悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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57話

「今、なんと仰いましたか?」

 

 私はぐっと眉間にしわを寄せてベルンを凝視しました。

 そんなことをしても相手の顔はよく見えないのですが、私が怒っていることは伝えられたのでしょう。

 

「そこまで怖い顔しなくてもいいだろ」

 

 ベルンはやけに言い訳がましい口調になって、

 

「形だけだよ、形だけ。レンヴェルのジジイが納得して、俺がこの先もおまえと暮らせるようにする口実」

 

 どこの世界に、そんな口実のために婚姻を結ぶ人が居るのですか。ふざけるのも大概にしてください。

 

「籍も入れなくていい。おまえはトウリ・ロウのままで」

 

 この世界に事実婚という概念があるのでしょうか。……いえ、問題はそこではありませんね。

 

「どうして、あなたがそこまでする必要があるのですか」

 

 責任はないと何度も言っているのに。私はあなたのお荷物になりたくないのに。

 

「あなたにだってやりたいことがあるのでしょう? 終戦まで生きのびられたらどうするか、考えていたことがあるのでしょう?」

 

 ベルンは「はあ?」と怪訝(けげん)な声を上げました。

 

「何だそりゃ。そんなこと言ったか?」

「はっきり言ってはいませんでしたけど、でも……」

 

 私たち、貧しい家庭に生まれましたし。

 子供の頃は生きていくのに必死で、将来のことなんか考えられなくて。

 成長してからはずっと戦争ばかりだったのです。そこから解放されたら当然、幸せな夢のひとつやふたつ。

 

 ベルンは「夢、ねえ」と熱のこもらない声でつぶやいて、

 

「特にないな」

「……そんな」

「強いて言えば、働かずにだらだら暮らしたい?」

「…………」

「何だよ、その『聞くんじゃなかった』みたいな顔は」

 

 他にどんな顔をしろと言うのですか。やっと平和な時代が来て、まともな暮らしができるという時に、真っ先に出てくる希望がそれですか。

 普通じゃない人だとは思ってましたけど、実は普通よりダメな人だったんでしょうか……。

 

「とにかく、差し当たってやりたいことはない。おまえ1人くらい、居ても居なくても変わらねえよ」

 

 だから、あとは私の気持ち次第だとベルンは言いました。

 

「おまえはどうしたい? 責任がどうとか言わずに、本音を言えよ」

「……っ!」

 

 ずるい人だと、心底恨めしくなりました。

 私の本音なんて、最初から決まっているのに。

 

「……あなたはどうなんですか」

 

 自分こそ、本音なんて口にしたこともないくせに。

 

「この先も私と暮らしたいと、そう思っているのですか?」

「…………」

 

 なんとなく、ベルンが視線をそらしたような気配がしました。

 

「思ってなかったら、最初からこんな提案はしてないっての」

「……嘘です」

「嘘じゃない」

「私には嘘だとわかります!」

「違う! おまえのそれは、ただの思い込みだ!」

 

 今度ははっきりと視線を合わせて、ベルンは至近距離から私の顔をのぞき込んできました。

 

「嘘に決まってるとか、嘘であってほしいとか! そういう感情に振り回されてるだけだ!」

「……っ!」

「その証拠に! 俺が本音でしゃべった時も、おまえが嘘だって決めつけた時はあった!」

 

 それはいつのことですか。本音ってどんなことですか。

 あなたは肝心なことは何も言ってくれないじゃないですか。

 嘘つきのくせに、私が1番ほしい言葉は、嘘でもくれたことがなくて。

 いつも、いつも、ごまかしてばかり。

 

「私は、あなたのことが好きなんですよ……」

 

 かすかに、兄が息を飲む気配が伝わってきました。

 

「……それ、嘘なんだよな? 前にそう言ったろ?」

 

 ええ、そうですよ。嘘に決まってますけど。

 私があなたに、たった1人の家族に強く執着していること。それはまぎれもない事実なのです。

 だけど、あなたがその気持ちを受け入れてくれないから、無理やりにでも自分のものにしたくて、こんな馬鹿げたことをしでかしたのかもしれないじゃないですか。

 

 ベルンの弱みは妹だから。

 妹に対してだけは、非情になりきれないことを知っていたから。

 体を壊した妹を、きっと放り出すことはできないだろうと思って――。

 

「全部、計算づくだったらどうするんですか? あなたの前で毒を飲んで見せたのだって、気を引くための芝居だったかもしれないのに」

 

 こういう時、まともな男性なら「そんなはずはない」とか「おまえを信じる」とか言うところなんでしょうけど。……私の兄は違います。

 

「それならそれでいいよ」

と軽く肯定して、

「これが計画通りだって言うなら乗ってやる。俺の負けでいい」

 

 生粋(きっすい)の負けず嫌いの口から、負けでいい、なんてセリフが出てきました。

 

「多分、刷り込みみたいなものなんだろうな。俺がおまえを放っておけないのは」

 

 幼い頃、両親から妹の世話を任されて――しかも幼いうちに別れてしまったから、妹の存在がずっと心に引っかかって離れなかったのだと兄は言いました。

 

「だからこの先も、私の面倒を見るというのですか?」

 

 そんなの説得力がないと言おうとしたら、ベルンはまだ何か考えている様子で、「いや、違うか」とつぶやきました。

 

「俺らの母親は善人だったよ」

「え」

「金のためにクソみたいな野郎に嫁がされて、子供まで産まされてな。気分は最悪だったろうに、その子供には悪意を向けなかった。それどころか、精一杯面倒見てくれてな」

 

 けど、と兄は続けました。

 

「あの人は多分、俺らのことを愛してなかった」

 

 さらりと告げられた言葉に、一瞬、私の時は止まりました。

 

「いや、俺だけかな。おまえのことは結構、抱いたりなでたりしてたし」

 

 私の中に、かすかな記憶が蘇りました。

 幼い頃、ぐずる私の頭をなでてくれた優しい手。……あれはお母さんの手だったのでしょうか。

 

「ないんだよなあ、俺には。あの人にそういうことされた記憶。嫌われてたってほどじゃないが、なんとなく避けられてたような気がする。大方、クソ親父と顔が似てたから――」

「……あなたはお父さんとは全然似ていませんよ」

「それはどうも。言っとくが、別に不満だったわけじゃねえぞ。むしろ感謝してる。食わせてくれたし育ててくれた。くどいようだが、悪意は向けられなかった」

 

 ただ、その時の気持ちを正直に言うならば。

 

「俺は寂しかったんだろうな、うん」

「…………」

「だから、おまえの面倒を見た。半ば意地だった。てめえの親がしなかった、できなかったことを完璧にやってやるってな。……ただ、まあ、それは最初のうちだけで。構えば構うだけ懐いてくるおまえが、俺の寂しさを埋めてくれた、っていうのが多分1番の理由だったと思う」

 

 兄の手が、私の頭にふれて。雑といえば雑、優しいといえば優しい手つきで、私の髪を梳いてくれて。

 

「おまえを手放した後、俺の中ではずっと何かが欠けてた」

「!」

「取り戻せるかも、なんて甘い期待は許されない状況だったから、正直に言えばあきらめてはいたんだがな。思いがけず再会なんてしちまったから」

 

 おまえが引くほど執着したんだ、と。

 淡々と、静かな口調で話し終えてから、「嘘だと思うか」と兄は聞いてきました。

 

「おまえの嘘発見器はどっちだって言ってる?」

「そんなの、わかりませんよ……」

 

 それが真実であってほしいと、あまりに強く願ってしまっている時点で、冷静な判断なんてできなくなっています。

 

「あっそ。じゃあ、最初の質問に戻るぞ」

 

 ベルンはあらためて私と向かい合うと、

 

「俺と暮らすか? それとも別れ――」

 

 皆まで言わさず、私は兄にしがみつきました。

 

「おっと」

 

 兄の手が、私を受け止めてくれて。私はその背中にぎゅっと手を回して、「ずっと一緒に居てください」と頼みました。

 

「あんな話くらいで、単純すぎ。おまえ多分、サギ師にモテるぞ」

 

 そうですね。自分がほしい言葉をくれる相手に、人は騙されると言います。

 私がどんな言葉をほしがっているかなんて、この人にはお見通しだったでしょうし。

 全部計算して、適当な作り話をしただけ、かもしれないですよね。

 

 それでもいいのです。たとえ嘘でも、騙されているのだとしても。

 

 ノエル孤児院で、優しい院長先生と幼なじみたちに囲まれて、私は幸せでした。

 けれども、心のどこかに消せない寂しさがありました。

 孤独は、私が最も恐れるものです。

 自分の存在が、誰かの寂しさを埋められるかもしれないなんて、私にとっては愛の告白よりもずっと嬉しい言葉です。

 

「もう寂しい想いなどさせません。つきましては、結婚してください」

「……するのか? そこは熟考しろよ」

「指輪を所望します。プロポーズの言葉も」

「だいぶずうずうしいな。だったら、ウィンに戻ってから――」

「いえ、今この場で」

 

 私は1度、兄から離れて、タンポポの花を一輪、摘み取りました。

 

「この花冠とおそろいにしてください」

「えらく安上がりだな。これで指輪って……作れるもんなのか?」

「できますよ。孤児院で仲が良かった男の子が、昔、プレゼントしてくれたことがあります」

「それって、例のバーニーか? なんで指輪なんてくれてよこしたんだよ」

「それは、これからもずっと大好きだよ、という友情の証として……」

 

 確か、私が10歳くらいの時だったと思います。ノエル村で春の訪れを祝うお祭があって、それに孤児院の皆で参加して――。

 

「……プロポーズじゃねえの? それ」

「え」

「男が女に、下心もなく指輪なんか渡すかよ」

「そのような決めつけは……、どうかと思いますが……」

「ちなみに、なんて答えた?」

「確か……、これからもずっと友達で居ましょうね、と」

「フッてんじゃねえかよ。哀れなバーニー」

 

 会話しながら、ベルンは私の指にタンポポの茎を巻き付け、何度かサイズの調整をして、

 

「ん。なんか、それっぽいのはできたぞ」

 

 完成したタンポポの指輪を、てのひらに乗せて差し出してきました。

 

「もっと礼儀に(のっと)って渡してください。先程頼んだことも忘れずに」

「はあ……、面倒くさい奴」

 

 文句を言いつつも、彼は私の左手薬指に指輪をはめて、リクエスト通りにプロポーズの言葉を口にしました。

 

「俺と結婚して?」

「もう少し真剣に」

「結婚してください?」

「なぜ、疑問系なのです」

「もっと凝ったセリフが聞きたいのかと思ったんだよ」

「……それでいいので、もう1度」

「俺と結婚してください」

「棒読みではないですか。もっと心を込めて」

「何回ダメ出しする気だよ。いっそやめるか?」

「まだ3度目でしょう。忍耐力がなさすぎですよ」

 

 なんでプロポーズで忍耐力が試されるんだとぶつぶつ言ってから、ベルンはやおら私を抱きしめました。

 

「愛してる、トウリ」

「!」

「一生そばに居ろ。あと、できれば俺より先に死ぬな」

「………………」

「おい、返事は? いつまで固まってる気だよ」

「……(つつし)んで、お受け致します」

「あ、そ」

 

 そっけなく離れていこうとした体にしがみつき、「先程のセリフをもう1度……」と私は懇願しました。

 

「できれば、イリスの方でも……」

 

 いいかげんにしろよ、と本気で面倒臭そうにつぶやいてから、

 

「……愛してるよ、イリス」

 

 心なしか先程よりも優しい声で、ベルンは言ってくれました。

 

 それは、恋と呼ぶにはあまりに幼い。

 遠い昔の、おままごとの続きだったのかもしれません。

 お兄ちゃんと結婚するだなんて、兄に懐いていた幼児がいかにも言いそうなことではないですか。

 

 きっと、この時の兄は、私のことを本気で愛していたわけではなくて。

 小さな妹のワガママにこたえるような気持ちで、私の想いを受け入れてくれたのだと思います。

 

 遠い昔に別れた私たち兄妹の関係は、どこか歪んでいて。

 まるで時が止まってしまったみたいに、幼い部分を残したままだったのでしょう。

 

 タンポポ畑で誓った、おままごとの愛。

 それでも私はこの日、確かに幸せだったのでした。

 




 本作はこれにて完結です。
 ここまで読んでくださった読者の皆様に、そして素晴らしい原作を生み出してくださった作者のまさきたま様に、心からの感謝と尊敬を捧げます。

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