狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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四十話  白鳥(しろとり)の社(やしろ)に座す者は

 

 数日の後。

 歩き回れる程度にはなった足で――さすがに獣の子、(あやかし)の子ゆえか、並の者よりは治りが早い。母に感謝した方がいいのだろうか――清明はその(やしろ)に参っていた。けして大社(おおやしろ)ではないそこへ、空海、忠行と雁首揃え、(こうべ)を垂れて拍手(かしわで)を打つ。傍らには、忠行が携えてきた三つの細長い包みがあった。

 

 そのまま無言で社の先へと歩いた。足元はすでに土より、砂の感触の方が強い。曲がりくねる松林の間を抜ける風には潮の香りがした。揺れ落ちる松葉に混じって、水の気を(たた)えたモノ、木の気を帯びたモノがいくらも流され、あるいは渦を巻きあるいは宙の彼方へと飛んでゆく。

 住吉の社、あの辺りの松原に似ていると清明は思った。つい(せん)だって、一月も経たぬ前に草薙剣を奪ったあの社と。

 

 共に駆けた貞明を、共に騒いだ純友を、何より、共にいた弟を想う。その想いを振り払うことなく、(いだ)いたまま歩いた。刺すような痛みも、沁みるような暖かみも、共に(いだ)いて清明は歩いた。

 今、この先へ取りにゆくのは、あの時にも似て草薙剣の力。住吉に秘されし本物、熱田に送られた偽物、宮中に置かれた形代(かたしろ)、それらのいずれでもない――もう一つの草薙剣の力。

 

 波音が穏やかに響く、海を背にした松の大枝に。白い鳥がとまっていた。目を凝らせば妙な鳥だった。身を覆うように翼を畳み、(くちばし)の長い(こうべ)を垂れた鳥は、大きかった。人ほどに大きかった。

 

 鳥のとまる松の手前で、空海は深く頭を下げた。

「これはこれは、宮様にあらせられてはいかにもご健勝(けんしょう)のご様子にて、幸甚(こうじん)幸甚(こうじん)

 

 (くちばし)も動かさず、鳥の中から声が降った。

「おう、これは御坊。苦しゅうない、そなたも健やかなる様子にて何より。いつぞやは我が息子が世話になったな」

 

 空海が再び頭を下げる。

「はい、かつて皇子(みこ)様の御子(おこ)武殻王(たけかいこおう)様を弔う寺を、御子様を奉る塚の場所に移し改めてお奉りさせていただき申した」

 

「左様、あれは延暦(えんりゃく)十三年、(かぞ)うるに百四十二年も前のことか。さても昨日一昨日の如く覚えるが、いやはや時が経つのは早いものよ。――して、今日は何用で参った」

 

 目を伏せたまま空海は言う。

「は。――宮様の、御命頂戴(ちょうだい)しに」

 

 ハ、と笑うように息をつき、白鳥(しろとり)が身を揺すった。その動きの合間に見えた、折り畳んだ翼と(くちばし)との間、人の顔らしきものが。どうやら鳥そのものではなく、羽毛を使った(みの)と鳥を模した頭巾のようなものを身につけた者がそこにいるらしかった。

 (くちばし)を動かさぬ鳥の、頭と胴の合間から声が降る。

耄碌(もうろく)したか糞坊主。よりによってそなたと同じ死人に、何より(ちん)に! 御命頂戴(ちょうだい)とは(たわ)けた言向(ことむ)け、愉快とすら覚えるわ!」

 

「冗談やァない」

 清明は口を開いた。

(おそ)れながら宮様。その御魂(みたま)、丸ごとお借り受けいたしとう存じます。何せ、今。ど(えら)いことしでかそうとしてくれよるのは、あんた様の遠い遠い子孫や。あんた様の御佩刀(みはかし)使(つこ)うての」

 清明は頭を下げた。一応の礼法としてだった、だが目は相手を見据えたままだった。口振りからして大人しい相手ではない、油断していい瞬間は無い。空海から聞いていたとおりに。

「申し遅れました、これなるは空海が弟子、清明。今一人は長く宮中に仕えし陰陽師、賀茂忠行」

 

 勝手に名を挙げられたことに怒ったか。空海より早くから頭を下げ、未だ腰より下へ低頭させたままの忠行が身を震わせた。

 

 無論一々構っていては、弟らを止められない。清明は顔を上げた。

「御命頂戴(ちょうだい)倭建命(やまとたけのみこと)様」

 

 その言葉が終わらぬ間に、白鳥(しろとり)は跳びかかってきていた。

「破ぁぁっっ!」

 

 翼を模した衣をはためかせ、枝を蹴って落下する男の拳が突き抜くように砂地を打つ。重い音が響くと共に、衝撃に辺りの砂が、沸き起こるかのように浮き上がった。

 

 清明、空海、忠行とも大きく身を引き、拳をかわしてはいたが。辺りに砂が巻き上げられ、霧のように視界が塞がれていた。

 目をしばたかせながら清明が、ゆっくりと後ずさったそのとき。

 

(ごぉう)っっ!」

 暴風のような男の拳が、砂の向こうから横殴りに振るわれ。稲穂色の前髪が数本かっさらわれた。

 

「ぉおっ!?」

 慌てて跳びすさる。引きちぎられた前髪の根元が痛み、額を押さえる。もしも髪の代わりが清明の頭だったらと思うと、ぞっとしない話だった。

 

 砂がゆっくりと地面へ降り、視界が晴れゆく中で男が歩む。羽衣の下、肩の所で敗れた袖無しの衣からはたくましい腕が伸びていた。といって人並外れて太いわけではない。その代わりに、ぎちり、と筋肉の詰まった、まるで人の形をした(いわお)

 

(ちん)に対する重ね重ねの無礼。今額を地にこすりつけて詫びるならば、広大無辺の寛大さを以て許そう」

 鳥の頭を模した頭巾に隠れ、顔は分からないが。歯を剥いて笑ったのは見えた。酷く白く、頑丈そうな歯。腰には金銀の装飾を施した直剣が提げられていた。

「ただし。その頭を(ちん)が足にて踏み締め踏み砕き、その首もぎ(ねぎ)取った後でなあ!」

 

 はためく音を立て、羽衣を広げて両腕を伸ばす。今にもつかみかかろうとするかのように、あるいは体を大きく見せる、獣の威嚇(いかく)のように。

「思い違うな! (うぬ)下賤(げせん)の者どもが(ちん)の命を取ろうなどと千年早いわ! (ちん)日本童男(やまとおぐな)、日の本の名背負いし天下第一の英雄ぞ! そう、唯一にしていと貴き(ちん)が名は日本武尊(やまとたけるのみこと)――日本武(やまとたける)天皇なるぞ!」

 

 忠行が眉をひそめる。

「『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』『阿波国風土記(あわのくにふどき)』などにおいては天皇と記述された例もあるが……不遜な」

 

 空海が苦く笑う。

「『(たける)』は武勇を示すと同時に、『吼える(たける)』を語源とする『まつろわぬ者』への卑称。それを自ら名乗るとは、いやはやまったく傲岸不遜。英雄たりながら、なるほど(うと)まれるわけや」

 

「なァに。大人しいよりかそっちのが、心おきなくやれてええわ」

 清明は唇をなめた。狐の耳を一つ震わす。

「どうせわしらが相手にすんのも、陽成院――元天皇にして、この国を壊し尽くそうっちゅう『まつろわぬ者』や。今ここで、こいつ倒せんでどないする」

 

 日本武(やまとたける)は歯を見せて笑い、拳を握り鳴らす。

「さあて、いざ(たち)合わせむ……と言いたいが、(うぬ)ら如きに剣は要らぬ」

 帯びていた剣を鞘ごと抜き出し、後ろへと放った。岩のような拳を打ち鳴らす。

(うぬ)ら。この日本武(やまとたける)天皇が、素手(むなで)にてすぐに打ち殺してくれる(ただに取ろうぞ)

 そうして身構えることもなく、砂を踏む音を立て、獣のように歩み来る。

 

 

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