狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
駆け寄ったものか、それとも気づかれてはいない様子だ、そのままにしておいた方がいいのか。童子丸が決めかねていると、鬼どもの中で首をかしげる者がいた。
「なんぞ、
踊りの手を緩めつつ、小袖を着た大蛙が言う。
「はて、辻の端に
「いやさ、そうも遠くでなしに。この辺りに混ざっとりゃせんか」
「んな阿呆な……もしもおったら酒の肴に、頭っから喰ろうてやろうほどに」
踊りの手を止めた獣らが、辺りで鼻を鳴らし始める。
尾花丸もあちらを向いてはこちらを向き、とぼけて鼻を鳴らしてはいたが。見つかるのは時間の問題だと思われた。
「くそ……ッ!」
童子丸は真っ直ぐ駆けた。間に合うかどうか、間に合ったところで百の鬼を敵に回すことになる。浮かれ騒ぎを邪魔されて、怒り猛るであろう百の鬼を。
到底かなうとは思われなかった。それでも、弟だけは。
童子丸は短く口笛を吹く。宙を舞っていた火の気のモノらが、呼ばれたように動きを止める。
「火ィのモン集まれ、燃え盛――」
手の上に赤いモノどもが集まり、熱を帯びかけたそのとき。
間の伸びた、男の声がした。年取った男の声、ひどく間の抜けた声。
「お~~~とっとっとっとぉ! いや~~あ酔うた! 酔うたぞわしゃあ!」
転びかけては足を継ぐように、片足で跳んではよろめいて、また逆の足で跳んではよろめいて。白髪の男はやって来た。どこにいたのか、道の端から、百鬼夜行のただ中へ。片手に提げた
一筋の黒髪もない、長い白髪の男だった。それを女官のように長く伸ばし、背中辺りでくくっている。だらしなく垂れた折れ烏帽子を頭に載せ、身につけているのは細い
髭のない顔にはしわも少なく、確かな齢は測りかねたが。枯れた声は年取った男のものだった。
その顔をにたにたと緩め、天へと向けた口に
「酔うた酔うたぞ
男が身を折り曲げ、吐きかけたように手を口元へやると。足を止めていた百鬼夜行が、潮が引くように身を引いた。
「ぉっ、おっぶぅ……ぅえぁぁ」
口に手を当てたまま、ふらりふらりと男が歩き。行く手の鬼どもは道を塞ぐことなく、我先に身を引いていく。
気づけば、海を割って往くかのように。男は百鬼の大河を渡り、童子丸の前へと来ていた。
「な……」
童子丸が何か言う前に、男は覆いかぶさってきた。
「おおう! よう来たよう来た、よう迎えに来た! こんな
思わず一瞬考えたが、無論祖父などではない。父方の祖父など見たこともないし、母方に祖父がいたとして人間であるはずもない。思えば忠行も、ある意味では義理の祖父――母が化けた女性の父親――といえなくもないな、とふと思ったが。だからどうしたというものでもない。
「いやぁ~お前は初孫じゃでな、
笑っていた男が急に眉根を寄せた。焦点が合わぬかのように目を瞬かせ、顔を何度も近づけては遠ざける。
突如、目を見開いた。
「うわああああ孫じゃねええお前! 誰じゃ! お前誰じゃあああ!」
肩をつかまれ、がくがくと揺さぶられる童子丸をよそに。
「え……」
「えええ……」
鬼どもは顔を見合わせ、遠ざかろうとするかのように腰を引いていた。
そこで男は、にぱ、と笑う。
「まっ、ええか!
上衣を脱ぎ、上半身は裸となった。脂肪はなく、齢の割には引き締まった腹だった。 その腹を、ぱん、と叩き、調子を取るように間を空けて叩く。
天を、うっすらと顔を出した
「
百鬼夜行が、いつの間にか動きを止めていた。
その中で、男の腹を打つ音だけが調子を変えず響く。男の声が、謡うようなうねりを持って、百鬼の中を通りゆく。
酔いも良いとぞ
唄に合わせて男の歩みゆくまま、鬼どもは身を引き道を開ける。
やがて男の歩んだ先には。引くも逃げるもならず、身を固まらせていた尾花丸がいた。
夜唄歌うは 夜更けの辻じゃ 聞くは
酔うた
男は尾花丸に顔を寄せ、低くつぶやく。
「
尾花丸が返事もせぬうちに、男は手にしていた上衣を尾花丸に頭からかぶせた、包み隠すように。そうして衣ごしに、尾花丸の肩を軽く叩く。
その後は、尾花丸には目もくれず。なおも調子を取りつつ声を響かせる。
鬼の出るとて あわわの辻じゃが
――ヨォ
鬼が聞くなら
「――ソレ」
投げ渡すような声につられてか。唄声に身を揺らし、体で調子を取っていた鬼どもが、後を受けるように唄い出す。
酔いも良いとぞ
手拍子、足踏み、百鬼の群れが流れ出す。一人立つ白髪の男、衣をかぶってかがんだままの尾花丸、流れの傍で立ち尽くす童子丸を残して。
「お
去りゆく百鬼夜行を見やりながら、男は口で拍子を取っていた。
「あんた……」
何者じゃ、童子丸がそう聞く前に。
「あんた、おれガ! おれのことガ、見えルのか!?」
衣を跳ねのけ、立ち上がった尾花丸が毛むくじゃらの手で男の肩をつかんだ。
「ああ、見えるとも。二人とも怪我はないかね」
千鳥足だったはずの男の背筋は伸びていた。まるで天から糸で吊るされているかのように、いささかの揺るぎもなかった。
衣を拾い、土を払って袖を通す。
「私の名は
男が一つ指を鳴らす。
「先ほどのことを見るに。君たちにもこれが、見えるのかね」
その手の上では。水の気を帯びたモノどもが集まり、輪郭を失い。たゆたう水の塊となって浮かんでいた。