狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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十八話  兄、弟、そして母

 

 無言だった、童子丸は。貞明が正体を明かしたとき。

 何と言えばいいか、どんな顔をすればいいか。全く何も分からぬまま、とにかくその場を離れようとした。関節の錆びたようなぎこちない足取りで。

 

 そのとき、尾花丸は。目を瞬かせた後、何度か小さくうなずいていた。

「そっ、カ。そっカ、じゃアいいのカ。自分のを、自分のとこに取り戻シたんナら」

 

 長い舌を緩ませ、目を細めて笑う。歩み寄り、貞明の――太上天皇その人の――肩を叩いた。

「良かっタな、貞じい。大事なもの戻っテきて」

 

 上皇は穏やかに微笑む。

「ああ、ありがとう。正にそうだ。その言葉、何よりの言祝(ことほ)ぎだね」

 

 そうして三人、馬に乗り。未だ騒ぐ純友ら――社の者らと共に地べたへ座り込み、酒を酌み交わし。肩を組んで(うた)ってさえいた――と合流し。未だ混乱する(やしろ)の者らの一部を尻目に、その場を離れた。

 その間も、童子丸は無言だった。口を開けたまま、何を言えばいいか分からなかった。

 

 

 そうして、住吉の地からそう離れてはいない、河尻の港に駆け戻った――我々の知る歴史において、『吏部王記(りほうおうき)』承平六年三月某日条には〈徒党を集め伊予に向かう藤原純友が、河尻の港にしばらく留まっていた〉との記述がある――。

 宵闇の中、宴でも開いたような喧騒の中、出帆する純友らの船団に加わり。純友と、神器の箱を抱えた貞明が笑い、酒を酌み交わしている同じ船に乗りながら。

未だ無言だった。船上で開かれた宴から離れ、船縁(ふなべり)に座り、潮くさい風をぬるく浴びながら。未だ無言だった。夜の空も海もとうに暗く、光る砂をばら()いたように星々は光り。それでも何も言えなかった。

 

 童子丸は膝を抱え、口を開けたままでいた。胸の内にさえ、言葉が浮かんでこなかった。

 仇を年来探し続けて何の収穫もなかったところへ。弟を見ることのできる人が現れて。その人が仇探しに協力を申し出て。その人が、かつての天皇で。草那芸之大刀(くさなぎのたち)を強奪した――なぜ熱田の(やしろ)ではなくあの場所に神器が隠されていたのか、その理由もあの人は饒舌(じょうぜつ)に語っていたが。童子丸の耳には滑り落ちて入らなかった――。

 

 波に揺れる船の上、あお向けに寝そべり。ごち、と頭を船板に着けた。星々が(きし)むほどに群れる空を見上げる。

 何と言えばいいか分からない。それは、太上天皇相手にどう喋ればよいのか、といったこともあるが。

 分からない、何もかも。なぜこうなったのか、そうして良かったのか。そして、これからどうなるのか。

 だが、そう。仇を討つ、それは変わらないはずだ。そのために協力したのだから。それに今日とて、忠行が仕掛けたという式神と充分に渡り合えた。居場所さえ分かれば勝機はある。討てる。仇は、ようやく討てる。

 そう、思おうとするのに。胸の内には今も、言葉が浮かんではこなかった。まるで胸に(ほら)が開いて、そこをぴたりと塞ぐ形の(ふた)が見つからないかのように。

 

「こんナとこにいタのか、童子」

 尾花丸が小走りに駆け寄り、隣にどっかと腰を下ろした。

「いヤぁ……楽しカったな今日は!」

 童子丸が言葉を探すうちに、尾花丸は笑って続ける。

「本当に良かっタ、貞じいもあんナに嬉しソうデな! いヤぁ参っタ、何度モ何度モ同じことばっカ喋ルんダからな!」

 

 あ、と童子丸は口を開けていた。半開きの口をさらに大きく。

 それだった。胸のうちに納まらない、(ほら)の正体はそれだった。

 童子丸以外に、弟を見ることのできる者がいる。弟が、童子丸以外の人間と喋っている。

 兄しか見てやれなかった弟が、今や兄の知らないところにいる。

 

 尾花丸は変わらず(ほが)らかに笑う。

「何ダかなぁあノ人。まるデ赤ん坊抱きかかえルみたイに、剣の箱抱いタままでいルんだぞ? そんナ嬉しイかって、ナあ」

 

 それでも、童子丸は笑顔を作る。

「……それだけ探し求めてた、ッてことやろ。しかし、あの剣を手に入れてどうしようっちゅうんじゃろな。まさかあと二つの神器も奪って、天皇位に返り咲こうとか……」

 

 そこで言葉を止めた。

 貞明の、上皇の問題だ、それは。自分たち兄弟の問題ではない。考えるべきことは他にある、二人で考えるべきことは。

 

 なのに、弟は口を緩めて笑っていた。

「それヨり童子、見タか? あんナ形なんダな、草薙剣(くさなぎのつるぎ)っテ!」

 

 尾花丸はなおも笑い、尻尾を振ってじゃれついてくる。

「おれなんカほら、触らセてもらっタ、握らセてもらっタんだぞあの剣! 結構重いんダぞ伝説の剣! いいダろ、うらヤましいダろこの手で持ったんダぞ、ほらほら!」

 

 寝そべったままでいた童子丸の腕を取り、揺さぶってくる。草那芸之大刀(くさなぎのたち)を握った感触を、その手に分けようとするみたいに。確かに尾花丸の手を覆う狐の毛には大刀(たち)からこぼれたのか、光るモノらがいくつか絡んで残っていた。

 

 童子丸は。とたん、その手を払っていた。

尾花(ハナ)! ……お前、忘れたんやないやろな」

 

 身を起こし、船板の上に座る。震えるほどに頬を引きつらせながら。

 手を払われたまま固まっている弟を、刺し貫くようににらんでいた。

「忘れとんのやないんか。わしらが、何をせないかんのか」

 

 復讐。そうだ、当然だ、そのために兄弟は生きてきた。

 だが――弟をにらみながら考える――自分はどうだ。貞明と共に行くと決めたとき、こう想ったのではないか。尾花丸のため、共に行くと。復讐に向かう弟を護るため、貞明と協力し。弟のため、忠行を殺す、と。

 母のための復讐は、もはや第一義ではなかった。尾花丸を護る、そのための復讐。

 ――なのに、今。尾花丸はまるで、復讐を忘れたみたいにはしゃいでいる。

 

「……ごメん」

 耳をすぼめ、尾を力なく垂らして、弟はうな垂れていた。

 

「……いや、わしこそすまん。すまんな、母さまが見りゃ何て言われるか」

 

 まったく、何と言われるか。童子丸にしたところで、母のための復讐では必ずしもない。

 決して忘れたわけではない、あの日の想いを。母の断末魔を。年月がほんのわずか、薄れさせただけで。弟への想いがほんのわずか、上回っているだけで。

 

 現に、今も。あの日に母を討った式神の炎、それが散った左腕が焦げつくように痛む。まるであの日のように、今も火の粉が散ったかのように。いや、燃え上がるかのように――

 

「ど……童子! ど、どウなって……大丈夫かソれ、腕!?」

 

 慌てたような弟の声に、童子丸が自らの腕に目を向けると。

 燃え上がっていた。左腕が、あの時火の粉を受けた箇所が。そして先程、弟がつかんだ箇所が。まるであの日、母が受けた炎のように。

 火の向こうに見えた、燃え上がっている箇所にはいくつか、光るモノがついていた。尾花丸の手についていたモノ――草薙剣から湧き出たモノらが。

 

「なあッ……!?」

 

 童子丸は立ち上がり腕を振るうが、火は音を立ててなびくばかり。さらには、散った火の粉が尾花丸の方へと飛び、その毛からも火が上がった。童子丸と同じく、あの日に炎が散った右肩から。

 

 そのとき、音を立てて炎が上がった。兄の腕と弟の肩から。二つの炎は宙で混じり合い、さらには宙を漂っていた火のモノらをも取り込み膨れ上がり、人の背丈ほどもある塊となり。音もなく()ぜた。

 

 飛び散る火の粉に兄弟は目をつむり、顔と体の前に手をかざす。

 

 目を開けたとき。火の粉舞い散るその只中に、母がいた。まるでもやの中に描いたような、薄くつかみどころのない姿だった。

 母は童子丸へ、尾花丸へと身を乗り出し手を伸ばし。泣くような顔で言葉を絞り出した。

 ――かみのつるぎを。ははのもとへ。さすれば、また――

 

 全ての火の粉が風に紛れ、あるいは船板に落ちて消えたとき。

 母の姿も、消えていた。二人が手を伸ばす前に、消えていた。

 

 それでもわずかに、鼻の奥に。母の匂いがした。懐かしい、薄甘い匂い。

 炎の消えた童子丸の腕に、尾花丸の肩に跡が残っていた。母の夢を見た後に残る手型の痣と爪の掻き傷、それと同じ形の焦げ跡が。

 

 

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