狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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十話  百鬼夜行にさよならを、酔った爺(じじい)に挨拶を

 

 駆け寄ったものか、それとも気づかれてはいない様子だ、そのままにしておいた方がいいのか。童子丸が決めかねていると、鬼どもの中で首をかしげる者がいた。

「なんぞ、人間臭(ひとくそ)うはないか」

 

 踊りの手を緩めつつ、小袖を着た大蛙が言う。

「はて、辻の端に人間童(ひとわらわ)を見た気もするが」

「いやさ、そうも遠くでなしに。この辺りに混ざっとりゃせんか」

「んな阿呆な……もしもおったら酒の肴に、頭っから喰ろうてやろうほどに」

 踊りの手を止めた獣らが、辺りで鼻を鳴らし始める。

 

 尾花丸もあちらを向いてはこちらを向き、とぼけて鼻を鳴らしてはいたが。見つかるのは時間の問題だと思われた。

 

「くそ……ッ!」

 童子丸は真っ直ぐ駆けた。間に合うかどうか、間に合ったところで百の鬼を敵に回すことになる。浮かれ騒ぎを邪魔されて、怒り猛るであろう百の鬼を。

到底かなうとは思われなかった。それでも、弟だけは。

 

 童子丸は短く口笛を吹く。宙を舞っていた火の気のモノらが、呼ばれたように動きを止める。

「火ィのモン集まれ、燃え盛――」

 手の上に赤いモノどもが集まり、熱を帯びかけたそのとき。

 

 間の伸びた、男の声がした。年取った男の声、ひどく間の抜けた声。

「お~~~とっとっとっとぉ! いや~~あ酔うた! 酔うたぞわしゃあ!」

 

 転びかけては足を継ぐように、片足で跳んではよろめいて、また逆の足で跳んではよろめいて。白髪の男はやって来た。どこにいたのか、道の端から、百鬼夜行のただ中へ。片手に提げた瓢箪(ふくべ)の徳利を揺らし、ちゃぽちゃぽと音を立てながら。

 

 一筋の黒髪もない、長い白髪の男だった。それを女官のように長く伸ばし、背中辺りでくくっている。だらしなく垂れた折れ烏帽子を頭に載せ、身につけているのは細い野袴(のばかま)と飾り気のない直垂(ひたたれ)。その襟元は、だらりとくつろげられていた。

 髭のない顔にはしわも少なく、確かな齢は測りかねたが。枯れた声は年取った男のものだった。

 

 その顔をにたにたと緩め、天へと向けた口に瓢箪(ふくべ)の中身を流し込むと。男は右へ左へ、ふらふらと歩き出した。

「酔うた酔うたぞ()()う酔うたぞ、夜唄夜唄ぞやかましやぁぁあ~~……ぅっ、ぶぇぁ」

 男が身を折り曲げ、吐きかけたように手を口元へやると。足を止めていた百鬼夜行が、潮が引くように身を引いた。

 

「ぉっ、おっぶぅ……ぅえぁぁ」

口に手を当てたまま、ふらりふらりと男が歩き。行く手の鬼どもは道を塞ぐことなく、我先に身を引いていく。

 気づけば、海を割って往くかのように。男は百鬼の大河を渡り、童子丸の前へと来ていた。

 

「な……」

 童子丸が何か言う前に、男は覆いかぶさってきた。

 

「おおう! よう来たよう来た、よう迎えに来た! こんな(だぁれ)もおらん大路に、夜にようよう迎えに来た! 我が孫よぉ!」

 

 思わず一瞬考えたが、無論祖父などではない。父方の祖父など見たこともないし、母方に祖父がいたとして人間であるはずもない。思えば忠行も、ある意味では義理の祖父――母が化けた女性の父親――といえなくもないな、とふと思ったが。だからどうしたというものでもない。

 

「いやぁ~お前は初孫じゃでな、(じじ)可愛(かわゆ)うてならんのじゃあ。いやはや(ちん)は愉快愉快、どりゃ、顔見せい。はっはっは……」

 笑っていた男が急に眉根を寄せた。焦点が合わぬかのように目を瞬かせ、顔を何度も近づけては遠ざける。

 突如、目を見開いた。

「うわああああ孫じゃねええお前! 誰じゃ! お前誰じゃあああ!」

 

 肩をつかまれ、がくがくと揺さぶられる童子丸をよそに。

「え……」

「えええ……」

 鬼どもは顔を見合わせ、遠ざかろうとするかのように腰を引いていた。

 

 そこで男は、にぱ、と笑う。

「まっ、ええか! (じじ)は呑むぞ、呑むぞ孫治郎よ! まずは(じじ)和歌(うた)を聞けええ!」

 

 上衣を脱ぎ、上半身は裸となった。脂肪はなく、齢の割には引き締まった腹だった。 その腹を、ぱん、と叩き、調子を取るように間を空けて叩く。

 天を、うっすらと顔を出した繊月(せんげつ)を仰ぎながら、男は低く長く、尾を引くように吟じた。太くあるいは細く響き、聞く者の腹に染み通る声だった。

 

(かた)(はや)ァ ()(せせく)りにィ ()める酒ェ……手酔い足酔い 我酔いにけり――」

 

 百鬼夜行が、いつの間にか動きを止めていた。

 その中で、男の腹を打つ音だけが調子を変えず響く。男の声が、謡うようなうねりを持って、百鬼の中を通りゆく。

 

 

 酔いも良いとぞ ()()う酔うたぞ 夜唄夜唄ぞ やかましやァ

 (よい)の口から ようよう酔うたら 宵の明星(あきぼし) 呆れ顔ォ

 

 唄に合わせて男の歩みゆくまま、鬼どもは身を引き道を開ける。

 やがて男の歩んだ先には。引くも逃げるもならず、身を固まらせていた尾花丸がいた。

 

 夜唄歌うは 夜更けの辻じゃ 聞くは孫治郎(まごじろ) 一人きりィ

 酔うた(じじい)の 言祝(ことほ)ぎ浮かれじゃ 誰か聞くなら 耳汚しィ

 

 男は尾花丸に顔を寄せ、低くつぶやく。

(かが)みたまえ。動かないことだ」

 

 尾花丸が返事もせぬうちに、男は手にしていた上衣を尾花丸に頭からかぶせた、包み隠すように。そうして衣ごしに、尾花丸の肩を軽く叩く。

 その後は、尾花丸には目もくれず。なおも調子を取りつつ声を響かせる。

 

 鬼の出るとて あわわの辻じゃが (じじ)孫治郎(まごじろ) 二人きりィ

 ――ヨォ

 

 鬼が聞くなら 言祝(ことほ)ぎ唄えや されば憂いの 玉箒(たまははき)

 

「――ソレ」

 投げ渡すような声につられてか。唄声に身を揺らし、体で調子を取っていた鬼どもが、後を受けるように唄い出す。

 

 酔いも良いとぞ ()()う酔うたぞ 夜唄夜唄ぞ やかましやァ――

 

 

 手拍子、足踏み、百鬼の群れが流れ出す。一人立つ白髪の男、衣をかぶってかがんだままの尾花丸、流れの傍で立ち尽くす童子丸を残して。

 

「お(いっち)()ィの、三四五(さいよいど)。お(いっち)()ィの、三四五(さいよいど)ォ」

 去りゆく百鬼夜行を見やりながら、男は口で拍子を取っていた。

 

「あんた……」

 何者じゃ、童子丸がそう聞く前に。

 

「あんた、おれガ! おれのことガ、見えルのか!?」

 衣を跳ねのけ、立ち上がった尾花丸が毛むくじゃらの手で男の肩をつかんだ。

 

「ああ、見えるとも。二人とも怪我はないかね」

 千鳥足だったはずの男の背筋は伸びていた。まるで天から糸で吊るされているかのように、いささかの揺るぎもなかった。

 衣を拾い、土を払って袖を通す。

「私の名は貞明(さだあきら)(うじ)は無い、ただの貞明(さだあきら)。ところで」

 男が一つ指を鳴らす。

 

「先ほどのことを見るに。君たちにもこれが、見えるのかね」

 その手の上では。水の気を帯びたモノどもが集まり、輪郭を失い。たゆたう水の塊となって浮かんでいた。

 

 

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