狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
返事もできぬまま目を瞬かせていた忠行へ、童は問うた。
「そういえば、役目に向かう用があると言ったね。どんな仕事なんだい? そなたのような陰陽師が大勢いるのかな? いったいどんな不可思議の術を――」
身を乗り出してくる童に苦笑しつつも、忠行はまた視線をそらせた。
執り行なわれている
忠行自身も鬼など見えぬが。どうも、師らも同様ではないかと思われる節がある。
師と同僚の示す
もどかしいことに、それを
「ね、そなたもそこで術を使うのかな? ね、ってば。ね」
馬に見立てた箒にまたがったまま、跳びはねながら目を見上げてくる童に。忠行は知らず、苦笑していた。
ともかく、話してやった。内裏に家鳴りが頻繁に起こり、新帝の御代の門出に明らかに不吉である。そのため、原因を探り出す占術が行なわれている。原因が判明し次第、しかるべき
「ああ、あれか。知っているよ」
聞くなり、童はそう言った。
家鳴りがあることを知っていたのか、そう忠行は思った。やはり、それなりの位階を持つ貴族の子弟なのだろう。父親が内裏に上がった際に家鳴りを聞いたか、噂を耳にし、それを童に言ったのだろう。
が、童はこう言った。
「そなたらが占うまでもない。知っているよ、原因なら。何とかしてやってほしい」
「え? 何の、原因――」
「家鳴りの。何とかしてあげてくれ、かわいそうだ」
「かわいそう? とは……何が」
「こっち。おいでよ」
忠行の袖を引き、箒を抱えて童は走り出す。向かおうとしていたそもそもの方向へ。
忠行は抱えた荷を落としそうになりつつ、引かれるままについていった。分からぬままに。
やってきたのは内裏を囲む白壁の外、北東の隅。
人けのないそこで童はしゃがみ込み、壁の角が地面と接する辺りを、じっ、と見た。
「ね。あれだよ」
忠行は身をかがめ、眉を寄せて童の視線の先をのぞく。白壁の角に
「……お前は何を見て、何の話をしているんだ」
放っておいて、役目に戻るべきかとも考えたが。かすり傷とはいえ怪我をさせてしまった手前、そう無下にするには気が引けた。
童は不審げに眉根を寄せたが、得心したようにうなずいた。
「なるほど、答え合わせをしようということか。確かに、私が出まかせを言っていないとも限らないからね。いいだろう、私に見えているモノはね――」
童が語るには。
蛙がいるのだという。それもただの蛙ではない、一抱えもある大蛙だ。その背を緑に彩るのは皮膚自体の色ではなく、体毛のようにびっしりと生えた青草と苔と、所々に枝を伸ばした若木の葉だという。
その蛙にたかるように、周りを無数の蛇が取り巻いているのだという。金属質の光沢がある鱗を
そうして、蛇どもは蛙へと鎌首もたげてかぶりつき。大蛙も黙ってはおらず、転げ回っては巨体で蛇を押し潰し、抵抗しているのだという。
「……それが、内裏の家鳴りの原因だと?」
仮に。仮にだが、童の言ったモノが真実だとすれば。
大蛙の背に生えているという草木からして、これは木の気を帯びた
そして陰陽の
木の気を帯びた
そんな風に思いかけて、忠行は鼻息をついた。
何が理屈に合うだ、そんなものは偶然の一致に違いあるまい。五行の
忠行とてただの従者ではない、陰陽師の弟子だ。雑用に追い回されるばかりではない、書物によって天文暦道を学び、日月星辰に
その忠行にして、鬼や神など見たこともない。それが、こんな童の目に見えるのか? ――在り得ない。
忠行の目から見て、そこに在るのはただの壁でありただの柱、ただの地面だった。在るのはそれだけだ。蛇も蛙も、鬼も無い。
もう一度息をついた後に言ってやった。
「で、仮にそうだとしておこう。その蛙も逃げればいいだろう、なぜそこにいる?」
童は柱の根元、いや、それより下を指差した。
「よく見て、ほら。尾があるよ。それが挟まってる」
童いわく。蛙には尾があるのだという。そこだけおたまじゃくしのままのような、平たい尾が。その端が地の底、柱の下に伸び、基礎に埋め込まれた石と柱に挟まっているのだという。
「そのことでも痛がっているようなんだ、ひどく身をよじっている。ああほら、また!」
童の言葉の直後。
ど、と柱が震えた。それにつれて白壁が揺らぎ、柱との継ぎ目から土をこぼす。だが、忠行の立つ地面は揺らいでなどいなかった。
揺れはすぐに収まった。
童は着物が汚れるのも構わず地べたに這いつくばり、声を上げた。
「だいじょうぶか! すまない、何もしてやれずに――」
そのままの姿勢で顔をうつむける。
「……私のせいかも知れない。私が父からあの品を受け取ったとき、こうしたモノどもが溢れ出たんだ。大蛙もその中にいた。私が触れなければ、きっとこいつは出てきたりしなかった。こんな目にも遭うことはなかった」
童の言葉を、忠行は聞いてなどいなかった。
震えていた。一人だけ
――何だ、今のは。
家鳴りがあったのは童の言葉の直後だった、先でも同時でもない、一瞬だけ後。
家鳴りが起こってからそれに合わせて言ったのではない。揺れが起こることを予見しての言葉だった。
――なぜ、そんなことができた?
答えは一つしかなかった。童の言っていることが真実であり、見ているものが真実であるということ。
つまるところ。忠行にも見えないモノが、この童には見えている、のか。だが、しかし、そんなことが――
未だ震えのやまぬうち。
突如、つんざくような声が背後から上がり、忠行は飛び上がった。童の声ではない、自分と同じ齢ほどの子供の声。
「あああっっ!? いたああぁっ!」
見知らぬ子供は童衣装を
「御出でになりましたああっ!
主上、という言葉は耳から頭の中へと入ったが。その意味が脳髄の内に染み通らず、忠行は目を瞬かせて突っ立っていた。
駆け寄ってきた見知らぬ子供は童の前で足を止め、一度深く
「主上! また好き勝手に抜け出されて、こんな所にいらせられたとは! この
童は――いや主上は、今上の帝は――地べたに未だ手をつけたまま、顔だけを
「そのように言われてもな。私は私でやらねばならぬことが――」
「なされねばならぬこととは、また在りもせぬ獣だか虫だかの御相手ですか! それともこの
帝は口をつぐみ、ふい、と顔を背けた。
「……いるんだ、ここに。ほら、お前たちよせ、しっ、しっ」
何かを追い払うように地面の上で手を振る。先ほどの話に従えば、大蛙にたかる小蛇どもを追い払っているのだろう。
忠行は未だ立ち尽くしたまま、その顔と座り込んだ帝の背を交互に見ていた。