狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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四十九話  少年陰陽師・賀茂忠行

 

 新天皇の即位より半年ほど後のこと。

 賀茂忠行は狩衣(かりぎぬ)に似た童衣装の袖をまくってたすきをかけ、地を蹴って大内裏の内を駆けずり回っていた。片手には桶を提げ、片手には(ざる)を抱えている。

 このときの忠行はまだ陰陽師ではない。少なくとも、正式な役職としてのそれではない。その弟子の一人であり、下働きとしての従者であり、元服も済ませず未だ烏帽子(えぼし)もかぶらぬ童であった。

 

 先帝の代には宮中での火災、また大風の害が相次ぎ、陰陽師らも多く担ぎ出されたものだった。それら災害や異変の原因が何であるかを占い――神の祟りか仏罰か、はたまた(あや)しの物の()によるものか――、その原因を(はら)う――神の祟りであれば神官、仏罰であれば仏僧の役目であったが。それら以外、あるいは複数の要因によるものとされた場合も時として、陰陽師による祭祀(さいし)(はら)いが行なわれた――。

 

 忠行が駆け回っているのは、師の陰陽師――単に不可思議の術を()く為す者というわけではなく、陰陽寮に属する官人としての陰陽師――らの(めい)を受け、儀式に必要な物を宮中のそこかしこから調達するためであった。

 水だの、霊符を書くのに必要な紙の追加だのはいいとして――複雑な工程を経る紙は貴重な品であったが――。酒だの五穀だの果物だのといった供え物は、我が式神どもが喰らったと(うそぶ)いては密かに懐に収め、鬼が手をつけた不浄のものゆえこちらで始末する、などとのたまっては自分たちで持ち帰り食らうことが師らの日常であった。

 まことに(おおやけ)の者らしい貪欲さであるとは、子供心に忠行も思っていた。

 

 いや、子供心どころにではない。元服を済まさぬ身ながらも、畏れ多くも帝に仕える身――である陰陽師らに仕える身――。いかなるときも、そう思えば忠行の背筋は筋金を入れたように直ちに伸びた。卑しからざる、真に尊い(やんごとなき)御方に仕える身が卑しくあってはならない、そう思っていた。自分も、本来ならば自分の師らも。

 元服後に与えるつもりだと父から聞いた名、忠行をすでに名乗っているのもその表れであった。

 

 とはいえ。とにもかくにも、師らの指示である以上は従わねばならない。

何にせよ、大事の御役目ではあった。新天皇が即位されて以来、日常の天文漏刻(てんもんろうこく)――星を読み暦を定め、水時計により時刻を告げる――の他、陰陽の術を扱う初の事態であった。

 何でも、内裏に家鳴(やな)りがするのだという。地震(ない)も有らぬというのに、大内裏のうち内裏だけが――宮中を構成する敷地のうち、帝の私的空間たる建物群だけが――鳴動するのだと。

 その原因を探り出すための卜占(ぼくせん)が今、紫宸殿(ししんでん)の東の軒廊(こんろう)で行なわれていた――大内裏の中央やや東にある内裏の建物群、その中央南に位置する紫宸殿。様々な公的行事の場となるその建物から、東の宜陽殿(ぎようでん)へと通じる広い渡り廊下。その場所が、神祇官(かみづかさ)あるいは陰陽師(おんみょうじ)らが卜占(ぼくせん)を行なう場所とされていた――。

 

 水は桶にもう汲んだ、次は造酒司(みきのつかさ)に行って酒を分けてもらう。その次は――

 仕事の段取りを思いながら駆け、建物の角を曲がったとき。

 

 建物の陰から駆けてきていた、何者かとぶつかった。

「ぬぁっ!?」

 正面から打ち当たったが、忠行の方は桶の水をいくらかこぼしたのみで踏みとどまった。

 

 一方、相手は尻もちをついて倒れていた。忠行よりも小さな子供、同じく童衣装を着た、烏帽子(えぼし)もかぶらぬ童子。妙なことに、その手には背丈に余る竹箒(たけははき)――竹ぼうき――が抱えられていた。いや、抱えるというよりも、柄を上にした箒にまたがっていたらしかった。

 

 童は顔をしかめて尻をさすっていたが、すぐに立ち上がった。

「怪我はないかね」

 そう言った、箒にまたがったまま、忠行を見上げて。転んだのは自身の方であるのに、こちらを気づかうように。

 

 むしろ、こちらが謝るべきだったのではあろうが。尻も袖も頬も砂に汚れたままでそう言った童が可笑しく、忠行は息をこぼして笑ってしまった。

 

 童は気を悪くした風もなく、忠行を見上げていた。馬上から下々の者を見下ろすような顔をして。

「ないかね、であれば重畳(ちょうじょう)。いや済まなかった、我が愛馬はとんだ暴れ馬でね。これ銀翼号よ、そなたからも謝らぬか」

 

 またがった箒を馬に見立ててか、手で震わせては、ぶるるひひぃん、と(いなな)く声を自分の口から上げる。

 

 どうどう、となだめるように箒の柄をなでる童に、忠行は思わず微笑んでいた。

 抱えていた荷を下ろした後で童の後ろに回り、尻や袖の土を払ってやる。じっとしているように声をかけ、童の袖をまくり上げる。桶を取って水を注ぎ、腕にできていた擦り傷を洗ってやった。

 

 この童はどこの子供なのだろうか。自分のような従者の身分ではあるまい、童衣装も大層良い生地が使われている。いずれか貴族の子弟が何の折にか大内裏の内へ伴われたか、童殿上(わらわでんじょう)――貴族の子が元服より前に昇殿し、雑用などを行なう――に来たところを抜け出して遊んでいたというところか。そういえば顔も見たことはないが、今上の帝もこのぐらいの齢とは聞いている。まさかこの子が――

 

 童は鷹揚(おうよう)に笑ってうなずく。

「感謝を。だが気づかいは無用だ、こうしておけば治る」

 薄っすらと血のにじむ傷口に、唾を吐いてなすり込んだ。血と唾のついた掌を(くく)(ばかま)で雑に拭う。

 

 さすがに帝はないか。そう思い、忠行は息をつく。

 置いていた荷物を抱え直し、先を急ごうとしたところで、童が声をかけてきた。

 

「待つがよい。怪我はないと言うが、後で打ち身の痛みでも出てきてはいかぬ。名を告げていくがいい」

 

 忠行は小さく口を開けたが、背筋を伸ばして向き合った。

「私は陰陽師……が弟子の一人、賀茂忠行」

 

 童が目を円く見開く。見るからに元服も済まさぬ齢で大人のような名を告げたことに驚かれたのかと思ったが。

 

「陰陽師! 陰陽師か! であればそなたも、人の目に見えぬモノが見えるのか?」

 

 肩書きの方に驚かれたことに、忠行は胸をそびやかし。けれどその後、童の視線から目をそらした。

 

 

 ――我々の知る歴史上の、説話にいわく。

 『今昔物語集』において、賀茂忠行は「道につきて古にも恥じず、当時も肩を並ぶ者なし(陰陽道においては過去の名人らにも引けを取らず、当時においても右に出る者のいない達人であった)」と語られている。

 だが。同じく『今昔物語集』において、賀茂忠行は二人の人物に対してこう告げている。

 

 〈自分は陰陽道について並ぶ者のないほどの達者だと思っていたが、それでも子供の頃に鬼を見ることはなかった。この道を研鑽(けんさん)し修行を積んでから、目に見えぬ鬼神をようやく見ることができるようになった〉〈お前のように、こんな幼いうちから鬼神を見ることができるというのなら、お前は将来この道においてすこぶる大成するであろう〉

 そう告げた一人は自らの子、賀茂保憲(やすのり)。もう一人は自らの弟子、安倍晴明。

 

 つまるところ。賀茂忠行は確かに達人であった。そして、天才ではなかった。長年にわたる修行を積んだ結果として並ぶ者なき実力を身につけた、努力の人であった。

 つまるところ。今、少年たる忠行には未だ、見えぬ(モノ)を見るだけの力はなかった。――

 

 

 忠行は童の問いには答えなかった。人の目に見えぬモノが見えるのか、という問い。視線をそらせた先へと足を巡らせ、先へ急いでいる風を装った。

「役目がある故、これで――」

 

 忠行が足を踏み出したとき、童は微笑んだ。

「そなたは、きっと()い陰陽師になるよ」

 

「え?」

 

 思わず足を止めた忠行へ、童はこう続けた。

「好かれている、金気の虎に。さすがだ、そなたもそれを蹴飛ばしなどはしなかった。それ、そなたの足下にじゃれついている奴だよ。猫ほども無い、白い鼠のようなね」

 

 微笑む童の目は、忠行の足下の辺りでしきりに何かを追っていた。忠行には見も触れもできない、何かを。

 

 

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