▼真面目な話、夜鷹を幸せにできるだろうっていうのって作中だと司ぐらいなだよなって……
pixivより転載
今頃、光と結束いのりは表彰台に立っているだろう。
夜鷹が全力を注いで、己をくべて成長させた光。彼女に教えるべきことはもう何もない。──結束いのりというライバルを得て、彼女はもっと成長していくだろう。切磋琢磨できるライバルは、夜鷹が現役時代に得なかったもの。それを羨ましいと思えど、妬ましいとまでは思わない。
今の夜鷹は、何もかもから解脱していた。
夜鷹は、ビルの屋上の柵を乗り越え、煙草を喫っている。──人生最後の煙草を。
夜鷹は、金も名誉も顔も持っている。しかし、それらは魂の上を滑っていくだけのものだ。あの世には持っていけないものだ。だから、こうしてひっそり飛び降りることにした。
夜鷹は、生からすらも解脱していた。
(光は、まさに僕にとっての「光り」だったな)
そんなことを思う。
──光を導く中、息をできている自分に気付いていた。スケートリンクを降りたときから、そんなものできていなかったのに。
彼女は結束いのりに敗北と言うものを知った。しかしそれすら糧にして、光は成長するだろう。若い彼女には未来がある。スケートリンクを自ら降りた夜鷹には、もう失われたものだ。
最早、自分に生きる価値などない。そう思った夜鷹は、こうして人目を避けてビルに上って来た。
この事態を最も危惧していただろう鴗鳥に、内心で詫びながら。
(ごめんね、慎一郎くん。僕はもう生きるのは無理なんだ)
煙草を、投げ捨てる。マナー違反は承知で。
そして、足をかけた。
→助けが間に合わなかった場合
→助けが間に合った場合
助けが間に合わなかった場合
ぐしゃぐしゃになった。何もかもが。
頭から落ちた夜鷹だったものは、讃えられた美貌もぐちゃぐちゃに、讃えられた体躯も彼方此方ねじ曲がって、唯一身元を示すスマートフォンも粉々に砕けた。
悲鳴が響く中、夜鷹の側に、あの投げ捨てた煙草がまだ紫煙を立てていた。
恐らく身元不明の死体として処理されるだろう夜鷹から出てきた血によって、彼の死を悼む線香のような煙草は、火が消えた。
後日、夜鷹純が失踪したと言うニュースが報じられ、俄かに騒ぎになった。
助けが間に合った場合
「っなにしてるんですか!」
空中に身を投げようとした夜鷹の腕を、力強い手が引き戻した。
夜鷹は何が起きたかわからず、そのままずるずると柵まで引き戻されると、さらに柵の内側に戻された。
聞き覚えのありすぎる声。夜鷹の腕を決して放すまいとしている手。
司だった。
いのりの表彰はどうしたのだろうと思いながら、夜鷹はじっと司を見た。
司は息切れをして、身体中びっしょり汗をかいて、呼吸を整えているところだった。夜鷹は、彼の息が整うのを待った。
彼が何を言いたいのか、気になったからだ。
──やがて、司は言った。
「……スケートがなんですか」
司は訴えた。
「スケートがない人生なんて意味がないなんて、そんなのおかしいですよ! スケートなんてなくても生きていける! あなたはただの夜鷹純として生きるべきだ!」
それは、それまでの司の人生を。そして、夜鷹が引退後味わって来た絶望も、すべて踏み躙って──それでも否定しなければ夜鷹は生きていけないと司はわかっていた。
司をスケートリンクに連れ出したのが夜鷹ならば、夜鷹をリンクと言う舞台から下ろすエスコートをするのは司であるべきだった。
「ただいま、夜鷹さん」
そう言って、司は夜鷹家の扉を開けて閉める。
あれから、司はコーチを引退し、スケート界隈から退いた。それは夜鷹も同じことだ。夜鷹にああ言ってしまった手前、司がスケートを続けることもできなかったのだ。
現在は加護に紹介された仕事で働いている。働くことは司の性に合っていた。
そして、加護家を出て、夜鷹家に引っ越してきた。
あれから、虚無を抱いて1日中ベッドかソファにいる夜鷹の面倒を見るためだ。
今はソファにいた夜鷹に、司は語り掛ける。
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? ……あぁ、お風呂ですね。今沸かしますから」
司は、夜鷹の言いたいことがわかるようになった。人はこれを愛と呼ぶだろうか。
あれから、夜鷹は煙草を喫っていない。
了