狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
密かに盗み出した
今さら気後れして、どちらが
雲が湧き起こるように、光を帯びたモノどもが立ち昇る。その向こうに剣の姿が見えた。
ここからどうすればいいか分からぬまま、とにかく柄を握る。少し考えた後逆手に持ち替え、柄頭を尾花丸の右肩、刀身を自分の左腕――火の粉の跡、火傷の跡が残るそこ――に当てた。
剣から立ち昇るモノらが、吸い込まれるように火傷跡へと流れる。童子丸の腕に焼ける痛みが走り、尾花丸も同様に顔をしかめた。
火傷の跡、手と爪の跡を残すそこから、溢れ出るように炎が昇る。それがかき消えたとき。
「ずうっと、こうしてやりたかった」
母の手が、兄弟に触れていた。童子丸の腕と尾花丸の肩に。
二人の前に、母の顔があった。
「……!」
「母、サ……」
兄弟がそれ以上言えず、胸で息を詰まらせていたとき。
母はいっそう、兄弟の体をつかむ手に力を込めていた。震えるほどに。
「ああ、
童子丸の手が震えて、草薙剣を取り落とす。
「母さま……」
「母サま、母サま!」
二人は飛び込むように母の肩を抱いた。
母は狐のように目を細め、二人の体に手を回す。
「おお、おお。二人とも、こうしてやりたかった。ずうっと前から」
赤子の頃にそうしたように、獣の親がそうするように、二人の顔を
それでも兄弟は笑っていた。目の端に涙を浮かべて。その涙を母の舌が舐め取る。
母はなおも手に力を込める。二人の肌から血がにじむほどに。
そうして、母は犬歯の伸びる大口を開けて。童子丸の肩を、ぞぶり、と咬んだ。
「え」
童子丸がつぶやく間に、母は首をひねり身を引き、かじりついた肉を肌を、童子丸から引きちぎって。湿った音を何度も立てて
「え、え……?」
童子丸は未だ目を瞬かせるばかりだったが。
血に濡れた唇を
「ああ、
童子丸の肩に開いた傷口に、ぷつり、と血が盛り上がり。思い出したように赤く溢れ出た。
「あ。あ。あ、あ、あ……!」
童子丸は傷口を押さえた。火傷跡の感覚など問題にならないほどの痛み、肉の内に火をつけたかのような痛みが肩に走っていた。
べしゃ、と床で音がした。見れば肉が、よく噛みほぐされて唾液にまみれた、童子丸の肉が落ちていた。
母が頬を歪ませ、鼻柱に引きつる
「ええ、忌々しい……未だ身まではできておらなんだか」
母の腕や首、胸元まではともかく。それより下、腹や脚は未だ、以前立ち現れたときのような姿のまま、霞のように揺らいでいた。
母の手が未練がましく床から肉をすくい取り、口へ運び。呑み込んだ後、また腹をすり抜けてこぼれ落ちる。
尾花丸が叫ぶ。
「母サま、母サま! どうシた、どうシちまっタんだ! どうシテ、童子を」
「どうした? どうした、と?」
母はいっそう、震えるほどに顔を歪める。
「おぉそうよ、どうしたものかと言いたいのはこちらの方よ! さてもさても、憎き者らよ忌々しき仔よ、
舐めるように顔を寄せ、尾花丸の肩を――かつて火花が散った箇所、母の爪跡が走っていた箇所を――つかむ。
「
童子丸は血にまみれた手で、無意識に火傷の跡を押さえていた。母の夢を見るたび、その手の
震えていた。体が、頭が冷たかった。血を、流し過ぎたせいだろうか。
「母、サ……」
目を見開いたまま固まる尾花丸に、母はとろけるように微笑む。
「とはいえ、のう。
母は、尾花丸に頬を寄せた。片手でその頭をなでた。ゆっくりと、大口を開けた。
「
童子丸の叫びが響く。
身動きもせずにいた、尾花丸の右耳を。母の口がかじり取った。
「あ。ア? ……ぁ、アアぁぁあ!?」
何度か瞬きした後、血があごまで垂れた後で。ようやく、尾花丸は身をよじらせて叫んだ。
こりこりと音を立てて
大きな口の端を緩め、目を細める。
「ああ、
片手を尾花丸の頭の後ろに、片腕を腰の後ろに回した。
「さ、我が仔よ、約束どおり寄り添おうぞ。母と仔、一つになるほどにのう」
童子丸の所まで香った。微笑む母は、いい匂いがした。泣きたくなるような、懐かしい匂いがした。どこか血の香りを秘めた、甘い乳の匂いがした。