狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
――元服の翌年、冬。
貞明は――物狂いの帝と
「……もう一度、もう一度申してみよ」
向かい合って立ち、嘲るように鼻息をついたのは。帝の
辺りに人も無く静まりかえった内裏の一室で、
「えぇえぇ、何度でも申し上げましょうとも。主上、畏れながら貴方様の御覧あそばす
震える唇を一度噛みしめた後、貞明はまた口を開く。
「……お前は、お前だけは言っていたはず……私が見ているモノを、その存在を、真実に違いないと」
そう言ってくれたもう一人――賀茂忠行――は衆目の中でそれを否定し、早々に遠国での任に向かってしまった。一言の弁解も説明も、挨拶すらなく。
あからさまに肩を落とし、またも息をつき。眉根を下げた
「良いですかな? そりゃあ私めだって、そっとしといて差し上げたかったですよ。貴方様の御覧になるモノだとか、そういった夢見がちな嘘、子供らしい遊びを。わざわざ否定して差し上げたくはありませんでしたよ」
一際高く扇を打つ。
「ですがね! もういい加減、現実を御覧になっちゃあいかがです? その御遊びのせいで元服前、痛い目を見られたでしょうが。物狂いの帝の何のと言われて、もうついてくる者なぞおらんでしょうが。あのときもしもすぐにでも『いやいやあれは冗談なのだよ目に見えぬモノなぞというものは』『元服を機にあのような冗談はやめるつもりだったのだよ』ぐらい仰られておけば! 取り返しもついたと思いますがね」
貞明の頬が引きつるように震える。
「冗談……私の、見ているモノが。冗談、だと」
「誰もが存じておるように、貴方様が何よりご存知のように」
かあっ、と息をつき、手を上げて背伸びをしてみせた。
「まったく、やってられませんよこっちとしちゃあ!
「な――」
元服直前、忠行は突然
なぜそんな儀式が行なわれたのか、なぜ忠行が貞明を否定したのか。貞明を疎ましく思った摂政が、忠行を巻き込んで貞明を否定させた――理由としては、それしか考えられなかったが。
信じたくはなかった。忠行の裏切りを、何かの間違いだと思いたかった。少なくとも、忠行自身の意思によるものではないと。
それを目の前の男は、忠行自身によるものだと言った。
「ほとぼりを冷ますためにか遠国へ出てらっしゃいますが、帰ってくりゃさぞかし優遇されるんでしょうなぁ藤原家から。うらやましいこって……いや、私めもたまたま摂政殿と忠行殿の話を耳にして、はした金は握らされましたがな。あんな小金じゃ旨味も何も……って、今喋っちまったんで口止め料にもなってませんがな」
扇で強く掌を打つ。
「ま! 私めとしましちゃ、忠行殿が帰り次第、摂政殿への口利きを頼むとしましょうかな……そんときゃ主上、私もそっち側ということで悪しからず。いやいや、怒ってもしょうがありませんよそれが世の常、人の常……諸行無常ってやつでございますよ。忠行殿だって喜んでやったことでしょうよ。落ち目の帝を踏み台に、今をときめく藤原氏に飛びつけたんですから」
貞明は、震えていた。指先が、頬が、髪の先さえ震えていた。足を踏ん張っていないと倒れてしまいそうだった、まるで自らの内に
震えを
それでも、貞明は言ってしまった。
「もう一度……申してみよ」
どこからか、ずぅ、と引きずる音がした。
「もう一度って、何をです」
また、引きずる音がした。ずぅ、ずずぅ、と。
「私の見ているモノがどうした。忠行が、どうした」
引きずる音が近づいてくる中、
「えぇえぇ、なんべんでも申し上げましょうとも。貴方様の御覧あそばすモノは嘘っぱち。忠行殿は、貴方様を見限って自ら裏切った。それだけでございますよ」
貞明はなおも震えていた。
ずぅ、と引きずる音は気づけば、貞明の足下に来ていた。
そこにあるのは唐錦の袋に入った、掌に載るほどの包みと。もう一つ、細長い包み。
気づけば、叫んでいた。
「もう一度っ、申してみよ!!」
足下から波が噴き上がった。
そこにある二つの包み――清涼殿、夜の
水流はたちまちのうちに
突然のことに水を肺腑まで飲んだか――この事態を、この水を認識しているのかどうかも分からないが――
貞明は未だ震えていた。
「もう一度申してみよ、もう一度申してみよ! もう一度っ……申してみよ!!」
――もう一度言ってみろ。
――言えるものならな。
震え続ける頭の中の片隅がそう思い。
どれほど経っていたか、気づいたときには水は無く。
床に、
その部屋の見える庭に、遠く。忠行が立ち尽くしているのが見えた。
――賀茂忠行はそのとき遠国での任を終え、宮中へと帰ったところだった。
内裏の方で
帝の声のした方、
濡れ跡一つ残さず水が消え去り、
帝は
二人の男は口を開け、何も見ていないかのように
同じ顔で、立ち尽くしていた。
やがて、帝の上げていた声を聞きつけてきた人々は、
――我々の知る歴史において元慶七年、西暦にして883年、十一月十日。
殿上に
宮中で起こったこの殺人について、それ以上の詳しい記述はない。誰がなぜ殺したのかすら記されてはいない。
この殺人からほどなく、元慶八年、西暦にして884年、二月四日。陽成天皇は病のためと称して退位している。この日までに摂政へ自ら二度の文を送り、退位の意を告げた後のことであった。
陽成天皇と
だが、帝による殺人を問題視した摂政・藤原
一般には、そのように解されている。――