狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
「よおう。やってるなあ」
童子丸も、尾花丸も何も言えずにいたそのとき。純友が大きな体をかがめて、船蔵へと入ってきた。
童子丸はすがるように目を向けていた。
――そうだ、この人はどこまで知っているのだ、このことを。知っていたとして果たして、受け入れているのか。
純友はのしのしと童子丸の方へ歩み、大きな手を肩に置いた。もう片方の手は尾花丸にそうしようとしたのだろうが、的を外れて明後日の方向で宙に差し出されている。
「で、よおう。お前らも一緒に来るんだろう? この日の本をぐちゃぐちゃにしによう!」
「……え」
ようやくそれだけつぶやいた、童子丸に構うことなく。純友は大きな拳を握り鳴らした。
「平安平安と、太平楽な世ん中じゃあよう! つっまんねえってもんだろがよう。血筋の何のと、力も無い野郎がのさばる世ん中は、もうお
鮫のような歯を剥いて笑う。
「これからはよう! 神でも鬼でも人でもよ、力のある奴が上に立つ! 正しい楽しい世の中になるってもんよう! それに」
童子丸と同じ目線まで身をかがめ、にっこりと笑う。
「そうなりゃよ、
その顔の向きは、わずかにずれてはいたが。おおむね、尾花丸の方を向いていた。
尾花丸が、純友へと手を伸ばした。無論その手が触れようとも、純友には何の反応もなかった。
歩み寄った貞明が二人の手を取り、重なり合うように導いた。そこへ、自らも手を乗せる。
貞明は、純友も、尾花丸も。童子丸の目を見た。
「さ。君は、どうするね」
引かれるように手が動きかけた、そのとき。
傷口が痛んだ。母にかじり取られた傷。左腕の、かつて母の手の跡があった箇所。
目に映った。尾花丸の、右耳があった箇所。母に咬みちぎられ、血の乾きかけた箇所。
童子丸は立ち上がっていた。三人の手は取らなかった。
「……ふざけるなよ」
呆けたような顔をしたまま、口はそう喋っていた。
その後で、つられるように思う。
――そうだ、そうだふざけるな。もしも母さま蘇らせたら。また、お前を喰うやないか。
「ふざけるなよ」
だらりと提げたままだった手に、力がこもる。
――そうだ、そうだふざけるなよ。もしも母さま蘇らせたら。また、わしが殺さないかんやないか。母さま殺さないかんやないか。
「ふざけるなよ……!」
握った拳が震え、頬に、みりり、と力がこもる。
――そうだ、ふざけるな。もしもお前ら、母さまをまた蘇らせたら。
――わしが、また殺してやる。
「……ふざケるなよ」
尾花丸もまた、立ち上がっていた。
「ふざケるなよ。……誰が、母サま殺しタんだよ」
表情のなかったその顔に、長い鼻柱の両側に、刻むような皺が寄る。歯を、牙の全てを剥き出しにしていた。
「ふざケるなよ。……お前だ、ろウがっ!」
振り払った、尾花丸の手の先で。何かが白く寄り集まり、閃いた――
「――え」
見る間に、伸び来る。白い流れが、長大な刃が。船蔵の壁を柱を切り裂きながら。尾花丸から、童子丸目がけて。弟から、兄目がけて。
それが何なのか分からず、目には映っていても分からず、童子丸は立ち尽くしていたが。
波の揺らぎに膝が崩れ、のけぞるように後ろへ足を継いだ。それで、たまたま直撃を免れた。
童子丸の胸を裂いて、白い刃が通り過ぎた。
その後で、思い出したように赤く血が吹いた。
「――え」
さらに振るわれる白い流れが見えた。弟の手の先の空間で、それは獣の爪の形をしていた。巨大な刃物で造られたそれが、何度も
それが壁を、船板を裂く。風圧が破片ごと童子を巻き上げる。
「え……」
気づけば、童子の足は船板を踏んではいなかった。破片と、血と、波の飛沫と共に吹き飛ばされ。
いつの間にか吹き荒び出していた、嵐のような風と荒波の音の中。
海面に低く音を上げ、白く泡を上げ。