狐は鳴く─金眼妃の迷い道─ 作:水平線上の味玉
──カチャン
嬌仙の部屋は、大輪のように華やかな本人と違って、物が少なく、地味な色合いの部屋である。
その嬌仙の部屋には嬌仙のほかに二人。ほぼ専属の護衛の
青鈴が作った菓子を頬張る良駿を肴に、これまた青鈴が淹れてくれた茶を飲む。
この空間は非常に穏やかで、自然体だった。
それもそのはず、この三人は幼いころから一緒に育った仲なのである。
良駿は護衛として、青鈴は侍女として嬌仙につけられたわけだが、当の主である嬌仙が堅苦しい間柄が苦手なものだから、なかなか見ない主従関係になっていた。
「ところでお嬢様。その小包の中身は何だったのです?」
「良駿、もっと礼節をわきまえなさいよ」
満足そうに腹を擦る良駿が机の上の小包を見ながら言う。
そんな良駿が気に食わない青鈴の叱咤が飛んだ。
この二人のやりとりはいつものことで、見慣れた嬌仙は目に入らなかったように小包を手に取る。
師匠を介して物が届けられるなんて今までになかった。嬌仙と師匠はその二人だけで関係が完結しており、共通の知り合いでこういうことをする人に心当たりがない。
小包は上等な白い紙である。
ここまで上質な紙は一般には流通しておらず、送り主の地位の高さを示していた。
「中身は大丈夫なのでしょうか」
「うん? 大丈夫って?」
「それはその、毒とか」
差出人不明の小包に、青鈴が眉を顰める。
心配するのも無理もない。楊家は大きな家だが、それだけ敵も多い。親族の誰々が襲われたなんていう話は時々耳にする。
跡継ぎでもない女の嬌仙を狙う理由は薄いが、神経質になるぶんには損をしない環境である。
「んー」
嬌仙は小包をひっくり返して裏表を見た後、日差しにかざして中を透かした。
「……花と、小袋?」
影からそう判断した嬌仙は小包を開けて中身を確かめた。
開けるとすぐに、ふわりと甘い香りが鼻を通る。入っていた小袋の中に詰められた香草の香りだが、鼻を鳴らした嬌仙は固まって動かなくなった。
「嬌仙さま……?」
「父上と叔父上に確認を」
「はい?」
硬い声で青鈴に命令をする。
「
その声に反応して部屋から飛び出したのは良駿だった。ただならぬ様子の嬌仙から、状況を理解して動き出す。
「あの莫迦。図太いなんてまだまだ甘い表現だったな」
爪を噛み、金の瞳を細める嬌仙に、青鈴は息を飲む。
青鈴は思う。覇気とは生まれた時に決まっているのではないのかと。もし、主が男ならば、もし、主が人の上に立つことに無関心でなければ、金の瞳を持つ我が主はこの国の龍に並び立つ御人だったろうに。
はぁー、と大きく深呼吸をして背もたれに体を任せる嬌仙は、青鈴に茶の代わりを頼んだ。
* * *
「おかえり。追加のお使いを頼んで悪かった。それで、どうだった?」
「お嬢様の仰ったとおりあの店はもぬけの殻でした。もう出発した後かと」
「父上と叔父上は?」
「包囲網を敷くそうですが」
「まぁ、捕まらないだろうね。お師様も一緒にいると来たら」
良駿の報告を聞いて、嬌仙は頭を抱える。
よく状況を理解していない青鈴がおずおずと訊いた。
「どうかなさったんですか? その小包の中身に理由が?」
「
「芙蓉さまが!?」
嬌仙は小包の中身を机の上に広げた。黄色の可愛らしい花と、鈴蘭の刺繍がされた小袋の二つである。
その小袋の方を青鈴に手渡す。そして鼻を指差し、嗅ぐように身振りをした。
嬌仙が言葉にしないので、困惑したままの青鈴だが、鼻にその小袋を近づけるとハッとしたように顔を上げる。
「この香りは……」
「そう、芙蓉の香り袋だよ」
芙蓉が拘り持って調合したもので、この世に二つとない。香り好きの芙蓉に相手させられてそれなりに詳しくなった嬌仙が言うのだから間違いない。
「でも、これでは出奔とは限らないのでは……言いにくいですが人さらいとか……」
「攫われてこんなもの用意できる余裕なんてないだろうけどね。確信したのはこの花だよ」
呆れた表情の嬌仙は、黄色い花の茎を摘まむと、くるくると手慰みに回す。
花弁がばらばらに散らず、花の形を保って風に乗って空を舞い種子を運ぶ珍しい花である。
「花言葉は希望の旅立ち。永遠の別れのつもりじゃないのが本当に自由人だなぁ」
嬌仙が芙蓉を図太いと評したのはこういう所である。
手折れてしまいそうな儚げな女ではあるが、見た目とは裏腹に非常に肝の据わった女である。
そんな芙蓉だから后候補に向いているのだが、嬌仙以外にあまり知られていない、芙蓉のある特性があった。それは旺盛な好奇心である。
箱入り娘として育てられた反動か、芙蓉は人一倍、外の世界に興味を抱いていた。それなのに親族から多大な期待を寄せられていたため、決して表に出さなかった芙蓉のその想いを嬌仙は知っていた。
「どうして芙蓉様はあの老婆と知り合いだったのでしょうか」
良駿が当然の疑問を口にすると、嬌仙がわかりやすく顔を逸らした。
「お嬢様?」
「いや、紹介したのは私だけどな? その一度っきりだし、まさか芙蓉がお師様と私抜きに繋がっているとは思いもしなくて。にしてもあの時の物音は芙蓉のものだったのかもしれないのか……」
つらつらと言い訳を口にする嬌仙は完全に諦めたのか、感心して手を叩く。
あまりにも早い行動である。店を出てから嬌仙が包みの中身に気が付くまで二時間足らず。もっと早く気付く可能性もあっただろうに、こうも綺麗に雲隠れするだなんてお嬢様にしては上出来だろう。
今頃舟に乗って都に向かっているのだろうか。いや、その場合は馬に追いつかれて見つかる。とすれば徒歩か馬車か。どちらにせよ師匠の上をいかねば見つからないので、やはりこのまま自由をほしいままにするのだろう。
師匠と一緒ならば身の安全を心配しなくていいのもよい。
「芙蓉さまの反抗を楽しんでおられますが、嬌仙さまも他人事ではありませんよ」
「うん?」
青鈴がずいと身を乗り出す。
「芙蓉さまが出奔されたということは、后候補が逃げ出したということです。楊家に姫を入内させないという選択肢はございませんので、当然代役を立てる必要があります」
「おい、ちょっと待て」
「もう止められませんよ」
「……ほら! 一族の娘なら他にいるじゃないか」
嬌仙は指を折って、親族の娘を数えようとする。しかし、全く条件の合う娘がいない。流石に十に満たない娘を数えるわけにもいかないだろう。
「よしんば居たとして、嬌仙さまを差し置いて選ばれるわけがありません。嬌仙さまは皇族の尊い血を引いているのですから」
嬌仙の名前の元になった曾祖母が当時の皇帝との間に儲けた子が祖母である。父と叔父の母でもあるので、嬌仙には皇族の濃い血が流れていた。今は亡き祖母は皇籍を離れて祖父に嫁いだわけだが、それでも貴ばれる血には間違いなく、それは芙蓉も同じだった。
ちらりと窓を見る。逃げ出すなら今この瞬間だけである。
しかし、嬌仙の思考を読んでか、既に良駿が窓の前に立っていた。鍛えられた男の身体を押しのけられるなんて思えない。
「そこをどけ良駿」
「難しい話ですね。私はお嬢様の護衛である前に旦那様の兵士なので」
既に父に逃がさないようにと命令されているらしい。
窓から出られないとすれば、正攻法で部屋の扉から出るしかないのだが。
その時だった。扉を叩く音と、父の側近の声がした。
「お、おわった……」
父の呼び出しである。用事は、もう想像の通りだった。