狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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三十九話  母の仇、来(きた)る

 

 ――数日の後。

 兄たる清明は空海ゆかりの山中の寺で、足の治療に努めつつ密教を教えられていた――かさぶただらけの足を仏前に放り出し、寝そべったまま経なり意味の分からぬ真言(しんごん)なりを読み、手指を妙な形に組み合わせて印を結んでいた――。

 死んだはずの空海がいったいどういう扱いになっているのかは分からないが。寺僧どもはごく当たり前に、客僧をもてなすように接していた。

 空海も今は生者の如く、白湯(さゆ)をすすり(かゆ)を口にし、(かわや)にも立てば寝床にも入った。

 

 そうしていた折。寺僧が、空海を訪ねてきたという客を通した。

 

汗顔(かんがん)の至りなれど。弘法大師のご尊顔を拝したく、参上(つかまつ)った」

 抜けるように天井の高い本堂で、平身低頭しそう言った。剣のように高く長い烏帽子の男は。烏帽子が落ちかけるほどに身を伏せて、何やら細長い包みを傍らに置いて。

 鉄板(かないた)のようにかちりと、灰色の直衣(のうし)に糊を利かせた老年の男。

セイメイ兄弟の母の仇、賀茂忠行(かものただゆき)は。

 

手前(てめ)ェは……ッ!」

 だん、と音を立て床を蹴り、清明は立ち上がった。かさぶたの取れぬ足で構わず床を踏み、忠行の前へ行き。首根っこをつかみ上げた。

手前(てめ)ェは、他に言うことがあろうがッ!」

 

 一瞬だけ目を逸らせた後、忠行は清明の目を見据えた。

「無い。人の世を乱す(あやかし)は討つ。人の世の秩序を平安に維持する。それがこの(わたくし)の陰陽道」

 胸ぐらをつかんだ、清明の手をつかみ返す。

「童子丸……安倍清明、ともその後名乗ったか? (あやかし)の血を引く(うぬ)ら、母の仇とて人に牙剥くであろう(うぬ)らは、あそこで討たねばならなんだ」

 

 童子丸は、張り詰めたように狐耳を震わせ、そのまま忠行の眼差しを受け止めていたが。やがて突き放すようにして手を離した。

 

 忠行は何やら唱えて印を組んだ後、探すように辺りを見回す。

「それより。弟、尾花丸の方はどこへ行った。それに何故お前がここにいる、院と行動を共にしているのではなかったか。(ふみ)にはそうあった」

 

 貞明が、陽成院が童子丸と尾花丸の仇討ちに協力し、仇たる忠行を(おび)き出す。そのため忠行が関わる住吉の(やしろ)を襲った後、その旨を書いた文を賀茂の屋敷によこす――その話は以前にも貞明から聞いていた。

 

 忠行は清明の頭の先から腰の後ろまでを何度も見返す。

「それに……その(なり)は」

 

 清明は舌打ちし、稲穂色の髪をかきむしる。尾を打ち振った後。

 忠行の頬を、一つ張った。平手で。

 

 床に倒れる忠行の前に、どっかと足を放り出して座る。

(ささ)じゃ、()うてこい。手前(てめ)ェの銭で」

 狐の方の耳を震わす。

「お互い話も(なご)うなろう、素面(しらふ)で聞けるか。とっとと()うてこい、手前(てめ)ェの(おご)りじゃ。仇の何のはそれで手打ち……その後どうするかは、話の後で決めりゃあ良かろ」

 

 倒れたまま目を瞬かす忠行に、かか、と空海は笑ってみせた。

「んむ。風邪ひいた身には酒も良薬、仏門の者とて塩をつまみに一杯の酒を許そうわい。仇も仇持ちも、気持ちが風邪引く前に良薬口にするが吉やの」

 どっかと座り、犬を追うように忠行を手で追い払う。

「ほれ、ぐずぐず(よもよも)するな、きびきび(しゃんしゃん)動いて()うてこい。オレの分も忘れるなよ。つまみものう」

 

 忠行は、長い間目を瞬かせていたが。やがて身を起こさぬまま、無言でうなずいた。

 

 

 

 それから。濁酒(もろみ)()しつ()されつの、情報交換が始まった。仇持ちと仇その人と、何の関係もない空海との。

 

これまでの顚末(てんまつ)を聞いた後、清明の手拍子で無理に杯を()し。忠行は赤味を帯びた目をそらし、つぶやくように言った。

「……苦労、したの」

 

 は、と笑って清明も杯を()す。

「当たり前じゃ、何方様(どなたさま)かのおかげ様での。それもまァ、いったん仕舞いじゃ」

 

 空海が(ささ)をすすって口を開く。

「お前、よう許す気になったのう」

 

 清明は酒を注ぎつつ鼻息を吹く。

「何を言うとる、許しゃせんわい。しゃあけど、責めるんはもうやめた」

 

「そらまた何でや」

 

 干物を噛みちぎり、忠行を(あご)で指す。

「こいつが。自分の役で自分の責で、手前(てめえ)の道でしたことやと、そう言うた。信用できる」

 酒を一息に呑み、かあっ、と息をついて天井を仰いだ。

「何せ。うちのお()んがまずもって、信用ならん奴やったんでの」

 

「そうか」

 杯を置き、胸を張って威儀を正し、弘法大師はこう問うた。

「ときに。お前のお()はんがそもそも、お前のお()はんを化かした顚末(てんまつ)。多分オレが発端や。聞くか」

 

 黙って干物を噛みしめた後、清明はまた一息に杯を()し。空海へ向け、(あご)をしゃくった。

 

 

 

 弘法大師いわく。

 かつて、四国の地にて暴れ回った化け狐がいたという。美女に化けては男を連れ込み、喉笛へとかぶりつき、血を(すす)って生き肝を喰らう。またも化けては分限者(ぶげんしゃ)、長者に取り入って、隙を見て金銀をかっさらう。

 

「それがまぁ、多分お前のお()はんじゃわい。密教でいう荼枳尼天(だきにてん)、神通力を(そな)えた人喰い狐の女神よ」

 

 その暴虐を見かねた弘法大師は女狐を討ちに行った。だが、いくらか()らしたところで狐は逃げ出し、海を越えて去っていった。

 狐の姿を見失ったところで、弘法大師はこう言った。

 ――悪狐め。瀬戸の海に鉄の橋がかかるまでは、二度と四国に戻って来るな――

 それ以来、四国には一匹も狐がいないそうな。

 

 

 

「――てなわけでの、それが十数年前のこっちゃ。おそらく狐は傷を癒すため、お前のお()はんたぶらかして、のほほんと暮らしよった。あるいは何かあったときのため、お前が言うたように換えの体とするため、あるいは生き肝でも喰ろうて力とするためか。お前ら兄弟を産んだ」

 

 空海は、ずい、と顔を寄せる。

「その意味じゃ、お前らがそうなってしもうた原因はオレにあるとも言える。どうや、憎いか」

 

 清明は、じいっ、とその目を見ていたが。

 息をついて、身を放り出すようにあお向けに寝そべった。

「憎いっちゃあ、そら憎いがの。それ言うたら、おっさんが狐追い払わなんだらそもそもわしらァ生まれとらん。憎んでもしゃあないがな」

 

 本堂の天井に目を向け、見るともなく眺める。柱の、(はり)の複雑に組み合わさった天井を。

「だいたい。憎むの憎まんのと、どこまでやったらええんや。忠行がお()ん殺したこと、お()んがお()ん化かしたこと。忠行が陰陽師になった訳、賀茂の家がその血筋なんやったら、祖先が陰陽師始めた訳。たぶらかされたお()ん、お()んに騙されとったわしら。お()んが四国で悪さしたこと、空海のおっさんがお()ん討とうとしたこと。化け狐に生まれついたお()ん、そんな化け狐に産んだお()んのお()ん、お()んのお()んをそう産んだお()んのお()んのお()ん、そのまた先、それに(てて)親の方も――」

 背を、頭を床に預けたままつぶやく。

「どこまで責めりゃええんじゃ。どこまで仇討ちゃええんじゃ。いつまで、恨めばええんじゃ。――切りが無いわい」

 

 空海は重くうなずく。

「因縁ありてこそ生起(しょうき)あり、因なくば果なし――原因があるからこそ結果がある――。そして一切皆空(いっさいかいくう)――この世の全ては『(くう)』、関係性によって一時的に構築された『現象』に過ぎん。実体などない現象に――。ゆえ、仮に仇を殺したとて。真の意味での仇は未だその先にある、そのまた先にある、そのまた先にそのまた先に。因果の全てを手繰(たぐ)ることなど、神仏とても及ぶところではない。――ゆえに、復讐は終わることがない」

 酒をすすって続けた。

そうだから(そやけん)、とっとと放っぽり出した方が利口や。よう気づいたの」

 

 清明は鼻で息をつく。

「別に。そんな小難しいこと考えたわけやない」

 

 空海に連れ回されていたとき。この世も自分も何もかも忘れ果ててしまって、弟を護ることだけ思い出したあのとき。全てのことを、いったん放り出してしまったあのとき。

 その程度のことなのだと、(わか)った。仇討ちも自分の悩みも、母のことも、いったん放り出してしまえるほど軽いことなのだと。いつまでも持っておくことでもないのだと。

 その中で。弟を護るその一事だけは、一番に手につかみ直したことだった。

 

 がば、と身を起こし、忠行を見る。

「そんなことより。(じじ)ぃ、なんでここへ来た」

 姿勢を崩さず座したままの忠行を、頭の先から足下まで見る。

「わしを探してきたわけやない、空海のおっさんを訪ねてきた言うたな。んで、どうも貞じいの(ふみ)から、あいつらが何しようとしとるかも知っとる」

 

 痛む足を引きずりつつ、忠行の方へにじり寄る。

「教えろ、お前がわざわざ来たからにゃあ。何ぞ手があんのやろ、貞じいらを、尾花(ハナ)を止める手立てが。――だいたい、手ぶらで来たわけやァあるまい」

 

 身を固くし、脂汗を浮かべる忠行の後ろ。

床に横たえられた三つの細長い包みを、清明は見ていた。

 

 

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