狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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序 安倍晴明は二人いた  一話 狐畜生の子どもたち

  序  安倍晴明は二人いた

 

 世に隠れなき大陰陽師、安倍晴明は二人いた。

 ――と書けば、いかにも珍奇な説に聞こえるが。実のところ、二人の名が伝わっているのだから仕方がない。

 

 『尊卑分脈』における安倍氏系図を始めとする史料においては多く安倍「晴明」と記され、説話集『今昔物語集』においても同様である。

 一方、古浄瑠璃『しのだづまつりぎつね並ニあべノ清明出生』といった芸能方面。また、安倍家の子孫たる土御門家の配下である、民間陰陽師の伝承においては安倍「清明」の名が伝えられている。説話集『前太平記』にも「安倍清明」と記されており、『三井往生伝』『三国伝記』にあっては「清明と(いひ)て神の如くなる陰陽頭」とされている。

 

 そればかりではない。安倍セイメイの表記が二通りあるように、その幼名もまた――無論、歴史上の記録に安倍晴明の名が初めて確認されるのは彼が四十歳の折である。ここでいうのは伝承上、説話上における幼名――二通り確認できる。「童子丸(どうじまる)」そして「尾花丸(おばなまる)」。安倍セイメイは二人いた――そう示すかのように。

 

 ――しかしである。実際のところ「晴明の伝承と清明の伝承」「童子丸の説話と尾花丸の説話」これらについては内容の重なる部分が多い。結局、伝承は一つでしかない。

 一つの伝承、二つの名前。なぜそんなことが起こり得たのか。なぜ一つの説話を二人の名前で伝える必要があったのか。

 

 ――つまるところ。

安倍セイメイは二人いた。「二人で一人の安倍セイメイ」が。

 そして、そのうち一人の存在は。余人の目には見えなかった。

 

 

 

  一話  狐畜生の子どもたち

 

 いかに(あやかし)化生(けしょう)の子とて、童子丸にも生まれてすぐの記憶などない。双子の弟、尾花丸(おばなまる)にも尋ねたことはあるが、こちらも無論覚えてはいない。

 ゆえ、二人の出生については父から聞いたが、父とて出産を直接見たわけではない。産婆から聞いた、又聞きの又聞きということになる。

 

 

 へその緒は確かに二本あった。母親たる葛葉(くずのは)の下腹から、それらは確かに伸びていた。

 一つは(とこ)の上で、引き絞るような産声を上げる赤子のへそに繋がっていたが。

 もう一つは、同じ(とこ)の上で。宙へと消えていた。ちぎれて垂れ下がっているわけではない。まるで目に映らぬ赤子がいて、そのへそにつながっているかのように、宙へ浮かんで、消えていた。

 

 産婆が固まったように身動きを止め、ただ何度も目を瞬かせているうちに。

 母、葛葉(くずのは)は順に我が子を抱き上げて――目に見える赤子の童子丸、人目には映らぬ尾花丸――、犬歯の伸びる己が口を開いて。これまた順に、へその緒を咬みちぎった。まるで獣がそうするように。目に映るへその緒も、人の目には見えぬへその緒も。

 そうして、口を血に染めて、二人の赤子を胸に抱いた。誰の目にも見える子も、人の目には映らぬ子も。そうして何度も頬ずりしては、血に染まる舌で何度も舐めた。ぴちゃぴちゃぴちゃと音を立て、狐のように目を細めて。

 その後、母は獣がそうするように、自らの胎盤を喰らったとも聞くが。食い物にこだわりのない童子丸とて、想像したい光景ではない。

 ともあれ、母はその後もまた、兄弟を何度も舐めたであろう。血に濡れる舌で。

 

 

 以降、母に関する赤子の頃の記憶は決してはっきりとしたものではない。童子丸の中に、切れ切れにある。

 乳飲み子の頃。寝床に転がる童子丸は、小さな拳を、く、と握っては緩め、握っては緩め。気が向けば脚をばたつかせていた。その脚が、同じ(とこ)に寝転がるものに当たる。ふさ、と柔らかな毛の感触。

 目を瞬かせてそちらを見れば。そこには弟がいた。稲穂色の毛をふさふさと全身に生やし、くすんだ空色の目を瞬かせ。三角の形に立った耳を時折、ひく、と動かす弟、尾花丸が。

 

 無論その名や、弟という概念を知ったのは物心ついた後のことではある。自分とは違う、狐の姿をしていることも。

ただ、そこに転がるものが自分と同じ腹から生まれたものであることは、赤子のときにも解っていた。そのものの尻から伸びる尾がふさふさと童子丸をくすぐるのが好きだった、声を上げてきゃっきゃと笑った。

 

 添い寝する母が襟をくつろげ、乳房を見せた。母の胸は腹は、白く短い柔草(やわくさ)のような毛に覆われている。母は乳房を持ち上げ、自らの歯でその毛を咬んでは抜き捨て、瑞々しい乳首を毛の群れから剥き出して、兄弟の口に含ませる。

 乳はいつも、どこか血の匂いがする。包み込むように甘く、そのまま二度と離さぬような、甘臭いにおいがする。

 

 

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