狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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三十八話  晴明

 

 ――一方、その頃。

 

 安倍晴明(あべのせいめい)は――尾花丸と呼ばれていた者は――揺れる船上にいた。潮風に狐の(ひげ)が揺れ、飛沫(しぶき)に黒い鼻が濡れる。

 ここ十日ほども志度の沖へ繰り返し船を出して探し回っていたものが、今まさに目の前にあった。

 

 空は清く晴れて明るかった、なのに雨が、いや、水が降っていた。海水の飛沫(しぶき)が、土砂降りのように。

目の前の龍が海面から首を起こして打ち上げた、波飛沫(しぶき)が一面に散っていた。

 

 大伽藍(だいがらん)の塔を思わせる長大な龍が今、波を散らして天へと首をもたげ、苦しげに咆哮(ほうこう)を上げていた。その音に海面が、船が、晴明の足が顔が狐の(ひげ)が両の鼓膜がびりびりと震える。

 

 頭の上に突き出す耳を――片方は喰われて無い耳を――押さえて晴明は叫ぶ。

「律令の如ク急々に……従エ!」

 

 土剋水(どこくすい)(ことわり)(のっと)り。水龍を討つべく、土器(かわらけ)の鎧兜に身を固めた素焼きの肌を持つ土人形の兵どもが――古代の埴輪(はにわ)にも似たそれらは、船に積んだ土を元に晴明が造り出した式神だった――弓を引き絞り、素焼きの(やじり)を持つ矢を一斉に放った。

 

 龍の腹に首に柔らかい音を立てて突き刺さり、またも龍が身もだえする。

 

 純友が太刀を振り上げ、声を張った。

「いよおおおっし! あと一息だああ、駄目押ししてやれええ!」

 

()(そろ)ぉぉ!」

 部下らが野太い声で応え、弓に新たな矢をつがえる。弦を引き絞った()の上に太矢を載せる者もいた。

 通常の弓と違い、十字形の本体のうち縦棒の部分に矢を載せる台と引金、横棒の位置に弦を(そな)えた形。西洋ではクロスボウ、あるいはボウガンと呼ばれる代物。

 

 

 ――我々の知る歴史において承平四年六月、西暦にして934年。晴明のいるこのときより約二年前。海賊追捕のため、神泉苑において()の試射がなされたとの記録が『扶桑略記』にある。

 さらには、純友らの使うそれには改良がなされており、十文字の縦棒の先に鉄輪が取りつけられている。矢を装填(そうてん)する前にはここに片足を入れ、両手で弦を持ち、踏ん張って足腰の力で弦を引く。これにより、通常の弓では――つまり人間の腕では――引き絞ることが不可能な強度の弦をも引くことができる。後は、固定された弦の前に鎧(どお)しの太矢を載せ、的へ向けて引金を引くのみ。

 装填に時間がかかるため通常の戦では使いにくい面も大きかったが、海龍退治には持ってこいの兵器だった。

 

 弩と弓がさらなる矢を放ち、龍がまたもよろめく。

 

 尾花丸の傍らで、貞明が喉を唸らせた。

「そうだ、そうだいいぞ……! 我らが悲願まであと少しだ!」

 汗ばんだ手で握り締める、神世草薙剣(かむよくさなぎのつるぎ)からは絶えず、光を帯びたモノが溢れ出し、龍の方へと流れていた。龍の体はくまなく、モノらの織り成す分厚いもやに覆われていた。

 

 あまりにも濃いモノらに包まれているゆえ、龍の存在は今や純友らにも知覚されていた。どうやら何かもやの塊のように見えているらしいが、それでも感知されていた。実体として、触れることさえできるらしかった。

 そして、触れることができるならば。殺すこともできる。

 ましてや、純友の用意した武器は神仏の加護を帯びていた。

 

――我々の知る歴史において承平六年三月五日、西暦にして936年。純友の伊予国出向直前とみられる時期に、海賊平定のため【大元帥法(たいげんのほう)】が修された、と『日本紀略』に記されている。

 密教において最強の明王とも、あらゆる仏菩薩の集合体とも語られる存在、大元帥明王(たいげんみょうおう)。その力を借りる調伏(ちょうぶく)のための修法であるが。純友らはここへどうやら自分たちの武具を持ち込み、加護の祈祷を受けたものらしかった。つまるところこれらの武具も、海龍退治にうってつけといえた。

 

 純友は柄皮に黒漆をかけた太刀を担ぎ、水面を揺らして小舟に跳び乗った。

「尾花よう! おれを龍んとこまで運んでくれよう、できるかあ!」

 

「覚えロよ、おれノ名は晴明ダ!」

 聞こえないと知りつつ声を上げ、とにもかくにも純友の舟を指差す。その下の水を。

「急ギ従え水のモノども……波ヲ!」

 

 舟の周りの水が震え出す。波紋を呼び舟縁を震わせ、沸き立つように水が騒ぎ出し。やがて白く飛沫を上げる波となって舟を押し上げ、打ち流した。小舟は弾けんばかりに揺れながらも、駆け抜ける馬のような速さで龍へと純友を運ぶ。

 白刃を飛沫と日差しにさらしながら、純友は叫んだ。

「うおおおおおおっっ!! てめええこら龍ううう! ひいひいひい……ばあちゃんの仇だおらああああああっっ!!」

 

 三尺を越える大太刀――これも当然、明王の加護を受けている――が、龍の横を駆け抜けざま、鱗を断ち割り散らしながらかき斬る。

 

 同時、貞明は草薙剣を宙へと投げた。

「斬り祓え、我が剣よ!」

 

 輝くモノを振り撒きながら飛ぶ剣は、横へ回転しながら純友の反対側、挟み込むような形で龍の首を斬っていった。

 

 体の至る所から赤黒く、どぼどぼと音さえ立てて血を流す龍へ、晴明は片手を振り上げ。二本の指、斬り捨てるような刀印を立てて振り下ろした。

「土のモノ、岩のモノよ……(こく)セよ!」

 

 草薙剣から上がるもやの中から、黄色味を帯びた、土の気を帯びたモノらが指の前に集う。それらは石を形作り、風を切る音を立てて龍へと飛び。飛びながらもモノどもがさらに集まり、膨れ上がり。いつしか船をも圧し潰すであろう巨大な石の牙となって、龍の喉笛へと重く突き立った。

 

 牙の伸びる口を開け、舌を天へと突き出し。海の底まで震わすような断末魔の声を上げ。龍の首が力なく傾き、大木が倒れるように海面へと崩れ落ちた。

 

 海面が揺らぎ、大波となり、純友の乗った小舟をたやすく転覆させたが。純友は程なく手を伸ばし、引っくり返った舟の上によじ登った。

「ひゅうう……! やったなあ……ぃやったぞおおおお!!」

 立ち上がり、太刀を天へかざしてみせる。

「龍を! おれらが! 純友が瀬戸内海賊が、陽成院が安倍晴明が! 討ち取ったぜええええ!!」

 

 海賊どもが武器を振り上げ、船縁を叩き。海を震わすような歓声を上げた。

 

「やった……やったぞ……!」

 貞明は船縁から身を乗り出し、海面に伏した龍を食い入るように見る。どうにも、少年のような顔で笑っていた。

 

「余リ喜ぶナよ……まだ計画の途中だろウ。ナあ――」

 晴明は、笑えずにいた。思わず兄に呼びかけそうになり、この場にいないことを思い出す。そして、兄のしたことを思い出す。

 音の出るほど犬歯を噛み締め、振り払うようにかぶりを振る。

 

 そのとき。横倒しになり、海に半ば顔を沈めた龍が口を開く。水底(みなぞこ)から泡の立つような、くぐもった声が響いた。

「――待テ……何故ダ、何故我ヲ討ツ……最早昔日(せきじつ)ノチカラナド無イ、ドコロカ、人ニ関ワリ等無イ、我ヲ……」

 

 貞明が言う。つぶやくような声が龍に届いたかは分からないが。

「零落したる神よ、君の善悪が問題ではないのだよ。君の力、君の命、無駄にはすまい、道速振(ちはやぶ)る神々の世のため、そして我々のため。使わせてもらおう」

 

 龍は潮と共に鼻息を吹き上げ、絞り出すように言った。

「待テ! 助ケテクレ、我ヲ見逃スナラバ竜宮ノ秘宝ヲヤロウ、海水ヲ操ル塩盈珠(しおみつたま)塩乾珠(しおふるたま)、一度舐メレバ十五日モ空腹ニナラヌ玉モダ、ソレト鳥獣ノ言葉ヲ解スルヨウニナル玉モ――」

 

 純友が貞明と晴明の船の方を向き、声を上げる。

「なあんかよう! ぶくぶくぶくぶく分かんねえこと吠えてっけどよう、どうすんだよう!」

 

 晴明は応えず、ただ刀印を打ち振った。宙に現れた無数の岩矢が龍へと突き立つ。

 

 貞明は手元に返っていた草薙剣を再び放つ。

「我が剣よ! 思う様喰らうがいい!」

 

 真っ直ぐに飛んだ剣は龍の首へと突き立つ。剣から溢れたモノどもは八つの流れとなり、龍を包み込み呑み込み。やがて、龍をもモノの群れへと変え、その流れに取り込み、剣の中へと還っていった。

 舞い戻ってきた剣を貞明は振るい、潮を払った後。丁寧に拭って箱へと納めた。

 

 もはや波のない、静かな海面で。純友は改めて快哉を上げた。

「いやったぞおおおおお!!」

 

 海を震わすような歓声が、再び海賊らから上がる。

「やったあああ!」

「やりやがった!」

「さすがお(かしら)あああ!」

「すーみっとも! すーみっとも!」

 

 沸き起こる声を抑えるように純友が両手を上げる。太刀で貞明と尾花丸の船を指した。

「待て待て、勘違いすんなよお前らあ。真に龍を討ったのはよお……その船におわす院と! 見えねえけど、そこにいる尾花丸……いやさ、安倍晴明だぜえ!!」

 

 一瞬の間を置いて、再び声が上がる。

「上皇様! 上皇様万歳っっ!」

「晴明! すげえぜ晴明ぇぇ!」

 

 貞明は笑って手を振る。

 

 晴明も手を振るよう促されたが、そんな気分にはなれなかった。

「見えモしなイのに、手なんカ振ってモよウ」

 

 貞明は苦く笑う。

「そう言うものじゃあない。せっかく皆が君を認め、誉め称えているというのに」

 

 それでも、晴明の首も尾もうなだれたままだった。

 ――そうだろうか。本当に、見えないものを見えないまま、認められるものだろうか。称えられるものだろうか。

 

「まったく、うらやましいぐらいだよ若くしてそれほどの賞賛を受けるとは。私も若いときに君ぐらい陰陽の力が使えたなら皆に目にものを――」

 

 早口になる貞明をさえぎり、晴明は言った。

「……なあ。その剣ノ力で、あノ龍みたイにおれの姿も――」

 

 貞明は首を横に振る。

「無理だね。喰らうものを拘束するためにこそ、あれほどのモノの流れが放たれる……それがこの剣、八岐大蛇(やまたのおろち)の骨だ。あれはいわば、大蛇(おろち)の舌であり牙。私はどうあれ、君を食い物にする気はないよ」

 

 変わらず響く歓声の中。母の最期を思い出し、晴明は、尾花丸は、黙ってうつむく。

 

 

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