狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
――『模造草薙剣』。
誰も見た者のいない剣の模造品、模倣しようのない物を模した物、などというあまりに無理のある存在ながら。そう呼ばれるべき品は、我々の知る歴史において複数存在する。
まず、宮中において奉られている草薙剣。これは熱田において奉られているとされる草薙剣の
時代は下るが元暦二年、西暦にして1185年。源平の争乱における壇ノ浦の戦いにおいて、安徳天皇と共に海中へ没したのもこの
そして文治六年、西暦にして1190年。失われた
さらにその後
またさらに時代は下り、南北朝の争乱の折。嘉吉三年、西暦にして1443年。
その後南朝方の皇族が隠れ住んだと伝えられる地には、驚くべきことに現代においても神器が伝承され奉られているという。奈良県所在の
そして今、賀茂忠行が手にしているこの『模造草薙剣』。この剣については、貞明らが所持している『神世草薙剣』に縁深い物であった。
住吉大社が『神世草薙剣』を所蔵していたとの記録があることはすでに述べた。『模造草薙剣』は住吉大社の分派ともいえる神社において奉られ、その神社の別当寺――神社の境内もしくは周辺に建てられた、神社所属の寺院――が管理していた。そう解し得る記録が在る。
住吉大社の
社伝によれば〈僧・
また、同社の別当寺である
そしてこれまでに述べたように、住吉大社において草薙剣が奉られ、熱田神宮へは偽物が送られていたとすれば。
陰陽道に関わりある儀式を執り行なう住吉大社は、その縁で賀茂忠行と繋がりがあった。そのため、かつて草薙剣の守護のため忠行は式神を貸し与え、今は草薙剣奪還のため、住吉大社に連なる
少なくとも清明が賀茂忠行から聞いた剣のあらましについては、現代における知識を加えて説明すればそうした内容であった。――
「ハッ! そのような
忠行の手にした剣は柄頭や鞘を金銀と
言われるまでもなく、清明が目にした『神世草薙剣』の無骨な姿とは似ても似つかない。実物を見て模したものではなく、皇家にふさわしい神聖な剣としてあつらえたものに過ぎないらしかった、
そして、その刀身から現出される
現に、忠行が二体の式神を形作った時点で剣から流れ出るモノが明らかに減っており、四聖獣のもう二体を形作れそうにはなかった。
忠行は
「左に青龍、万兵を避く。前に
ぱたり、ぱたりと紙が開き、折り畳まれていた
知らず、清明の背筋が震え、びりびりと痛みさえ伴って鳥肌が広がる。震えは腰骨から先へと走り、尻尾が逆立ち、総毛立つ。
かつて母を殺したその式神のことは、正直なところ目にしたくはなかった。
「ハ! 神器がまがいものなら聖獣とやらもまがいものか! この分ではそれらの力もまがいものであろう、老人!」
「不揃いにて不細工なものどもをお目にかけ恐縮。この賀茂忠行浅学非才にして生来の無骨者にて、不調法御免あれ。されど」
筋金の入ったように伸びた背筋を前に倒し、食い入るように
「このものどもの
忠行の声と共に、四体の式神が唸りを上げて飛びかかる。
「これは愉快! いざ、死にも生きも限らず、