狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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十一話  貞明と、乱を呼ぶ男

 

 その後の話は早かった。

「だからよォ、父御(ててご)にゃ何度よ、そこに弟がいるッつッたか分からんがよォ。なーんも気づきゃしねェのよ!」

 

「そウよそウ、おれが突ッつこウとも気づきやしネぇ」

 

「ああ分かる、分かる分かるぞ! 私も何度人にあのモノどもの説明を――」

 

 百鬼夜行がとうに去り、通る者とてないあわわの辻で。三人、地べたで車座になる。瓢箪(ふくべ)を回して代わるがわる呑む。

 よくある濁酒(もろみ)ではなく、上澄みだけを汲んだような透き通った上酒であった。甘味を含んだ水のようにすいすいと喉を通り、胃の()で、ほうっ、と熱くなる。どころか、蜜のように薄甘い香りさえした。どうもただの瓢箪(ふくべ)ではなく、内側に蜜蝋(みつろう)を引いてあるらしかった。中身が染み出さないようにするためであろうが、それなりに値の張る細工と思われた。

 

 膝を叩き、顔のしわを増やして貞明(さだあきら)が笑う。

「いや私も、私もねぇ、何度人に馬鹿にされたか分かりゃあしないねえ! 一度なんかそいつの顔に、その辺に浮いてた龍をぶん投げてやったもんだがねえ!」

 

「あア、鰻ぐらイの大きサの奴か」

 尾花丸が言い、童子丸もうなずく。

「よう浮かんどる奴やな……ま、それでも気づかれんかったやろ」

 

 貞明は大きくうなずく。

「びったぁぁあん! と顔面にぶち当たって、龍の方は大慌てで泳いでいったがね。そいつの方は目を瞬かすばかりさ! いや、今にして思えば瞬きしただけ、まだ勘の良い方だったのかも知れないがね」

 

「あア……」

「そんなもんやろなあ……」

 

 何度もうなずく兄弟に、その人もうなずいてみせた。

「いやいや、陰陽師だの験者(げんじゃ)だの、(あやし)の術を使う者らもだね。全然駄目だね、本当に見える者などいない。神だの鬼だのと、ある程度はっきりしたモノなら見える者もいるようだが……宙を遊ぶモノらのような、微細なモノになるとさっぱりだ。せいぜい『何かがいる』としか分からぬまま、分からぬモノのいる方に向かって術を使う。いい加減なものだ。火剋金(かこくきん)――火は金を討つ――だの水生木(すいしょうもく)――水は木を生む――だの、理屈ばかりこねおって」

 

「詳しいの、じい様。陰陽師に知り合いでも? それか、これが何か相談にでも行ったか」

 

 童子丸は指先で、宙に浮かぶ泡と、木の葉の羽根持つ小虫と戯れる。それらは指に触れてあるいは跳ね、あるいは、ふ、と消えた。

 

 考えるような間を置いて、貞明はうなずいた。

「むしろ周りが気にしてね、私の見ているというこれらのモノが何なのか、陰陽師に尋ねたものだったが。その陰陽師が話にもならない、さっき言った龍をぶつけた奴でね。(おおやけ)の陰陽師でさえそれさ……そんなモノは無い、ということでね。以来、私はすっかり馬鹿者扱い。陰に日なたに噂されたものさ、頭のおかしい物狂(ものぐる)いとね」

 貞明は自らの頭をつつき、ため息をつく。

 

 共に、兄弟もうつむいていた。自分たちのこれまでを思い、その人のそれまでを思っていた。

 

「ときに、聞いてもいいかね? 弟どのだったか、彼の、その姿は」

 

 兄弟は顔を見合わせた後。語った、二人の生い立ちとこれまでの経緯(いきさつ)を。主に尾花丸が、急き込むように。

 

 

「なんと……」

 兄弟の話を聞いた後、貞明は身じろぎもせずにいたが。不意に、二人の肩をつかんだ。

「よくぞ、無事で。無事で、いてくれた」

 

 そうして、がしりと二人を抱き寄せた。強く目をつむって。

 (ぬく)い腕だった、決してたくましくはないが、強く力がこもっていた。思えば抱き寄せられたことなど、母が去ってからなかった。物心ついてから父には一度も、そうされたこととてなかった。

 

「……よしてくれェや」

 童子丸がその手から身を引いた後も。尾花丸は、その手に身を任せていた。目を細くつむって。

 

 

 そうするうち。やがて大きな足音が近づく。四つ足が規則正しく響くそれは馬の足音だったが。四つ足の音が止まった後、地に降り立って近づく二本足の足音は、馬のそれほどにも大きかった。

(さだ)じい! こんな所にいたかよう!」

 

 草鞋(わらじ)履きの大きな足だった、動き易く裾を絞った(くく)(ばかま)に包まれた脚も太く長かった。

 どたどたと足音を上げる男は、腹の底から響くような野太い声を上げた。

(さだ)じいよう! 朝にゃあ仕事に()つってんだからよう! 寝なきゃ体に毒だぜえ!」

 

 分厚い胸を包んだ直垂(ひたたれ)は、簡素ながら波の柄が描かれた、しっかりとした造りのものであった。ざんばらに伸びた黒髪は背中まで垂れ、一本一本が粗糸のように太い。それでいて脂の乗った、(つや)のある髪であった。

 男は黒漆(くろうるし)をかけた腰の太刀を鳴らしつつ、(さだ)じいと呼んだその人の前に座り込んだ。その場は尾花丸が座っているところで、今まさに尾花丸の体を空気のように透かして座しているのだが。男は気づいた様子もなく、尾花丸だけが困ったように目を瞬かせている。

 

 再び口を開こうとする男を手で制し、貞明は尾花丸に苦笑してみせる。

「済まないね。悪い者ではないのだが、こういう奴でね」

 

 尾花丸はうなずくと、立ち上がって童子丸の横に来た。

 

 男は変わらぬ声量で喋る。

「もう七十も(ちけ)えんだからよう! いつくたばってもおかしかねえんでよう! 体あ大事にしなきゃだよう、なあ?」

 

 貞明は顔をしかめる。

「君ねえ。何度も言うが、人が目の前にいるのにその大声はどうなのかね」

 

 男は変わらず、大きな口を開ける。

「そうかあ? 海じゃよう、波も風もあってよう! こんぐらいじゃねえと他の船にゃあよう――」

「だから船とかじゃあなく、目の前にいる人にだね――」

 

「あの、もし」

 手を挙げ、さえぎったのは童子丸だった。

「失礼ながら、こちらの旦那は……いや」

 あぐらをかいたまま背筋を伸ばし、衣の襟を正す。貞明へ深く頭を下げる。

「そもそも、えろう失礼致した。大事な弟を助けていただきながら、名乗りもせず得手勝手申しておりました。意気の()うた嬉しさに、つい馴れ馴れしゅう……堪忍いただければ幸甚(こうじん)にござります」

 

 顔を上げ、二人を見回して続けた。

「改めて名乗らせていただきます。わしは安倍家の子、童子丸」

 言った後で気づく。童子丸の名は捨てた、そのようなことを言って自ら家を出ておいて。口から出るのは未だその名だ。

「こちらは双子の弟、尾花丸。……もっとも、家を飛び出した手前、元服も済まさぬ身なれど、今は清い明かりと書いて清明、弟は晴れて明るいと書いて晴明、なぞと名を変えさせてもろうとります。兄弟揃うて、見てのとおりのがさつ者にございますが。(よろ)しゅうに、お見知りおきを」

 童子丸が再度頭を下げ、尾花丸も遅れてそれにならう。

 

「弟お?」

 男が大きな目を瞬かせ、辺りを見回す。

 

 貞明は首を横に振ってみせる。

「こういう奴なんだ。ああ、改めて、私は貞明(さだあきら)。ただの貞明(さだあきら)だ。彼とは親類に当たる」

 

 男は大きくうなずいた。

「おう! おれのよう! 祖父(じい)ちゃんと腹違いの兄弟んとこの子供が貞じいでよう! おれの父ちゃんと貞じいが何、従兄弟(いとこ)? らしいんだよう!  だからあ!」

 どん、と、大きな拳で分厚い胸を叩く。

「おれと貞じいはよう! 親戚同士なんだあ!」

 

「……それはもう言っただろう」

 貞明は疲れたような顔をしていたが、ため息の後で言った。

「彼は藤原純友(ふじわらのすみとも)。こう見えて前伊予掾(さきのいよのじょう)……四国は伊予国(いよのくに)の役人だった者だ」

 歯を見せて笑った。

「仲良くしておいた方がいいかも知れないね。何せ彼は、かの藤原家……しかも今をときめく名門中の名門、藤原北家の出だ」

 

 がっはっは、と純友は肩を揺らす。

「そりゃあよう! おれの親戚らはお偉いさんだがよう! おれぁただの木っ端役人、ただの(さむれえ)よ」

 肩をそびやかし、腰の太刀を叩いてみせる。

「まあ、戦場(いくさば)に血筋は関係ねえ……海の上じゃあ、このおれこそが関白様よ」

 純友は笑っていたが。頬を吊り上げ、剥き出しにした歯は、鮫のそれを思わせた。

 

 童子丸は再び居住まいを正し、頭を下げる。

「これはなんと、立派な方に失礼をば……重ね重ね、ご容赦を」

 父、大膳大夫・安倍益材(ますき)もまた、位の高さはともかく役を得ている身ではあった。今さら父に気を遣うでもないが、摂政(せっしょう)や関白、大臣らを輩出する家柄の者の機嫌を、損ねて得があるとは思われなかった。

 

 純友はまた笑う。

伊予守(いよのかみ)伊予介(いよのすけ)ならまだしもよう! 三等官の伊予掾(いよのじょう)、それもこの前までだぜえ! 偉いも位もありゃしねえぜえ!」

 

 尾花丸が口を開く。

「でモ、さッき仕事ガどウとかッて」

 

 純友に聞こえた様子はないが、貞明がうなずいた。

「ああ。そのうち伝わることだ、特に秘するわけでもないが。彼には、海賊追捕(ついぶ)宣旨(せんじ)が下った。かつての任地、伊予に面する瀬戸内海のね」

 

 純友は大きくうなずいた。もう声は上げなかった。実に穏やかに笑っていた。口の端を吊り上げ、歯を剥いて、太刀の柄をなでさすりながら。

 

 

 ――時に承平六年、西暦にして936年、我々が知る歴史において。

 前伊予掾(さきのいよのじょう)藤原純友に海賊追捕の命が下り、同年三月に伊予へ向かったとの記述が『吏部王記(りほうおうき)』『本朝世紀(ほんちょうせいき)』などに見られる。

 語るまでもないことだが、あえて付け加えるなら。その後天慶二年から四年、西暦にして939年から941年の間に。前伊予掾(さきのいよのじょう)藤原純友を首領とする乱が、瀬戸内海に面する一帯にて巻き起こることとなる。――

 

 

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