狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

21 / 48
二十一話  草薙剣、三度目ないしは四度目の強奪

 

 それから。兄弟は努めて平静に過ごした。剣の話を口に出すこともなく、純友について船の雑用をこなした。

 船の行く先は四国。ただ、純友の前任地である伊予ではなく、その東隣の地。四国の北東側に位置する讃岐国(さぬきのくに)に向かうということであった。伊予と同様瀬戸内海に面しており、瀬戸内海賊の追捕(ついぶ)という純友本来の任からすれば不自然ではないのだが。

 

「なんかよう、讃岐(さぬき)にゃ必要なもんがあるんだってよう。あの人の目的のためによう」

 

 片脚を船首に乗せて、海を見やりながら純友は言った。右手に陸地を臨む海を、光る水面を切って船は進む。波にゆったりと揉まれながら。

 

「目的っちゅうのは、いったい――」

 

 兄弟の仇討ちを手伝うというのはともかく、貞明自身の目的については未だ聞かされてはいなかった。いったい何のために草薙剣を手に入れたのか。

 残り二種の神器を手に入れて再び天皇を名乗ろうというのか、とも考えたが。四国に神器があるという話はさすがに聞いたことがない。八尺鏡(やたのかがみ)は伊勢に、八尺勾璁(やさかのまがたま)は宮中に奉られているはずだった。

 

 童子丸の言葉に応えはせず、純友は大声を上げた。

取舵(とりかじ)い! いっぱあああい!」

 

 船尾でも取舵一杯(とりかじいっぱい)の声が復唱される。今頃は楫子(かじこ)――操舵手(そうだしゅ)――が舵柄(かじえ)の棒を右へと押しているはずだ。

 ぐら、と船体が揺さぶられつつ、ゆっくりと左へ進路を変えてゆく。大きな波が船縁(ふなべり)を越えて、潮くさく船板を洗った。

 

()(そろ)おお!」

 やがて純友が声を上げると、後方でも同じく復唱され、程なく方向転換が止まる。船は元の進路の先にあった岩場をかわし、新たな方向へと進んでゆく。

 

 童子丸は再び尋ねようとしたが、純友が大声を上げていた。

「そこの(かしき)い! だいぶ潮かぶったろうが、とっととアカ汲み行ってこいやあ!」

 言うなり、大きな手で背中をどやされる。冗談のつもりであろうが、それでも童子丸はよろめいた。

 

「よ、()(そろ)ォ!」

 とにもかくにも童子丸は走った。(かしき)というのは炊事掃除、雑用一切をこなさねばならない最下級の船員だ。そして、船にはどうしても――技術上、水密性が不十分であったため――浸水がつきものだった。船底に染み入ってくる水、船縁を越えて飛び込む波、そうした溜まり水を汲み捨てるアカ汲みの作業が必須だった。

 

 無論、こうしているときも尾花丸は誰の目にも見えず。誰からの命令も受けはしなかった。

「頑張レよー」

 童子丸に手を振り、呑気(のんき)に寝そべって海鳥など見ている。

 舌打ちして走る童子丸の頭の上で、満ち満ちるように風を受けた帆が、音を立てて震えていた。

 

 

 摂津(せっつ)から播磨(はりま)備前(びぜん)――我々の暮らす現代でいう大阪、兵庫、岡山――。船は何日かかけ、港へ寄りながら陸地沿いを走った。特徴的な山など、陸の地形を目印に位置を測りながら航行する、一般的な航法であった。

 無理に瀬戸内海を突っ切ろうとしなかったのは、剣の喪失が発覚した際の追手より、むしろ海難の方を怖れたためであろうと思われた。表立って奉られているものでない以上、剣を奪われたことが分かったとしても大々的な追手が差し向けられる可能性は低いといえた。

 それでも、貞明は剣の箱を肌身から離そうとしなかったし、港に入った際にも決して陸に上がろうとはしなかった。水主(かこ)――水夫――らは港街で遊びたがったが、物資の補給の他、上陸は禁じられていた。

 

 だから兄弟は、まだ剣を狙おうとはしなかった。追手の心配がないであろう洋上でなら、貞明の警戒も薄くなっているはず。そして、讃岐が近づいた場所で狙う――盗んだ剣を気づかれずに返せればよいが、そうならない可能性も考えられた。万が一のため、陸地へ逃げられる目を残しておく必要がある。だいたい、母が蘇ったとしてその後どうなるのか。その辺りは何も分からなかった。

 そうする前に、母ともう一度話したいとは無論思ったが。童子丸が剥ぎ取った剣の欠片はすでに光を帯びてはおらず、何度腕に押し当てようと反応がなかった。

 

 貞明に言ってもう一度剣を触らせてもらい、同じように試した――怪しまれるわけにはいかない、欠片を剥ぎ取ることはしなかった――が。母は、姿を表さなかった。

 ただ、懐かしい匂いがした。そうして童子丸の腕を、尾花丸の肩を、なでる感触があった。ひた、と触れて、そっ、となでる、母の手。姿の見えぬまま、その肌触りだけがあった。

 ざらついた火傷跡をなぞるその感覚は、優しくも痛みを伴っていた。

 

 

 貞明の目的については何度か本人に尋ねたが。

「それより先に、君たちの目的を果たしてしまおうじゃないか。君たちが式神を倒してくれたおかげで剣を手に入れることができた、その礼をしておきたい」

 自分たちのことはともかくとして、貞明の意図だけでも先に聞いておきたいと伝えたが。

「なに、後のお楽しみといこうじゃないか。ただ、君たちにもきっと喜んでもらえるはずだ。特に尾花丸には、ね」

 貞明は薄く笑うばかりだった。

 

 

 条件の整ったその夜、讃岐近くの洋上。人の気配のない船蔵で、兄弟は額をつき合わせた。

「本当ニ、やるノか」

「ああ」

「理由を話しテ借りテきたら?」

 

 童子丸は首を横に振る。

「持ってきた後で剣がどうなるか分からん、たとえば力を使い果たして、只の剣になってしまうかもしれん。貸してくれるはずがない。……盗みたァないんか」

 

 尾花丸は鼻でため息をつく。

「そリゃあな。……貞じいの嬉しソうな顔見タろ、あれカら盗むんダぞ? しカも、その後剣がどウなるカ分かラないのに」

 

 表情を変えず童子丸は言う。

「なら、やらんのか」

 

 一呼吸の後、表情を消して尾花丸は言う。

「やル」

 

 兄弟は同じ色に光る目を見合わせ、無言でうなずいた。

 童子丸は思う。

 本当に。恩人の宝を盗もうなどと、顔色も変えず(そそのか)す自分は、全くもって人でなしだ。間違いなく畜生の子だ。

 だが、今も右肩を、母の爪跡が残るそこを抱くように触れる弟を見ながら思う。

 何がどうあろうとも、どんな外道を為そうとも。弟は必ず、母と会わせてやる。

 うなずき、歯を噛みしめた。左腕の火傷跡に痛みが走ったが、塩気を帯びた空気にさらすままにした。

 兄弟は立ち上がり、船蔵を後にした。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。