狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
沈黙を破ったのは貞明の足音だった。
いったいいつ入ってきたのか。船蔵を真っ直ぐに歩み、床に突き立った草薙剣を抜き取った。
「いったい、何事が起こったのかね。先ほどの
いつものように穏やかな口調でそう言った。ただし、ひどく硬い声で。座り込んだままの二人の首元へ、切先を突きつけながら。
「話したまえ。君たちにはそうする責がある」
そのままの姿勢でぽつぽつと、尾花丸は喋った。草薙剣に二人が触った後、母の幻が現れたこと。草薙剣さえあれば、母は蘇ることができると言ったこと。それで、剣を盗み出したこと。
尾花丸が言ったのはそこまでで、だから後は童子丸が話した。
力の抜け切った体から、絞り出すように語った――蘇った母は二人を喰らおうとしたこと。自分が蘇るために必要な血肉、あるいは力を得るための喰い物として、母は自分たちを見ていたこと。それで、童子丸は母を止めようとして――。
話の途中、尾花丸が立ち上がる。童子丸を、殴った。
力なく倒れる童子丸へ、覆いかぶさりながら何度も殴ってきた。
童子丸は抵抗しなかった。弟の拳が自分の肉を打ち、脳を内臓を揺らすままにしていた。身をかわそうとは思いつかなかった。手を上げて防ぐ力とて、体のどこにも残ってはいなかった。
――だってそうだろう、だって。
仇を討ってやりたかったはずの、また会えたはずの母は自分が殺した。
護ってやりたかった弟の、一番大切なものは自分が壊した。
もう、童子丸の中に、いったい何が残っているというのか。守るほどのものがどこに残っているというのか。
だから。虚ろになった童子丸の体を、童子丸はもう守らなかった。
「童子ぃ……!」
犬歯を
床に転がる童子丸は見た、弟の拳が赤く濡れているのを。童子丸の顔から流れた血ばかりではない。むしろその大半は、獣の爪を
「童子、童子ぃぃ……! なんデだ、なゼっ! 母サまを! ……殺シたあっ!」
床に転がったまま、腫れ上がった頬と切れて血を流す唇をさらしたまま童子丸は思う。
なぜも糞もあるか。お前を、護りたかった。殺す気なんてなかった。それでも――そうだ、殺した。
「よクも……よクもっっ!」
再び拳を振り上げ、殴りかかろうとする尾花丸。
草薙剣を間へ突き出し、それを制したのは貞明だった。
「そこまでだ」
剣の横腹をかざして尾花丸を押しやり、二人の間にかがみ込む。
二人の目を見回す。穏やかな眼差しをしていた。
「分かるよ」
もう一度二人の目を見た。微笑んでさえいた、寂しげに。
「信じようとしたものには裏切られた。大切なものは自ら壊してしまった。分かるよ、私も」
二人が目を瞬かす中、貞明は続けた。
「さて。起こってしまったことは仕方がない、君たちを
立ち上がると、逆手に持った剣を脇に抱え、足音を立てて船蔵を歩く。
「君たちは母親の仇を討ちたかった。だが、母親を蘇らせる手段があると知った。故、行動をそちらに切り替えた。君たちからすれば当然のことだ」
こつ、こつ、こつ、と規則正しく、貞明の足音が響く。
「しかし蘇らせてみれば、母親は自分たちを喰らおうとした。故、自分たちを守るため殺した。これもおかしなことではない」
何か言おうとしてか、尾花丸が口を開けたが。貞明は続きを話した。
「そこで問おう。君たちの母親を再び蘇らせる方法がある、だとしたら。どうするね」
尾花丸は口を開けたまま動きを止めた。
「神器の、すなわち神の力で喰い散らされたものだ、
童子丸も身動きを止めていた。瞬きもせず貞明を見ていた。何を、何を言っているのだ、この人は。
貞明の顔から表情が消える。
「ただ、そのためには。この日の本を、
錆びた剣を帯に差し、二人へ手を差し伸べる。
「それでも良いなら。共に、来るかね」
貞明はまた、優しく笑っていた。