狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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四十七話  剣神へ封ず

 

 頭から股まで、二つに裂かれた日本武(やまとたける)

「が……あ、ぁっ、ぁぁぁ……」

その姿が輪郭を失い始め、音も無く崩れ出し。端から、光の飛沫(しぶき)へと――色とりどりの(モノ)へと――変わってゆく。

 

 忠行が、がば、と砂地から立ち上がる。砂の上に転がる烏帽子(えぼし)も放ったまま、唾の飛ぶほど声を上げる。

「今ぞ清明! 剣を掲げよ!」

 

 一方、自身は片手の人差指と中指を、突き刺すように、ぴん、と伸ばし。形作った刀印を(たける)へと向け、宙を斬るように振るってゆく。

「朱雀・玄武、白虎・勾陳(こうちん)!」

 上から下へ指が流れるたび、光がその軌跡を宙に残し。四つの縦線が描かれた。

 刀印はさらに振るわれる。今度は横に五度、格子を描くように先の縦線と交差させて。

「帝久・文王、三台・玉女、青龍!」

 

 忠行が九字を切り終えたところで、模造草薙剣を捧げ持つ清明が声を上げた。

四縦五横禹為除道(しじゅうごおうういじょどう)寒言神尊利根陀見(かんごんしんそんりこんだけん)! 四縦五横(しじゅうごおう)の九字の呪法(ずほう)八卦(はっけ)祓詞(はらえことば)にて、(あめ)の下四方(よも)に罪という罪は(はら)(とが)という(とが)(ただ)し、以て(なんじ)剣神(つるぎがみ)(ほう)ずる! 急ぎ意に沿え律令の如く!」

 

 忠行の描いた九字の軌跡が縦横に拡がり、散りかけた(たける)を網のように檻のように捕らえる。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)は清明の持つ剣の刀身へと、吸い込まれて消えていった。

 

 清明も忠行も、固まったようにそのままでいて。

 

「……やっ、たな」

「……の、ようだ」

 

 崩れるように砂の上へ尻をつけ、二人揃ってへたり込んだ。

 投げ出すように両手を地につけ、長く息をついているうちに。

 かっか、と笑って空海が歩み来る。

「おう、ようやったようやった。さすがはオレの弟子どもや」

 

「……言うほど、なんか教えてくれたか」

 

 死んだような顔で悪態をつく清明に、空海はなおも笑ってみせた。

「大して教えた覚えはないがの。学びはしたやろ、勝手にの。それより本当(ほんま)、ようやったもんや」

 

 清明の手にした剣を取り上げ、打ち返し眺める。

「かつて本物の草薙剣を振るった日本武(やまとたける)の神霊、白鳥明神(しろとりみょうじん)を模造草薙剣に封じた……これでまぁ、神世草薙剣(かみよくさなぎのつるぎ)にもいくらか対抗できるやろ。そや、いつまでも『模造』やぁ通りが悪いの……白鳥(しろとり)、いや『白羽草薙剣(しらはくさなぎのつるぎ)』っちゅうのはどうや」

 言って、手の甲で刀身をはたく。

 

「おいやめぇ、中身(あいつ)がこぼれ出てきたらどないするんや!」

 清明は頬を引きつらせ、剣を奪い取る。

 

「水や砂でもあるまいし、そんなんでぽろっと出てくるかい」

 

 苦笑する空海には取り合わず、清明は剣を掲げるように持ち直す。

 ようやくこれで、草薙剣に対抗し得る手段が得られた。尾花丸と貞明らを、止めるための手段が。

 そう思うと手にした剣が重く、頼もしかった。

 

 忠行は鞘と唐錦の袋を拾う。清明から剣を受け取り、刀身を裾で拭った後鞘に納め、袋へと仕舞う。烏帽子(えぼし)を拾い上げてかぶった後、剣を捧げ持って姿勢を正した。(うやうや)しく、剣へと頭を下げる。

 

 清明は息をついた。

「天下の大陰陽師様が、烏帽子(えぼし)もかぶらんと大わらわか」

 忠行の目がにらんでくるが、清明は腰より低く頭を下げた。

「お陰で助けられた。大き有難う……その、お師匠」

 最後のところはつぶやくような小声でしか言えなかった。

 

 忠行は視線をそらす。

「……(つむり)どころか、尻でも魔羅(まら)でも(さら)して命が拾えるなら安いものよ。院を御止めするため、使わねばならぬ命をな」

 

 清明は顔を上げた。

「……さっきも言うとったな。貞じいを、陽成院を命に変えても止める、殺してでも止める。そうする責がある、と」

 忠行の目の奥を見る。

「無論わしは弟を止める、貞じいも止める。命を懸けても。けど、あんたがそうする理由を聞いとらなんだ。なんで、そこまでする。貞じいとあんたに何があった」

 

 忠行は目をそらせたまま、無言でいたが。やがて長く、息をついた。

「……聞かさねば、なるまいな。我が生涯無二の悔いと、恥を」

 

 

 

 ――一方、その頃。

 狩衣(かりぎぬ)の裾と野袴(のばかま)の尻を地べたにつけ、安倍晴明は――尾花丸は――砂浜に座っていた。右耳を欠いた狐頭の上には折れ烏帽子(えぼし)がちょこんと載っている。袴の後ろに開けた穴から突き出た尻尾が、退屈げに砂を擦る。

 余人の目にその姿は映らない。晴明の狐顔も、稲穂色の毛に覆われた肌も、身につけた衣も。ただ、砂が風か何かに払われているとだけ見えるだろう。

 

 その横で床几(しょうぎ)――組み合わせた木材に布を張った折り畳み椅子――に腰かけて貞明(さだあきら)がいた。

 それまでのような折れ烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)野袴(のばかま)といった野の出で立ちではなく、丸みを帯びた烏帽子(えぼし)に白絹の直衣(のうし)を身につけている。簡素ながら、質素ではない装束だった。長い白髪は変わらず、女官のように垂らして背の半ばでくくっている。

 

 二人、並んで海を見ている。辺りの浜では太刀や弓を提げ、身を(よろ)った男たちが舟を出し、純友が大声で指揮している。

 志度浦(しどのうら)の龍――かつて純友の先祖たる海女(あま)がそれらから宝玉を奪い返すため海深く潜り、奪取に成功するも命を落とした――を討ち、その力を神世草薙剣に封じた後。

 次に貞明が求めたのは、かつて日本武尊(やまとたけるのみこと)が討った悪魚。その霊魂だった。

 

 

 ――讃岐国(さぬきのくに)の言い伝えにいわく。

かつて日本武尊(やまとたけるのみこと)が九州の熊襲(くまそ)を平定し、大和へと船での帰途についていたとき。讃岐国(さぬきのくに)推戸(つちと)で波が立ち、海が荒れ出した。

 近くに見えた島へ避難しようとしたが、それは島ではなく巨大な魚の怪物であった。

 向かってきた怪魚からどうにか逃げおおせ、近くの浜に上がった(たける)たちは、何日かかけて船を修理した。

 好天の日を選んで再度船出したものの、急に天候が悪化し、再び怪魚が姿を見せる。(たける)の乗った船は逃げる間もなく怪魚に呑み込まれてしまった。

 (たける)は兵を指揮し、怪魚を体内から何度も斬っては突く。ついには背を斬り裂いて怪魚を殺し、脱出した。

 だが怪魚の毒気にあてられ、兵は魚の体内で昏倒。(たける)自身も立っているのがやっとという有様であった。

 

 その後、福江の地へ流れつき、住民の助けを得て怪魚の中から兵を助け出す。

 倒れかけた(たける)だったが、童子から差し出された湧き水を飲むとたちまちに毒気から立ち直った。兵たちにも湧き水を与えると、蘇ったように回復していった。この水は八十場(やそば)、あるいは弥蘇場(やそば)という地から湧いた清水であった。

 その後、(たける)は悪魚退治の手柄を自分の息子の一人、武殻(たけかいこ)王のものとして報告。その後、武殻(たけかいこ)王は讃岐の地に留まってこれを治め、讃留霊(さるれ)王とも呼ばれた。

 怪魚の骸は飯山の麓に埋められたが、その後祟りをなして疫病をもたらし、これを封じるために(うお)御堂(みどう)と呼ばれる堂院が建てられたという。――

 

 

 そして数日前。龍のときと同じく、草薙剣の力を与えて実体化させた上で討つことでその力を剣に取り込むべく、魚の御堂の地下へと剣の力を放ったのだが。半ば実体化した怪魚は跳ね回って包囲を乗り越え、川へ跳び込んで海へと逃げてしまった。

 今は、純友らが舟を出して怪魚の行方を捜している。

 

 晴明が息をつくと、貞明は何度目かの言葉を繰り返した。

「そう焦るものでもないさ。力を与えたこの剣から、あまり遠くへ離れられるものではないのでね。逆に奴の方でも、さらなる力を得るためこの剣を狙ってくるだろう。ひょっとしたら、かつて奴を倒した日本武尊(やまとたけるのみこと)の血を引くこの私を探しているのかもしれない」

 

 晴明はまた息をつく。犬歯の並ぶ狐の口を開け、長くもつれる舌を動かした。

「……呑気(のんき)なノは結構だガな。おれはそウ気の長イ方じゃナい……約束シた、母様を蘇らセる方法。そっちは大丈夫なんだろウな」

 

「死者をも蘇らせるという十種神宝(とくさのかんだから)。これについては石上(いそのかみ)神宮に納められているというが、(つまび)らかではない。人をやって探らせてはいるが、蔵に納められているものやら、禁足地にでも埋められているものやら。だが、どの道今は神代の昔と違い、この国土自体が(モノ)の力を大きく失っている状態だ。神宝も力を発揮できるわけではない」

 晴明の目をのぞき込んで続ける。

「草薙剣に力を蓄え、この国土に神代の(モノ)どもが満ちる世を再現できたならば。神宝も力を取り戻す、そうすれば発見も容易になるだろう」

 

 晴明は視線をそらさず、逆に貞明の目の奥をのぞく。

「……聞かせテくれ。おれが貞じいに協力すルのは、母様を蘇らセるため。そレにおれの姿や声を、誰にデも分かルよウにすルためだ。……けどあんたは、なぜそウすル? いっタい何の理由があっテ、世に神や(あやかし)を溢レさせよウとすル?」

 

 視線を受け止めた後、貞明は小さく微笑んだ。

「……君と、同じだよ。自分を『孤独でなくするため』そうする」

 

 晴明は首をかしげた。

「どういウことだ? 確かに、人ノ見えナいモノが見えルなんて、理解されナいだろウけど。それデも――」

 

 貞明は首を横に振る。

「もちろん、君の孤独には比べるべくもないがね。……それでも、私を真に理解しようとする者など無かった。君たちに出会うまではね。――いや、あるいは」

 うつむけた貞明の顔は、笑った形のままではあったが。そのまま、固い力がこもっていた。

「あるいは。あの男の選択が違っていれば、そのようなことにはならなかったのかも知れないなあ。――あの男、賀茂忠行の」

 

 そのまま、貞明は息をついた。長く長く息をついた。

 顔を上げ、晴明を見る。

「君にも聞いてもらおう。私と、あの男のことをね」

 

 

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