狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
「……と、いった経緯で
貞明は、剣を納めた木箱の
「間違いはあるまい。これほどの力を秘めた物、
満足げに微笑み、
「まあ、世間においてはそれでもやはり、熱田にある方が神器『草那芸之大刀《くさなぎのたち》、
へええ、なるほどなァ、などと相槌を打って。童子丸は切り出した。貞明の顔色をうかがいながら。
「ところで。
「どういうことだい」
童子丸は顔をしかめて弟を指差す。
「寄りに寄ってこの阿呆は。そんな大事なお宝を触った、手に持ってみたなんぞと言いよったンじゃ! お前この糞阿呆、何でそんな嘘ついたッ! だいたい
唾を飛ばして怒鳴る童子丸を見て。貞明は膝を叩いて笑っていた。
「いやいや、いやいやいや! ふふ、そんなことかね!」
「さあ。君も触ってみるがいい、尾花丸にもさっき触ってもらった」
「な……」
童子丸は口を開け、体の動きを止めた。ゆっくりと貞明の顔を見上げる――上手く演技ができているといいが――。
「え……ええんですか……?」
「ああ。柄も握ってみるといい、振り回すのは遠慮してほしいがね」
「や、やったァ! 大き有難う、やったァ!」
箱の中に手を差し伸べ、そっと柄に触れる。ざらついた
ほォォ、これはこれは、などと言いながら。童子丸の指先は
「おれもおれも、もウ一回!」
尾花丸がはしゃいだように言い、童子丸から箱と剣を受け取る。しげしげと刀身を眺めながらも柄をなでさすり、立ち昇るモノらを手にたっぷりと浴びる。光るモノらは狐の体毛に、
兄弟はそそくさと立ち上がる。
「いやーええもん触らしてもらいました、有難う!」
「全クなぁ、良かっタなぁ童子!」
貞明は笑って蓋を閉める。
「豪気な子たちだ。純友はともかく他の者は、祟りがあるの目が潰れるのと言って、触れるどころか見ようともせん。いやはやつまらぬことだ」
兄弟は曖昧にうなずき、足早にその場を離れた。
人の気配のない船蔵の中で。兄弟は握っていた手を、そっ、と開いた。
童子丸の掌の上でひそやかに、神器のわずかな欠片は光る微細なモノらをまとっていた。尾花丸の手にはまだ、剣から立ち昇っていたモノらがまとわりついていた。
慎重に――口に出せば嘘になってしまうとでもいうかのように、無言で――それぞれ腕に、肩にそれらを触れさせる。あの日、母を討った炎が散った箇所。先ほど母の幻が立ち現れたとき、爪跡のように焦げた箇所に。
とたん、童子丸の腕に痛みが走った。焼けつくような痛み。遅れて炎が腕を走り、勢い余って宙へと散り。同じく尾花丸の肩から上がった炎と混じり合う。
ぼう、と火の揺れる音の奥から、くぐもった声が聞こえた。覚えのある――いや、鼓膜に染み通る懐かしい声。
「――それこそ、
母がいた。霞の向こうに見るような
「か……」
「母サま! 母サまなノか!?」
童子丸が手を伸ばし、尾花丸が抱きつこうとするも。二人の腕は母の姿をすり抜け、何の手応えもなく空を切った。
母は――最期に見た狐の姿ではなく、葛の葉を名乗った人間の姿で――首を横に振る。
「――猶予もなし、急ぎ伝えおきます。仔らよ、母は只の畜生ならず、
童子丸が無意識に左腕に触れ、尾花丸が目を瞬かすうちにも、母は口早に告げてゆく。
「――人ならず獣ならぬ、神に至りし
すがりつくように、兄弟へと身を乗り出した。泣くように顔を歪めて、今にも消え入りそうな母は。
「――
大きく、母の体が揺らいだ。霧が引くようにその姿が消えゆく。
「母さま!」
「待っテ、母さま!」
兄弟が再び手を伸ばすも、母の姿はすでに消え。最後の
「――恋しくば 急ぎ持ち来よ
恋しいならば急ぎ持って来るがいい、神の剣を。剣と鞘が寄り添うかのように、母と子らが再び寄り添うために――
立ち尽くす兄と弟が震えていたのは、その
母の匂いがした。鼻の奥、脳髄にすら沁み込むような匂い。どこか血の香る、乳の匂い。泣きたくなるような、いい匂いがした。