主役にはなれなかった、しかし、確実に、『居た』
主役達の影に隠れた、語られぬ、『行間』の物語
【宇宙世紀 0082年 】
一年戦争の熱狂が過去のものとなり、地球連邦とジオン公国の間で結ばれた終戦協定によって、つかの間の平和が訪れた時代。
しかし、広大な地球には、いまだ故郷に帰れぬジオン残党が潜み、連邦軍との小競り合いが散発していた。人々は戦争の記憶を生々しく留めながらも、日々の生活を取り戻そうともがいていた。
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ロイ・バークレー中尉は、錆びついた手すりに寄りかかり、陽炎が立ち上る滑走路を眺めていた。
オーストラリア、トリントン基地からさらに西へ外れた、この「アル・カサル前哨基地」が彼の新しい任地だった。配備されているのは、旧式のジム改が数機と、補充兵ばかり。
かつてア・バオア・クーの激戦を生き延びた彼にとって、この砂漠の退屈さは、悪夢を見なくて済むだけマシな環境のはずだった。
「中尉、次の定期偵察の時間です」
年下の部下、サミュエルの声で、ロイは我に返った。コックピットに収まると、むわりとした熱気とオイルの匂いが彼を迎える。
モニターに映し出されるのは、どこまでも続く砂の海。
戦争が終わってから、彼は何のためにこの鉄の巨人に乗り続けているのか、答えを見つけられずにいた。
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その日の偵察は、いつもと同じく退屈なものになるはずだった。しかし、帰投直前、強烈な磁気嵐が発生し、ロイのジム改は計器類を狂わされ、僚機とはぐれてしまった。
砂漠を歩き続けた機体は、左脚のアクチュエーターをやられ、自力での歩行は不可能になった。通信も途絶。灼熱の太陽が、ゆっくりと彼の生命力を奪っていく。
意識が朦朧とし始めた、その時だった。
「……連邦の兵隊さん?」
幼い少女の声だった。
ロイが顔を上げると、砂色のローブをまとった少女が、水差しを手にこちらを覗き込んでいた。年は10歳くらいだろうか。警戒心と好奇心が入り混じった、大きな黒い瞳をしていた。
「水を……」
かすれた声で頼むと、少女はこくりと頷き、彼に水を分けてくれた。乾ききった喉を潤す一滴が、彼の意識を現実へと引き戻す。
少女はサハラと名乗り、近くの小さなオアシスで、祖父と二人で暮らしているという。
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サハラに助けられ、ロイは数日間、彼女たちの世話になった。祖父は口数の少ない老人だったが、連邦軍の兵士であるロイを追い出すことはしなかった。
ただ、遠い目をして、
「戦争は、まだ終わっとらんのかね」
と呟くだけだった。
ある日の午後、ロイがジム改の修理を試みていると、サハラが血相を変えて駆け込んできた。
「兵隊さん、隠れて! ジオンの……ジオンのMSが!」
ロイは身をこわばらせ、岩陰に身を潜めた。
地響きと共に現れたのは、使い古された緑色の機体――ザクII F2型だった。肩のスパイクアーマーには無数の傷が刻まれ、その姿は歴戦の勇士のようでもあり、疲れ果てた亡霊のようでもあった。
ザクはオアシスのほとりに腰を下ろすと、ゆっくりとコックピットハッチを開けた。現れたパイロットの姿に、ロイは息をのんだ。
長い銀髪を無造作に束ねた、若い女性だったのだ。彼女もまた、ロイと同じように疲弊しきった顔をしていた。
「水をもらうだけだ。危害は加えない」
凛とした、しかし弱々しい声だった。彼女はサハラの祖父に深々と頭を下げ、ポリタンクに水を補給し始めた。その姿は、ロイがア・バオア・クーで対峙した、憎しみに満ちたジオン兵とはまるで違っていた。
夜、ロイは意を決して、彼女――エルザと名乗るジオン兵に話しかけた。最初は互いに銃を手に警戒していたが、間に立つサハラの屈託のない笑顔が、二人の間の氷を少しずつ溶かしていった。
「故郷に帰りたいだけだ。仲間たちが、月の裏側の故郷(サイド3)が見える場所で待っている」
エルザはそう語った。彼女の部隊は、終戦を知らされぬままアフリカに取り残され、今はただ生き延びるために戦っているのだという。
彼女の瞳には、狂信的な思想の色はなく、ただ純粋な望郷の念が宿っていた。
ロイもまた、自分のことを話した。戦争で多くの仲間を失ったこと。敵のザクを撃墜するたびに、そのコックピットの中にいる人間のことなど考えもしなかったこと。そして今、そのことに苛まれていること。
「私たちは、なぜ戦っていたのだろうな」
エルザの言葉が、ロイの胸に突き刺さった。
敵と味方。連邦とジオン。
そのラベルを剥がせば、そこにいるのは同じように傷つき、平和を願う一人の人間に過ぎなかった。
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その時、遠くの空が微かに光り、遅れて爆音が届いた。ロイの部隊が、捜索と残党狩りを開始したのだ。
「行かなければ」
エルザは顔をこわばらせ、ザクへと走った。
「見つかれば、仲間たちが……!」
「待ってくれ!」
ロイは叫んだ。今、彼女を行かせれば、彼女は仲間を守るために戦い、そしておそらくは死ぬだろう。この地方には旧式のジムしか配備されていないとは言え、碌に整備されていない、彼女のザクでは勝ち目はない。
ロイは自分のジム改を見上げた。左脚はまだ動かない。だが、上半身と武器は生きている。
「エルザ、君は西へ逃げろ。私が時間を稼ぐ」
「何を言って……あなたは連邦の兵士だろう!」
「もう、うんざりなんだ」
ロイはコックピットに駆け上がると、メインカメラを起動した。モニターの向こうに、砂塵を上げて接近してくる3機のジムが映し出される。
『こちら、バークレー中尉! 応答せよ!』
『ロイか! 無事だったか! すぐに合流する。周辺宙域で捕捉した残党を掃討中だ!』
僚友の声だった。ロイは一瞬ためらった後、覚悟を決めてグリップを握った。
「残党は……俺が仕留めた」
『何?』
「敵ザク1機と交戦、これを撃破。ただし、こちらも被弾し、行動不能だ」
ロイはそう言い放つと、通信を切った。そして、ビーム・ライフルの照準を、エルザのザクとは全く違う方向――空高くへと向けた。
閃光が夜空を走り、轟音が砂漠に響き渡る。
突然の攻撃に驚いたジム隊は、一時的に動きを止めた。その隙に、エルザのザクIIは立ち上がり、砂漠の闇へと消えていった。去り際に、一瞬だけこちらを振り返ったように見えたのは、気のせいだっただろうか。
やがて、ロイの、破損しているジムは味方部隊に発見され、救助された。彼の虚偽報告を疑う者はいなかった。ジオンの残党相手に孤立無援ながら、奮戦の末に相打ちとなった、と。
基地に戻ったロイは、再び砂漠を眺めていた。彼の心の中の戦争は、まだ終わらないかもしれない。しかし、もう迷いはなかった。彼はこれからも、鉄の巨人に乗り続けるだろう。憎しみのためではなく、誰かの命を理不尽に奪わないために。
そして、いつかどこかで、あの銀髪のパイロットが故郷の土を踏む日が来ることを、密かに願いながら。
砂漠の夜に、名もなき兵士たちのつむいだ、誰にも知られることのない夜想曲が、静かに幕を下ろした。