狐は鳴く─金眼妃の迷い道─   作:水平線上の味玉

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〇〇二:お転婆金眼娘

「おかしいな。確かに気配はしたんだけど」

 

 市場の裏路地で嬌仙(キョウセン)は首をかしげる。

 嬌仙が探しているのは『道』である。その道はただの人が通るための道ではない。確かにこの世に存在するが、人の目に映らず、存在もあやふやで普通なら通ることもできない道。

 だが、曖昧であるからこそ、妖星瞬くその道にはなんでもある。

 

 そんな道をこの地、大河に面して農業と舟による運輸で発展してきた辿(テン)国有数の有力地、河昇(カショウ)を治める(ヨウ)家の姫である嬌仙はずっと探していた。

 

「駄目だ、完全に匂いが消えた」

 

 『道』は一般的ではない。むしろ、そんなことを口に出したら気に狂っていると尼寺に送られて、俗世から隔絶されてしまうだろう。

 しかし、嬌仙の金の瞳には悔しさこそ浮かぶけれど、『道』を疑うような迷いはない。

 それもそのはず。嬌仙はその『道』を実際に通ったことがあるのだから。

 

 嬌仙には前世がある。(自意識の連続性が確立されているので、前世というには違和感があるが、まるっきり体が変わってしまっているので、己の中では前世と区切りをつけている)

 その前世とは京介という現代日本で産まれ生きた男のこと。町全域に広がった謎の失踪事件により人生をバラバラにされた男の記憶である。

 

 嬌仙が通った『道』というのは京介の時の話だった。少年だったころに両親が神隠しに遭い、町を離れていた京介が決別のため、久しぶりに町に足を運んだ夕方のこと、夕飯を買いに出かけた帰りにその『道』と遭遇した。

 そして、『道』は京介を引き込んだ。

 この世のものとは思えない『道』を進む京介。気が付けば意識を失っており、目を覚ましたときには首も座らぬ赤子の嬌仙になっていた。

 

 驚いたなんて言葉では言い表せない混乱にあったが、女の身体になって早十六年。嫌でも慣れてくるし、受け入れてくるものもある。

 けれども、どうしても嬌仙にとっての故郷とは夕暮れの美しいあの街であり、今のこの世界は己の居場所でないと線を引いてしまう。

 息苦しさを覚えてやまない嬌仙は、いつもこうして屋敷を出てはあの日のあの道を探していた。

 

 この街に『道』がありそうなのは随分前から感じ取っているのに、一向にその尻尾を掴めない。

 今日もまた見つけられなかった嬌仙は、大きな溜息を吐きながら顔を覆う布を取った。すると、その布で隠されていた嬌仙の顔が白日の下にさらされる。

 夜のような黒の髪、透き通った白い肌。完成された美貌は艶やかな色気を纏っている。しかし、意志の強い輝くような金の瞳が、嬌仙の溢れる色香をただ甘ったるいだけのものにせずに、近寄りがたい気品として昇華させていた。

 

「はぁ、あっつい……」

 

 もっとも、この様に股を広げ膝に手を置き、眉を下げて溶けていては全て水の泡なのだが。

 季節は夏。裏路地の常に影になる場所とはいえ、変装の為に何重にも着込んでいれば暑さでのぼせ上ってしまう。特にその派手な顔を隠すそれは己の息と汗で蒸れて呼吸すら苦しかった。

 

「嬌仙様! また私を置いていきましたね!!」

「悪い悪い。つい夢中になってしまって」

「反省した風でもいっつも私を撒くではありませんか! 全く、どうしてお嬢様が市場生まれの私よりも市場に詳しいのやら」

 

 脇の木材に腰を下ろして涼んでいると、屋敷の使用人の良駿という男が息を切らしながらやってきた。

 流石の嬌仙でも屋敷の外に一人では出ない。舟が行きかい、人の往来の激しいこの市場はお世辞にも治安が良いとは言えない。そのため、必ず護衛を連れていた。良駿は嬌仙の護衛係である。他にも人員がいるにはいるのだが、いつの間にか嬌仙のお忍びの専属護衛になっていた。そんな役職は無いので給料は上がらず、嬌仙の思い付きに振り回される損な役回りである。

 

「本当に危険なんですからね!? いい加減護衛を撒かないでください!」

「見失う良駿が悪いんじゃない?」

「ぐッ、それは……そうですが……」

 

 良駿という若い男は揶揄われている時が最も輝く。嬌仙はそれが可愛くていつも連れまわしていた。

 落ち込む良駿を尻目に、嬌仙は上を見上げる。

 見えるのは建物の軒だけ。嬌仙はその何も無い空間を向いてぱちぱちと二度、瞬きをする。すると僅かな埃が落ちてきた。

 

「ご苦労様」

「? 何か仰いましたか?」

「いいや? なにも」

 

 まさか、嬌仙に振り切られる男だけが護衛なわけがない。常に気配を消した護衛がついていて、嬌仙を守れる距離を維持している。

 

「さて、じゃあ行こうか」

 

 尻についた土ぼこりを手で払いながら立ち上がる。

 

「わざわざこんなところに何用なんですか?」

「うん? ここに用はないよ。いい真珠が入ったと聞いたから自分の目で見ようと思ってね」

「真珠? って宝石店は真反対じゃないですか!」

 

 大きな声を出す良駿に、嬌仙はカラカラと満足そうに笑いながら歩き始めた。

 

「ちょ! お嬢様! お顔をお隠しください!」

 

 

* * *

 

 

「まさかあんな目に遭うとは……」

 

 小袋を大事そうに抱える良駿がゲッソリとした顔を見せる。

 

「仕方ないじゃないか。あんなに歓待されては無下にもできないよ。それにしてもこんな()()だから門前払いされると思ったのに、一瞬でばれたな」

「そりゃあ楊家の珠玉の双華ですから。あの商家ほどになれば誰かしらお嬢様のお顔を知っていますよ」

 

 今の嬌仙が身に纏うものは庶民のものと相違ない。にもかかわらず顔隠しを外す前に宝石屋の人間に見破られ、雨あられのもてなしを受けた。

 良駿が必要以上に疲れているのは、嬌仙が商店の衣裳部門に突き出したからである。鬼のように全身の採寸をされ、着せ替え人形にされたらしい。

 

「まぁ、良駿の稼いだ時間のおかげでいいものを買えたよ」

「絶対私の時間は関係ないですよね?」

 

 恨めしそうな目をする(しかし主人に向けるわけにもいかないので横目)の良駿が嬌仙に訊く。

 

「それで、簪ということは芙蓉(フヨウ)様への贈り物でしょうか?」

「正解。もうすぐだからね」

 

 芙蓉というのは嬌仙の一つ上の従姉妹である。

 嬌仙とは正反対の儚げで清楚な美人であり、二人合わせて楊家の珠玉の双華と呼ばれる。

 そんな芙蓉だが、近い内に皇太子の后候補として翡翠の園に入内することが決まっていた。

 芙蓉の晴れの舞台ということもあるが、旧後宮である翡翠の園に入ってしまえば今までのように会えなくなるので、今回の贈り物には気合が入っていた。

 

「芙蓉様はお喜びになるでしょうが、旦那様は良い顔をしないでしょうね……」

「適性は十年前から分かっていたのにね。諦めの悪い父上だよ」

 

 翡翠の園の后候補は数えるほどにしかなれない。それらすべてが名だたる名家の娘であり、有力な楊家ですら一人しか入内ができない。

 そこで、兄弟である芙蓉の父と嬌仙の父は、どちらの娘が后候補に相応しいか、常に競わせてきた。

 父らからしたら、どちらかの心を折らせたかったのだろうが、片や大らかで優秀な淑女、片や最初から成熟した中身成人男性の娘。狙い通りの競争なんて起きるわけもなく、頻繁に会い、贈り物を贈り合う仲に納まった。

 それで苦汁を舐めたのが嬌仙の父である。

 異性愛者の元男が男に嫁ぐために本気を出すわけがない。そこそこにしか成績を残さなかったため、楊家からの后候補は随分と前に芙蓉に決まっていた。

 

「父上は芙蓉を軟弱者と(そし)るけれど、芙蓉程図太い女はそう居ないのにね」

「芙蓉様が?」

 

 普段の様子から想像できないのか、良駿は首をかしげる。

 

「そうなんだよ。まぁ、単純に頭の出来でも勝てはしないから、芙蓉が選ばれるのは必然だけど」

 

 前世の義務教育はこちらでは超高等教育である。そんじょそこらの学者に一方的に言い負かされる気はしない。だが、それ以外の直感を嬌仙は持ち合わせていなかった。

 その直感とは権力絡みの政治的視野である。

 生まれた時からお姫様の芙蓉と、最初から完成品且つ紛い物の嬌仙ではそれが大きく違った。

 

 后候補が集められて、その中からたった一人が選ばれるのだから、そこにはそれぞれの家の欲望と策謀が入り混じる。芙蓉にはそれを嗅ぎ取る嗅覚があるし、間違いなく生き残る信頼もあった。

 

「さて、と。次の店に行こうか」

「次はどちらに?」

「お師様のとこ」

 

 嬌仙がそう言うと、良駿は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「またあの老婆のところですか。大丈夫ですか? 怪しい壺を買わせられたりしていませんか?」

「お師様を何だと思っているんだ、お前は」

 

 嬌仙がお師様と慕う老婆の所在は裏路地の、これまた細い所に構えた小さな店である。

 今いるところからそう離れた場所ではなく、少し歩くと着く。

 赤い玉を無数に繋げた暖簾をくぐって入る。

 

「お邪魔します。お師様いますか?」

「おお、嬌仙。よくきたね」

 

 店の奥から腰の伸びた老婆が出てくる。

 老婆は嬌仙に座るよう勧めた。

 

「元気そうだね。相変わらず見つからないのかい?」

「はい……今日は特に気配が強かったのに見つかりませんでした」

 

 嬌仙の持つ鋭い感覚はこの世界でも常識ではない。日本と同じく非常識な力であり、同じような力を持つのはこの老婆くらいしか嬌仙は知らない。

 嬌仙が師匠と出会ったのは例の道を探してたまたまこの路地に入り込み、この店の前を通った時に声を掛けられたのが始まりだった。

 『道』は非常に恐ろしいものである。嬌仙も、京介の時に『道』に迷い込んだ時は身体を動かす自由を与えられずにこの世界に送り込まれた。

 師匠から教わったのはそれに抗う(すべ)である。技というには形のある技術ではないが、もし老婆に教わらなければ、仮にあの時の道に邂逅出来たとしても、京介の二の舞になっていただろう。

 

「それで、何の用ですか? お師様から呼ぶなんて」

「そうそう。これだよ、お前に渡すよう頼まれていてね」

 

 そう言って何やら白いものを手渡してくる。

 それは包み紙のようだった。中に何かが入っている。

 

「屋敷についてから中身を見ろとの言付けもついているよ」

「差出人の名前が無いのですが」

「それは内緒だね」

「はぁ」

 

 釈然としないまま、小包を懐に仕舞う。

 店の様子に違和感を覚えた嬌仙が、師匠に訊く。

 

「物が減りましたか? 大掃除はいつもこの時期じゃないですよね?」

「ああ、長旅に出ようと思っているからね、それの準備さ」

「長旅?」

「オレももう歳だろう? 足腰が動くうちに世界を見て回りたくなったのさ」

 

 店は師匠一人で切り盛りしている。長く留守にするのなら当然何も残してはいけないわけだが、味のある骨董品が一切合切処分されているのを見ると寂しい気持ちになる。

 

「……あの!」

「だめだよ。お前は楊の娘だろう。許されない自由というのは存在するものさ」

 

 まだ何も言っていないというのに、ぴしりとたしなめられてしまう。

 実家から逃げるようにこの店に入り浸っていた嬌仙の心の内なんか、師匠にはお見通しである。

 がっくりと肩を落とすが、それを慰める人間はここには居ない。良駿なんかは、もっと言ってやれという顔で、嬌仙の放蕩娘の普段の行いが表に出ていた。

 不貞腐れていると店の奥で物音がした。気になって身を乗り出すが、師匠が嬌仙の前に立って見えなくなってしまう。

 

「旅支度の邪魔だよ。さっさと帰りな」

 

 呼び出したのは師匠だというのに、用事が済むと強引に外に追い出された。

 気を落とす嬌仙には夏の熱気が辛い。

 

「避暑地にでも行かれますか?」

 

 良駿がそう提案するが、嬌仙は首を振る。

 

「帰ろうか、青鈴(セイリン)が菓子を作って待ってる」

「ご相伴にあずかっても?」

「いいけど、お前青鈴のことになると目の色変えるよな。もう少し隠したらどうだ?」

「青鈴の菓子ほど美味いものはございませんので」

 

 呆れたように肩を竦める。主の娘よりも、娘の側仕えの菓子らしい。

 これくらい適当で正直な人間だからこそ、嬌仙は良駿を気に入って連れまわしているわけだが、他所でもこんなことをしていないか心配になる。

 今のところ何も問題を起こしていないから、猫被りはうまいのだろうが。

 

「翡翠の園……ねぇ」

「お嬢様? どうかなさいましたか?」

「いいや、嫌な風が吹くなと思ってね」

「そうでしょうか。蒸し暑いばかりで無風ですが」

 

 どうにも胸がざわめく。折角市場まで来たというのに気が晴れないまま屋敷へと帰った。

 

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