狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~ 作:木下望太郎
吹き出しそうになるのをこらえながら。
「さァ、
人々が行き交う
道行く人のいくらかが、足を止めて童子丸を見ていた。天秤棒に荷桶を括りつけた
そうした人々の間に上に、目に見えぬモノらは変わらず遊び。
手指を伸ばしてそのモノらと戯れ、時には息で吹き飛ばしつつ。人々の間を縫うように、尾花丸がひょこひょこと歩き回っていた。
尾花丸は鋭い爪の伸びる手を、ひょい、と伸ばす。しきりに辺りを見回す男の
男は気づかず――狐顔の尾花丸が、目の前でひらひらと舌を出してみせているのに――、辺りを見回すばかりだったが。
周りの者が、尾花丸のつまんだ烏帽子を指差す。
「あ、あれ……!」
「なんじゃ、烏帽子が、宙に、浮かんで……!」
烏帽子を取られた男は目を瞬かせて周りを見たが。はた、と頭に手をやり、烏帽子がないことに気づき。それから宙に目をやって、そこに烏帽子が浮かんで――尾花丸がひらひらと
童子丸は笑いをこらえ、
「
当の尾花丸は馬鹿馬鹿しげに、小指の先で鼻をほじっていた。片手に持った烏帽子を自分の頭に載せてみせる。
狐頭の上に、へにゃり、と烏帽子が折れている。童子丸の目にはそう見えるが。
「消えた……」
「消えたぞ、烏帽子が、なくなったぞ……!?」
周りの者の目にはそのように映る。
もっともらしくうなずき、童子丸は
「あな恐ろしや、あな
未だへたり込む男の首を、童子丸は、ぺちり、と叩いてみせる。
尾花丸のものになった物は、弟自身と同じく見えなくなる。身につけた狩衣同様、食ったもの同様。
予想どおりの反応に、内心ほくそ笑みながら。童子丸は木の枝を掲げ、しゃん、しゃんと拍子をつけて打ち振るった。
「
童子丸は思わず顔をしかめる。
「お前このアホウ、わしが真面目にやっとるときに――」
遅れて、人々がどよめいた――荷がひとりでにほどけて山芋が宙に浮き、消えていったことに気づいた――。
口についた芋の汁を長い舌で舐め取り、尾花丸が言う。
「知るカよ、こッちハ暇なんデよウ。
いっそう顔をしかめて童子丸はつぶやく。
「てめェ
何度か大げさに咳をした後。童子丸は再び、
「ンむむむむゥゥ……この浅ましき貪欲さ、これは
だだん、と足を踏み鳴らし、童子丸は大きく前に出る。尾花丸は片肘ついて地べたに寝そべっていた。
童子丸は片手を強く拳に握り、もう片手に持った枝葉をぶるぶると震わす。
「ンむむゥこれは大悪神、世にも
枝葉を振り回し、でっち上げをそれらしく
とたん、宙を舞っていたモノらが動きを止める。
それらを目だけで見回しながら、ち・ち・ち、と呼ぶように舌を打つ。
合図を受けたように、集まる。宙にあるモノのうちから、火の気を帯びたモノらが。
火の粉を散らす
童子丸が深く息を吸うと、それらは吸い寄せられるように集まり、融け込むように輪郭をなくし、交じり、混じり、一塊の炎となり。
「
一喝と共に炎は放たれ、宙を赤黒く染めた。
辺りで見守る人々のうち、幾人かから小さくどよめきが上がる。
見えていない、他の者に見えてはいない、この炎は。燃え上がる音すら聞こえてはいないはずだ。だが、幾らか勘のある者か、炎の欠片が直接肌に触れた者は感じただろう。かすかな風の揺らぎと、体温を超える程度の熱ぐらいは。
未だ宙をくすぶりながら漂う残り火へと手にした枝をかざす。炎は緑の葉をよじらせ、黒く焦がし。それ以上燃え広がることなく、消えた。
辺りからざわめきが上がる中、童子丸は焦げた枝を示してみせる。
「
人々からさらなるどよめきと歓声が上がる中、童子丸はへたり込んだままの男――先ほど尾花丸に烏帽子を取られた男。そもそもは、悪霊に憑かれていると童子丸に声をかけられ、すっかり騙された男――へと、身をかがめて笑いかける。
「もう心配はござらん。いやいや、これぞ幸い幸い。
男は手拭いで頭を隠しつつ、額を地に擦りつけんばかりにして何度も礼を言っていたが。不意にそれまで以上に、怯えた顔で見上げる。
「その……お代は、いかばかり入用で?」
童子丸は天を仰ぎ、枝葉で自分を
「なんの、
男は、ほぉう、と息をつく。拝みながら頭を下げようとするそこへ、童子丸は再び笑みを浴びせた。
「ただし。
懐から何枚かの布きれを取り出す。下手糞な狐の絵と、神火の字を書きつけた布。本来ならそれらしく、紙に書きつけた護り札としたいところだったが。高価な紙を買うことはできず、古布を裂いてそれらしい形にし、近くの寺からくすねた墨と筆で書いたものだった。
「この護り札。そこんじょそこらの紛い物とは違い申す、我が師より賜りし、由緒ある霊布に我が神気、込めに込めたる
ぱんぱん、と手を叩いて札を高々と掲げ、満座の人々に示してみせる。
「我が火の神気、込めに込めたるこの護り札!
殺到する人々を前に、顔中を緩ませて笑う。
「なぁに札はたっぷりとある、
離れた所で鼻息をつき、尾花丸が半分残していた山芋を取り出してかじる。
「
童子丸は顔をしかめる。
「お前またお前、芋が見つかるじゃろうがとっと喰ってしまえ! ――あぁいやいや皆様何でもござらぬ、ちょっとした
ひとしきり商売した後。銭を懐に納め、
「ほんじゃ! どうも
札をおし頂き、しきりに頭を下げる人々のうちから、烏帽子を失った男が言う。
「そういえば、まだお名前をうかがっておりませんで」
「名乗るほどの者でもござらぬが。……
男は何度か目を瞬かせる。
「はあ、聞いたことのない……いえ、これは失礼おば――」
童子丸は白い歯を見せ、からりと笑った。
「なに、そらそうじゃ。わしもそんな名、初めて聞いたわ」
尾花丸はあきれたように口を半ば開け、首の後ろをかいていた。頭にはいまだ、かっさらった烏帽子がちょこん、と載っていた。
そうして兄弟は歩き出した。
人々の方を振り向き、笑って手を振る童子丸。その横では尾花丸が口を尖らせ―― 狐の口だ、元々尖っているがそれをさらにすぼめ――、頭の後ろで手を組み、尾を垂らしてついてゆく。
「童子よウ。……いいノか、あれデ」
童子丸は未だ顔中を緩めている。
「ええってことよ。何、笑う門には福
「そウか? ……まァ童子が言ウんナら……そウだな!」
尾花丸は何度も目を瞬かせていたが、やがて笑ってうなずいた。
「でもよウ、その後言っタ名、ありャあ何だ」
「なに、陰陽師の名を問われて、童子や尾花じゃ締りが悪かろ。ちょうど
――
童子丸は胸をそびやかす。
「わしは陰陽師、いやさ古今に
尾花丸は鼻で息をついた。晴れた空に目をやる。
「ま、いイ。兄者ガそれなラ、俺ハ……
ん、と尾花丸は首をかしげた。
「けド……安倍の名は出しテ良かっタのか?」
あ、と童子丸は口を開ける。自分の額をはたいてみせた。
「これはしたり、
尾花丸が鼻息をつく。それから、よだれを垂らして笑った。
「まあいイさ。それヨり……食おウ!」
「おう、食おうぞ!」
同じ顔で笑い、二人で人影のない方へと走る。
芋を干魚を生米を餅をむさぼり、笑い合いながら童子は思う。
――母が死んでも腹は減る、腹が膨らみゃ笑みも出る。
――母が死んでも飯は旨い、仇がどうのより飯が先か。
浅ましいこっちゃ。わしら