狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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十九話  神世草薙剣、住吉の地に秘されし由来

 

 兄弟は無言だった。

 無言で、うなずき交わすことすらなく。袖を降ろして腕の焦げ跡を隠すと、貞明の下へと向かっていた。

 

 帆柱の周りでは未だ宴がたけなわだった。純友が配下の男たちと杯を掲げ、肩組み合って笑い合い。貞明は背を帆柱に預け、片手を剣の箱に載せて、静かに杯を手にしていた。

 

 童子丸は笑顔を作った。子供のように真っ直ぐ貞明の下へと駆け寄り、滑り込むようにしてそばに座る。

 

「貞じい! 貞じいよう、やったなァ! 言い忘れとった、おめでとうなァ!」

 

 貞明は杯を置き、微笑んだ。

「やっと、言ってくれたね。ありがとう」

 そっ、と童子丸の髪をなでた。

 

 尾花丸も反対側に、貞明を囲むように腰を下ろした。

「童子っタらよぅ、驚き過ぎナんだかラよぅ! 上皇ダろうが(みかど)ダろうが、貞じいは貞じいなノにな!」

 

 貞明は箱から手を離し、尾花丸の頭をなでる。

「嬉しいことを言ってくれる。そうとも、私はただの貞じいだよ」

 

 尾花丸は箱に目をやったが。いきなり手を伸ばすほど愚かではなかった。

「それヨり貞じいよぅ! また聞かセてくれよ草薙剣の話をよぅ!」

 

 貞明は頬を緩め、杯を手に取る。

「おお、そうかそうか、(じじ)の昔話を聞きたいかね。『古事記』から八俣大蛇(やまたのおろち)の神話がいいかね、それとも倭建命(やまとたけのみこと)の東征かね? いやいや、そうだ! 何故、熱田の(やしろ)に奉られているはずの神器、草那芸之大刀(くさなぎのたち)があの場所にあったか! その訳を聞きたくはないかね?」

 

 すでに何度か聞かされた――内容は滑り落ちていた――話だったが。

 

「何だよそれめっちゃ聞きてェ!」

「聞きターい!」

 

 兄弟は無邪気に身を乗り出し、笑ってみせた。

 よしよし、と顔をほころばせ、太上天皇は語ってくれた。

 

 

 ――貞明の語った話について、現代に生きる我々の知識を交えて説明するならば。それはおおむね、このような内容であった。

 いわく、『古事記』『日本書紀』が伝える神話において。荒ぶる神、須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲の地の悪神、八俣大蛇(やまたのおろち)を打ち倒し、その尾から霊妙なる剣を取り出した。それが草那芸之大刀(くさなぎのたち)

 

 その剣は彼の姉、天上たる高天原(たかまがはら)と天津神――天より来たれる神々――の長、天照大御神(あまてらすおおみかみ)へと捧げられた。

そして、天照(あまてらす)の孫である迩々芸命(ににぎのみこと)が三種の神器の一つとして携え、天より日本の地へ(くだ)ったという。後に、三種の神器は皇位の証として、天照(あまてらす)の子孫たる天皇家に伝えられた。

 

 その後、景行天皇の皇子、倭建命(やまとたけのみこと)草那芸釼(くさなぎのたち)を携えて東征。伊勢以東の国々を平らげてゆくも、剣を手放して国津神――元々日本の土地に住んでいた、土着の神――の一体と戦い、手傷を受けたことが元で死亡。剣は尾張国熱田(おわりのくにあつた)(やしろ)に奉られたという。

 

 そして。『日本書紀』天智天皇七年――西暦にして668年――の内容に、このようなものがある。

沙門道行(しゃもんどうぎょう)草薙剣(くさなぎのつるぎ)を盗みて、新羅(しらぎ)に逃げ()く。(しこう)して中路(なかみち)に風雨にあひて、荒迷(まど)ひて帰る」

〈道行という僧が草薙剣を盗み、朝鮮半島・新羅へ逃げようとした。しかし、嵐によって渡航を果たせず、戻ってきた〉

 

 つまり。あろうことか、神器たる草薙剣は盗まれたこの時点で一度、所在不明となっているのである。

 その後戻ってきたと記されているものの、どこに戻ってきたのか? 元あった熱田神宮に、ではない。宮中に返された、という説もあるが。

 一説に拠れば。このとき草薙剣は、「住吉大社に」戻ってきた。

 

 住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』。天平三年――西暦にして731年――に成立したとされる同書の中には、〈神財流代長財(かむだからつたふることよよにながきたから)〉と題された章がある。同社が所蔵する神宝を列記した目録であるが、その中には「神世草薙剣(かむよのくさなぎのつるぎ) 一柄(ひとつか)」との記述がある。

 

 つまり。『西暦にして668年に、熱田神宮から草薙の剣は盗まれ』『西暦にして731年の時点で、住吉大社に存在した』と考え得る。

 

 とはいえ、これには異論がある。

 『日本書紀』天武天皇の朱鳥元年――西暦にして686年――に次のような記載があるのだ。

「天皇の病を(うらな)ふに、草薙の剣に祟れり。即日(そのひ)に尾張国の熱田社に送り置く」

〈天武天皇が病になり、原因を占ったところ、草薙剣の祟りと出た。そこで、すぐに草薙剣を熱田神宮に送り返した〉

 

『西暦にして731年の時点で、住吉大社に存在したはずが』『それ以前、西暦にして686年の時点で、熱田神宮に返されたとされている』という矛盾が生じるのである。

 

 どういうことか。これら史料の記述を信じるなら、二つの可能性が考えられる。

 まず、盗まれた後に取り戻された剣は、いったん住吉で保管されたとする。

 一つの可能性としては「剣の祟りがあったとされた686年、住吉から熱田へと剣が返還された」

「その後、あるいは熱田から保管と返還への返礼として、草薙剣を模した形代(かたしろ)――神霊が降臨する際の媒介物――が贈られたのではないか。それが神世草薙剣として目録に記載されたのであろう」というもの。

 

 そしてもう一つは。

「剣の祟りがあったとされた686年、住吉に対し、熱田への剣の返還が命ぜられた」「が。住吉側のいずれかの者が密かに反発」

「納められていた箱から草薙剣を取り出し、代わりにそれらしき年代物の別の剣を納め、熱田へ引き渡した」

「本物の剣、『神世より伝わる草薙剣』は、住吉で密かに保管された」。

 

 二つ目の説について、荒唐無稽というのは簡単であるが。

 実際のところ、起こり得る。

 草薙剣だけでなく、三種の神器の全ては『見ることを固く禁じられている』。管理者たる(やしろ)の祭司者はおろか、所有者たる天皇すら厳重に禁じられている。

 

 つまり。誰も神器を見たことがない以上『神器について、本物であるか否かを見て判断できる人間はこの世に存在しない』。

 伝承にも勾玉を納めた箱の外見や、伊勢の遷宮(せんぐう)の際に鏡を納めて移動させるための神輿(みこし)に似た容器については語られているが。神器そのものについて、はっきりとした記述は残されていない。

 

 あるいは、剣を盗んだ道行なら神器の姿を見ている可能性もあるが。仮に、箱の中身について道行に確認させたところで、今度は道行の言が真実であるか否かを判定する方法がない。

 あるいは神器を判別した手柄を以て刑を免れようと、偽の剣を本物というかも知れず。逆に、本物の剣が現れるまでは判定役として死罪には処されないと踏んで、本物の剣を偽物と称するかも知れない。また、罪を重ねることを怖れて真実を言う可能性も考えられる。そもそも、住吉からの返還以前に道行が処刑されていないとは考えにくい――道行のその後について『日本書紀』に記述はなく、『尾張国熱田太神宮縁起』によれば斬首されたとされる。一方、愛知県法海寺の伝承によれば、天智天皇の病を祈祷で治した功績から罪を許され、同寺を開いたとされている――。

 

 つまるところ。住吉の者が神器を盗む、神器を見るという禁忌をあえて犯すならば。『神器を納めていた箱さえ本物を返しておけば、中身について詮索されるおそれはない』。

 

 なお、草薙剣の姿については熱田にて神職の者が実物を密かに見たとする記録『玉籤集(ぎょくせんしゅう)・裏書』が残っているが。江戸時代の記録であり、平安時代において参考とできるものではない。

 さらにいえば、住吉大社において草薙剣が祭神として奉られた、という記録は現在のところ見つかっていない。一つ目の説のように熱田から形代としての剣が贈られたのならば、その旨を喧伝し、草薙剣の分霊として大々的に奉ればよいのにである。

 まるでひた隠すように、神世草薙剣の名は目録に記載されたのみであった。

 

 加えるに『尾張国熱田太神宮縁起』には〈道行は熱田神宮から剣を盗んで摂津国へ逃げ、難波津から新羅に向かおうとしたが、海上で方角が分からなくなり再び難波津へ漂着した〉、『平家物語』剣の巻の説話には剣を盗んだ道行に対して〈怒った熱田大明神が住吉大明神を討手に遣わした〉といった記述がある。

 取り戻された神器がいったん住吉で保管された経緯については、草薙剣が奪還された摂津国において同地の守護神たる住吉大社に預けたため、または住吉大社ゆかりの者が奪還に関わったため、といった可能性が考えられる。

 

 要は、貞明は。

「西暦にして668年、草薙剣が盗まれ」

「その後取り戻された剣が住吉大社にて保管され」

「西暦にして686年、熱田への剣の返還が命じられたが」

「熱田へは偽物が送られ、本物は住吉大社に残された」

「無論、(おおやけ)に奉ることはできず、密かに保管されている」

 ――という情報をつかんでいた。

 

 そして彼自身の目的のため、親類たる腹心・純友と共に剣の奪取を画策していた折、童子丸らと偶然に出会った。その後、今に至る。――

 

 

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