───そこは、街の一角に建てられた事務所であった。
中はオフィスと呼ぶにはあまりに雑多としていて、人の動ける範囲は書類と部材の占める面積に比べれば僅かなもの。
そこでは異能による受電によって、この時代では珍しくキーボードを叩く音が響いていた。
積み上がった書類。
途切れることの無い陳情。
終わりの見えない欲望。
「……ふぅ」
上席に座るAFOは書類から顔を上げ、溜め息を吐いた。
【骨柔軟】や【分解】によって常人では耐えられない角度で体を解しつつ、処理の間に合わない
支配の為に積み上げる事を娯楽と捉える節がある男は、自らの影響力によって動く世界の最前線に身を置き、誰よりもその景色を楽しんでいた。
夢の終着点が大半の人類と相容れないだけで、歳を重ねて長期的視点を手に入れたAFOは誰よりも社会維持と新たなる秩序の構築に勤しんでおり、時代を切り拓くその姿は人を惹きつける魅力に満ちていて。
───それが、弟を喪った喪失感を埋めるようにひたすらに動いていたいという無意識の行動であることを、AFOは自覚できていなかった。
「
「いやぁ……政府も動き出したからなんとかなるかもね」
指で持ち上げた紙には、手書きで大まかな経済の流れを観測した結果が記されている。
新硬貨の流通、それに伴う信用性の向上。
国が
「ありがたいことに通貨は解決に近付いた。そうすると次の問題は……運輸かな」
「また現場視察ですか?」
「はは、大事だよ。顎先で使われていると感じるより、一緒に働いていると実感できる方が不満度が比較的低いからね」
しなくていい事に労力は割かないが、したほうがより良い結末になるのなら多少の損失には目を瞑る。
若かりし頃であれば人の動かし方に荒さがあったものだが、数十年も生きていれば効率的な運用ができるようにもなるもので。
己以外を道具として見ているものの、効率的な人心掌握の為に自ら動く必要があれば迷わず選ぶ程度に、AFOは夢に対して真っ直ぐな男であった。
異能を使用することなく、書類をまとめて建物から出た“夕陽”と呼ばれている男は、通行する顔見知りに挨拶をしながら現場へと向かう。
「……素晴らしいな」
搾取的支配。
駆藤がそう呼んだそれは、表向きには誰もが違和感を覚えずに幸せを享受するものであった。
無数の善意が積もる街。
あの人が困っているなら助けよう。
あの人のためなら身を捧げよう。
あの人が言うなら自らより優先しよう。
AFOはそれを汲み上げ、自らへと向けさせる事に長けていた。
気付かれないように、緩やかに積み上げていく。
人を惹くカリスマ無くして再現不可能なそれは、この国において唯一の成功例である。
腐敗や屎尿の悪臭は薄れ、木材の匂いすらわかる街。
この時代に社会を構築した偉業を、しかしAFOは遊戯に近い感覚で捉えていた。
人間を操作可能な駒とし、道具、物品と同程度にしか感じないからこそ良心無く資材として扱える。
常人では良心の呵責に苛まれるであろう効率的な
誰しもが歩めぬ道を先導し、拓く存在。
AFOは対外的にそう思われていた。
───道を歩き、道を外れ、街の外へ出て。
人の気配が無い一帯へ踏み入ったAFOは、一切の迷いすらなく廃工場へ入った。
分厚い防音壁により、埃の落ちる音すら聞こえそうな程の静寂の中に足音が鳴る。
「さて、おはよう」
「……」
埃を被った無数の機械の奥。
一人の女が機械に縛り付けられていた。
服を焼かれ、焦げた布地が爛れた皮膚に貼り付いた女の姿はおおよそ健康な状態とは言い難く、腕と足は折れ曲がって青紫に腫れ上がっている。
顔色は悪く、脂汗が滲んでいるのは痛みによるものか、はたまた状況によるものか。
半裸ではあるが、外傷と火傷によって正常な肌の色が殆ど見えない女を前に、AFOはなんの感情も抱かない。
返答がない事を一切気にせず、近場に転がるワイヤーで繋がれた長さの異なる二本の鉄骨のうち、長い方を【軽量】と【筋骨強化】の異能で持ち上げ、素組みされた鉄筋の方へ投げる。
軽量化によって重量の違うそれが天秤のように1m程の高さでおおよそ釣り合ったのを確認し、AFOは縛られた女を鉄骨の下へと蹴飛ばした。
咳き込む女の足と腕に金属の塊を放り、肉の潰れる音と女の苦悶の声が響く。
元々の骨折に加え、四肢を千切らなければ動けず、千切れば失血死という状況を作り出したAFOは表情を動かさずに口だけを動かした。
「君にはこれから、鉄骨にゆっくりと押し潰されて死んでもらう」
「……」
「一応、今すぐ楽に死ぬか、苦しんで死ぬかの2つから選んでもいい。質量に骨が砕け、内蔵が潰されて死んでいくのは苦しいからね」
返答が無くとも、AFOは気にせずに言葉を続ける。
「こっちも色々と情報は聞いているから抵抗の意味は無いよ。【異能をストックする異能】について知っていることはあるかな」
「───テメェに話すことは1つもねぇよ」
「それなら出来る限り凄惨な死に様を遺しておいてくれると助かるよ」
それは、信じられないほど軽い口調だった。
まるで朝に何を食べたのかを喋るようなトーンで、出来る限り惨たらしく屍を晒せと溢したのだ。
「舌を噛み切ったら、その時はその時かな。窒息で死んだ後に死体が損壊すればいいメッセージにもなるからね」
触れていない事で【重量】の効力が薄れ、天秤のように鉄骨が徐々に下がっていく。
女はそれを見て体を捩るが、異能を奪われた以上、もはや助かる道はない。
それらを一瞥することもなく、AFOは背を向けた。
「使い勝手のいい異能を僕に渡すために生きてくれてありがとう」
意味のない問答に時間を割く気はない。
AFOはそう言い残してその場を後にした。
これは単に、駆藤の系譜に対して見せしめとして行っているに過ぎない。
それを見て内部で分裂し、こちら側へ離反する人間がいれば良しという程度。
ある程度、組織の動きも掴めているだけに、何故無駄な抵抗をするのか心底理解が出来ないと思いつつAFOは町へと戻っていく。
心情を扱いながら理解を示せず、自らの嗜好を除けば損得によって状況を推し計る機械的側面が、不合理なそれらの動きを奇妙な故障のように捉えていた。
なぜそうなるのかを真に理解できないまま、しかしそうなる条件だけを把握しているAFOは、それをどう使えば役立つのかと思案する。
「───あっ、夕陽さん」
「うん?」
女の声にふり返った瞬間、能面のような表情は鳴りを潜め、にこやかな不安を和らげる笑みがそこにはある。
声の主が何度か
「あの、ウチのがやってるスナックで一人潰れてるらしくて……一応様子見だけしてあげてくれない?」
「───勿論。君も夜道には気を付けてね」
治安の安定において、ガス抜きの場所を作ったからにはある程度監視を行う必要がある。
用心棒もそれぞれ置いているが、
手を振って別れを告げ、スナックへと向かいながらどの程度の人間かと考えて。
政府関係者などであれば下手に消すのも厄介である。
そうして辿り着いたスナックの扉を開ければ、驚くべきことに
加えてこの時代の若者にしては珍しくふくよかな体格に内心の驚きを隠しつつ、AFOはゆっくりと男へと近寄る。
「おや、どうしたんだい。随分と荒れているようだけど」
「あぁ……?」
仕立ての良い白いシャツ。
この時代では余程恵まれていなければ身に纏うことも無いであろう服に目を細めながら、AFOは酔った男へと話しかけた。
「ここでは初めて見るね。大丈夫かい?」
「うるさい、どうせぇ……お前もわからねえんだろ……」
怪しい呂律でAFOの方へ顔すら向けない男の態度に、店内で様子を見ていた何人かが殺気立つも当事者が宥めるように手を振ることで沈静化する。
男以外に退店を促しつつ、AFOは荒れた男を刺激しないように話しかけた。
「僕で良ければ話ぐらい聞くよ。こう見えてもこの町ではそれなりに頑張っている方でね、何かの助けになれるかもしれない」
「あぁ……?」
そこでAFOの顔を見た男は、その姿を見てグッと顔を仰け反らせる。
いくらスーツを着ていたとしても、その上から筋骨の厚みが見て取れる存在には酔いがあったとしても身構えてしまうものだ。
丸い眼鏡がずり落ち、顔色が悪くなっていく。
「…………」
「あぁ、いや。何かをしようというわけでは。よっぽど何かあったのかと心配になってしまってね」
手を振って警戒を解こうとするAFOに無害さを感じ取った男は、少しだけ気勢を削がれつつも酒に口をつけた。
「……俺は外科医をやっていてな。この時代じゃ免許なんてあってないようなものだが」
「それは、すごいな。この時代にその若さで人を診る事ができるのか」
その言葉を聞いたAFOは、政府から打診のあった検診の関係者かと納得した。
顔を覚えていなかったので、少なくとも裏方の人間なのだろう。
男の年齢は明らかに超常第一世代であり、それは教育の崩壊した社会を生きてきた事を伺わせる。
自らを外科医と名乗った男は、据わった目の奥に確かな知性を秘めていた。
「……嫌な患者にでも当たったのかい」
「ハッ、クズなら良かったさ、嫌というほど見てきたからな。俺は同じ医者でありながら無知を良しとする奴らが気に食わないんだ!」
ダン、とカウンターテーブルに手を叩きつけた男は、ここで初めてAFOと目を合わせた。
そこには怒気と混ざり合った、ギラギラとした色が宿っており。
「───俺は異能に真剣に向き合った」
それは、驚くほど静かな語り出しだった。
「いくつも記録を残し、未知の領域を俺は切り拓いてきた。矢吹も、浅井も、ゴミのような奴らとは比べ物にならないほどに……!」
感情が煮え立ち、酔いに赤らんだ顔に筋が浮かぶ。
宥めるようにAFOが手を添えるも、男はそれに気づかないほど激情に駆られていた。
「いつか、人類を滅亡させる異能が産まれてくる。誰も、それを理解できていない……!」
その言葉に、AFOは目を見開く。
酔っ払いの戯言と片付けるにはあまりにも確信めいたその言葉に、AFOは
「───君は、
「人を跡形もなく消し飛ばす異能が世にはあると聞く。治療を施す事もできず、死体も残らない。誰しもが気付けず、ある日起こり得る終末の引き金は既に存在しているというのに!」
言葉すら聞こえていないように白熱する男に対し、AFOは無意識の内に僅かに強張っていた目元が緩む。
聞いただけ。
それだけであれば、裏に精通していればおかしな話でもない。
アレは、確かに殺した。
肉体に大穴が開き、死体すら残らない程の威力だった。
類似した異能が出てきたかと思ったが、話を聞く限りでは奴の事なのだろう。
自然とAFOの脳裏に蒼い光がチラつき、額に青筋が浮かぶ。
しかしそれを手で隠すようにして、眼の前の男には内に燻る苛立ちを悟らせなかった。
「何が根拠の無い悲観論……存在する事実を知らないからというだけで笑い飛ばすのならば、お前らは医学を侮辱している……!」
男が悔しそうに歯噛みして語る、誰しもに笑われたというそれを、AFOは否定できない。
願星蒼という、単一で人類を滅亡させる事が可能な異能持ちを知っているからこそ、男の主張は正しいものだと心の底から理解を示す。
「こんな場所の初対面でこんな事を言うのもどうかと思うが……私はそれがそう間違ってはいないと思うよ」
「そんな慰めは……」
「いや、真剣にそう考えている。誰よりも、下手をすれば君よりもその考えを実感しているかもしれない」
自らの力で3世代も経た異能を集めれば物理的に世界を落とすことが実行可能である事をAFOは大まかに理解していた。
【蒼星】や【AFO】といった特異点が産まれてくる可能性もあるため実際にどうなるかはわからないが、物理的に人の住めない環境を作り出し、救世主のように支配を行う策も考えている。
裏から遺伝による異能の先鋭化は聞き及んでおり、既に
その場しのぎではなく、心底からの肯定を感じ取った男は、奇妙なものを見たように首を傾げる。
「何を、お前……なんだ?」
「この街で頑張っているただの人間さ。多分君は誰よりも賢くて、恐らく最も真実に近付いているのだと思う。私が開く次の交流会に来てくれないか。私の友達が多くいる。きっと君の考えを尊重する人もいるし、助けになれるはずだ」
肯定されると思っていなかったのか、呆気にとられる男へAFOは静かに語りかける。
「孤独に苛まれなくたっていい」
慰めるように柔らかく肩を叩けば、男はAFOに縋るような目を向け。
酔いに霞む思考の中、多数に打ちのめされた惨めな己へ、この時代に手を差し伸ばす人間がいるのかと、じわじわと実感してきた男は感動に震えていて。
AFOの声が、傷付いた心の表面にゆっくりと沁み込むように残っていく。
「もう大丈夫。僕がいる」
AFOは、笑いかけた。
■お知らせ■
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50話となり、開始より約1年が経過したため、点検として全話を対象に校閲、加筆作業を行い、完了後に51話を投稿いたします。
点検作業による非公開などはありません。
つきましては、読み返しをご計画されていらっしゃる方は次話更新後からの読み返しをお勧めします。
また本作業に伴い、これまでいただいていた作中の【ここすき】がズレてしまいますので、もし読み返しをされる方がいましたら新鮮な気持ちで再度押してくだされば幸いです。
ご承知おきのほど、よろしくお願いいたします。