思い出せない母、失われた名、それでも届く祈り──
これは、名もなき墓に愛が届けられる物語。
思い出せない母、失われた名、それでも届く祈り──
これは、名もなき墓に愛が届けられる物語。
あるところに一人の少年がおりました。
少年は幼い頃に母親を亡くし、親戚のもとに預けられていました。
親戚たちは少年を厄介者だと冷たく扱いました。
少年は彼らに好かれようとしましたが、そのたびに態度は冷たくなるばかりでした。
やがて少年は、彼らに好かれようとすることを諦めてしまいました。
少年はよく夜空の星を見つめながら母親について考えていました。
幼い頃に亡くなったため、顔も声も覚えていません。
「どんな人だったのだろう」「僕を愛してくれたのだろうか」──そんなことばかり考えていました。
あるとき、親戚が仕事で失敗し、鬱憤を晴らすために少年を殴りつけました。
少年は家を飛び出し、誰も来ない森へと走りました。木が生い茂り、人を呑み込むような暗く深い森へ。
息を切らし、座り込み、顔を伏せる少年。
誰の声も、鳥の声さえ聞こえない静寂が森を包んでいました。
少年の目の前が明るくなりました。
雲に隠れていた月が姿を現したのです。
少年は夜空の星を見上げ、母親のことを考えていました。
しばらくして目の前の暗い森を見ると、白く美しい月明かりが差していました。
その月明かりの中に、一つの墓が照らされているのが見えました。
静謐な空気を纏い、暗闇の中で静かに佇む小さな墓が。
「こんなところに、なぜ墓があるのだろう?」
少年は不思議に思いながらも、墓に近づいていきました。
何故か真っ暗な森の中に佇むその墓を、怖いとは感じませんでした。
墓は寂れていて、供えられた花もなく、雑草に埋もれ、ヒビと風化で名前も読めなくなっていました。
少年は居場所のない自分と、その墓を重ねていきました。
誰にも愛されず、拒絶され続けた自分と、誰にも見向きもされず朽ち果てている墓。
その日から少年は毎日墓に出向き、花を供え、墓の手入れをし、出来事を語って聞かせるようになりました。
春には咲き誇る花を供え、夏には瑞々しい若葉を、秋には見事に染まった紅葉を。
学校で起きたこと、親戚に辛く当たられたこと、思い出せない母親のこと。
来る日も来る日も、そんな日々が続きました。
あるとき、森に一人の神父が現れました。
神父は墓にいる少年を見て驚きましたが、すぐに納得したように微笑み、頷きました。
不思議に思った少年は神父に尋ねました。
「なぜそんな顔をするのですか?」
神父は穏やかな笑顔を浮かべながら言いました。
「君がお母さんを大切に思っているのが嬉しいからだよ」
少年は訳が分からず、思わず尋ねました。
「……貴方は、何を言っているのですか?」
神父は一瞬驚いた表情を見せ、やがて気がつきました。
少年がここが母親の墓だと知らないことに。
神父は少年に尋ねました。
「ここが誰の墓か知っているかい?」
少年は不思議そうに答えました。
「知りません。名前はもう読めなくなっていました。……もしかして……?」
神父は静かに告げました。
「ここで眠っているのは、君のお母さんだよ。
君を愛し、守ろうとして病に倒れた……君のお母さんの墓なんだ」
少年は墓を見つめました。
「お母さんの……? お母さんの墓……?」
気づくと、少年は涙を流していました。
それがなぜなのか、少年自身にも分かりませんでした。
少年は墓に近づき、抱きしめるように寄り添いました。
思い出すこともできない母親を思い、ただ涙を流し続けました。
神父は静かに、その姿を見守っていました。
ーーこれは、名もなき墓に愛が届けられる物語。
これにておしまい。
めでたし……めでたし。
……どこからか、拍手の音が鳴り響きました。
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