狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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四十一話  日本(やまと)にて最強の英雄

 

 羽衣をまとった猛獣のようなその男が、駆けることもなく重い足音と共に歩み来る。

 ただのそれだけで肩へ頭へとのしかかる、押し退け平伏(ひれふ)させようとするかのような圧を感じた。

 

 昔話としてのうっすらとした記憶には、清明もこの男のことを知ってはいたが。昨日のうちに忠行から改めて聞かされていた。

 

 

 ――倭建命(やまとたけのみこと)、または日本武尊(やまとたけるのみこと)。幼名を小碓命(おうすのみこと)、あるいは日本童男(やまとおぐな)。第十二代天皇たる大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)こと景行(けいこう)天皇の皇子の一人。また、十四代仲哀(ちゅうあい)天皇の父でもある。

 『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』『阿波国風土記(あわのくにふどき)』などにおいては天皇と記述された例もあるが、彼自身が皇位に就いたという記録はない。

 

 『日本書紀』には「幼にして雄略の気あり、壮するに及んで容貌魁偉(かいい)身長一丈(みのたけひとつえ)、力()(かなえ)をあぐ」(幼くして雄大な才略を具え、年の盛りになると姿形が際立って優れた。身長は並の者に倍するような高さで、力は強く大釜を担ぎ上げられるほどであった)、とある。

 

 若くして父たる景行天皇の命を受け、まつろわぬ者――大和(やまと)王朝に服属しない者ら――を討つための戦いに短い生涯の多くを費やした。

 『日本書紀』によれば齢十六、九州にてまつろわぬ民・熊襲(くまそ)を率いる川上梟師(かわかみのたける)を討ち。吉備(きび)難波(なにわ)にて悪神を倒す。

 また『古事記』によれば出雲国(いづものくに)の長、出雲建(いづもたける)をも計略を用いて討ち取っている。

 

 程なくして東国の征伐を命じられ、このとき伊勢神宮にておばである倭比売命(やまとひめのみこと)より草那芸釼(くさなぎのたち)を授けられる。

 その後『古事記』によれば相模国(さがみのくに)で現地の者に悪神退治を頼まれた――あるいは『日本書紀』によれば駿河国(するがのくに)にて狩りを勧められた――のだが。野に向かった際に騙し討ちを受け、現地の者の手で辺りに火をかけられてしまった。

 

 このとき、倭建命(やまとたけのみこと)草那芸釼(くさなぎのたち)を抜いて辺りの草を薙ぎ斬り――『日本書紀』に記された一説によれば剣がひとりでに抜け出して草を薙ぎ払い――、火打ち石で火をつけた。

 向かい来る火勢の手前に位置する草地をあらかじめ焼き払っておくことで、それ以上火が押し寄せるのを防ぐことに成功。生還し、騙し討ちを企てた者らを斬り捨てた――この草を斬り払ったこと、あるいはその後で敵を斬り捨てたことが、草薙剣が剣として使用された唯一の記録である――。

 

 その後も東征を続け、やがて帰途に就くも、途中で近江の伊服岐能山(いふきのやま)に住まう悪神に対し「徒手(むなで)にて(ただ)に取りてむ」(素手にてすぐに討ち取ってくれよう)と言い、草薙剣を尾張の美夜受比売(みやずひめ)に預けたまま挑戦。

 しかし、白猪とも大蛇ともいわれる神に氷雨を降らされ、大いに体を弱らされ進退窮まる事態となってしまった。

 その後、体調を崩したまま再び帰途に就くも、能煩野(のぼの)の地にて亡くなる。『日本書紀』にいわく享年三十歳。

彼の魂は大きな白い鳥と化して飛び立ち、(やまと)琴弾原(ことひきのはら)河内(かわち)旧市邑(ふるいちのむら)に降り立ったと伝えられる。

 

 そして。記紀には記されていないが白鳥はさらに飛び、讃岐国(さぬきのくに)大内郡へと降り立ったともいう。

 白鳥(しろとり)神社の由緒を記す『鶴内八幡宮縁起』には彼が化した白鳥について「讃州大内郡白鳥の海辺の茅原(かやはら)の中に留まり給う。これによって里人、神陵を()の茅原の中に建てて祭り給う」とある。

 また、『白鳥(しろとり)神社記』には〈仁徳天皇の七十八年、頭から尾までが一丈――約三メートル――ほどもある白鳥が飛び来たった〉〈羽根は光り輝き、足の爪は剣の刃の如く鋭く、里人は恐怖に震えた〉〈この旨を朝廷へと奏上すると、日本武尊(やまとたけるのみこと)の神霊に相違ないから神廟(しんびょう)を建てて奉るべしと(みことのり)があった〉との内容が記されている。

 さらに時代は下るが、本居宣長(もとおりのりなが)の『古事記伝』には「日本武尊白鶴と化して讃岐国に至り、白鳥(しろとり)明神となるといえり。今も讃岐国白鳥村に白鳥大明神あり、いといと大なる森なり。この社に大なる白鳥の、昔より今に住めり。長さ七尺――約二メートル十センチ――ばかり、頭の大きさは人の頭の如くなり」とある。――

 

 

 足元の砂地へ、清明は唾を吐く。

「なぁにが天下の英雄よ。要は相手舐めくさって、自分で神器手放してぶちのめされた糞阿呆やないか」

 

 その言葉を言い終わるかどうかのとき。日本武(やまとたける)が地を揺らして踏み込む。舞い上がる砂を後に残し、飛ぶような速さで迫り。

 清明が後ずさる間さえなく。鼻と鼻がぶつかるような距離で、白い歯を剥いていた。

 

「愉快なことを申す(わっぱ)よ。どれ、(ちん)が手ずから(ねぎら)ってやろうほどに」

 微笑む日本武(やまとたける)はすでに、清明の両肩をつかんでいた。

 歯を食いしばることすらなく無造作に引く両の手に。清明の肩の肉が、関節が、つかまれた骨自体が。みりみりと音を立てて(きし)んでいた。

 

「なっ、あっ、があぁあ!?」

 

皇子(みこ)よ、御免」

 いつの間に手にしていたのか、忠行は直剣を腰だめに構えていた。そのまま(たける)の背後から突きかかる。

 

 が。羽衣を(ひるがえ)して身をかわされ、切先は空を切り。あわや、清明の腹を突き刺そうかという寸前で止まった。

 

「どあァああっ!? 何してくれとんじゃ爺ぃ!」

 

 腹をさすって後ずさる清明には目もくれず、忠行は(たける)へ切先を向けた。

「畏れながら。御戯(おたわむ)れなさいますな、皇子(みこ)よ。(ねぎら)うと仰せになりつつ、兄君になされたように腕をもぎ取るおつもりか」

 

 羽衣を(ひるがえ)し、ハ、と(たける)が息をつく。

(たわむ)れなどない、言葉のままよ。父には我が兄を『ねぎ教え(さと)せ』――(ねぎら)うように丁寧に(さと)せ――と言われたゆえ。兄の四肢をば丁寧に引き裂き、もぎ(ねぎ)捨てたまで」

 

 忠行の表情は変わらなかった。鋼で形作ったかのように硬かった。

「……(わたくし)めも(たわむ)れは不得手ゆえ、直截に申し上げます。真に(おそ)れながら、(しい)し奉る。……かの君、陽成院をもいずれそうする如くに」

 

「ほほう、(ちん)を殺すとな。その意気や良し、少しは面白く――」

 

 変わらず笑う日本武(やまとたける)へ、突きつけるように。忠行は直剣を構え直す。

 その刀身からもやが上がるかのように、光を帯びた微細なものが立ち昇る。黒く水の気を帯びたモノ、白く金の気を帯びたモノが。

 それらが忠行の傍らでそれぞれ寄り集まり、白い虎と、蛇の尾を(そな)えた大亀の姿を形作る。

 

「南斗北斗・三台玉女。右に白虎(びゃっこ)、不祥を避く。後ろに玄武(げんぶ)、万鬼を避く――式神【模造白虎(びゃっこ)】【模造玄武(げんぶ)】。五行の(モノ)吹き上げるこの剣あらば、非才なる(わたくし)めにも不足はなし」

 

「む……?」

 剣から未だ立ち昇るモノどもへ目を向け、(たける)が不審げに眉根を寄せる。

 

 そこで初めて忠行が笑った。ほんのわずか唇の端を緩めて。

「貴方様の御目に適うなら喜ばしきこと。この剣が名は『模造草薙剣』。とある(やしろ)にて奉られていた、草薙剣を模したるもの。――この刃に貴方様の、史上唯一本物の草薙剣を振るった御方の魂を頂戴し。『もう一つの草薙剣』と成す」

 

 再び表情をこわばらせ、柄を握りなおす忠行のそばで。玄武が尾をしならせ、白虎が唸りを上げる。

 

 

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