狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
目を覚ましたときには、空海が川の端から脇へと溝を掘り、小さな支流を作ってくれていた。汚れ切った体と衣を洗うに、川の中でやったのでは下流の者に迷惑がかかる。なので、支流の方で洗えということだった。
糞まみれの下帯も袴も、枝に裂かれてぼろ切れのような
水から上がって首と尾を震わせ、水気を振るい落とした後。衣を辺りの枝に干し、借りた手拭いで体を拭う。素裸のまま、空海の
椀によそわれた
空海が言う。
「
狐耳をひくつかせ、裸のまま童子丸は言う。
「そりゃ仏道の話でもあるまい、日の本の神の話じゃろ。坊主が言うことかよ」
空海は首を小さく横に振る。
「この国は神も仏も
童子丸は鼻で息をつく。
「そら結構なこっちゃ。そんだけ神の仏のとおるんやったら、わしら兄弟も護ってほしかったもんや」
空海は唇の端を吊り上げて笑う。
「さてもさても、と。それ言うんならお前も仏。もともと仏っちゅうもんは、『悟った人間』、それだけのことや。言うたはずぞ、『ここが仏国土、お前が仏』」
空海がかつて、鬼どもに教えた経。その後を続けるように、童子丸は言った。
「『ここが地獄、わしが鬼畜生。どこでもない今ここがこの世、そこにおるんがわし』」
空海はなおも笑って、童子丸の胸を小突いた。
「さて、や。その仏さんは何がしたい。言うとった、弟のことか」
童子丸は立ち上がる。洗った後の、くくりもせぬ稲穂色の髪が背で震える。尻尾と、隠されもしない金玉が揺れた――ご丁寧に、そこの毛まで今は稲穂色だ――。
「仏の何のとは知ったことやないが。
言ってから気づいた。そうだ、それが自分のやるべきこと。やりたいこと。
それに、そうだ。貞明と純友、あいつらも――護ろう。
空海は剃り上げた頭をかく。
「お前が言うんはそりゃ、救う、っちゅうことや。お前を殺そうとした
「やる」
空海は童子丸の目を見た。瞳の奥を、脳髄の底まで見通そうというかのように見据えた。
「できるんか。鬼ども殺しまくったお前が救うなんぞ、できるんか」
童子丸の視線はわずか、うつむいたが。それでもまた、空海の視線を受け止めた。
「わしが地獄。わしが仏国土」
空海は息をつき、空を見上げた。枝葉の間からのぞく空はよく晴れていた。
「まずは、衣が乾いてからやの。オレの
歯を見せて笑った後、空海は表情を正した。
「その後は。何もかも見据えることや、その金色の目での」
「金色?」
童子丸は目を瞬かせた。自分と弟の目は空色のはずだ、狐の幼獣のように。それも尾と耳が生えたのと、毛色が変わったと同じく変わっていたのか。
「……もう子狐や、ないっちゅうことか」
思い出したように空海が言う。
「そう言えば。弟子にするっちゅうた手前、お前にも
それでも、変える名は決まっていた。
「
弟と流れていたときに名乗った、
「わしは清明。もう
「漢字二文字で音読み。ま、戒名としては
うなずく空海の横で、清明は顔を上げた。尾を一つ打ち振るう。空は清く、晴れて明るい。