーだ。だが、周囲も彼女と同じ感情で、フリーレンを見つめている。

 やがて、周囲の視線を受けて、フリーレンも答えを返す。

 

「あの竜はおそらく、〝服従させる魔法(アゼリューゼ)〟で服従を強いられた『生きていた竜』だ。あの魔法によって操られた生物は、身体が朽ちてなくなるまで永久に動き続ける。さっきキュルケ達が言ってた兵隊たちも同様だと思う」

「あぜ、りゅーぜ?」

 

 聞いたことのない魔法名に、首をかしげるルイズ達。

 

「ルイズやキュルケには前に話したことがあると思うけど、私の世界には『魔王軍』と呼ばれる勢力があった。勇者ヒンメルによって魔王が討たれたことで、勢いは弱まったけど」

 

 いきなりの飛躍した話に、ギーシュとモンモランシーは呆気にとられる。

 コルベールも初見だったが、別世界やヒンメルについては前もって聞いていたため、特に疑問に思うことなく静聴する。

 

「この魔法を扱う奴は、かつてその魔王軍に属していた魔族……その中でも魔法の高みに至っていると謳われた軍直下の幹部級、〝七崩賢(しちほうけん)〟に名を連ねた大魔族……」

 

 そして、かつて自分がこの手で葬ったはずの魔族だった。

 

「〝断頭台(だんとうだい)のアウラ〟。奴が使っていた魔法だ」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。