狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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五十二話  教えてはいけない

 

「ね。来ちゃった。来たよー、(ちん)が」

 そんな風に言って、不意に姿を見せるようになった。陰陽寮へ、(よわい)(とう)の今上の帝が。

 

 そのたびに作業の手を止め、師の陰陽師らが平伏する中。ずかずかと上がりこんでくる天皇に手を取られ、忠行は外へ連れ出される羽目になっていた。

 

 陰陽寮を離れて建物の陰に入り、辺りを見回す。人けがないことを確認した後に忠行は言った。

「主上! いい加減になさいませ、御役目というものがございましょう!」

 

 何やら細長い包みの入った袋を提げ、帝は口を尖らせる。

「なんだね、私が来たら邪魔のような言い方じゃあないかね」

 

 そのとおりだ、とは思っている。書類の作成に資料の整理、漏刻(ろうこく)――水の流れ移っていく動きから時を計る装置――や術式に使う道具の管理、師からの教導といった作業と修行が全て滞る。

 

 といって、表立って非難する者はない。仮にも帝の自らなさることではあるし、忠行は忠行で宮中の評判を得ているらしかった。天晴れ、未だ弟子の身ながら内裏の家鳴りの原因を占事にて突き止め、見事(はら)った男子(おのこ)よ、将来には定めて一道の達者であろうよ。いやさ、すでにして一角の者に相違あるまい、と。

 

 事実とは異なる噂だった。耳にするたび、かさぶたを無理に剥がされるような感覚が胸の内にあった。

 とはいえ、帝御本人が触れ回っている話なのだろう――あの場にはもう一人いたが、摂政・藤原基経(もとつね)が噂して回ることとも思えなかった――。

そう、目の前にいる御方が誰彼となく語られているのだろう。事実とは異なる、忠行の業績を。澄んだ目で見上げてくる、この童が。

 

 軋む内心を硬い表情の下に押し込め、忠行は言う。

「そういった意味ではなく……いや、私のことはどうでもよいのです。主上こそこの国のための御役目がございましょうに、このような所で遊んでおられてよろしいのでございますか」

 

 帝は鼻で息をついた。

「御役目などとあれば良いがね。知ってのとおり、(まつりごと)は私の仕事じゃあない……父のときと同じにね」

 

 今上の帝の父である清和上皇が天皇位にあったとき、(まつりごと)の一切を取り仕切っていたのは摂政・藤原良房(よしふさ)。同じく今、幼くして天皇となった今上の帝に代わり、摂政・藤原基経(もとつね)(まつりごと)を行なっている。

 口に出して言うまでもない、周知の事実であった。

 

「ですが。いずれは主上ご自身で(まつりごと)に携わることともなりましょう、そのためにも勉学などに――」

 

 は、と帝は息を吐く。突き放したような顔で。

「そのようなときが、来れば良いがね」

 

 この御方はもう御分かりであるのだろう、と忠行は思った。

 かつて、幼少期に帝となった清和天皇に代わって政治を行なうため藤原良房(よしふさ)が摂政に就いたが、帝が長じても実権を握っていたのは変わらず良房(よしふさ)であった。

 今上の帝が齢を経たところで、同じことが繰り返されるだろう。天皇家と縁戚関係を張り巡らせ、他氏を廃して勢力を伸ばそうとする藤原氏がその手を緩めるとも思えなかった。帝の母たる皇太夫人(こうたいぶにん)高子(たかいこ)からして、藤原基経(もとつね)の妹であった。

 

 不意に。ぱ、と帝は笑ってみせた。小さな花が咲いたように。

「ま、そういうわけでね。私の仕事はとりあえずいいんだ、それより帝に付き合いたまえ。ね、前やったあれ、教えてよ。陰陽師の術をさ」

 

 忠行は小さく息をつき、目を閉じた。

 この小さな帝が、来るたび言うのはそれだった。そのたび、忠行の言う答えも決まっていた。

「駄目です。陰陽の術、卜占(ぼくせん)の技などは我ら小者の生業(なりわい)。帝のなさることとも覚えませぬ」

 

「いいじゃないか、そもそも上古においては鹿角(ろっかく)亀甲(きっこう)を焼き、ひびの形を読み取って先々を(うらな)うことこそが王者の役割だったと聞くぞ。決して我が役と遠いものとは覚えないがね」

 

 真っ直ぐに見上げてくる視線から、忠行は目をそらす。

「……駄目です。そも、私なぞは陰陽師ではなく、修行中の弟子に過ぎません。たとえ教えて差し上げたくとも、教えるほどの何ものをも持ちませぬ。それよりは、我が師らが行なう儀式なぞを御覧になった方がよろしいのでは」

 

 帝は半ば目を閉じ、首を横に振る。

「駄目だね。それこそ摂政が許してはおらぬ、帝の役ではないと……そなたと同じようなことを言ってね」

 

 藤原基経が使いを通じて、陰陽寮へ密かに厳命していた。帝へ陰陽の術を御見せ(たてまつ)ること、御教え奉ることまかりならぬ、と。理由としては先に忠行が言ったことと同じく、帝の役割ではないためとのことであった。

 

「摂政殿がお許しなされぬことを、私如きがいたすこともできませぬ。ご容赦を」

 陰陽寮に命が下っていること自体は内密のものだったが。摂政自身が帝へ言ったことであれば、忠行もそう言っておいて不都合はないだろう。

 

 帝は、じと、と薄目を向ける。

吝嗇(けち)ー。まっ、そのことはもういいや。それより、そなたと遊びたかったんだ。何しろあのモノが見える者など、他に見たこともなかったのでね」

 

 胸を内から叩かれたように、いや、殴られたように。忠行の心の臓が、ど、と鳴る。

 

「ね、一緒に大内裏を見て回らないか? モノがいっぱい溜まっている所もあって面白いよ、場所によってはなかなか変わったモノが――」

 

 胸はなおも強く打ち、その震えは血の巡りと共に身の内を駆け、今や頭で響いていた。帝の無邪気な声など、かき消すほどに響いていた。

 

真言(しんごん)院の辺りでは仏像を真似たような、取り澄ましたモノがいてね。ぺかぺかと金属質に光る、仏の顔の小鳥やら仏像を甲に刻んだような亀やら。そうそう、朱雀門の方に行ってみたらだね――」

 

 膝がわずか、震える。掌から指から汗がにじみ、震える。

 何より、頭の内が震えていた。

 

 帝は変わらず笑って――いや、いっそう笑って――、忠行の目をのぞき込む。悪戯(いたずら)をしかけるような目で。

「ま、お互いに役目のある身だ、あんまり歩き回るわけにもいくまいね。そこで、だ――」

 提げていた袋から細長い包みを取り出す。包みを解いた中から現れたのは、剣。赤漆をかけた鞘に黄金の(つば)柄頭(つかがしら)のついた、小振りながらも華やかなものだった。

 

 帝がその柄を握り、わずかに刀身を引き出す。顔中で笑った。

「ほら、どうだ! 凄いだろうこのモノたち、飛び立っていくこの群れは!」

 

 忠行は呆けたような顔で刀身を見、帝の顔を見、その視線の先、宙を目で探った。

 

「ね、まだまだ出てくるよほら! まるで燃え上がるように――」

 

 見えなかった。

 忠行の目には何も、見えなかった。いや、何かはある、何かは動いている――そんな感覚はある。だがそれも、気のせいだと言われれば何も言い返せないほどの、曖昧(あいまい)なものでしかなかった。

 口を開けたまま忠行は、ただ空を見上げていた。

 

 同じ空を見上げながら、帝は様々な方向へとしきりに目を動かしていた。小さなモノどもの動きを追うように。

「ほら、あれなんかは珍しいんじゃないか、木の葉の羽根の鳥だよ、二羽が枝でつながっている! あっちには――ああそうだ、この剣はね。昼御座(ひるのおまし)の剣と言ってだね、清涼殿に置かれていたものをこっそりと――」

 

 ――昼御座(ひるのおまし)の剣。それは天皇の霊的護身のため、日中に座す清涼殿に置かれた霊剣である。

 我々の知る歴史において後世の源平争乱の折、安徳天皇の入水と共に草薙剣の宮中における形代(かたしろ)が失われた際、その代理として充てられることとなる宝剣であるが。

 そんな事を忠行が知る(よし)もなく、仮に知ったとしてもどうでもよかった。

 

 忠行は、宙のあちこちを指差す童を見ていた。

 これが、帝。

 私の仕える、陰陽の技術(わざすべ)を以て御護り申し上げるべき帝。

 私より、あるいは師らの誰より、陰陽の才に満ち溢れた帝。

 古の記録に従うなら、この国土を産みたもうた神々の血を引く帝。

 私などより、遥かに力ある帝。

 いや、それよりも。私に力が無い、のか。

 

 忠行は開いたままだった口を閉じ、歯を噛み締めた。震えるほどに。手を握り締めた、汗に濡れたままの掌を。

 帝を見下ろし、笑った。

「はい、主上。この陰陽師・賀茂忠行もこれほどの、珍しいモノは目にしたこともございませぬ。確かに確かに、素晴らしいモノども――」

 

 空を見上げた。見えもせぬモノどもを見上げた。両の手は未だ震え、拳を握り続けていた。

 

 

 ――陰陽の術を、この方に教えてはいけない。見せてはならない。命じられるまでもない。

 教えたが最後、見せたが最後。この方は、大陰陽師になる。いや、それ以上の者に。私も師らもまるで問題にならないほどの達者に。我々が御護り申し上げる必要などない術者に。

 術を見せれば遠からぬうちにそうなる。どころか、教えればたちどころにそうなる――今日のうちにさえも。

 私の、あるいは先人らの、今日まで積み上げた修行も先へ向かう志も軽々と越え、そうなる。この御方は。

 まるで、鳥が羽ばたきのただ一打ちで悠々と天を行くように。息を切らして駆ける人間たちを見下ろし、顧みることもないように。――

 

 

 満面に精一杯の笑みを(たた)えたまま。忠行は、音を立てて歯噛みした。

 

 ――教えてやるものか。この身が裂かれようとも、教えてなどやるものか。――

 

 

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