狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

56 / 59
五十六話  忠行の胸の内

 

 元服の儀はつつがなく終わった。

 以降、忠行が貞明と会うことはなかった。帝御自身が以前のように訪ねてくることもなかった。

 

 元服前に行なった儀式については、摂政・藤原基経(もとつね)より打診を受け、忠行が画策したことであった。

 自身では(モノ)の類が見えないとはいえ、基経(もとつね)は帝の不可思議な力――あるときは忠行と共に手も触れず柱を引っこ抜き、あるときは神器の形代や霊剣を操ってみせた――を目の当たりにしている。

 もしもこの先、その力を『神の血を引く者ゆえの力』と喧伝されでもしたなら。摂政・関白による(まつりごと)ではなく、天皇自身による親政への、余りにも強い追い風となり得る。この国土を産み給うた神々の子孫、それがこの国土を治める――単純にして、それ故に強い論。その、何よりも明確な後ろ楯となる。

 帝御自身の意志はどうあれ、実家たる藤原家へ反発するように親政への意志を示す高子(たかいこ)――帝の母にして基経(もとつね)の妹――や、藤原家の専横を良しとしない貴族らがここぞとばかりに利用するだろう。

 

 それを防ぐため、基経(もとつね)としては〈帝に不可思議な力などは無い〉〈帝の御覧になっている(モノ)などは嘘か、さもなくば妄念に過ぎない〉と百官に示す必要があった。

 

 それゆえ忠行は帝の親友を演じ、帝を不可視の式神と会話させることで、周囲の者へ帝の異常性――と、余人の目には映る――を示し。さらには紫宸殿に木性の(モノ)を捕らえて金性の(モノ)をけしかけ、騒動を起こして帝に対処させた――これも余人の目には、帝が剣を持ち出して騒ぎ立てた狂態に映る――。

 

 一方、基経(もとつね)もそれらの噂と〈帝が不可思議な(モノ)を御覧あそばしているということだが、果たして真や否や〉といった噂を――帝自身は見ているモノについて、幼い頃はともかく、今は忠行や源益(みなもとのまさる)にしか洩らしていないが――宮中へ流布していた。

 

 そうして、計画は成功した。

 帝の(おお)せになる(こと)空言(そらごと)か妄言――嘘と判定したのは飽くまで帝の見ている(モノ)に関してだが、他の言についてもその印象が拭えなくなるだろう――。

 もはや、物狂いの帝を担ぎ上げて藤原氏へ対抗しようなどという者が出るはずもなかった。

 摂政・基経(もとつね)は大いに胸を撫で下ろした――加えるに、霊剣を操って(おびや)かされたことへの溜飲を下げた――ことだろう。

 

 

 忠行は。

 帝の力を嘘と、ただの妄念としてしまいたかった。真実はそうでないことを、誰よりも忠行自身がよく解っていたが。その真実から、目を背けてしまいたかった。

 

 あれほどの力を、才を持っているのがなぜ忠行ではなく――陰陽道に一身一命を捧げる覚悟と意志のある者ではなく――帝なのか、あの童なのか。

 答えの在るはずもない問いだった。それでも、考えてしまう。役目の最中にもその思いに胸の内を囚われ、寝入りばなの夢の内にも見て飛び起きる。

 

 ――なぜ、私ではないのか。

 ――誰よりもそれを渇望する私ではなく、それを必要とするわけでもないあの御方が持っておられるのか。才があったところで喜ぶわけでもない、むしろその才ゆえに孤独となっている、あの御方が。

 ――なぜだ。

 

 命を端から削って投げ捨てていくかのような苛烈な修行も、帝に匹敵するほどの力を与えてはくれなかった。

 だから、基経(もとつね)の誘いに乗った。帝の才と力から目を背けたかった、それができるなら何でも良かった。

 

 いや。帝を(おとし)めたいという気持ちも、あった。あれほどの才を持ちながら、その価値を知らぬあの御方を。忠行の胸のうちを黒く焦がす想いを知らぬ、あの御方を。

 地の底に叩きつけ、痛みを知らしめてやりたかった。

 

 が。溜飲を下げたであろう基経(もとつね)とは違い、忠行の憎しみは止まらなかった。

 見ているモノを否定され、我を失ったまま連れていかれる帝を見ながら、忠行はなおもにらみ殺すような目をしていた――いっそう、帝を憎んでいた。

 

 ――知らしめてやりたかった、この胸の痛み全てを。

 ――だが何だ? 貴方の狼狽ぶりは、苦しみぶりは。そんなものか、たったそれだけか。

 ――そんなものでは話にならぬ。我が痛みの千分の一、万分の一にも満たぬ。

 ――知ってくれ、味わってくれ、我が痛みを。その程度ではなく、私の味わったそのままに。理解してくれ、そのままに――私を。

 

 晴らしたはずの恨みは、なおも黒く燃え上がるばかりだった。忠行の胸の内を焦がし、頭蓋(ずがい)の内を焦がして。

 変わらず、忠行は昼に夜に、その想いに囚われた。その怒りに囚われた。自ら人を、地の底に突き落としておきながら。

 我ながら浅ましいとは思っていた。苦しむのは自分ばかりだと分かっていた。それでも、憎しみを止められなかった。

 

 

 程なく、忠行は自ら遠国での任に志願し、宮中を離れた。

 基経(もとつね)から手を回しての昇進の話もあったが、自ら蹴った。とにかく、一時も宮中にいたくはなかった。

 憎んでいる帝の姿を見たくないというのも、裏切っておいて合わせる顔が無いというのもある。

 

 だが、何よりも。帝を見ると、自らの浅ましさを思い出す。晴らしたはずの恨みをなおも募らせる、愚かな自分を。

 そして、その浅ましい行為は。果たして、帝の無邪気な友愛を地に叩きつけ、後足で砂をかけてまでするようなことだったのか。

 

 誰よりも、忠行を憎んでいたのは。忠行自身だった。

 

 ――やがて一年余りが経ち、任地から宮中へと帰ったとき。

 忠行は、帝の殺人を目の当たりにする。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。