狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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五十三話  凶服(きょうふく)と捧ぐ花

 

 その後。特別の許しを得て、忠行は陰陽寮の弟子として在籍したまま、宮中を離れた。陰陽の術者として、さらなる通力を得るための修行に出たいと申し出たのだった。

 陰陽寮としても特に反対する意見はなかった。師らよりも評判を得た弟子を遠ざけておきたいとの思惑もあったのだろう。

 何より帝の声もあり――初めて耳にされたときは大いに反対なされたが、後にはそれにも増して忠行の申し出を支持なされたと聞く――、何の(とが)めもなく認められた。

 その夜のうちに、逃げるように忠行は宮中を駆け出た。

 

 

 それから三年。忠行は修行を続けた。自らを殺すかのような苦行であり、新たに生まれ出ようとするかのような難行であった。

 

 あるときは脚を縄で縛り、自ら崖へ宙吊りになった。そのままで経を唱え続け、精根尽き果てる前に腹筋の力で身を起こす。縄を手繰り、足元に吊ってある荷を探っては水差しで口を湿し、乾飯(かれいい)を頬張る。そしてまた、宙へと吊られる。

 あるときは草の上に黙して座した。そのまま何もせずにいた。嵐で半ばから折れ、辺りの小木に寄りかかってやっと止まっている大木の幹の下で。風が小木を揺すればすぐに落ちてくるであろう、忠行を過たず潰すであろう大木の下で。

 あるときは霊峰を巡り、道なき藪の中を獣の如く駆けた。高峰で雲のような霞を吸い、切りつけるような冷たさの大滝に打たれた。そこに満ちているはずの(モノ)に目を凝らし、気を凝らした。

 

 

 そうして元慶四年――西暦にして880年――、十二月のある夜。賀茂忠行は帰ってきた。

 その姿を見た師らが後に語ったところによると、何もかもを削ぎ落としたかのような姿だったという。笑みを削ぎ落とし、肉と脂を削ぎ落とし、足音も息づかいさえも削ぎ落としてしまったかのような。

 身にまとっているのは土と(あか)に黒く汚れた衣。それもすり切れほつれ、ぼろ布を引っかけているようにすら見えた。道端の飢民と変わらぬ姿だった。ただ、背筋は筋金を入れたように真っ直ぐに伸びていた。

 何より、目が違った。ものを眺めるのではなく、表面を裂いて奥を見据える、刃物のような眼差しをしている。師はそう感じたという。

 

 

 何やら慌ただしく人々の行き交う大内裏の中、陰陽寮へ挨拶を済ませた忠行は一人、白い息を細く吐きながら歩を進めた。所々に焚かれている篝火(かがりび)でも照らし切れない夜闇のせいか、貴族とは見えぬ姿の忠行を(とが)める者もなかった。

 いや、人々の(せわ)しさのせいだろうか。見れば、身分ありげな人々は誰も、黒か濃い灰色の装束を着ている。凶服(きょうふく)――喪服――。

 葬儀について陰陽寮の者らに直接の用務はなかった様子だが――陰陽道が扱うのは現世の事象のみ。葬送や死後の世についてはその体系に含まれておらず、扱うとしても仏教などからの借り物の世界観に基づくものに過ぎなかった――、それはともかく。

 これほど誰もが喪に服しているとは、よほど身分の高い者が亡くなったのか。だとしたらそれは――

 

「忠行! 忠行ではないか、そなたは!」

 弾けるような声は上から降ってきた。

 

 きょろきょろと首を巡らした後にようやく気づいた。屋根の上に、凶服を着た少年がいる。

 

「やはり忠行だ、帰ってきたのか! なら早く申せ! いや、今帰ったところかな、その格好じゃあ」

 かつて見たときより背も伸び、面差しも大人びているが、声は未だ大人の低さを含んでいない。齢十三になる帝だった。

 

 忠行は口を開けてしばし見上げ、無言で深く腰を折った。

 ――凶服を身につけた人々を見たとき。

 死んだのが帝であればいいと、心から思った。半分は。

 死んだのが帝でなければいいと、心から思った。半分は。

 

 知らず、帝は無邪気に笑う。

「久し振りだ、無事で良かった! さ、積もる話もあるだろう、こちらへ来るがいい」

 

 屋根の上の帝は、よっ、と小さくかけ声を上げて梯子(はしご)を抱え、屋根の端に立てかけて地面へと先を下ろした。どうやら自身はこれを上った後、人に来られないよう屋根へと抱え上げていたらしかった。

 自身の周りには他にも何やら包みが置かれていた。平たいものだの細長いものだのといくつかあったが、何のためのものかは分からなかった。

 

「これは如何(いか)にも畏れ多いこと、ご容赦を」

 

 低みを帯びた――相応の齢を迎えたせいでもあるが。人と話さず(しゅ)経文(きょうもん)ばかり唱えていた喉は、常の声も(きょう)のように低く発するようになっていた――忠行の声に、帝は首を横に振る。

 

「これは(ちん)直々の(めい)……いや、お願いだよ。友達へのね。さ、おいでよ」

 

 小さく礼をして――視線をそらして――後、忠行は梯子を上がった。その後で梯子を回収しようとした帝を制し、忠行が梯子を引き上げる。

 

 腰を下ろした帝は同じく座った忠行を見上げて微笑んだ。かつてほど背丈の差はない。

「久し振り……というのは、もう言ったね。ああ、これが気になるかい」

 凶服の裾をつまむ。小さく息をついた。

「崩御なされた、上皇が。先の帝、私の父が」

 

 忠行は何も言わなかった。

 特に語る言葉もなかった。少年の日の忠行に帝という概念への忠誠はあれど、先帝御自身への思いが強いわけではなかった。

 

 だが。ほのかに、密やかな火のように。忠行の内にある想いが灯っていた。

 ――今なら。この帝と、友達になれるのではないか。大きなものを失われたこの方と。

 ――過去の何もかもを流してしまって、友達になれるのではないか。かつてこの方が望んだように。

 

 忠行は左の掌を上に向け、音を立てて右拳を載せた。口の中で(しゅ)を唱えた後、ゆっくりと両の手を開く。

 掌の上に、花があった。菊花に百合、白梅。今の時節にあるはずのない花が。光を帯びたそれらはゆっくりと伸び、さらに葉を茂らせつぼみを膨らませる。

 片手で刀印を振るとその先の空間に、鉄札(てつざね)の羽根を持つ小虫、白銀(しろがね)の鱗を光らせた蚯蚓(みみず)大の小龍などが現れ、身を霞ませて細い刃へと変じる。それらが宙を舞い、伸びすぎた葉と花を刈り込んだ。

 

「主上」

 それだけ言って、忠行は花束を差し出した。

 

 まるで自らの内にも花が咲いたかのように、帝は笑う。

「父上への献花か。有難う。はは、私たちにしか見えない花か……献じられた当の父上には見えるのかな?」

 

 清和上皇のためのものではなかったが、忠行は何も言わなかった。

 見せたかったのだ、今上の帝に、目の前の童に。もう自分にも、これだけのことができると。

 かつてとは違い、念を込めて(しゅ)を唱えれば(モノ)の姿を見ることができる。気配だけなら、そうするまでもなくあらかたは感じることもできた。そして、術を以て(モノ)どもを使役することもできる。

 

 ――これが三年の修行の成果。かつてとは違う、貴方と肩を並べられるようになった。それがこの賀茂忠行。いや、今なら以前望まれたように、陰陽の術を御教えすることさえ、きっと。――

 

「偶然だね。私も似たようなことを考えていたところさ。父上に捧げようとね」

 帝は立ち上がり、辺りの包みを次々と解いてゆく。中から現れたのは唐錦の袋。大皿でも入っているのか平たいもの、掌に載るような小さいもの。腕や脚の長さほどもある細長いものがいくつか。

 

 いったい何かと考えるうちに、帝が袋の中身を取り出していく。

最初に引き出されたそれには見覚えがあった。赤漆の鞘に、金の(つば)が輝く小振りな直剣。

 昼御座(ひるのおまし)の剣。かつて忠行が出奔する前、燃え上がるように数多(あまた)のモノを現出せしめた、あの剣。

 

 その時の感覚が蘇り、全身の動きを止めた忠行にも構わず。帝は他の袋も開け、さらに二振りの剣を出してゆく。

 ただ、もう一振りの剣らしきもの、大皿のようなもの、掌に載るほどの小さなものの袋は開かなかった。

 

 それらがいったい何なのか、忠行にも見当がついてきた。おそらくは、畏れ多くも――

 

「三種の神器。とはいえ、勾璁(まがたま)の他は形代(かたしろ)に過ぎないがね。そして第四の神器、大刀契(だいとけい)より護身剣、破敵剣。あとこっちは見せたことがあったね、昼御座(ひるのおまし)の剣だ」

 

 脂汗とも冷や汗ともつかないものに濡れたまま、忠行は固まっていたが。

 帝は神器をぽんぽん、とはたき、月の浮かぶ夜空を見上げた。

「父が立派な帝だったかといえば、疑問を呈す向きもあるだろうけれど。帝は帝、父は父。せめて立派に葬送(おく)ってやりたい」

 

 合掌するように、ぽん、と手を叩くと同時。全ての神器と霊剣が、ぶ、と震えた。空気を、屋根を震わせていた。

 

そうされるまでもなく、忠行はひどく震えていた。

 

 見る間に立ち昇る、神器や剣から五色の(モノ)が。帝自身を覆い隠し、忠行の視界をも覆い尽くすほど多く。

 

「まずは喪に服してもらおうか。この世に、天に」

 ざあ、と波の音が上がる。五色の(モノ)の群れから先んじて飛び出したのは、湿り気を帯びた黒の群れ。遠洋の潮の色をしたそれらは寄り集まって波となり、空を駆け。天高くで飛沫となって舞い散り、水滴はそのまま霞へと変じ、黒雲となった。

 光る砂を撒いたような星々に飾られていた空は今や一面、凶服の色に押し込められていた。

 

「ま、この凶服も我々にしか見えてはいないのだろうけどね。幽世(かくりよ)へと移られた父には、見えているといいなあ」

 

 忠行の手は震えながら屋根をつかんでいた。

 ――本当にそうか、本当に我々にしか見えていないのか。これほどの規模、見えている者が都にもいくらかはいるのではないか。

 ――自分なら果たしてこれだけのことができるか、いや、しかしきっとこれは帝御自身ではなく、おそらくは神器による力で――

 

 合掌し、瞑目していた帝が目を開く。

「さ、重苦しいのはこれぐらいにしよう。父も晩年には仏道修行に精を出されたが、元来は華やかなものが御好きだった。もっと綺麗に葬送(おく)ってやりたい」

 

 思いを込めるように神器や霊剣の一つ一つを触った後。空を見上げて、ぽん、と手を叩いた。

 その音で、天が花開いたかのようだった。

 黒雲の全てが散り、飛沫へと戻り。それらは雨粒ではなく、花へと変じていた。桜に紅梅、百合に菊花。牡丹(ぼたん)菖蒲(あやめ)の花弁ばかりか、紅葉(もみじ)の赤い葉まで。時節など関係なく、百花が音もなく、天から都へゆっくりと降り注いでいた。

 

 天を見上げ、あるいは自分の衣に、辺りの屋根に、地に花弁が降り積もってゆくのを見下ろしながら、忠行は口を開けていた。

 ――自分には、できない。

 ――三年の修行を経ても、まるで幾度も死に幾度も生まれ変わるかのような修行を経てさえも、追いつけない。

 ――人が如何(いか)に懸命に駆けたとて。鳥の羽ばたきの一打ちにすら、追いつくことはできない。

 

 あるいは神器の力に過ぎず帝の力ではないのでは、もう一度そのように頭の隅で考えた。

 口の中で密かに(しゅ)を唱え、護身剣・破敵剣へ刀印を向けて念を送った――神器と形代は畏れ多く、昼御座(ひるのおまし)の剣には触れたくなかった――が。剣はわずかに震えたのみで、忠行の力に応えることはなかった。

 

 舞い散る花の下、帝は屋根に、どっか、と座し。残る包みの内から瓢箪(ひょうたん)土器(かわらけ)を取り出した。

「呑もう。父の弔いとそなたの帰参祝いだ。さ、一献」

 土器(かわらけ)を差し出す帝の手を、忠行はじっと見つめていた。それ以上、何の動きもできはしなかった。

 

 階下から声が上がった。

「主上! 謹んで申し上げまするが、そこにおわすはもしや主上でございましょうか!」

 

 固く、押し通すようによく響く声。摂政・藤原基経(もとつね)が屋根の上の帝を見上げていた。

 

 帝は顔をしかめていた。

「また面倒な奴が……」

 

 降りしきる花弁が顔に張りつくのに気づいた様子もなく、基経は声を上げる。

「また左様な所に御上りあさばされて! いえ、それよりも。謹んで御聞きしたき儀がございます。昼御座(ひるのおまし)の剣、夜の御殿(おとど)神璽(しんじ)・宝剣! さらには賢所(かしこどころ)の神鏡が無いと、騒ぐ者どもがおりまする。念のためお伺い申し上げたい、何かの御間違いで主上の下に在りはいたしませぬか」

 

 帝は苦り切った声を洩らす。

「回りくどい奴だ。とっとと返せとか、そもそも持っていくなとか言えばいいだろうに。なあ?」

 

 忠行が応えることもできずにいると、帝は立ち上がった。

「摂政よ! 今日は(ちん)が父の弔いの儀ご苦労、探しておる物ならここに在る。(ちん)なりの弔いのため持ち出しておったが、そう言うなら今すぐ返そう。そら!」

 

 帝が手を叩くと同時、神器・霊剣が、ぶ、と震えた。まるでかつての家鳴りのように、屋根が震え柱が震えた。

 そして、大皿のような包み――八尺鏡(やたのかがみ)形代(かたしろ)たる神鏡――が、跳ね上がるように宙を舞った。そのまま屋根を飛び出し、地面へと落ちていく。摂政の目の前へ。

 

「な……あああっ!?」

 滑り込むようにして両手で受け止めた基経(もとつね)

今度はその横へ、細長い包みが落ちてゆく。草薙剣の形代(かたしろ)たる宝剣。

「の……ああああっ!?」

 神鏡の包みの上に載せるように、今度もどうにか受け止めた。

 

「やるではないか。そら!」

 再び手を叩くと、今度は三つの霊剣が跳ねた。基経(もとつね)へ向かって殺到する、鞘から飛び出た抜き身の刃が。

 

「な――!」

 目を見開き、固まった基経(もとつね)に触れるかどうかのすぐそばで。低い音を立てて、三本の剣が地面に突き刺さった。

 

 帝は歯を見せて笑う。

「良い気味だ。とはいえ、ここまでするのは初めてだよ。今日はこれがあったのでね」

 手の上で神璽(しんじ)――本物の神器たる八尺勾璁(やさかのまがたま)――の小箱が震え、音を立てる。

 

「こうした物があれば力を引き出せもするが、未だ陰陽の術は習えずじまいだ。私に何の力もあるわけではないよ」

 

 脳天に杭を打たれるかのような衝撃と共に、忠行はその言葉を聞いていた。

 ――何の力も無い? 力が無いだと? これほどのことをやってのけて? 

 ――もしも、貴方に何の力も無いのなら。この私はいったい何だというのか? 三年の苦行を経てなおも、貴方に追いつき得ないこの私は? 

 

 帝は屈託なく微笑む。

「ね。良ければ、私にも術を教えてくれないか?」

 

 忠行は、身じろぎもできなかった。

 

 返答を待たず、帝は梯子を下ろして基経(もとつね)の方へ向かう。

「いや、悪かった。さすがに悪戯(いたずら)が過ぎた」

 ぱん、と手を叩くと、地に突き立っていた剣が宙へと躍った。刀身についた土を振るい落とすように、刃が何度も振るわれる。

 

「そらっ」

 小脇に抱えていた鞘を帝が投げ上げる。

 三本の剣は空中で硬い音と共に自ら鞘へと納まり。帝の差し出した両手の上へ、羽毛が降るようにゆっくりと降りていった。

 

 剣を足下に置き、基経(もとつね)の手から神鏡と宝剣を取る。それらも置いた後、瓢箪を示してみせた。

「いやいや、今日は本当にご苦労だった。詫びに一献取らせよう、さ」

 

 未だ神器を抱えていた格好で固まったまま、手に酒器を載せられ。酒を注がれながら、基経(もとつね)は震えていた。

 

 それを見下ろす忠行もまた、未だ身動きの一つもできずにいた。

 

 

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