狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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二十二話  母の心子知らず

 

 密かに盗み出した神代草薙剣(かむよくさなぎのつるぎ)の箱を、兄弟は、そっ、と船蔵の床に置いた――貞明はよく眠っていた、剣の箱は枕元に置かれていた。抱き締めて寝ていなかったのは僥倖(ぎょうこう)だった――。

 

 今さら気後れして、どちらが(ふた)を開けるか目で譲り合った後、童子丸が紐を解き、(ふた)を開けた。

 雲が湧き起こるように、光を帯びたモノどもが立ち昇る。その向こうに剣の姿が見えた。

 

 ここからどうすればいいか分からぬまま、とにかく柄を握る。少し考えた後逆手に持ち替え、柄頭を尾花丸の右肩、刀身を自分の左腕――火の粉の跡、火傷の跡が残るそこ――に当てた。

 剣から立ち昇るモノらが、吸い込まれるように火傷跡へと流れる。童子丸の腕に焼ける痛みが走り、尾花丸も同様に顔をしかめた。

 火傷の跡、手と爪の跡を残すそこから、溢れ出るように炎が昇る。それがかき消えたとき。

 

「ずうっと、こうしてやりたかった」

 母の手が、兄弟に触れていた。童子丸の腕と尾花丸の肩に。

 二人の前に、母の顔があった。

 

「……!」

「母、サ……」

 兄弟がそれ以上言えず、胸で息を詰まらせていたとき。

 

 母はいっそう、兄弟の体をつかむ手に力を込めていた。震えるほどに。

「ああ、本当(ほん)に。(はよ)うこうしてやりたかった」

 

 童子丸の手が震えて、草薙剣を取り落とす。

「母さま……」

「母サま、母サま!」

 二人は飛び込むように母の肩を抱いた。

 

 母は狐のように目を細め、二人の体に手を回す。

「おお、おお。二人とも、こうしてやりたかった。ずうっと前から」

 赤子の頃にそうしたように、獣の親がそうするように、二人の顔を()め回す。

 

 それでも兄弟は笑っていた。目の端に涙を浮かべて。その涙を母の舌が舐め取る。

 

 母はなおも手に力を込める。二人の肌から血がにじむほどに。

 そうして、母は犬歯の伸びる大口を開けて。童子丸の肩を、ぞぶり、と咬んだ。

 

「え」

 童子丸がつぶやく間に、母は首をひねり身を引き、かじりついた肉を肌を、童子丸から引きちぎって。湿った音を何度も立てて咀嚼(そしゃく)し。呑み込んだ。

「え、え……?」

 童子丸は未だ目を瞬かせるばかりだったが。

 

 血に濡れた唇を()め、頬まで裂けて牙をのぞかす口で母はつぶやく。狐のように細めた目は闇の中で、(くら)金色(こんじき)の輝きを帯びていた。

「ああ、本当(ほん)に。ずうっと、こうしてやりたかった。赤子の頃から。とろけるような柔肉(やわにく)であったろうあの頃、(よだれ)を抑えるに苦労したあの頃から」

 

 童子丸の肩に開いた傷口に、ぷつり、と血が盛り上がり。思い出したように赤く溢れ出た。

「あ。あ。あ、あ、あ……!」

 童子丸は傷口を押さえた。火傷跡の感覚など問題にならないほどの痛み、肉の内に火をつけたかのような痛みが肩に走っていた。

 

 べしゃ、と床で音がした。見れば肉が、よく噛みほぐされて唾液にまみれた、童子丸の肉が落ちていた。

 母が頬を歪ませ、鼻柱に引きつる(しわ)を寄せる。その目が自らの体を見た。

「ええ、忌々しい……未だ身まではできておらなんだか」

 母の腕や首、胸元まではともかく。それより下、腹や脚は未だ、以前立ち現れたときのような姿のまま、霞のように揺らいでいた。

 母の手が未練がましく床から肉をすくい取り、口へ運び。呑み込んだ後、また腹をすり抜けてこぼれ落ちる。

 

 尾花丸が叫ぶ。

「母サま、母サま! どうシた、どうシちまっタんだ! どうシテ、童子を」

 

「どうした? どうした、と?」

 母はいっそう、震えるほどに顔を歪める。

「おぉそうよ、どうしたものかと言いたいのはこちらの方よ! さてもさても、憎き者らよ忌々しき仔よ、出来損(できそこ)のうた肉塊(にくかい)どもよ! 二匹も産まれてどちらも(オス)とは、本当(ほん)に使えぬ奴ばらよ!」

 舐めるように顔を寄せ、尾花丸の肩を――かつて火花が散った箇所、母の爪跡が走っていた箇所を――つかむ。

(うぬ)らさえまともに(メス)に産まれておれば! 早々にその体に取り()き操り、骨の髄まで我に染め上げ! 替えの体としてくれたものを! 幾度試そうとも、(オス)では体が合わなんだわ」

 

 童子丸は血にまみれた手で、無意識に火傷の跡を押さえていた。母の夢を見るたび、その手の(あざ)が浮かんだ箇所を。

 震えていた。体が、頭が冷たかった。血を、流し過ぎたせいだろうか。

 

「母、サ……」

 

 目を見開いたまま固まる尾花丸に、母はとろけるように微笑む。

「とはいえ、のう。本当(ほん)にようやってくれた、神の剣をよう持ってきた。その力を得れば、また……我は血肉を(そな)えて蘇ることができる。いやさ、今のような端神(はしたがみ)などではなく、さらなる(たか)き力を得ることすらできよう。剣の力と、(うぬ)らの血肉があればのう」

 母は、尾花丸に頬を寄せた。片手でその頭をなでた。ゆっくりと、大口を開けた。

 

尾花(ハナ)ッ!」

 童子丸の叫びが響く。

 

 身動きもせずにいた、尾花丸の右耳を。母の口がかじり取った。

「あ。ア? ……ぁ、アアぁぁあ!?」

 何度か瞬きした後、血があごまで垂れた後で。ようやく、尾花丸は身をよじらせて叫んだ。

 

 こりこりと音を立てて咀嚼(そしゃく)した後、母は我が子の耳を呑み込む。今度は、肉が床に落ちることはなかった。

 大きな口の端を緩め、目を細める。

「ああ、(あやかし)の体のそなたなら、我が胃の()にもなじむわいな。本当(ほん)本当(ほん)に、丹精(たんせい)込めて育ててよかった、滋味豊かに育ってくれた。柔肉(やわにく)の赤子の頃、喰ろうてしまわんで本当(ほん)によかった」

 片手を尾花丸の頭の後ろに、片腕を腰の後ろに回した。

「さ、我が仔よ、約束どおり寄り添おうぞ。母と仔、一つになるほどにのう」

 

 童子丸の所まで香った。微笑む母は、いい匂いがした。泣きたくなるような、懐かしい匂いがした。どこか血の香りを秘めた、甘い乳の匂いがした。

 

 

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