童子丸も尾花丸も、返答できずにいた。身じろぎの一つもできずにいた。
貞明は手を下ろし、穏やかにうなずく。
「少々話が急だったね、順番にいこう。まずは、君たちの母上を、すなわち死者を蘇らせる手段」
手を腰の後ろに組み、ゆっくりと歩き回りながら語った。
「それを成すことのできる品、その名は『古事記』『日本書紀』には無い。だが『旧事本紀』にはこうある、〈この十種の宝をして、一、二、三四、五、六|、七八、九十、と言ひて、振るへ、ゆらゆらと振るへ。かくせば死れる人も生き返りなむ〉と。その宝の名は【十種神宝】。――だが」
貞明は首をかしげてみせる。
「以降の伝承には無いのだよ、これらの神宝を用いて死者を蘇らせた、などという記述はね。ただ、これら神宝が初代天皇に捧げられ、天皇・皇后の長寿と幸福のために祈祷が行なわれた、その後神宝は石上神宮に奉られた、とあるのみだ」
「いっタい、何ノ話を――」
いら立ったように尾花丸が口を開くが、貞明は手で制した。
「なぜその力が用いられなかったのか? 歴史のそこかしこには悲しむべき死があり、より生きるべきだった人々がいたろうに。もしや、神宝はその力を失ってしまったのではないか? ――結論からいえば、それに近いことが起こっていた。ただし力を失ったのは神宝ではなく。それが存在するこの国土そのものが、だ」
再び歩きながら続ける。
「そもそも、これら神宝を天津神から授けられたのは饒速日尊。天皇家の祖とされる迩々芸命に先んじて、天より地に降り立ったとされる存在だ。そして、迩々芸命らが平定する前のこの国土はいったいどのような状態であったか? 『日本書紀』にはこうある――」
脚を止め、貞明は二人の目をのぞき込む。
「〈蛍火の光く神及ひ、蝿声なす邪神多に有り。復た、草木咸くに能く言語ふこと有り〉。〈磐根、木株、草葉も猶〉能く言語ふ。夜は熛火のごとく喧響い、昼は五月蝿なすごとく沸騰る〉――蛍火のように光輝く神、蝿の羽音のように騒ぎ立てる神が数多く在り、草木や岩も言葉を語る。それらは火の粉のように蝿の羽音のように、沸き上がるように騒ぎ立てる――。何かに、似ていないかね」
それは、まるで。
「わしらが……見とる、モノ」
貞明は薄く笑ってうなずく。
「そうだ。もっとも草木や岩の言葉とやらは、我々には聞こえるわけではないがね。宙に輝き遊び、地に水中に騒ぎ戯れる、人でも虫でも獣でもない精……そうした鬼どもが、この国土には満ちていた。こうして一国の正史に残るほどだ、おそらくそれは〈誰の目にも見えた〉。それほどまでにも、否応なく見えてしまうほどにも、満ち満ちていた。つまり」
息を深く吸い、宣べ伝えるように朗々と語る。
「天津神――彼らが言うように天か、あるいは他の土地からこの国土へやってきた神々――の子孫は、国津神――この国土土着の神々――を打ち倒しあるいは服従させ、日の本という国を成立させた。だがその過程で、土着の神々を多く失ったこの国土もまた力を失った。『古事記』いわく〈道速振る荒振る国つ神等の多に在り〉〈水穂国は、いたくさやぎて有り〉――猛く荒々しい神どもの多く、この国土はひどく騒がしい――そう謳われたこの国土は、精どもの満ち満ちていたこの土地は。平らげられて、静かなる大地となった」
静かに、告げるように言った。
「そうして。大半の国津神や鬼らの去った大地で、人間もまた、モノを見る力を失った。それらを見る必要などなくなったのでね。一方、精どもの力を失った国土において、神宝もまた以前のような力を発揮することはなくなった」
童子丸は口を開けたまま貞明の話を聞いていた。
仮に、その内容が真実だったとして。いったいこの人は、どうしようというのだ。
貞明は二人の顔を見回し、にっ、と歯を見せて笑った。まるでいたずらをしかける子供のように。
「だから。私が、この国土を還そうというのだよ。その状態へ、この日の本を! 人間の律する国ではない、国津神や鬼どものひしめき蝿声なす土地へと! 荒振る道速振る国津神の中の国津神、八俣大蛇の一部たる草薙剣! これに力を蓄え利用することでね!」
片手は強く拳を握り、振り回すようにして叫んだ。もう片方の手は、草薙の剣の柄を握り締めていた。
「ようやく思い知るだろうそのとき人間は! 否応なく誰の目にも映るほど精どもの満ち満ちた世でやっと知るだろう、彼らがいかに無知であったか! そして……」
大きく息をつき、呼吸を整える。
「そして、気がつくだろう。彼らが物狂いと蔑んだ、妖の子と討とうとした、我々こそが正しいのだと。……もっとも、そのときにどれほどの人間が生き残っているかは分からんがね。零落していた国津神や鬼どもが力を取り戻したとき、大人しくしているとは思えないのでね」
大きく息をついて、言った。
「思う様暴れるがいい、零落させられ虐げられた鬼どもよ。この日の本を尽に、壊し尽くすほどにね」
そう言う貞明は、また優しく笑っていた。