狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
その後の話は早かった。
「だからよォ、
「そウよそウ、おれが突ッつこウとも気づきやしネぇ」
「ああ分かる、分かる分かるぞ! 私も何度人にあのモノどもの説明を――」
百鬼夜行がとうに去り、通る者とてないあわわの辻で。三人、地べたで車座になる。
よくある
膝を叩き、顔のしわを増やして
「いや私も、私もねぇ、何度人に馬鹿にされたか分かりゃあしないねえ! 一度なんかそいつの顔に、その辺に浮いてた龍をぶん投げてやったもんだがねえ!」
「あア、鰻ぐらイの大きサの奴か」
尾花丸が言い、童子丸もうなずく。
「よう浮かんどる奴やな……ま、それでも気づかれんかったやろ」
貞明は大きくうなずく。
「びったぁぁあん! と顔面にぶち当たって、龍の方は大慌てで泳いでいったがね。そいつの方は目を瞬かすばかりさ! いや、今にして思えば瞬きしただけ、まだ勘の良い方だったのかも知れないがね」
「あア……」
「そんなもんやろなあ……」
何度もうなずく兄弟に、その人もうなずいてみせた。
「いやいや、陰陽師だの
「詳しいの、じい様。陰陽師に知り合いでも? それか、これが何か相談にでも行ったか」
童子丸は指先で、宙に浮かぶ泡と、木の葉の羽根持つ小虫と戯れる。それらは指に触れてあるいは跳ね、あるいは、ふ、と消えた。
考えるような間を置いて、貞明はうなずいた。
「むしろ周りが気にしてね、私の見ているというこれらのモノが何なのか、陰陽師に尋ねたものだったが。その陰陽師が話にもならない、さっき言った龍をぶつけた奴でね。
貞明は自らの頭をつつき、ため息をつく。
共に、兄弟もうつむいていた。自分たちのこれまでを思い、その人のそれまでを思っていた。
「ときに、聞いてもいいかね? 弟どのだったか、彼の、その姿は」
兄弟は顔を見合わせた後。語った、二人の生い立ちとこれまでの
「なんと……」
兄弟の話を聞いた後、貞明は身じろぎもせずにいたが。不意に、二人の肩をつかんだ。
「よくぞ、無事で。無事で、いてくれた」
そうして、がしりと二人を抱き寄せた。強く目をつむって。
「……よしてくれェや」
童子丸がその手から身を引いた後も。尾花丸は、その手に身を任せていた。目を細くつむって。
そうするうち。やがて大きな足音が近づく。四つ足が規則正しく響くそれは馬の足音だったが。四つ足の音が止まった後、地に降り立って近づく二本足の足音は、馬のそれほどにも大きかった。
「
どたどたと足音を上げる男は、腹の底から響くような野太い声を上げた。
「
分厚い胸を包んだ
男は
再び口を開こうとする男を手で制し、貞明は尾花丸に苦笑してみせる。
「済まないね。悪い者ではないのだが、こういう奴でね」
尾花丸はうなずくと、立ち上がって童子丸の横に来た。
男は変わらぬ声量で喋る。
「もう七十も
貞明は顔をしかめる。
「君ねえ。何度も言うが、人が目の前にいるのにその大声はどうなのかね」
男は変わらず、大きな口を開ける。
「そうかあ? 海じゃよう、波も風もあってよう! こんぐらいじゃねえと他の船にゃあよう――」
「だから船とかじゃあなく、目の前にいる人にだね――」
「あの、もし」
手を挙げ、さえぎったのは童子丸だった。
「失礼ながら、こちらの旦那は……いや」
あぐらをかいたまま背筋を伸ばし、衣の襟を正す。貞明へ深く頭を下げる。
「そもそも、えろう失礼致した。大事な弟を助けていただきながら、名乗りもせず得手勝手申しておりました。意気の
顔を上げ、二人を見回して続けた。
「改めて名乗らせていただきます。わしは安倍家の子、童子丸」
言った後で気づく。童子丸の名は捨てた、そのようなことを言って自ら家を出ておいて。口から出るのは未だその名だ。
「こちらは双子の弟、尾花丸。……もっとも、家を飛び出した手前、元服も済まさぬ身なれど、今は清い明かりと書いて清明、弟は晴れて明るいと書いて晴明、なぞと名を変えさせてもろうとります。兄弟揃うて、見てのとおりのがさつ者にございますが。
童子丸が再度頭を下げ、尾花丸も遅れてそれにならう。
「弟お?」
男が大きな目を瞬かせ、辺りを見回す。
貞明は首を横に振ってみせる。
「こういう奴なんだ。ああ、改めて、私は
男は大きくうなずいた。
「おう! おれのよう!
どん、と、大きな拳で分厚い胸を叩く。
「おれと貞じいはよう! 親戚同士なんだあ!」
「……それはもう言っただろう」
貞明は疲れたような顔をしていたが、ため息の後で言った。
「彼は
歯を見せて笑った。
「仲良くしておいた方がいいかも知れないね。何せ彼は、かの藤原家……しかも今をときめく名門中の名門、藤原北家の出だ」
がっはっは、と純友は肩を揺らす。
「そりゃあよう! おれの親戚らはお偉いさんだがよう! おれぁただの木っ端役人、ただの
肩をそびやかし、腰の太刀を叩いてみせる。
「まあ、
純友は笑っていたが。頬を吊り上げ、剥き出しにした歯は、鮫のそれを思わせた。
童子丸は再び居住まいを正し、頭を下げる。
「これはなんと、立派な方に失礼をば……重ね重ね、ご容赦を」
父、大膳大夫・安倍
純友はまた笑う。
「
尾花丸が口を開く。
「でモ、さッき仕事ガどウとかッて」
純友に聞こえた様子はないが、貞明がうなずいた。
「ああ。そのうち伝わることだ、特に秘するわけでもないが。彼には、海賊
純友は大きくうなずいた。もう声は上げなかった。実に穏やかに笑っていた。口の端を吊り上げ、歯を剥いて、太刀の柄をなでさすりながら。
――時に承平六年、西暦にして936年、我々が知る歴史において。
語るまでもないことだが、あえて付け加えるなら。その後天慶二年から四年、西暦にして939年から941年の間に。