狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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三十四話  陰陽師・安倍セイメイ 対 弘法大師・空海

 

 口を開けたまま、童子は目を瞬かせていたが。

 やがて無言のまま、獣のように爪の伸びる両手を握る。

 目の前の男が本当に弘法大師か、それとも物狂いの戯言(たわごと)か。そんなことはどうでもよかった。ただ、邪魔をする者は殺すばかりだ。鬼どもと同じに、人であろうと殺すばかりだ。

 

 そこまで考えて、はた、と気づく。

 月の下、川端に今、男と童子と――式神狐をのぞけば――たった二人。他には誰もいない、声とて無い。あの唄、都で弟と貞明と聞いたあの唄はどこにも無い。辺りにひしめいていた鬼ども、どこか弟に似ていた、弟を思わせたあの鬼ども、殺そうとしていた者らはどこにもいない。

 なのにいったい、何を殺そうと言うのだ、自分は。殺すべき者がどこにもいないのに、何の邪魔になるというのか、目の前の男が。

 

「……!」

 それでも、童子丸は歯を噛み締めた。獣の牙のように伸びた犬歯を剥き出した。

 もはや何も分からない、目の前の男――弟とはどこも似ていない――を殺したところで何も変わらない。

 それでも、爪の伸びる両手を構えた。(よだれ)の垂れる口を開いた。

 この男を、いや、鬼どもも。殺さなかったとしても何も変わらない、殺したとしても何も変わらない。

 童子丸は何も変わらない。母を殺した童子丸は。弟に殺されかけた童子丸は。どうにもならない、どこにも行く場が無い、どうにもやる方が無い、どうにもならない。

 なら。目の前の男もそうしてやろう、そうしたところでどうにもならないとしても。そうしたところで、何も変わらないとしても――。

 

 式神狐は、うるる、と(うな)った。逆立った白い金属の体毛を震わせ、牙を剥いて空海を見据えていた。

 童子丸も犬歯を剥き、貫くように空海をにらむ。その顔を真っ直ぐに指差した。

「や――」

 れ、と言おうとしたとき。

 

 黒い風のようなもの、何か大きなものが、童子丸の横を通り過ぎた気がした。

 その圧に髪が揺れた、そのときには。

 ず、と(こす)れる音を立て、式神狐の上半分が、下半身からずれていた。真ん中から斜め一閃、両断されていたそれは、そのままずるずる滑り落ち、どう、と音を立てて落ち。ほどけるように、無数の金気を帯びたモノに戻り、消えていった。

 

「――れ……?」

 目を開けたままでいた童子丸の傍らで、何かが白く光った気がした。鋭く光る刀のようなものが。

思う間に、黒い風のようなものは刃と共に、空海のもとへと戻っていった。

 

 穏やかに空海は言う。

「見えたか、今のが。(たけ)き鬼神が。見えなんだら見えなんだで()え、余程の者でもなけりゃ見えん。今のは東方守護者『持国天(じこくてん)』。オレが強いとは別に言わんが、強いぞ。これら『四天王』は」

 

 童子丸は何も言わなかった。ただ両手を地面にかざした。

そこに眠る土のモノどもが集まり固まり身を伸ばし、岩の(とげ)となって空海を襲った。

 

 だが。音も無く黒い風が吹き抜け、長い棒か槍のようなものを振るって、全ての岩を叩き折った。

「南方守護者『増長天(ぞうちょうてん)』」

 

 聞かず、童子丸は水をかけるように両手を打ち振る。

 水の気を帯びたモノどもが空海へ向け、流れながら集まり、無数の飛沫(しぶき)となり、さらに集まって大波となる。

 

「西方守護者『広目天(こうもくてん)』」

 またも黒い風が過ぎ、今度は大きな筆のようなものが(ふる)われ。波が十文字に裂かれた後、粉々に散らされる。

 

 地面へ散った水の跡へ、童子丸は手を向けていた。

水生(すいしょう)(もく)!」

 貞明から教わった陰陽術(おんみょうじゅつ)、その(ことわり)のとおりに。水のモノが散った跡から、その力を吸い取ったかのように木が蔓草(つるくさ)が、風を切る音さえ立てて大量に生え出、空海を打ちあるいは絡め取ろうとする。

 

「北方守護者『多聞天(たもんてん)』」

 なおも黒い風が(すさ)び、鉄棒(かなぼう)のようなものを振るって木々をへし折り、蔓を引きちぎる。

 

 それらの破片が空海の周りへ、うず高く積もった後。童子丸は声を上げた。

木生(もくしょう)……()ァ!」

 ちろちろと、火の粉のような赤いモノらが草木の破片に散ったかと思うと。ごう、と音を上げて燃え立った。背丈に倍して高く燃え上がる炎はすでに空海を呑み込み、その体を熱いはらわたに収めてしまったかのようだった。

 猛火の中心を、童子丸は指差した。

「火ィのモン集まれ……焼き、尽くせッ!」

 指先に集う炎が(おおとり)の形を取る。炎の式神は羽ばたきの音を残し、貫こうとするように炎の中心へと飛んだ。

 

 式神が炎の中へと飛び込んだそのとき。

「オン・ア・ウン・ラ・ケン・ソワカ――『四天王』よ、適当にやれ」

 空海の声が低く響くと共に、黒い風が四方から吹き(すさ)び。炎の波を十字に裂き、さらに裂いて火の粉へと散らし。閃く刃が、槍が筆が鉄棒(かなぼう)が、炎の鳥をもたちまちに打ち散らした。

 

 目を瞬かせる間も無く。黒い風が、暗く漂うもやのような塊が、四つの武器を童子丸の目の前へと突きつけていた。

「ようやった、四天王よ。殺しもせず適切に当たってくれた」

 四天王と呼ばれたものが武器を引いてかき消える中、空海は一つ手を叩く。

「さ、もう終わりか? 次は無いんか、早よせい早よう」

 急かすようになおも手を叩く空海の顔を見て。童子丸は、歯を(きし)らせた。

 

 

 ――我々の知る説話において。

 讃岐国(さぬきのくに)、現代にいう香川県。四国八十八ヶ所の一つ、空海の生誕地のほど近くである善通寺(ぜんつうじ)にこのような事跡が伝わっている。

 

〈讃岐国に赴いた安倍晴明が善通寺の大門を潜った際、供の式神が手にしていた松明(たいまつ)の火が消え、門を離れるとまた灯った。晴明はそのことを「この寺を四天王が守護しており、大門が火災から護られている」と語った〉

 あるいは。

〈安倍晴明が善通寺の大門を潜った際、灯火を持って供をしていた式神が姿を消した。その後晴明が叱ると、式神は「この門は四天王に守護されており、その霊威で近づけなかった」と語った〉

 また、一説には。

〈陰陽師・清明が善通寺の大門を潜ろうとした。だが、門に掲げられていた、弘法大師が書いた(がく)の霊威を(おそ)れて道を変えた〉

そのように、いわれている。――

 

 

 果たして。

 童子丸は力を尽くした、木火土金水ありとあらゆる力を放った。思いつく限りの式神を作り出し、五行相剋(ごぎょうそうこく)五行相生(ごぎょうそうしょう)、習い覚えた陰陽(おんみょう)の技を使えるだけ使った。

 それでも、全てが通じなかった。放つそばからかき消され、自らの放った力ごと打ち倒され。空海に一傷たりとも負わせることはできなかった。

 

「もう(しま)いか」

 荒く胸を上下させ、地へ大の字に倒れ込んだ童子丸を見下ろし、空海はそう言った。

「全てを出し尽くしたか。あらゆる知恵を絞ったか。全部の手段を使ったか。もう、力は残っとらんか」

 

 空を見たまま、童子丸はかろうじてうなずいた。もう何も考えられはしなかった、それだけしかできなかった。

 

 空海は笑ってうなずく。

「そうか、全て出し終わったか。――なら、ここからが始まりや」

 黒い風が吹いた。暗いもやのような塊が生温かく童子丸を抱え上げ、身を起こさせ。無理やりに手を引き、立ち上がらせた。

 にったり、と空海は笑う。

「ここからが始まりや、修行の。のう、我が弟子よ」

 

 考える力もないまま、黒い風が小突くように後ろから吹く。押されるままに童子丸は歩いた。

 

 後ろも見ずに空海は歩く。

「お前は陰陽(おんみょう)の術を使うようやが。そもそも陰陽道(おんみょうどう)は正確な理論とは(ちゃ)う。考えてもみい、五行相生(ごぎょうそうしょう)のうち金生水(ごんしょうすい)とはいうが、金が水をそもそも生むか? 結露のことをいうとるなら、岩も土も草も露を結び霜が降りる。金のみの性質とは到底いえん。それに水生木(すいしょうもく)というが、草木は水だけに拠って生えるでなし、土なくしてそれらは生えん。どころか、過剰な水は根を腐らせ木を(こく)す。破綻しておるのよ、五行の(ことわり)はそもそも。それを基礎とする陰陽道の理論全体、これも当然破綻しとる。オレも唐におった頃、陰陽道(おんみょうどう)の母体たる道教の(ことわり)を多少は聞きもし、持ち帰った経典の中には宿曜(すくよう)の術を伝えるものもあるが……その程度のもんや」

 

 返事をする力もないまま、考える力もないまま童子丸は歩く。

 

「さて。修行や、我が弟子よ。お前にはこの世の全てを見せてやろう。生まれてきたんを後悔するような苦行に、ならんという保証はできんがの」

 弘法大師は後も見ず歩いてゆく。

 

 

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