狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
そうするうち、内裏から大股に歩み出た者がこちらへと向かってきた。固く糊付けされた大振りな
角張ったあごをしたその男は帝の背に一礼した。身を起こした後、口を開く。
「御立ちなさいませ」
大声ではないが、よく通る声だった。しゃちこばった、決まり切った規則を読み上げるかのような揺らぎの無い声であった。
「
帝は顔を上げない。
「……私は、
「謹んで申し上げます。左様な空言は果たして、勉学よりも御気にかけねばならぬことで御座いましょうか」
さえぎるようにそう言った後、
「ここはよい、他の者らに伝えて参れ。主上は御無事、これより勉学に戻られると」
去っていった
やがて
「その辺りになさいませ! 謹んで申し上げまするが――」
突如振り返った帝は、それより大きな声を上げていた。
「いかん! 危ない!」
どん、と地が揺れた。先ほどのような柱や壁だけの揺れではない、柱の底、地の奥からの揺れだった。忠行も
そして今度も、間違いなく。帝の言葉は、
未だ続く揺れの中、帝は柱の根元へ何度も手を打ち振っていた。
「待て、お前たち離れろ! お前も落ち着け! どうしよう、どうしよう――」
その顔が不意に、弾かれたように忠行へと向く。
「そうだ! そなたがいた、陰陽師が! 何とかしてくれ!」
「何とかっ、何とかと、言われても――」
四つんばいのように地べたに伏したまま、忠行は震えていた。いや、自身が震えているのか地が震えるせいで体が揺れているのか、その区別はもはやつけられなかった。
もはや何を考える力もなく、言われるままに、師から教わった
「朱雀っ、玄武。白虎、
縦に四度振るった指先には何の手応えもなく、宙を空振っただけだった。
「こうか」
真似るように帝が指を伸ばし、上から下へと振るってゆく。
忠行の目には何も見えたわけではない。だが、帝が指を動かすたびに、風が巻き起こった。忠行の手と同じ、速くもないその動きに。まるでその指の内から、目に見えぬモノが吹き上がってでもいるかのように。
「次は?」
聞かれて、忠行は横に五度指を動かす。先の軌跡と交差させ、格子を描くように。
「帝久、文王。三台、玉女っ、青龍……」
同じ動きをした帝の指からまたも風が上がる。
忠行の目には見えた。九字を切り終えた帝の幼い指から、光が上がるのを。その光の中、無数の微小なモノどもが舞い上がるのを。
金属の羽根を持った小蝿や燃える尾の
「それで?」
促されるまま、忠行の口は習ったとおりの
「
光るモノらが舞い上がり、帝が宙へ描いていた九字の軌跡をなぞるように集った。
光る軌跡はそのままの形で膨れ上がり、壁の高さを越える格子となり。角の柱へと飛びかかった。帝いわく、大蛙の尾が底に挟まっているという柱。
光の格子は歪み、網に絡めたように柱を包み。壁からもぎ取り、宙へと持ち上げて引っこ抜き。音を立てて地面へ倒した。
忠行の目には
すぐにそれらの影は見えなくなった。ようやく気づいたが、
おそるおそる、柱の抜かれた地の底をのぞき込む。そこにはもう何も見えなかった。いや、穴の底に柱の基礎であろう平たい石が見えた。妙に赤茶けた石であった――おそらくは鉄鉱石を含む石、その鉄分が錆びたもの。なるほど
口を開けたままそうしていると、帝の手が忠行の背を叩いた。
「やった! やったな、すごいなそなたは! さすがだ、これが陰陽師の術か!」
何も言えずにいると、帝は何度も背を叩いてくる。
「
未だ目だけ瞬かせていると。帝は真っ直ぐに忠行を見上げた。
「凄いなあ、そなたは。きっと
微笑んで続ける。
「ね。天才だよ、そなたは」
忠行は未だ、目だけを瞬かせていた。