狐は鳴く─金眼妃の迷い道─   作:水平線上の味玉

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〇〇一:帰郷と離郷

 託児所帰りの夕暮れの田舎道。

 小さな男の子が大好きな母の手に引かれてご機嫌に帰路についていた。

 橙色の太陽に山が被って夕陽の光が線となる。ギラリと太陽の縁が光ってあまりの眩しさから男の子は甲高い声を上げて母の背中に隠れてしまった。

 

「眩しかったねぇ、よしよし。太陽をじっと見ちゃだめだよ? 失明してしまうから」

「しつめいってなぁに?」

「目が見えなくなっちゃうの。太陽はね綺麗だけど見ちゃだめなの」

 

 そう言って母親が男の子の両目を手で隠した。

 ぎゅっと抑えられて何も見えない真っ暗闇に置いて行かれる。

 

「おかあさん! こわい!」

 

 母に教えられた暗闇の恐怖で、男の子はわんわんと泣き始めてしまった。

 大粒の涙を滝のように流して目を覆った手をびちょびちょに濡らすものだから、やりすぎたと慌てた母親が男の子を抱きしめる。

 

「ごめんね、怖かったよね」

 

 泣きじゃくる男の子の背中を擦って声をかけ続ける。

 息子の大事な目を守るためとはいえ、もう少しやりようはなかったのかと後悔する母親は子育ての難しさを痛感していた。

 ひたすら泣いて、泣きつかれてようやく大人しくなった頃には夕陽の半分が地平線に消えていて黄昏時となっていた。あっという間に夜へと移り行く夕方の時間に、母親は焦りを見せて男の子の手を引く。

 

「ほうら帰ろうか。今日の晩御飯はきょうちゃんの大好きなハンバーグだよ」

「うん……」

 

 目元を真っ赤にした男の子はしっかりと母の手を握ると自分の足で歩きだす。

 強い息子の姿に母の顔には思わず笑顔が浮かぶ。

 

「よし、ここを曲がろうか。近道しちゃおう」

 

 街灯があるとはいえ人気のない夜道を幼子を連れて歩くわけにはいかない。

 焦りを見せる母親は横道に入ろうとした。

 横道といっても、両脇がコンクリートブロックの塀の家と家の間の小道で、普段から利用している生活道である。

 確かに少し狭いが、晩御飯の匂いと団欒の声がよく聞こえる近道で、いつでも助けを呼べる安全な道。

 慣れた様子で進もうとした母親だったが、いきなりキュッと手を引かれて立ち止まる。

 男の子が小さな手に力を入れて母親を止めていた。

 

「きょうちゃん? どう……」

 

 どうしたの? と言おうとして途中で口が止まる。

 母親を引き留めた男の子はさっきまで泣いていたのは何なのかという風に、鋭い目つきで小道の向こう側を睨んでいた。

 

「おかあさん。このみちはだめだよ。ぼくたちのみちじゃない」

 

 母親は粘り気の強い唾を飲み込む。

 とても未就学児には見えない至極真剣な面立ちの息子に、母親は既視感があった。

 

「きょうちゃん、─────みたいなことを言うのね」

「? おばあちゃん?」

「うん。─────もお母さんが小さい頃、きょうちゃんが言ったみたいなことを言ってお母さんの手を引っ張って帰ったことがあったのよ」

 

 男の子が会ったことのない祖母の話をして、母親はうん、と大きく頷いた。

 

「じゃあいつもの道で帰ろっか。もうすぐ暗くなっちゃうから急ぐよ」

「ぼくはしれるよ!」

「よし! あそこの電柱まで競争だ!」

 

 徒競走の結果は男の子の圧勝だった。

 たった少しの距離なのに息を上げる母親は、底無しの体力の息子の成長が嬉しくて、苦しくて膝に手をついているというのに笑みがこぼれる。

 

「あーあ。負けちゃった……え?」

 

 汗を拭うついでに横を向いた母親は言葉を無くす。

 母親の視線の先にはさっき曲がろうとしていた小道があった。

 カレーの空腹の腹を刺激する香ばしい香りと、騒がしいくらいの子供たちの声が聞こえてくる。いつもの抜け道のいつもの光景がそこには広がっていた。

 

「おかあさん! ちかみちしようよ!」

 

 

* * *

 

 

 いつからだったか、心にぽっかりと空いた隙間を抱えながら生きてきた。

 ガタンゴトン……ガタンゴトン……。

 廃線が噂されるローカル線の、古めかしくも趣のある列車に揺らされて、京介は故郷への旅路にいた。三時の軽食にコンビニで買った菓子パンを頬張る。

 

「変わってない訳ないよな」

 

 故郷の地に降り立った京介は感情もなく田舎の景色を俯瞰する。

 田舎といっても、駅前はそれほど田舎というわけではない。勿論、駅前を抜ければそこは田んぼが広がるだけだし、何駅か先に行けばもう無人駅ばかりである。

 その周辺では一番栄えている筈であろう駅前。しかし、そこはあり得ないほどに閑散としていて、人の気配が極めて少ない。

 

 少し歩くと商店街が見えてくる。小さな頃はここで母にお菓子をねだっていた。懐かしい思い出に目頭が熱くなりそうになるが、シャッター通りの銀色の鈍い輝きは吹雪の中にいるようで、涙が出る前に心が冷え切ってしまう。

 京介の記憶の中だと、もっと賑わっていたはずだった。

 全国的にも商店街のシャッター通り化はよくあることだろう。人が外に流れ、町の活気が失われるなんて、京介の故郷もいつかは迎えていた未来だ。

 けれども、この惨状にはまた少し違った理由があった。

 

「……まだ終わってないのか」

 

 足を止めた京介の前にあったのは掲示板。

 町内の催し物を貼りだしたりするはずのそれには夥しい程の人の顔が貼り出されていた。

 それらの目的は全て同じ。失踪した人々の捜索願だった。

 

 京介の故郷では十年ほど前から謎の失踪事件が続いていた。

 ある日突然、忽然と人が姿を消すのだ。そして帰ってきたものは一人としていない。

 これは神隠しとして大きなニュースになった。そりゃあそうだろう。警察が総力を挙げようにも警官が消えていく。人が消える怪事件が終わらないのだ。

 

 心霊現象に紐づける人が現れるまでそう時間は経たなかった。町の人間が土地神を怒らせたのだろうと、唾を飛ばしながら興奮する人間がお茶の間に流れた。

 神隠しはまだまだ終わらない。これまでの犠牲者は地元の人間だけだったが、遂に他所から来た人間も消えた。ホラー系の動画投稿者だったそうで、到着の動画を投稿した翌日、二度とホテルに姿を現さなかった。

 これが最後のきっかけになったようで、この町に外から人がやってこないようになり、町の人も一斉に町の外へと出て行った。京介も例外ではなく、高校を卒業と共にこの町を出て行った。

 数年ぶりの帰郷だが、その時ですら悲壮感に包まれた街だったのに、今では空気感すらない虚無の町へと変貌している。

 

「ただいま」

 

 暫く歩いた先に京介の実家があった。錆び付いた鍵を回して入る。声掛けに答える者はいない。

 久しく会わなかった家主を家は埃で迎え入れた。

 

 京介の家は物が殆ど残されていない。水道も、電気ももう通っていない。

 窓を開ける事すらもせずに、京介は一直線にある部屋を目指した。

 そこは祖父母の写真が壁に飾られ、奥に机が一つだけの、殺風景な和室だった。

 

「帰ってくるまでに時間がかかっちゃったな」

 

 そう言いながら、京介は鞄から一つの写真立てを取り出して机の上に置いた。

 その写真は中年の男女が映ったもの。両者とも良い笑顔で、特に女の方は京介とよく似ていた。

 

「あれからもう七年だってさ。あっという間だよなぁ」

  

 そう、この写真に写る男女は京介の実の両親だった。

 そして、両親も神隠しの犠牲者だった。

 両親の帰り道、夜のことだった。偶然駅で合流した、と晩御飯の惣菜の写真と共に送られたメールを最後に二人は姿を消したのだ。まだ、失踪事件が悪乗りだと相手にされていない頃のことだった。

 

「七年経つと失踪宣告ができるんだって。法律上の死亡認定らしくて、なんか苦しいよなぁ」

 

 実家を完全に手放す前に、どうしても両親を家に帰してやりたかった。

 中々踏ん張りが効かずにいたが、思い切って来てみれば、思ったよりも実家の居心地は悪くなくて、一つ、気持ちに区切りがついた。

 

「お祖母ちゃんたちの写真も持って帰らないとな」

 

 ついで、といっては祖父母に叱られそうだが、忘れていかないで済んで良かった。

 仏壇は叔父の家にあるとはいえ、小さい頃から見慣れた祖父母の顔を置いていくのは大問題だろう。

 

「さて、と。晩御飯どうしようか」

 

 最初から一泊するつもりではあったが、移動中、感傷に浸るあまり晩御飯を買うのを忘れていた。

 廃墟の立ち並ぶこの町は、店ももう殆ど開いていない。かろうじて駅前のコンビニが時限で開いているくらいだろう。

 

「駅までって……結構距離あるけどなぁ。一食ぐらいいいか」

 

 菓子パン食べたし、と腹を擦った京介だったが、机の上の写真の中の母と目が合う。笑顔の筈なのに何故か怒っているように見えた。

 ちらりと外を見る。まだ少し明るい。走っていけば帰るころは夕焼けの時刻だろう。

 夕方にはいい印象がない。けれど、母に叱られては頭が上がらない京介は渋い顔で鞄を手に取って外に出た。

 

 京介が選んだのは唐揚げ弁当。腹は空いていないつもりだったが、いざ目の前にすると本当においしそうに見えて、もし我慢していたら泣きながら眠りについたのだろうと思うと母親には感謝である。

 

「懐かしいな。この道」

 

 橙色の帰り道を歩いていた京介が微笑みを携えて言った。

 よくこの道を母と歩いて帰ったのを覚えている。

 太陽が山陰に隠れる一瞬、カッと光る。沈む夕日の光の線が京介に差した。

 

「……おばあちゃん」

 

 ぽつり。意図していない声が京介の唇からこぼれた。己でも驚いて口元を手で覆う。

 そのまま立ち竦む京介の顔色がどんどん悪くなっていく。夕陽に照らされて朱いはずの顔が真っ青に見えた。

 

「なんで、今思い出すんだ」

 

 飛び跳ねるように、顔を横に向ける。そこには横道が続いていた。京介の家への近道。

 小さい頃からよく通った近道。見慣れているはずなのにその道を前にして京介の呼吸が荒くなっていく。

 

「この道はまだ先の筈……そうか、だから」

 

 気が付けば、京介の身体はその横道へと向いて一歩を踏み出していた。

 京介の意志ではない。身体が勝手に動いていた。

 

「おばあちゃんは言っていた。行ってはいけないって。狐の道だけは迷い込んではならないって」

 

 進んではならない。行ってはいけないと小声で呟くが、一歩一歩確実に横道へと近づいていく身体は止まってくれない。

 そして遂に最後の左足が、小道に入る一歩を踏み出す。

 

 とぷん。

 

 柔らかな膜を通り抜けるとぐわんと目がまわった。越えてはならない境界を越えてしまった感覚があった。

 

 

 

『きつねがなく わんわんわん』

「え?」

 

 突然聞こえた子どもの声に、京介は足を止めようとする。しかし、京介の身体は脳からの命令に従わず、勝手に前へと進んでいた。

 

『ゆきのは みつのね かすみのみき』

 

 京介の目の前に広がるのはあの頃のままの近道だった。

 カレーの香りが鼻腔をくすぐり、特撮ヒーローの音声と子どもの笑い声が聞こえる。

 そこの住民はとっくに町の外に出て空き家の筈なのに。

 

『きつねがなく ぴよぴよぴよ』

 

 辛うじて動く首を捻って来た道を見ようとする。

 するとあるはずの道は無くなっていて、来た道には見渡す限りの小道が続いていた。

 

『よるはたいよう からのつき ひるにゆめ』

 

 理解の及ばない状況だというのに、不思議と京介は落ち着いていた。全てを理解したかのような万能感に包まれ、根底から全て作り変えられる感覚。

 自分という存在が消えてしまう喪失感すらも、妖星の降り注ぐ満天の星空の下だと心地よくて、破滅的な追い風に身を任せてしまう。

 

『きつねがなく ちゅーちゅーちゅー』

 

 ふと、愛してやまない匂いを嗅ぎ取った。星空を見上げていた顔を前に戻す。

 遥か前、2つの微かな光が蛍のように踊っているのが見えた。それが何かなんてわかる知識を京介は持ち合わせていない。けれども、それらにどうしても近寄りたかった。手のひらで包みたいと切望した。

 願いが通じたのだろうか。確かにそれらは京介が進むたびに少しずつ大きくなってきていた。接触するまで時間の問題だろう。

 

『いとのはこ きおくはつくえ ひとをかたる』

 

 しかし、その時だった。

 突然としか言いようがない。真っすぐな一本道だったはずの近道に横道が現れた。京介は確信する。狐の道に存在するはずのない横道だ。

 

 

 そして、自由を失って勝手に動く京介の身体は、無慈悲にも90度のステップを踏んだ。

 曲がり角で、視界が失われていく。手を伸ばそうにも、その腕に意志が通わない。

 愛おしい匂いのする2つの光が見えなくなってしまう。

 

『きつねがなく こんこんこん』

 

 

* * *

 

 

 その日の(ヨウ)家はいつにもなく緊迫していた。

 その家に仕える者たちも、いつも通りの仕事に従事しているが、どこか落ち着かない。

 未明から始まったその緊張は太陽が昇り、沈む黄昏時になって漸く一段落ついた。

 

「産まれたか!!」

 

 男が強引に扉を開けて入ってくる。

 その部屋には布団に横になる女と、赤子を抱く産婆がいた。

 

「どっちだ」

 

 男は開口一番そう言った。

 産後で口を開けない女に変わって産婆が答えた。

 

「姫君でございます」

 

 産婆が伝えると、父親と思しき男が小さく震える。

 まさか怒りを堪えているのだろうか。産婆は恐怖に震えるが、顔を上げた男には喜色が浮かんでいた。

 

「よくやった! 間に合ったぞ! 次期皇帝の父はこの私だ!」

 

 男の大きな声に反応して赤子が泣き始める。

 元気いっぱいな赤子を見て、男はくつくつと笑った。

 

「こいつは大物に育つぞ。ほら、もう目を開けて……」

「旦那様。どうかなさいましたか?」

 

 上機嫌だった男が急に黙り込む。産婆が尋ねようとも顎に当てた手を動かさず、沈黙を続けた。

 

「……金の眼」

「金の眼……ですか?」

 

 息が整ってきて、声を出す余裕の生まれた赤子の母親が、男の溢した小さな呟きに疑問を投げかけた。

 金の眼なんて見たことがない。もしや病だろうか。そう思うと気が気でなかった。

 

「そう興奮するな。寧ろ吉兆だ。私の祖母がその金の眼だった。もっとも、私の知る限りその目の持ち主は御婆様ただ一人だがな」

 

 そうだ、と男が手を叩く。

 

「御婆様から名前を頂こう。時の皇帝の隣に最後まで添い遂げた才ある御仁だ、これ以上ない良い名前じゃないか」

 

 男は筆と紙を用意させると、達筆な字で書いた。

 

「名は嬌仙(キョウセン)。偉大なる我が祖母と同じ名を持つ娘として、輝かしい黄金の未来を期待する!」

 

 声高々にそう宣言する。

 この日、奇妙な因果を持つ娘が誕生した。

 

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