狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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五話  母の血、獣の血

 それから。帰る家もなく、兄弟は流離(さすら)った。辻から辻、町から町へ。都へ、里へ、山へ。

 

 夜は落ち葉をかき集めた中に身を埋め、あるいは他人の庭先からくすねた(こも)をかぶり、肩を寄せ合い寒さに震え。

 昼は打ち捨てられた(あくた)をあさり、魚の骨を頭を、しなびた菜の端を口に入れた。他人の畑の作物をかじった。虫の類すら捕まえては口にした――塩辛蜻蛉(しおからとんぼ)は塩辛いというより苦い。飛蝗(ばった)(いなご)はいくらか甘い――。

 宙を遊ぶ、人の目には見えぬモノらも口に入れてはみたが。これはどうも、腹には溜まらないらしかった。

 

「こいつら……いくらか役に立ってみィや」

 宙を遊ぶ水泡を、寝そべったまま息で吹き飛ばす童子丸。言った先から腹が鳴った。

 目を向けた先では野の桜が枝を伸ばし、たわわにつけたつぼみをほころばせかけていたが。その眺めも腹の足しにはならなかった。

 

 隣に寝ながら尾花丸が口を開く。

「そウ言うナよ。こいつラのお陰で助かっタんだ、それに童子(ドウジ)ノお陰で」

 

 あれから何度も練習して、このモノらをかなり操れるようにはなっている。尾花丸も同様だった。とはいえ、活用することは難しかった。魚か鳥で間抜けなものを、たまに取れることがある程度だ――大半の人間とは違い、獣の勘は鋭いようだった――。

 

 童子丸は舌打ちする。

「……これのお陰で、死んだけどな」

 

 そうだ、母は殺された。このモノらを使った術で、陰陽師・賀茂忠行に。

 目をつむるまでもなく浮かぶ、紙造りの化け物――あれが陰陽師の使う、式神とかいうやつか――が宙を遊ぶモノを操り、母を討つ様が。

 いや、それよりいっそう目に浮かぶのは。その直前、母が獣に、狐畜生に変じた様。耳に響くのは遠吠えのような断末魔、細く遠く呼ぶような。

 思い出すたびざわめく、全身の肌が。焦げつくように痛む、溢れた火の粉を受けた腕が。逆立つ、全身の毛が。

 

 今もその感覚に突き動かされるまま。童子丸はあお向けのまま身を反らせ、天へと声を上げていた。

「くゥ……ォおおおおォォォ――……」

 深く染み込ませるかのような、風に乗せ高く飛ばすかのような、胸の奥、腹の底から絞る声。

 

「くぅぅ……ぉオオオオオオぉぉぉ――ン……」

 隣で尾花丸も、引かれるように同じ声を上げていた。母と同じ声。獣の、狐の遠吠え。

 

 童子丸は口を閉じ、頭と背を地に預け。天へと伸ばした両手を眺めた。

 この手、いや、この体には。確かに、母の血が流れている。獣の血が、忠行が言うところの妖物の血が。無論、尾花丸も。

 

 見れば、母が討たれた際に火の粉を受けた箇所に赤く(あざ)が浮いていた。火傷の跡ではない、人の手でつかまれたような形の(あざ)。無論童子丸の手でつけたのではない、跡がある方と同じ左手の跡。

 尾花丸の右肩にも跡があった。ただしこちらは(あざ)ではない、稲穂色の毛に覆われた肌に()き傷が並んでいる。獣が爪で裂いたように。

 母の夢を見て目を覚ました後には、決まってそれぞれ、このような跡がついていた。

 

 今朝とてそうだ、童子丸は夢の中で母に抱き締められていた。母は兄弟を(くる)むように抱き、かわるがわるに頬ずりをし。獣の親がそうするように、顔中を舐めさえした。そうして言うのだった、「ああ、本当(ほん)に。ずうっと、こうしてやりたかった」――そうして、兄弟の腕を肩をつかむ。それぞれの身に跡が残った箇所を、痛むほどに。

 

 ふと思う。何なのだろうか、母は。

 忠行が連れてきた女性――どうやらあれが本物の、父の妻――、母は、それに化けて父の下へ来た。そして童子丸と尾花丸とを生んだ。

 なぜ、母はそんなことを。なぜ、自分は――そして弟は、この世にいる。

 

 そこまで考えて、あお向けのまま身震いするようにかぶりを振る。眺めていた手を、ぐ、と握る。強く、爪が食い込むほどに強く。

 そんなことは後だ、なぜ生まれてきたのかなどと。思うべきは、どう殺すか、だ。母の仇を。

 

 頭によぎる、鼻に香る、肌がその(ぬく)みを思い出す。母のことを。

母と尾花丸と共に夕日の下、宙を舞うモノを追いかけ遊んだこと。母の匂い、よく干された衣と、その奥に香る乳のにおい。母の柔らかな手に、沈み込むような胸に抱かれたぬくもり。

 そしてそれは、もうこの世のどこにも無い。あの陰陽師、加茂忠行のせいで。

 必ず、味わわせてやらなければならない。あの男にも、母と同じ苦しみを。いや、それに倍する痛みを、百倍の痛みを。

 

 そう思い、震えるほど拳を握り締めたとき。

 兄弟揃って、腹が鳴る。

 

 童子丸はまたも舌打ちする。まずは何か飯だ、何をどうやって手に入れたものかは分からないが。腹を満たさぬことには仇も何もあったものではない。そもそも自分たちの命が、三日の後にあるかも怪しい。

 

「それもこれもあいつのせいじゃ。あの糞陰陽師め、畜生があの陰陽師め……」

 ぴん、と頭の奥が鳴った。跳ね起きる。

「そうじゃ、陰陽師! 陰陽師で食うたらええんじゃ!」

 

 

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