狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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六十話  金刀比羅宮(ことひらぐう)に奉られし神は

 

 揺れている。揺られている。目を閉じた晴明は、その感覚に身を任せていた。あるいは昇っている、いや、ゆっくりと登っている。坂のような場所を上へ上へと。

 横では貞明が長々と喋り、その声音が耳から――左だけ残った狐耳と、傷跡をさらす右の耳孔から――入り、頭の中、胸の内でとぐろを巻いて揺れる。熱に浮かされたように、未だ尾を引く悪魚の毒に酔った晴明の内で。

 

「まったくもってとんだ無茶をしてくれたものだよ。私が言い忘れたならそりゃあ悪かったが何度か言わなかったかね? 毒魚だと、毒があると。口に入れちゃ駄目だ食べちゃあ駄目だと言ってやった方が良かったかね幼子にそうするように? いやはやまったく、いくら解毒の霊水があるとはいえ君の軽挙妄動には――」

 

 小言だ、と晴明は思った。これが小言というやつなのだと、晴明は思った。

 小言というものは人々の会話から――決して晴明は加われない、童子丸と貞明と以外の会話から――そういうものがあると知っていたし、他人が言われているのを聞いてもいる。

 自分が言われたのは、初めてだった。

 

 童子丸――いや、清明――は小言を言わなかった。面と向かって「後で覚えとれよ」などと言うことはあっても、横でぐちぐちとこぼすことはなかった。

 気をつかっていたのだろう、尾花丸――いや、晴明――に。あんな大ざっぱな兄でも。兄なりに、誰より晴明を気づかっていた。

 それが、腹立たしかった。今、そう気づいた。

 

「――まったく聞いているのかね晴明、寝たふりなどしても無駄だよ耳がしっかり動いている、起きているのだろう? いいかね私は何も難しいことを言っているのではないんだ、ただ人の話を聞いて欲しいものだとごくごく当たり前の――」

 

 横を歩く貞明の小言が嬉しかった。長々と続くそれは、揺れる晴明の内でたゆたっていた。まるで、蒸すような暑気の中の午睡で見る、悪夢ともなんともつかぬ夢のような感覚だった。振りほどいて目覚めてしまいたいような、逆にその中でずっと目を閉じ、ひたひたと浸かっていたいような感覚があった。

 

 そうして、晴明は目を開けた。

「聞いてルよ。貞じい」

 

 見れば、晴明は輿(こし)のようなもの――二本の竹棹の間に布を巻きつけた、二人で抱えて運べる寝台のようなもの。倒れた晴明のために純友の部下らが作ってくれたのか――に載せられ、純友と部下によって運ばれていた。

 首を巡らせば、辺りは滴(したた)るような色濃い緑に覆われていた。そびえる木々が覆いかぶせるように伸ばす太い枝、そこに絡まり枝垂(しだ)れる蔦(つた)や蔓草(つるくさ)。足元には背の低い草が生え、その間を覆うように広がる苔(こけ)は敷物にも似て分厚かった。

 それら緑成す生き物の身からにじみ出るように、あるいはこぼれ落ちるように。青々とした精(モノ)どもが出でては宙をたゆたい、羽虫のようにあるいは胞子や綿毛のように、流れゆく。

 さながら、山のはらわたに呑まれたかのような眺めであった。

 

 晴明らが行くのはその間を上りゆく坂道だった。落ち葉はいくらか積もっているものの、生えている草は辺りよりも明らかに少なく丈が短い。山道ではあれど、いくらかは往来のある場所らしかった。

 

 輿(こし)のようなものの横で荷袋を肩から提げ、共に歩いていた貞明は口を開いたままでいた。だがすぐに顔をしかめ、再び盛んに喋り出す。

 

「いいや聞いていないね、聞いているならあのようなことをするはずがない。いいかい君にもしものことがあればだね――」

 

 身を起こし、ぶるる、と首を振った後、晴明は口を開く。

「部下(みんな)に独リ言が長いト思われルぞ、貞じい」

 

 再び口を止めた、貞明の眉がひくり、と動いた。吐き出すように続ける。

「ああ、そう思う者がいるなら思えばいいさ、どうせ私は物狂いの帝だ。君の声は他の者らには聞こえないだろうが……それより、私の声が果たしてちゃんと君に聞こえているものかなと聞きたいね」

 

「聞こエてルよー」

 

 輿(こし)の竹棹を逆手に持ち、前を歩く純友が振り向いた。

「なんだあ、やあっと起きたのか晴明はよう。まったくさっさと起きねえからこっちまで貞じいの愚痴をよう」

 

 列をなして後に続く純友の部下らから、小さく笑い声が上がる。

 

 長い口から、にへら、と舌を垂らして晴明は笑った。

「ごめんよウ」

 

 横で貞明の顔が引きつる。

「そっちかね。謝るならこちらにも是非一言いただきたいものだがね」

 

 晴明は頭を下げた。

「ごめん。でモ貞じい、俺の心配より。こレからのこと、準備しといた方ガいいんじゃなイか」

 貞明の目を見上げる。

「一緒に壊そウ、こノ日の本を。造り出そウ、精(モノ)満ち満ちル世を」

 

 貞明は口を開けた後、苦り切ったように歯を噛み締めたが。

大きく息をつき、肩を揺らして笑った。

「ああ、そうだね。共に壊そう、この世を。そして、準備なら無論しているさ。倒れていた君には悪いが、今も向かっている……この象頭山(ぞうずさん)を登り、金刀比羅宮(ことひらぐう)へとね」

 

 山道の先――生い茂る木々に覆われ、見通せはしないが――に目を向ける。

「かの地に奉られし神……いや、封ぜられしモノ。それを揺り動かし目覚めさせる、そのためにこそ我々は讃岐(この地)に来た」

 

 純友がうなずく。

「住吉を襲って草薙剣を奪ったのもそのためだったなあ」

 

 貞明は提げた荷袋ごしに、草薙剣の箱を愛おしげになでる。

「ああ。これこそは三種の神器のうち唯一、国津神に由来するもの。かの神に力を取り戻させるため必要な道具……いや。かつては、かの神の一部ですらあったのかも知れない」

 再び、道の先を見据えた。

「国津神の中でも最大の存在『大物主神(おおものぬしのかみ)』――大いなる精(モノ)どもの主。それを再び目覚めさせることができれば……この国土は再び太古の如く、奇しきモノどもの溢れる地へと変わる」

 顔を歪ませて微笑む。

「そのときのお前の顔が見ものだよ。なぁ、賀茂忠行」

 

 晴明は強くうなずく。

 必ずそうしてやる、自分のためだけではない、母のためだけでもない。貞明のために。

「俺が、護ルよ。その時まデ、誰が来よウと」

 そうして、道の先を見据えた。貞明と同じ方を。

 

 

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