狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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二十話  恋しくば

 

「……と、いった経緯で草那芸之大刀(くさなぎのたち)が住吉に隠されていたというわけさ。もっとも、もはやこの世の誰も実物を見たことがない以上、これが本物だという保証はない。やはりこちらが模造品で、熱田の(やしろ)に奉られているのが本物だという可能性もあるわけだ。とはいえ――」

 

 貞明は、剣を納めた木箱の(ふた)をわずかにずらす。隙間から溢れ出るように、光を帯びたモノらが群れを成して立ち昇った。

 

「間違いはあるまい。これほどの力を秘めた物、(まが)い物ではあり得ない……伝説の神器、荒ぶる蛇神の一部」

 

 満足げに微笑み、(ふた)を閉めた。

「まあ、世間においてはそれでもやはり、熱田にある方が神器『草那芸之大刀《くさなぎのたち》、草薙剣(くさなぎのつるぎ)』でね。一応の敬意を表してその名は譲り、こちらの剣はこう呼ぼう。『住吉大社神代記』の一項目、〈神財流代長財(かむだからつたふることよよにながきたから)〉の目録を参考に、『神世草薙剣(かむよくさなぎのつるぎ)』、とね」

 

 へええ、なるほどなァ、などと相槌を打って。童子丸は切り出した。貞明の顔色をうかがいながら。

「ところで。尾花(ハナ)の奴が大嘘を()きよッてな、叱ッてやッちゃァくれんか」

 

「どういうことだい」

 

 童子丸は顔をしかめて弟を指差す。

「寄りに寄ってこの阿呆は。そんな大事なお宝を触った、手に持ってみたなんぞと言いよったンじゃ! お前この糞阿呆、何でそんな嘘ついたッ! だいたい本当(ほんま)なら本当(ほんま)で余計えらいことじゃ、こんなお宝を気安う――」

 

 唾を飛ばして怒鳴る童子丸を見て。貞明は膝を叩いて笑っていた。

「いやいや、いやいやいや! ふふ、そんなことかね!」

 

 (ふた)を取り、童子丸の方へと木箱を突き出した。

「さあ。君も触ってみるがいい、尾花丸にもさっき触ってもらった」

 

「な……」

 童子丸は口を開け、体の動きを止めた。ゆっくりと貞明の顔を見上げる――上手く演技ができているといいが――。

「え……ええんですか……?」

 

「ああ。柄も握ってみるといい、振り回すのは遠慮してほしいがね」

 

「や、やったァ! 大き有難う、やったァ!」

 箱の中に手を差し伸べ、そっと柄に触れる。ざらついた黒錆(くろさび)の感触はまるで、地面から顔をのぞかせた岩に触れているようだった。わずかに持ち上げてみると、ぎち、と目の詰んだ鉄の重さを確かに感じる。一方で、節立った柄を握った感触は気のせいか生々しく、得体の知れぬ生き物の骨を――いや、眠りについているだけの、血の通う肉体を――触ったかのような感覚があった。

 

 ほォォ、これはこれは、などと言いながら。童子丸の指先は(つば)の裏側を密かに探り、わずかにもろくなった部分の(さび)を、爪で剥ぎ取っていた。

 

「おれもおれも、もウ一回!」

 尾花丸がはしゃいだように言い、童子丸から箱と剣を受け取る。しげしげと刀身を眺めながらも柄をなでさすり、立ち昇るモノらを手にたっぷりと浴びる。光るモノらは狐の体毛に、鱗粉(りんぷん)をまぶしたように絡みついた。

 

 兄弟はそそくさと立ち上がる。

「いやーええもん触らしてもらいました、有難う!」

「全クなぁ、良かっタなぁ童子!」

 

 貞明は笑って蓋を閉める。

「豪気な子たちだ。純友はともかく他の者は、祟りがあるの目が潰れるのと言って、触れるどころか見ようともせん。いやはやつまらぬことだ」

 兄弟は曖昧にうなずき、足早にその場を離れた。

 

 

 人の気配のない船蔵の中で。兄弟は握っていた手を、そっ、と開いた。

 童子丸の掌の上でひそやかに、神器のわずかな欠片は光る微細なモノらをまとっていた。尾花丸の手にはまだ、剣から立ち昇っていたモノらがまとわりついていた。

 

 慎重に――口に出せば嘘になってしまうとでもいうかのように、無言で――それぞれ腕に、肩にそれらを触れさせる。あの日、母を討った炎が散った箇所。先ほど母の幻が立ち現れたとき、爪跡のように焦げた箇所に。

 

 とたん、童子丸の腕に痛みが走った。焼けつくような痛み。遅れて炎が腕を走り、勢い余って宙へと散り。同じく尾花丸の肩から上がった炎と混じり合う。

 ぼう、と火の揺れる音の奥から、くぐもった声が聞こえた。覚えのある――いや、鼓膜に染み通る懐かしい声。

 

「――それこそ、母者(ははじゃ)の受けし痛み。覚えおきなされ、我が仔らよ――」

 

 母がいた。霞の向こうに見るような(おぼろ)げな姿だった、霞そのもののように揺らめいてさえいた。それでも、母の姿がそこにあった。遠くかすれてはいたが、母の声だった。

 

「か……」

「母サま! 母サまなノか!?」

 童子丸が手を伸ばし、尾花丸が抱きつこうとするも。二人の腕は母の姿をすり抜け、何の手応えもなく空を切った。

 

 母は――最期に見た狐の姿ではなく、葛の葉を名乗った人間の姿で――首を横に振る。

「――猶予もなし、急ぎ伝えおきます。仔らよ、母は只の畜生ならず、化生(けしょう)の者にして神の一柱たる力を持つに至りし神狐(しんこ)。故、死すともその魂は御身(おんみ)らに()き、見守っておりました――」

 

 童子丸が無意識に左腕に触れ、尾花丸が目を瞬かすうちにも、母は口早に告げてゆく。

 

「――人ならず獣ならぬ、神に至りし(あやかし)の身……ですがそれ故、浅ましくもこうして消え果てず、御身(おんみ)らに伝えることができます――」

 すがりつくように、兄弟へと身を乗り出した。泣くように顔を歪めて、今にも消え入りそうな母は。

「――(おそ)れ多いことなれど。かの御剣、神の剣を奪い、母が下へ。さすればその力得て、我は必ず、また――」

 

 大きく、母の体が揺らいだ。霧が引くようにその姿が消えゆく。

「母さま!」

「待っテ、母さま!」

 

 兄弟が再び手を伸ばすも、母の姿はすでに消え。最後の和歌(うた)だけが、はっきりと聞こえた。

 

「――恋しくば 急ぎ持ち来よ 剣太刀(つるぎたち) (さや)の如くに 寄り添わんため――」

 

 恋しいならば急ぎ持って来るがいい、神の剣を。剣と鞘が寄り添うかのように、母と子らが再び寄り添うために――

 

 立ち尽くす兄と弟が震えていたのは、その和歌(うた)のせいばかりではなかった。

 母の匂いがした。鼻の奥、脳髄にすら沁み込むような匂い。どこか血の香る、乳の匂い。泣きたくなるような、いい匂いがした。

 

 

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