短編集:九人の白エルフ   作:芝三十郎

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中立国の戦空⑨ 彼方へ

 中立国オルクセン連邦が初空襲を受けてから、十日ほどが経っている。

 

 戦闘機中隊の待機室は、気まずい沈黙に包まれていた。

 

 室内の各所に立ち、あるいは折りたたみ椅子に腰かけたコボルトの操縦士たちは、皆が何とも言えない顔でいる。

 

 そして誰もが、室内の中心に立つ白エルフを見上げている。

 

 あるいは、ヘルヴェア・”アイス”・オストエレン中尉の頬に浮かぶ痣を。

 

 白エルフは、なおも言った。

 

「奴を美化しないでくれ、中隊長。あいつの判断は間違っている」

 

「まだ言うのか……!」

 

 コボルトの中隊長は、頭部の毛が逆立つほどに怒りをあらわにしている。

 

「ムートは、いやフォルカー中佐は、国民を守ったんだ。脱出すれば燃えた機体が街に突っ込むところだった」

 

「脱出の決断ができなかったんだ。そのくせ、機体を立て直す腕も無かった」

 

「き、貴様は、戦友の命を何だと思っているんだ。英雄的な死を……!」

 

「それもやめてくれ。あいつの死は、そんな綺麗なものじゃなかったと聞いた。救出された後、何日も苦しんでから死んだと」

 

 それがムートと呼ばれる操縦士の最期だった。

 

 墜落地点の近くで訓練していた降下猟兵によって、炎上する機体から助けだされたが、その時にはもう遅かった。コボルトの全身を覆う毛皮に火が回り、皮膚という皮膚が焼け焦げていた。エリクシエル剤の大量投与も、命を救うことはできなかった。

 

 ただ、短い時間だけ意識を取り戻し、家族と僅かに言葉を交わせたということが、残された者たちの慰めだった。

 

「国に命を捧げたんだ。その献身を讃えて、何が悪い。あいつこそ英雄だ」

 

 部下を失った中隊長は、大きな瞳を潤ませている。

 

 それを見下ろす白エルフの青い瞳は、ひたすら冷たいように見えた。

 

「奴は英雄なんかじゃない。ただの愚か者だ。奴を美化したら、オルクセンの操縦士は誰も脱出できなくなる。もっと大勢が死ぬ。そうすれば誰が戦う?」

 

「彼は間違っていたというのか」

 

「操縦士は、生きて帰るべきなんだ。どれだけ失態や罪を犯そうと。それが任務のうちだ」

 

「価値がなかったというのか。あの死に様に」

 

「市街地を避けて死ねば、着陸に失敗して死ぬより偉いとでも? 死ねば皆、同じだ。差をつけるのは間違っている」

 

「…………」

 

「私の意見は以上です。もう行きます」

 

「どこへ行く、アイス」

 

「次の任務の準備に。私は、まだ生きているから」

 

 ◆

 

 質素ながらも、よく掃除された談話室で、コボルトの将軍が二頭、差し向かいになっている。

 

「……そういう女です。とびきりに使える奴ですが、誰も寄せ付けない。まるで氷のように」

 

「オストエレンに関する報告書は読んだ。お前が手元で留めていた分も、全部だ。少将」

 

「……」

 

「転属した、どの飛行中隊でも問題を起こしている。特に、長機との喧嘩騒ぎは毎回だと。十一兵団の中に、もう引き取り手がないとはな。普通に考えれば、クビだ」

 

「奴を扱いきれない指揮官連中こそ問題です。この戦争を……」

 

「戦争が終わり次第、空軍から追い出すべきだというのが、全ての中隊長の意見なのだろう」

 

「失礼ですが『糞食らえ』です。奴は本物の撃墜王ですよ」

 

「だから握りつぶしたと? 平時の空軍で役に立つかね、協調性のかけらもない撃墜王が」

 

「あれほど戦向きの奴を、平和になったら軍から追い出すと? 本末転倒ではありませんか。軍隊はいつでも、戦争のために存在するのです」

 

 少将は、椅子から立ち上がり、無理に背を伸ばした。

 

「総司令官閣下。奴に時間をください。かつて、私にそうして下さったように」

 

「……」

 

「お願いです、この身に代えましても」

 

「貴様には、そうまで言われてはかなわんよ、ナッター」

 

「それでは」

 

「やれやれだな」

 

 ウェーバー大将が浮かべた笑みは、半ば呆れ、半ば面白がるようだった。

 

「操縦士としては好きになれんが……これからは、そういう軍人こそ必要なのかもしれんな。あれを預けるには」

 

「預ける、とは?」

 

「……太陽を。まあ、先の話だ。とりあえず、奴の更迭は見送ろう。ただし、昇進も勲章もナシだ。それで十分、懲罰に見えるだろう。軍に残すとはいえ、戦争が終わり次第、戦闘機からは下ろすぞ。周りと不和を呼ぶばかりだ」

 

「オストエレンは、参謀には向きませんよ。指揮官には、もっとです」

 

「それでも将校かね」

 

「群れることができない奴です。今は、まだ」

 

「ふうむ……」

 

「本人も現場を希望しています」

 

「貴様、存外、教官としては甘いのだな」

 

「誤解せんで下さい。私も奴は嫌いです。しかし空軍のためです。戦いに勝つには、才能のある変わり者も必要だと。

 

 例えば、そう、あのモーリア攻めの最中に、全くの思い付きで空中弾着観測をやり始めるような。そうでしょう、ブラウ〇三」

 

 あまりにも昔の呼出符牒で呼ばれて、ウェーバー総司令官は苦笑した。

 

「まったく、貴様は。そのへんで勘弁しろ。わかったよ。あの白エルフ、バーンスタイン博士のところへ送るとしよう。航空エンジン研究所だ」

 

「奴に試作機の操縦を」

 

「ああ、例の推進機関だ。よほど無茶をさせる気らしい。殺しても死にそうにない操縦士を寄越せと言ってきている。向いているだろう。ほとぼりを冷ますにもいい」

 

「ありがとうございます、閣下」

 

「いいさ。貴様に追従を言われては、気色が悪くてかなわん」

 

「これで思い残すことなく、兵団を手放せます」

 

「馬鹿を言え。まだ戦争は続く。他の奴に任せられるか」

 

「しかし、外務省が」

 

「おい、頼むぞ。いつから外務大臣の部下になった。貴様の指揮官は俺だろ?」

 

「閣下……」

 

「貴様は任務を果たした。これからも、そうしろ。頼んだぞ、ガーデルマン少将」

 

 少将は、立ち上がって背筋を伸ばすと、左足の飛行靴に、右足がわりの金属の義足を打ち合わせ、教範通りの敬礼を示した。

 

 ◆

 

 その後、オルクセン連邦への侵入機はますます数を増し、空襲も幾度となくおこった。

 

 オルクセン空軍は、自国と中立義務を守るために毅然として対抗し、そして戦った。

 

 第二次星欧大戦の終結までに、オルクセン空軍が撃墜した連合・枢軸双方の侵入機は、およそ八〇〇機以上を数える。

 

 その代わりに喪失した自軍戦闘機は二〇〇機を越え、多くの操縦士が命を失った。

 

 彼らは、遺族から特段の願いがない限り、オルクセンの各地にある国立の戦没者慰霊墓地に埋葬され、永く弔われることになる。

 

 国立墓地のうち最大のものは、リンデバウム市の郊外にある。リンデバウムは、デュートネ戦争の前半における最大の戦い、いわゆる「諸種族の戦い」の舞台となったことでも知られている。

 

 その市街から川一つを挟み、よく整備された並木に囲まれた広大な芝生に、無数の墓石が並んでいる。兵士たちが生前にそうしていたように、一糸の乱れもない整列ぶりだ。

 

 その墓石の一つの前に、ひとりの白エルフが立っている。

 

 彼女は、長いこと墓石を見下ろしていた。

 

 やがて、日が傾きかけた頃、誰にも聞こえぬ声で呟いた。

 

「遅くなって悪かった」

 

 長い戦いを終えたヘルヴェア・オストエレンの瞳に、涙はない。

 

「葬式に来なかったのも怒っているか? 仕方ないじゃないか。私が行っても邪魔になるだけだ。それに戦争が続いていたし……国が何と言おうが、あれは戦争だった。私たちには」

 

 白エルフの唇は、わずかに震えている。

 

 地平線は赤く染まり、夜の世界がその先端を見せている。

 

 ヘルヴェアは、誰にも聞こえる声でささやく。魔術通信でも届かぬ場所へ向けて。

 

「……覚えているよ。コボルトの天国は、空にあるんだってな。その割には、会わないじゃないか。分かるぞ。私にビビってるんだろう? もう、腕の差が開く一方だからな。何が英雄だ。この臆病者め」

 

 そうなのだ。勇気を意味する名で呼ばれ、いつも快活に見せて、危険に飛び込んでいっても。

 

 本当は臆病者だった。口ほどにもない。任務に失敗して、街を守ることもできず、罪に塗れて生還する勇気もない。彼はそんな奴だった。

 

 だから、肝心な言葉を口にすることもできなかった。

 

「今度、姿を見せてみろ。すぐに、とっ捕まえてやるからな。そうしたら……」

 

 彼の心は、すべて彼女に届いていたというのに。あとは言葉にするだけだった。それもできないなら、ほんの僅かに手を伸ばせば、彼女はその手を取っていたというのに。

 

「……そうしたら、今度は逃してやらないからな」

 

 ムートは、失敗した。彼は、帰ってこなければならなかった。機体を失い、任務に失敗し、たとえ罪にまみれたとしても。ただ、彼女一人のために、生きて帰らねばならなかったのだ。

 

 それなのに、ムートは去った。彼女の手が届かない世界へ。彼女の手を取れない場所へと。その場所で、コボルト魂は安らぎを得てえるのだろうか。

 

「それで貴様、本当にお星様をやっているのか? 気楽な奴め……もしそうなら、見ていろよ。私は相変わらずだ。今でもずっと……悪あがきをやっているんだ」

 

 ヘルヴェアは墓標に背を向けた。

 

 飛行帽鞄を背に掛けて、新たな職場へと足を向ける。

 

 彼女は、思う。

 

 あの時、ノイズにかき消された無線は、何かを叫んでいた。脱出を拒否したコボルトは、この世で最後になるかもしれない時間に、何を思い、叫んでいたのか。

 

 ヘルヴェア――と、彼女の名を呼んだだろうか。

 

 そうではあるまい。あれは、そんな牡ではなかった。

 

 彼女には分かる。他の誰にも理解されずとも、彼女は誰よりも理解している。彼の僚機なのだから。

 

 彼は操縦士だ。最後の瞬間まで、そうあろうとした。

 

 だから女のことなど、頭に浮かんだはずがない。全身全霊をあげて、操縦だけに集中していただろう。そのさなか、思わず何かを叫んだならば、もっと酷く、くだらないことだったろう。

 

 きっと、こういう言葉だったに違いない。

 

「絶対に、諦めたりするものか」

 

 一陣の風が戦没者墓地を駆け抜け、濃いブラウンヘアを揺らした。

 

 ふと見上げた空に、夜が広がろうとしている。

 

 やがて、白エルフは去った。

 

 誰もいなくなった墓地の上を、一羽の大鷲が飛んでいく。

 

 大鷲は一声、地平線まで届くほどの声で啼き、さらに彼方へ向けて羽ばたいた。

 

 その翼を轟音が追い、やがて追い越した。大鷲のはるか上空を、未だ試作段階にあるジェット戦闘機が飛んで行く。

 

 その行く先、夜の世界の彼方で、おぼろげな姿を見せた星一つが、ただ一機で飛ぶ白エルフを見下ろしている。

 

 

 

 

『中立国の戦空』

 

 

 おわり

 

 

 

 

 (次話へ続く)

 

 

 

 (ヘルヴェア・"アイス"・オストエレン個人の物語は

スターシーカー

ランデブー

女王陛下のヴァナディース号』へ続く)

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