魔法先生ネギま!(裏)   作:Ahiru

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10時間目 ヒミナくん

 2026年 4月8日 19:45

 

「さて」

 

 近衛(このえ)近右衛門(このえもん)──老齢の学園長は、麻帆良(まほら)の都市を()()()()()

 

 (くだん)の吸血鬼の正体について、タカミチには裏を取ると伝えたが、実際に自分の目で確かめてみるのが手っ取り早いと考えた。

 

 昨晩、ヒミナが吸血鬼と遭遇したと聞いた。

 

 常識的に考えて、今まで人目を避けるようにして動いていた謎の吸血鬼が犯行現場を誰かに目撃されたとすれば、しばらくは舞台裏に忍ぶことだろう。だが、その正体が比喩ではなく本物の吸血鬼──学園長とタカミチが疑惑の目を向けている〝闇の福音〟(ダーク・エヴァンジェル)エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルであれば、その限りではない。

 

 なんせ、今日は満月だ。

 

 現在のエヴァは〝登校地獄〟(インフェルヌス・スコラスティクス)という呪いにより麻帆良の土地に縛られた上、強力な学園結界によって魔力の大半を封緘(ふうかん)されていた。

 

 しかし同時に、満月の夜が近付くと力が増すという吸血鬼としての特性は生きている。

 

 今の時期であれば初歩的な魔法を行使したり、他者の生き血を啜って魔力を蓄えることくらいはできるだろう。逆に満月の夜を過ぎた途端にエヴァはほとんどの魔力を失い、次の満月の日を迎えるまで1ヶ月近くも活動を制限される。

 

 だからこそ、彼女がなにかを企んでいるのであれば、多少のリスクは承知の上で今日もアクションを起こす可能性が充分にあった。

 

 眼下には、夜に沈み(まば)らに光を灯す学園都市が広がっている。

 

「む……?」

 

 学園長は()()()()()()()()、額に手を添えて目を細めた。住宅街の方向──桜通りに面した女子中等部の学生寮、その上空に米粒のようなサイズの黒い影が見えた。金髪を(なび)かせ、襤褸(ぼろ)を広げて宙を舞う少女──エヴァだ。

 

 そして、杖に跨った赤毛の少年──ネギ・スプリングフィールドがその後を追っている。

 

「ほっほ」

 

 学園長は嬉しそうに笑った。

 

 さらに視線を地上に向ける。

 

 桜通りとは反対側に位置する公園には、薄墨(うすずみ)色の髪をした着物姿の──

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 19:50

 

 駆けつけた明日菜(あすな)木乃香(このか)にのどかを預け、ネギはエヴァを追跡していた。

 

 つい鼻息が荒くなる。

 

 エヴァは自らを指して()()()()使()()だと述べた。魔法使いとは本来、その超常の力を以てして弱きを助け強きを(くじ)くべき職業のはずだ。どんな事情があろうとも、市井に暮らすまき()やのどかに危害を加えてもいい理由にはならない。

 

「待ちなさーい、エヴァンジェリンさん!」

 

 ネギは杖に跨り、宙を駆けてエヴァの背姿を追う。

 

 エヴァもまた空を飛んでいた。黒檀(こくたん)のような色の襤褸(ぼろ)(なび)かせ、金髪を揺蕩(たゆた)わせ、まん丸の月が覗いた麻帆良の上空を少女が舞っている。

 

「どうしてこんなことをするんですか! 先生としても許しませんよー!」

 

「はは、先生。()()のことを知りたいんだろ? 私を捕まえたら教えてやるよ」

 

 エヴァが振り返り、挑発的な笑みを携えた。 

 

「……本当ですね」

 

 ネギは唇をぎゅっと結んだ。仮にも相手は生徒であるし、できれば対話で解決したいと考えていたが──手荒なやり方に頼るしかないようだ。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル──」

 

 呪文始動キーを紡ぐ。

 

「──〝風精召喚(エウォカーティオ・ウァルキュリアールム・)・剣を執る戦友〟!」(コントゥベルナーリア・グラディアーリア)

 

 ネギの周囲に、風で編まれた人形──ネギを模した背格好の分身が出現した。薄い鉄板くらいであれば突貫できるほどの推進力を誇る風の中位精霊が8体。それぞれが風で精製した槍や剣を携えてエヴァに殺到する。

 

「〝捕まえて(アゲ・カピアント)〟!」

 

〝氷楯〟(レフレクシオー)

 

 エヴァが外套を翻し、複数のフラスコを放った。

 

 立体的な軌道を描いて迫る風の精霊に対し、エヴァは寸前のところで氷の障壁を展開させて衝突を防いだ。しかし、近距離で四散した風に煽られて体勢を崩す。その隙をネギは見逃さない。

 

「追い詰めた! これで終わりです!」

 

 エヴァの側面に回り込み、ネギは掌を(かざ)した。

 

「〝風花・武装解除(フランス・エクサルマティオー)〟!」

 

 吹き荒んだ突風は、小さな吸血鬼の纏う襤褸(ぼろ)を──恐らくはまだ隠し持っていたであろう魔法薬入りの瓶ごと剥ぎ取って、その下からピンク色のベビードールを曝け出した。吸血鬼の力で生成したものなのか、黒檀(こくたん)色の襤褸(ぼろ)は無数の蝙蝠に姿を変え、物音に驚いた鳩の群れのように一斉に羽ばたいて夜空に霧散していった。

 

 エヴァは失速し、そのまま抗うことなく落下した。

 

 ネギたちはちょうど女子寮の真上に差しかかっていた。屋根までの距離は5メートルほどか。魔法使いにとっては大した高さでもない。難なく着地し、エヴァが笑う。

 

「やるじゃないか、先生」

 

 杖を操作し、ネギも屋根の上に舞い降りる。

 

 広げた掌の指の隙間からエヴァを見据えた。イギリス紳士として、ランジェリー姿の彼女を直視していないという精一杯のアピールだ。

 

「こ、これでぼくの勝ちですね」

 

 ネギは唾を飲み込んだ。

 

「約束通り、教えてもらいますよ。なんでこんなことしたのか。それに……お父さんのことも」

 

「お前の親父、すなわち──〝サウザンドマスター〟のことか」

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 19:50

 

 女子中等部の学生寮、その北東に位置する夜の都市公園にて。

 

 あちらこちらに桜の木が植えられた芝生広場の中、どれだけ目を凝らしても女子にしか見えない着物姿の男の子──ヒミナが冷淡な視線をこちらに向けていた。

 

 佐倉(さくら)愛衣(めい)にとって因縁の相手だ。

 

 まだ2回目の邂逅だけれど、のっぴきならない事情があるのだ。

 

 昨日、昏倒した愛衣のスカートとぱんつをヒミナが剥ぎ取ったということは──少なくとも愛衣はこの子の仕業だと確信している──つまりその、()()()()()()()()()()()()()()()()を見られたということだ。そりゃ誰だって怒るに決まっている。猛省して欲しいし、責任も取って欲しい。というか普通に訴訟案件だろう。

 

 愛衣は隣にいる『お姉さま』こと高音(たかね)・D・グッドマンを一瞥する。

 

 腕を組んで仁王立ちする彼女の背後には、まるで舞台衣装のように豪奢な外套で身を包んだ白仮面の黒装束──〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)が浮かんでいた。大柄な成人男性くらいの身長で、実体化した影によって精製された高音の使い魔だ。

 

 高音は麻帆良学園に在籍する魔法生徒の中でも突出した実力の持ち主だった。

 

 たしかに愛衣だけじゃヒミナには歯が立たない。でも2人がかりであれば、雪辱を果たすことも難しくはないと考えていた。

 

「……たしか、こう言っていたな」

 

 ヒミナが口を開いた。

 

「拳を振り回すだけでは勝てない、と」

 

 それは足元の砂利を草履(ぞうり)の先端で蹴り飛ばすような動作だった。しかし、まるで火薬が爆ぜるような音と共に地面が掘り返された。

 

 人が丸まったくらいのサイズの土の塊が高速で飛来し──愛衣たちに直撃する寸前、高音の従える〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)が瞬時に外套を拡げて軌道を遮り、衝突を防いでくれた。細かく砕け散った土がぱらぱらと辺りに降り注ぐ。

 

 愛衣は思わず息を飲んだ。結果的にヒミナの攻撃はこちらに届かなかったが、挙動が想定外すぎて身を竦めることすらできなかった。

 

「み、見ましたか! 私の〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)の力を!」

 

 高音も反応できなかったらしい。冷や汗だらだらの顔で偉そうに胸を張っている。

 

 彼女が使役する〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)の本領は攻撃よりも防御である。高音の意志を介さずとも、あらゆる物理攻撃に対して影の精霊が自動的に反応・追随し、強固な盾となって術者を脅威から守ってくれるのだ。

 

「……ふむ」

 

 相変わらずヒミナは愛想のない反応だった。

 

「愛衣!」

 

「は、はい!」

 

 高音の呼びかけを受け、愛衣は頷いた。今度はこっちの番だ。

 

〝紫炎の捕らえ手〟(カプトゥス・フランメウス)!」

 

 呪文は省略、愛衣が突き出した掌から焔の渦が放たれた。

 

 対象を円筒状の火柱の内部に封じ込める捕縛魔法だ。彼我の距離は5メートルほどで、到達までは一瞬だった。螺旋を描く火炎が轟々とヒミナに迫り──水平に振るわれた小さな右手によって炎が消し飛ばされた。

 

 前回とまったく同じ現象だ。先日、愛衣が唱えた渾身の炎熱魔法をヒミナは掌で受け止め、無効化した。障壁の類に遮られたようにも見えない。

 

「見てください、お姉さま! ヒミナさんは今みたいに魔法を打ち消してくるんです!」

 

「あれが愛衣の言っていた……一体、どういう仕組み? まさか、あれが異端審問院(いたんしんもんいん)が開発したという()()()()……」

 

「違う。あれは私には使えん」

 

 ヒミナはしれっと答えた。

 

「蝋燭に息を吹きかければ、火が消える。ただそれだけの話だ」

 

「は?」

 

 愛衣の口から裏返った声が漏れた。

 

 魔法で精製した炎を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのか? いや、それにしたって──顔の周りを飛び回る羽虫を追い払うかのような、あんな仕草で?

 

「……思い出したぞ。お前、昨日も私に杖を向けただろう」

 

「やっと思い出していただけたんですね!」

 

 自分でも変だと思うが、愛衣の声には喜色が混ざっていた。

 

「あの後、ホントに大変だったんですからね! 目を覚ましたらなにも履いてないし、先生から預かってた書類はぜんぶ燃えちゃったし……」

 

「少なくとも後半は私のせいではない」

 

「それで、私のぱんつはどこにやったんですか? 早く返してください!」

 

「だから知らんと言っている。……そもそも、お前が勝手に遺失しただけではないのか? 路面に落ちている下穿きを目にした記憶があるぞ。意匠はたしか、白地に──……あれはなんだ? よくわからん生物の絵が描かれて──」

 

〝紅き焔〟(フラグランティア・ルビカンス)!」

 

 油断していたらしく、愛衣が放った爆炎の塊は、ご丁寧にも人の下着のデザインを細かく説明しようとしていたヒミナの首から上を飲み込んだ。

 

 今度こそ直撃した。しかし効いていない。

 

 百歩譲って、火焔山を鎮める芭蕉扇(ばしょうせん)みたいな真似ができるほどの超人的な膂力をヒミナが有していたとする。だからと言って、炎熱に触れても皮膚が(ただ)れず、着物どころか髪さえも焦げていないという事象は説明できない。実際、純鉄は難しくとも鉛やアルミニウムくらいであれば簡単に溶解させるくらいには〝紅き焔〟(フラグランティア・ルビカンス)の炎は高温のはずだ。

 

 まるで()()()()()()()()()()を全身に纏っているみたいだった。

 

「愛衣、私に任せなさい!」

 

 高音が愛衣の前に躍り出た。

 

 背後の〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)から十数本の黒鞭が伸びて、一斉に振り回された。それぞれが独立して不規則な軌道を描き、残像を残す。大気を切り裂く黒鞭の先端が、半径5メートル以内に屹立する桜の木の(ことごと)くを輪切りにしていった。

 

 例えるなら黒い風で半球状に編まれた結界だ。ヒミナがどれほどの達人であろうとも、すべての黒鞭を(かわ)して肉薄するなんて絶対に無理だと思う。

 

「さぁ、どうしますか!? この操影の鞭を掻い潜り、近寄ることができるものならやってみなさい! もっとも! 先ほどご覧いただいた通り、愚直な攻撃ではこの〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)による完全物理自動防御を突破できませんよ! ふふふふ! あはははははははは!」

 

 勝利を確信したかのように高音は高笑いを始めた。

 

 (よし)んばヒミナが無数の黒鞭と〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)の盾を潜り抜けることができたとしても、こちらにはまだ万が一の備えがあった。

 

 それは高音と愛衣が着用する真っ黒な衣装──〝影の鎧〟(ローリーカ・ウンブラエ)だ。

 

 見た目は瀟洒なパーティドレスだが、これも実体化した影によって構築されており、肌にぴったりと装着すれば防御力が7倍にもなる優れものだった。もちろん、近接戦闘を得意とするヒミナの対策として準備してきた。

 

 もはやヒミナの拳が高音や愛衣に致命的なダメージを与えることはないだろう。

 

「愛衣の魔法を防いだことだけは驚きですが、それだけでは私たちに勝てませんよ! さぁ、今なら許してあげます! 己の愚行を愛衣に謝罪し──」

 

 ちょうど眼前を通過しようとした黒鞭の先っぽをヒミナが掴んだ。

 

 高音がきょとんとする。

 

「……お前が愚かであることはよくわかった」

 

「へ?」

 

「お前が私を〝雷帝(らいてい)〟と呼んだのだぞ」

 

 ヒミナの右手から紫電が迸った。

 

 雷は獲物に絡みつく蛇のように黒鞭を辿って這い回り、その鎌首は瞬時に〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)まで到達し──術者の高音を巻き込んで、けたたましい音と共に炸裂した。

 

「ふぎゃっ!」

 

 尾を踏まれた猫のように高音は跳ね飛び、そしてぐにゃりと力なく地に伏せた。

 

 愛衣は昨日の自分がなぜ卒倒したのかをやっと理解した。今のものよりずっと低威力だったとは思うけれど、ヒミナの雷に喉を噛まれたのだ。

 

「あっ、お……お姉さま!」

 

 愛衣は慌てて高音に駆け寄った。

 

 揺り動かしても反応はない。目を回して気絶している。非常にマズい。

 

 繰り返すが、高音と愛衣が着用している黒いパーティドレス──〝影の鎧〟(ローリーカ・ウンブラエ)の生地は具現化した影だ。つまり、当然、術者が気を失えばその形を維持できない。

 

「み、見ないで! 見ないでくださいー!」

 

 胸を隠し、股を閉じ、地面にへたり込んで愛衣は悲鳴を上げた。

 

 まるで天に召される地縛霊のように〝黒衣の夜想曲〟(ノクトウルナ・ニグレーディニス)が霧散し、同時に〝影の鎧〟(ローリーカ・ウンブラエ)も跡形なく消えていく。元々、鎧としての防御性能を最大限に引き出すためにドレスの下は素っ裸だった。靴さえも影の精霊に頼っていた。つまり、今の愛衣は頭から爪先まで一糸も纏っておらず、昨日の件が比にならないくらいの痴態をヒミナに晒しており、そして高音は真っ白なお尻を夜空に突き出したまま伸びていた。

 

「〝雷帝(らいてい)〟の名を知った上で、私のことを殴る蹴るしか能がない木偶(でく)だという前提で構えていたのであれば、度を越した愚かさだと思うぞ。雷が飛んでくることくらい推量できないのか」

 

 からころという足音と共にヒミナが近付いてきた。

 

「お前は動けるようだが、まだ続けるか?」

 

 ヒミナが尋ねる。愛衣は涙を浮かべてぶんぶんと首を左右に振った。冗談じゃない。全裸で戦えるはずがないし、服があったとしてもこの子とは二度と戦いたくない。

 

 するとヒミナは、なにやら明後日の方角を見つめた。

 

「……音が消えた。間に合えばいいのだが」

 

「え?」

 

「尻を出せ」

 

「へ……えぇっ?」

 

「私に杖を向けておいて、無疵(むきず)のまま帰ることが許されるとでも思っていたのか? 今からお前の尻を叩く。それで許してやる」

 

 愛衣は涙を浮かべて懇願した。

 

「ななななんでお尻を叩くんですか!? どういう文脈で!?」

 

折檻(せっかん)の基本は尻を叩くことだと教わった。お前への罰だ」

 

「む、無理です! 魔法を素手で掻き消せる人に叩かれたらお尻がなくなります!」

 

「では頬にしておくか?」

 

「むりむりむり! 首から上が消滅しますってば!」

 

 地面を這って逃げようとする愛衣の足首をヒミナが鷲掴みにした。

 

「あっ……! 待っ……ちょ、ま、待ってください! か、片足だけ掴んで持ち上げるのはダメです! 梯子(はしご)の途中で逆さになる大道芸みたいな格好になってる頭に血が……じゃなくてっ、股が開いちゃうから……き、聞いてます!? あっ、こっちは見ないで──あれっ? なんでそんなに手を振り被ってるんですか? ヒミナさん? まさか本気で逆さ吊りにした私のお尻を叩く気じゃないですよねギャグ描写にしても限度があると思うんですだってヒミナさんのビンタってたぶん自動車を真正面からぺちゃんこに──」

 

 凄まじい破裂音と共に、うら若き乙女の渾身の悲鳴が公園中に響き渡った。

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 19:57

 

 エヴァは内心で舌打ちした。

 

 いや、正確にはネギ・スプリングフィールドに対して舌を巻いた。

 

 いくらエヴァが弱体化しているとはいえ、積み重ねてきた数百年の歳月は伊達ではない。そこらの凡夫が相手であれば如何様にでも返り討ちにすることができたはずだ(実際に昨晩、どこぞの着物姿のクソガキを適当にあしらったばかりだ)。

 

 なるほど、10歳の見習い魔法使いとは思えない魔力だ。さすがに〝サウザンドマスター〟の血筋を継ぐだけのことはある。

 

 これは油断と──いや、ある種の期待か。

 

 去年の晩夏、ウェールズの魔法学校を卒業したネギが麻帆良学園に赴任するという情報を密かに入手し、エヴァはこっそりと満月の夜に活動することを決めた。

 

 かの〝サウザンドマスター〟の実子であるネギの生き血を入手することが叶えば、エヴァを麻帆良の地に縛る〝登校地獄〟(インフェルヌス・スコラスティクス)の解呪に成功するかもしれない。これはまたとない好機だ。だからこそエヴァは半年という時間を費やして生徒たちを襲っては血を拝借し、可能な限りの魔力を蓄えた。いくらひよっこの魔法使いが相手とはいえ、いざ対峙した際にこちらが一切の魔法が使えないとあっては苦戦を強いられると考えたからだ。

 

 結果として、忌々しい〝雷帝(らいてい)〟の介入がどれほどの影響を及ぼしたのかはわからないが、エヴァが想定していたよりも早くネギには悪事が露見してしまった。

 

 とはいえ、すでにある程度の魔力は溜め込んでいた。

 

 だから今日でいいかと思った。

 

 ネギを仕留め、血を吸い尽くし、この15年間ずっと待ち望んでいた〝闇の福音〟(ダーク・エヴァンジェル)として返り咲く日がついに訪れたのだ。

 

(しかし……)

 

 否が応にも意識する。

 

 性格は似ても似つかないが、たしかに()()の面影を感じる。

 

 思えば、やつに息子がいると知った時から期待していたのかもしれない。ネギが教壇に立つ姿を見るたびにやつの顔が脳裏に()ぎる。

 

 懐かしくて、少しだけ哀しくて──その感情は、どこか心地がよかった。

 

 綻びそうになる頬をエヴァは押し殺した。

 

 ◆

 

 2026年 4月8日 19:58

 

「と、とにかく!」

 

 女子中等部の学生寮、その屋根の上で、ネギは身の丈を超える杖を握り締めた。対峙するベビードール姿のエヴァは、腰に手を当てたまま泰然と微笑んでいる。

 

「魔力もなく、マントも触媒もないあなたに勝ち目はないですよ! 素直に──」

 

「これで勝ったつもりなのか?」

 

 その時、エヴァの背後に人影が現れた。背が高く、髪も長い。月に対して逆光の位置に立っているせいで仔細な容姿までは見て取れなかったが、その人物はスカートらしきものを履いており、女性のように思えた。

 

 新手だ。仲間がいたのか。ネギは反射的に身構えた。

 

「さぁ、お前の得意な呪文を唱えてみるがいい」

 

 エヴァが口の端を持ち上げる。

 

 言われるまでもない。少なくともエヴァはネギの〝武装解除(エクサルマティオー)〟によって懐の魔法薬を失い、反撃の手段を失っている。悠長に出方を伺うよりも先手を打つべきだ。

 

 ネギは掌を(かざ)した。

 

「〝魔法の(サギタ)──あたっ!」

 

 しかし、謎の人物によって額をデコピンで弾かれた。

 

 いつの間にか距離を詰められていた。当然ながら、詠唱を妨害されれば魔法は発動しない。ネギはおでこを(さす)りつつ、頓狂な声を上げた。

 

「え。あれ? あなたはウチのクラスの……!」

 

「紹介しよう、私のパートナーを」

 

 エヴァの声に応じるように、()()はネギに会釈した。

 

 萌黄(もえぎ)色の長髪と、まるで機械のように精緻な顔立ち。無口で慎ましく、授業中であっても滅多に発言することがないせいでネギとの交流は少なかったが──それでも見紛(みまが)うはずがない。女子中等部の制服を着たその少女は、ネギが担当するクラスの生徒だった。

 

「3年A組、出席番号10番──『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)絡繰(からくり)茶々丸(ちゃちゃまる)だ」

 

 エヴァが言った。茶々丸は無言のままだった。

 

「え、なっ……茶々丸さんがあなたのパートナー!?」

 

「そうだ、パートナーのいないお前では私には勝てんぞ」

 

「パ、パートナーくらいいなくたって……!」

 

 ネギは杖を構え直した。今のエヴァは無防備だ。こちらの攻撃を防ぐことはできない。

 

「──風の精れあううう!」

 

 でも呪文を詠唱しようとした途端、またも茶々丸が瞬時に肉薄し、ネギのほっぺたを引っ張って邪魔してきた。これじゃ魔法が使えない。

 

 エヴァは満足げに目を細めていた。

 

「驚いたか? 元々『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』とは戦いのための道具だ。……今や恋人探しの口実となってしまっているがな。我々魔法使いは呪文詠唱中、完全に無防備となり、攻撃を受ければ呪文は完成できない。そこを盾となり剣となって守護するのが従者(ミニステル)の本来の使命だ。つまり、パートナーのいないお前は我々2人には勝てないということさ」

 

 思わずネギは後退(あとずさ)る。

 

 たしかに、呪文詠唱を完遂させるためには最低でも数秒は欲しい。対して、茶々丸は1秒あればネギを小突いて呪文の完成を阻止できる。状況は極めて不利だ。

 

「茶々丸」

 

「申し訳ありません、ネギ先生」

 

 茶々丸が背後からネギの首に左腕を回した。体を持ち上げられ、踵が浮く。片手でのヘッドロックみたいな格好だった。(もが)いてみてもびくともしない。

 

「う、ぐっ……」

 

「マスターの命令ですので」

 

 息を詰まらせながらもネギは周囲を見渡した。

 

 体を拘束された拍子に、発動媒体である杖を足元に落としてしまった。もう魔法は使えない。そもそも茶々丸が詠唱する隙を与えてくれないだろう。

 

 こんな場所──女子寮の屋根の上では誰かの介入も期待できない。就眠には早い時間だから声や物音に気付いた生徒が階下にいるかもしれないが、わざわざ窓から身を乗り出して壁をよじ登ってくるほどの物好きは存在しないだろう。

 

「ふふ、ようやくこの日が来たか」

 

 エヴァがゆっくりとこちらに近寄ってくる。

 

「お前が学園に来ると聞いてからの半年間、ひよっこ魔法使いのお前に対抗できる力をつけるため、危険を冒してまで学園生徒を襲い、血を集めた甲斐があった」

 

 不意にエヴァが顔を(しか)めた。

 

「……クソガキがちょっかいを出してきたせいで魔力を無駄に浪費することもあったが」

 

「へ?」

 

「これでやつが私にかけた呪いも解ける」

 

「の、呪い……?」

 

「そうだ。真祖にして最強の魔法使いであるこの私が舐めた苦汁……」

 

 いきなりエヴァがネギの襟元を掴んだ。

 

「私はお前の父──つまり〝サウザンドマスター〟に敗れて以来、魔力も極限まで封じられ、もう15年間もあの教室で日本のノー天気な女子中学生と一緒にお勉強させられてるんだよ!」

 

 憤懣を滲ませたエヴァの顔が、ネギの鼻先に迫る。

 

「え、そんな……ぼく知らない……」

 

「このバカげた呪いを解くには、やつの血縁たるお前の血が大量に必要なんだ」

 

 ただのとばっちりだと思った。きっとエヴァが悪いことをしたから〝サウザンドマスター〟は彼女を懲らしめたわけで、ただの身から出た錆ではないのか。それに、どんな事情があろうとも無辜(むこ)の生徒たちを襲った事実は正当化できない。

 

 やっぱりエヴァは()()()()使()()なんだ。

 

「悪いが死ぬまで吸わせてもらう」

 

 エヴァがネギに両腕を回し、唇を寄せてきた。

 

 意中の男に撓垂(しなだ)れるような仕草だが、色っぽさは少しも感じなかった。エヴァの口内から覗いた4本の尖った牙がぎらりと月光を反射したからだ。

 

「だ、誰か助けてーっ!」

 

 ネギは悲鳴を上げるが、当然のように助けはない。首筋に牙が突き立てられた。

 

「ん……♡」

 

「うわっ、あっ、あう……!」

 

 エヴァは至福といった様子でネギの血を賞味した。

 

 覚悟していたほどの痛みはなかった。その代わり、体温までをも吸い上げられるような気味の悪い感覚が背筋を這い回った。このままでは死ぬと本気で思った。

 

「コラーっ! この変質者どもーっ!」

 

 その時、馴染みのある声がした。

 

 草原を馳駆(ちく)する暴れ馬みたいな勢いの足音に、何事かとエヴァが振り向く。そしてその白い横っ面に革製のローファーの甲が──どこからともなく駆けつけた神楽坂(かぐらざか)明日菜(あすな)の渾身の飛び蹴りが直撃した。

 

「ウチの居候になにすんのよーっ!」

 

「はぶっ!?」

 

 顔面を屋根材にずしゃーと擦りつけながらエヴァが吹き飛んでいった。鼻が削れ落ちたのではと心配になるほどの勢いだった。

 

「……か、神楽坂明日菜!」

 

 頬を押さえ、涙目になった吸血鬼の真祖が明日菜を睨む。

 

「あっ、あれー? あんたたちウチのクラスの……ちょっ、どういうことよ!」

 

 どうやら明日菜は相手の正体もろくに確認せず、とりあえずで蹴っ飛ばしたらしい。エヴァたちの顔を認め、今更のように驚いていた(ちなみに、屋根の上で蹲る主人(マスター)の隣で、茶々丸は折り目正しく手を揃えて明日菜に会釈していた)。

 

「まさか、あんたたちが今回の事件の犯人なの!? しかも2人がかりで子供をイジめるような真似して──答えによってはタダじゃ済まないわよ!」

 

 威勢のいい明日菜の言葉に対し、エヴァが舌打ちをした。

 

「茶々丸」

 

 無表情のまま、しかし困ったように茶々丸がエヴァを見た。

 

「しかし、マスター」

 

「押さえるだけでいい。やれ」

 

「……はい」

 

 茶々丸が矢のように鋭く明日菜に迫った。伸ばされた手をすんでのところで振り払う。茶々丸がさらに踏み込んで追撃する。辛うじて明日菜が対応する。

 

「わっ……! ちょ、待っ……!」

 

「あ、明日菜さん……!」

 

 従者(ミニステル)の名を冠するだけあって、茶々丸は近接戦闘に長けている様子だった。

 

 そもそも、体術の修練を積んでいないとはいえ、魔力で強化しているネギの身体能力は凡庸な成人男性のそれを上回る。もし茶々丸が張り子の虎であれば、どれだけ詠唱を邪魔立てされようともネギは避けているし振り解いている。しかし、実際には手も足も出なかった。素人の明日菜では分が悪すぎる。

 

 割って入るべきか、ネギが逡巡した時だった。

 

 明日菜が大きく後ろへ下がった。そして息を吸って、夜空を見上げた。

 

「──ヒミナくん! ここよ!」

 

 女子寮に響き渡るほどの大声で明日菜が叫んだ。

 

 異変に気付いた茶々丸が動きを止める。エヴァが瞠目する。

 

「神楽坂明日菜、まさか貴様──」

 

 次の瞬間、烏羽(からすば)色の影がまるで砲弾のような勢いで突っ込んできた。

 

 軌道も速度も無茶苦茶だった。茶々丸は頭上から落ちてくるような格好で登場した(ネギたちのいる屋根の上に箱のような塔屋が突き出しており、そこから飛び降りたのだろう)。明日菜は普通に屋根を走ってきた。しかし、突如として到来したその人物は斜行の軌道を描いてやってきた。しかも飛んできた方角はなにもない空中だ。

 

 着地した場所はエヴァの背後。砕けた洋瓦が四散する。

 

 薄墨(うすずみ)色の髪が(なび)く。烏羽(からすば)色の(たもと)が浮き上がる。

 

 ヒミナが馳せ参じた。

 

「──ここにいたのか」

 

 振り返ったエヴァが忌々しそうな声を漏らす。

 

「〝雷帝(らいてい)〟ヒミナ……!」

 

 茶々丸が身を翻し、驚くほどの速度でヒミナとエヴァの間に入った。

 

「マスター!」

 

「誰だお前は」

 

 ヒミナが茶々丸の肩を掴もうとした。

 

 茶々丸はヒミナの手を打ち払い、その首の側面に向け、右足で鋭い蹴りを繰り出した。ヒミナが身を逸らして(かわ)そうとする。

 

 すると、茶々丸は蹴り足をぴたりと静止させた。残った軸足だけで地を蹴って距離を詰め、先とは真逆に腰を回して振り抜いていた右足を引き戻し──人間離れした挙動だった──充分に体重の乗った踵をヒミナのこめかみに叩きつけた。

 

 その迫る蹴撃を、ヒミナは側頭部による頭突きで迎え撃った。

 

 なぜか凄まじい金属音が響いた。──無茶苦茶だ。急所に攻撃を食らったはずのヒミナが蹌踉(よろ)めきもせず、反対に茶々丸が膝をついた。

 

「……っ!」

 

 間髪を入れず、茶々丸の左目から細く眩い光線が放たれた。

 

 ヒミナの上半身に直撃する。いや、ヒミナが拳の背で光線を弾き飛ばした。──目で追えたわけではない。ただ、茶々丸の瞳が光ったと思った次の瞬間、拳はすでに振り抜かれており、どす黒い爆炎がヒミナを避け、夜空に向かって扇状に拡散していた。

 

 まるで至近距離で一尺玉の花火が炸裂したみたいだった。(つんざ)く轟音が鼓膜を襲う。

 

 そして、ヒミナが右手を持ち上げた。

 

 緩く握った五指を茶々丸の顔に向ける。魔力が急速に膨らむ。ぱちんという音を立てて指の隙間に細い筋が走る。ネギの皮膚が泡立った。

 

「──茶々丸!」

 

 エヴァの叫び声に反応したのか、あるいはヒミナの頭突きによって傷めた脚で自重を支えられなくなったのか、茶々丸ががくんと姿勢を崩した。

 

 その直後だった。

 

「〝鳴雷(なるいかづち)〟」

 

 ヒミナの掌から雷が放たれた。

 

 まるでどこぞの怪獣が吐き出す放射熱線の如く、何重にも稲妻を束ねたかのような野太い超高圧の奔流は、茶々丸の髪を掠め、エヴァの頭上を通過し、青黒い夜空をぶった斬って学園の反対側までまっすぐに迸った。

 

 雷の束が散り散りになって消失し、攻撃の反作用で拡がった薄墨(うすずみ)色の髪が肩の上に落ち──静寂が訪れる。

 

「……」

 

 ネギは口を半開きにして固まっていた。

 

 なんだ今のは。呪文の詠唱もなく、高位魔法みたいな規模の雷が飛び出した。というか、中等部の校舎前で初めて出会った時、ヒミナは()()をネギにぶちかまそうとしていたのか? こんなの当たったら普通に死んじゃうんだけど。

 

「……運に恵まれたな。腰から上を消し飛ばすつもりだったのだが」

 

 立膝のような姿勢で屈む茶々丸の脚を、ヒミナがじろりと眺めた。

 

 よく見れば茶々丸の右側の脛が──ヒミナの頭突きを受けた部分だ──わずかに(ひし)げているような気がする。骨が折れたのだろうか。

 

 しどろもどろになりつつも明日菜が声をかけた。

 

「えっと……ヒミナくん、あんたどうやってここに……いやその、ごめん。まずはお礼よね。助けてくれたことには感謝してるけど……い、今のなに?」

 

「雷だ」

 

 ヒミナの回答は素っ気なかった。

 

「……また貴様か。二度も邪魔をしよって」

 

 エヴァが口を開く。

 

 ヒミナの攻撃の余波に煽られてこっそりと尻餅をついていたベビードール姿の吸血鬼は人知れずに起き上がって、小さな尻をぱんぱんと手で(はた)いていた。

 

「なんだ? 私に関心がないような口吻(こうふん)で語っておいて、実は私に気があるのか?」

 

「先にも言ったが、自惚れが過ぎるぞ。大蒜(ニンニク)芥子(カラシ)の種を撒かれた程度で民家に近寄ることができなくなるほどの羸弱(るいじゃく)な生物に、私が興味を抱くはずがないだろう」

 

「貴様マジでぶち殺すぞ」

 

 エヴァの額には青筋が浮かび、頬がひくひくと痙攣していた。

 

「この人形が。なぜ貴様がネギ(ぼうや)を守る?」

 

「諸般の事情だ。……生憎(あいにく)と、昨夜とは状相が違う。魔法使いの規定とやらより、そこの子供の保護を優先させてもらうぞ」

 

 ばちん、とヒミナの前髪の先端で紫電が弾けた。

 

 音は徐々に鋭く大きく、激しさを増していく。その雷は今にも外に飛び出そうとヒミナの全身を這うようにして暴れ回り、空気を破裂させて喚いている。

 

 ネギは動けなかった。明日菜もきっと同様だ。エヴァは怯むことなく、夜気を焦がす雷の蛇に険しい視線を向けている。右脚を庇いつつ、茶々丸が主人(マスター)を守るようにして立ち塞がった。ヒミナがまたも小さな手をゆっくりと持ち上げた。

 

「──お前を討滅してやる」

 

 冷たい声でヒミナが言った。

 

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