狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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三話  後の安倍セイメイ、賀茂忠行(かものただゆき)に道を教えること

 ようやく冬も終わりが見えようかという頃であった。

 別れは結局、父が仕組んだものだった。今になってみれば、童子丸にもそれが分かる。

 

 何も知らぬそのときの童子丸と尾花丸は、父が急に連れてきた客をお迎えしようと――あるいは土産でもあるまいかと――無邪気に寄っていった。父と、老年の男と、その連れの女性に。

 兄弟は、寒さも(いと)わず庭で遊んでいた裸足のまま駆けた。門をくぐったお客様の前に、ちょこん、と並び、二人揃って礼をした、童衣装――烏帽子(えぼし)はかぶらぬ、丈の小さな狩衣(かりぎぬ)――姿の童子丸と尾花丸は――尾花丸が自分のものにした物、食った物や身に着けた衣は、人の目には見えなくなる。童子丸の隣、誰もいない場所に妻がもう一膳を用意する様、その膳から食べ物が消える様。父はどんな思いで見ていたのか。今の童子丸は、そう思う――。

 

 そのお客は、硬い(つるぎ)のような老爺(ろうや)だった。童子丸にはそう思われた。

 いや、老爺(ろうや)と呼ぶには(はばか)られる。固い紙を揉んだようなしわが顔に刻まれ、きちりとなでつけた髪は白いものと黒いものが半々であったが。筋金でも入れているかのように、腰にも背にも曲がりがなかった。

 よほど(のり)を利かせたのか、濃い灰色の直衣(のうし)は、かちりと鋭角的な輪郭を見せていた。やたらと背の高い烏帽子も同様で、薄鉄(うすがね)ででもできているのかと、童子丸は見上げる目を瞬かせた。

 

 連れの女性も妙であった。笠を深くかぶってうつむき、その首元から口にかけて布を巻いていた。そのせいで女性の顔形は何も分からず、黒髪だけが笠の下からこぼれていた。

 

 尾花丸は女性へ顔を向け、狐の鼻をうごめかせた。何か戸惑うように、その眉間にしわが寄っていた。

 

 客の男は童子丸へと視線を落とした。礼を返すことはなく、その目が尾花丸に向けられることもなかった。刃のように鋭い視線であったし、鋼のように鈍く辺りを映す瞳であった。童子丸は、そんな風に覚えている。

 

「これが例の。混ざりもの、か」

 客の男は低くつぶやき、童子丸の横を通り抜けようとした。尾花丸のいる方を。

 

「お客人!」

 童子丸は手を挙げ、男を制した。尾花丸の手を引き、道を開けさせた後で、深く頭を下げる。

「お客人。行く手を塞ぐなどと、これは弟がとんだ粗相(そそう)を。わしからきつう言い聞かせますよって、ご容赦(ようしゃ)いただければまこと、幸いにございます。……さ、お前も謝らんか、尾花(ハナ)

 

 尾花丸は目を瞬かせたが、腰より深く頭を下げた。その拍子に、腰の向こうで尾が跳ねた。

「まこと、申シわけもござイません」

 

 男の眉がきつく寄る。その視線は未だ、尾花丸ではなく童子丸一人に注がれていた。

 何も言わず男は歩む。尾花丸が道を開けたその場所を。

 

 数歩行ったとき、尾花丸が声を上げた。

「オ客人」

 聞こえないのか――それはそうだ、尾花丸の声なのだから――歩みを止めない男に、今度は童子丸が声を上げた。

「お客人! お待ちをば、そちらには性質(たち)のようないモノがおりまする。ちと右へお寄りいただければ、よろしいかと存じます。さもなくば、鬼がおりまするゆえ」

 

 男の数歩先には鬼がいた。人差指ほどの背丈の鬼が。岩の肌を持つそれと鉄の肌を持つそれが、相撲(すまい)を取るように組み合って遊んでいた。こうしたモノは邪魔をすれば、噛みついてくることがある。

 

 足を止めた男の顔が固くなる。よりいっそうのしわが寄る。

 尾花丸が口を挟んだ。

「いヤ、そノ先には龍がいル。左に行ったほうがいイ」

 確かに、右の少し先には鰻ほどの龍が宙を遊んでいた。これもあまりからかうと、絡みついたり噛んでくる。

 童子丸はうなずく。

「右は龍か、確かにの。ではお客人、どうぞ左へ。その四歩ほど先で右へ」

 龍をよけた先には金属(かね)の羽根を震わす(はち)がいた。今まで刺してきたことはないが、お客に万一のことがあってはいけなかった。

 

「そノ六歩先、まタ左」

 弟の言うとおり、そこでは火を翼と尾に宿した小雀どもが遊んでいた。燃え移ることなどはないが熱いことは熱いし、やはり万一のことがあってはいけない。

「なるほど左。三歩でまた右」

「二歩デ右」

「三歩で左」

「五歩デまた右」

「三歩で左。その後はどうぞ、ずずい、と、母屋のほうへお入り下されまし」

 

 男の頬は震えていた。

方違(かたたが)えせよと申すか」

 固い顔はひどく揉まれたように、さらにしわが刻まれていた。震える口から声がこぼれた。

小童(こわっぱ)が、この(わたくし)に……この(わたくし)に、方違(かたたが)えの指図(さしず)を致すか……!」

 それから何か、奇妙な形に指を組み合わせ、口の中で何ごとかをつぶやく――印を組み、(しゅ)を唱える――その指も声も震えていた。内から爆ぜるのをこらえているかのように。あるいは、こらえかねているかのように。

 

 やがて、組んだ指の間からのぞく目が童子丸を見た。そして隣、尾花丸を。

「成程、この()には鬼がおるわ……とんだ混ざり(モノ)がな……!」

 言い捨てて指を解き、真っ直ぐに歩んだ。鬼も龍も避けることなくすり抜け、母屋の方へと行くこともなく。庭を真っ直ぐに歩んでいった。

 

婿(むこ)どの、混ざりもの二匹引っつかんでおれ、逃がすでない! 来い、葛葉(くずのは)!」

 おたおたと童子丸と男の背を見回す父、益材(ますき)に目をくれることもなく、男は真っ直ぐに庭を横切る。その後には葛葉(くずのは)、母と同じ名で呼ばれた女が続いた。

 

 そうして。日の当たる(えん)で座っていた母の前に、男と連れの女は足を止めた。

 女が、固まったように全身の動きを止めた。それからのぞき込むように、顔を突き出し前へ出た。笠と、口元を覆う布をむしり取りながら。

 

「だ……れ、誰、あんた」

 絞り出した女の声は、母と同じだった。その背丈は、肉づきは母と同じだった。肌は、髪の艶は母と同じだった。顔は、母と同じだった。

 

 むしろ、母の方の顔が常とは違っていた。震えるほどに引きつった頬。歯を剥き出した口からは鋭く犬歯がのぞいた。睨む目は吊り上がっていた。狐のように。

 

 

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