狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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六十二話  金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)に奉られし神仏は

 

 ――一方、その少し前。

 

 日本武尊(やまとたけるのみこと)との戦いを終え、模造草薙剣にかの神霊を封じることで神剣『白羽草薙剣(しらはくさなぎのつるぎ)』と成した後。

 清明は忠行から貞明との過去を聞いた後、空海から金刀比羅宮(ことひらぐう)とそこに奉られた神についての話を聞かされていた。

 

「――っちゅうわけでの。あそこに奉られとる神は大物主……国津神の長にして八俣大蛇(やまたのおろち)の正体ともいえる存在や。そやけど、それだけやなく(のう)ての」

 

 喋りながら空海は、しきりに辺りを見回している。周辺に生える松の根元をのぞきこみ、茂みの中を引っかき回していた。

 

 清明は眉根を寄せる。

「おっさん、さっきから何をうろうろしよンじゃ。おかげさんで、せっかくの講釈がさっぱり頭に入ってこん」

 

 空海もまた眉根を寄せ、困惑したように首をかしげる。

「ん、ああ。ちっと探しもんをの。まあええ、そのうち出てくるやろ。ほんで何や、金毘羅(こんぴら)さんは大物主神っちゅう話やったの。……そやけど、実はそれだけやのうてのう……分かるか?」

 

 思わせ振りに頬を歪めて笑い、顔を寄せてくる空海から清明は身を引いた。

「それだけやない、ッちゅうのはさっきも聞いた。結局何が言いたい」

 

 舌打ちして空海は身を引く。

「面白みのない(おもっしょない)小僧もおったもんや、ちっとは師を敬え師を。まあええ、ざっくばらんに言うたらの。金刀比羅宮(ことひらぐう)に奉られとる金毘羅大権現(こんぴらさん)、ありゃ『クンビーラ』や」

 

「……は?」

 思い切り眉根を寄せ、顔をしかめる清明。

 

 忠行は対照的に、眉一つ動かさなかった。

「宮毘羅(くびら)大将。仏教、ことに密教において薬師如来を守護する十二神将の筆頭とされる神。『大雲輪請雨経』においては金毘羅(こんぴら)龍王、『大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)』においては金毘羅摩竭魯夜叉(こんぴらまかつぎょやしゃ)大将とも語られる水神にして龍王。天竺(てんじく)の聖なる川に住まう鰐(わに)が神格化されたものともいわれ、魚神にして蛇形、尾に宝玉があるという」

 

 空海は顔をほころばす。

「さすがは大陰陽師、そこらの小僧とは学が違(ちゃ)うわ。陰陽道どころか密教の知識もお手のもんとはの」

 

 忠行は表情を変えない。

「書物で得た知識として解するのみ、真に理解しているわけではございません。そも、かの宮の祭神は大物主神と聞いた後に、祭神は宮毘羅(くびら)大将と聞かされるとは奇妙。つまるところ、如何(いか)な意が」

 

 空海は歯を見せて笑う。

「なに、堅っ苦しゅう考えることでもないわい。あそこの祭神は大物主でもありクンビーラでもある……両方やっちゅうことや」

 

 

 ――空海が語った金刀比羅宮(ことひらぐう)の神について、現代に生きる我々の知識を交えて説明するならば。それはおおむね、このような内容であった、

 

 金刀比羅宮(ことひらぐう)の起源についてはそもそも詳(つまび)らかではなく、謎に包まれている――同宮の古記録は戦国期、元亀・天正の戦火にて焼失されており、少なくとも現代には伝わっていない。清明らのいた当時ならばそうではなかったであろうが、神事として秘されていたものか――。

 なお、『玉藻集』『讃州府志』には「この山の鎮座已(すで)に三千年に向(ちか)づく(この社が奉られてから三千年近くが経っている)」との内容があるが、にわかには信じ難い。

 

 ただ、言い伝えとしてこのような話がある。『全讃史』に収録された説話として、

〈大宝元年、西暦にして701年十月十日、竿旗が一つ、天からこの地に降った〉

〈ほどなくして、金色の象に乗った金毘羅権現(こんぴらごんげん)が眷属を従えてこの地に来臨し、神として鎮座した〉

というものである。

 それがすなわち、天竺より渡来したクンビーラ――宮毘羅(くびら)大将。

 類似の説話が『一時軒随筆』『翁嫗夜話』『金毘羅一山護規則書』にも見られる。

 

 一方、祭神は大物主神であるとの説も根強く、『讃岐大日記』には〈金毘羅権現者、大三輪(みわ)明神――大物主神――也〉と、『讃岐古社神名帳』には〈金比羅大権現 祭神 大物主命〉とある。

 また『神道大意』には〈金毘羅(こんぴら)神ハ日本三輪(みわ)大明神也ト、伝教大師帰朝ノ記文ニ載ラレタリ――金毘羅(こんぴら)神とは大物主神であるとの旨が、伝教大師最澄が唐から日本に帰った際に記した文にある――〉とあり。

『玉襷総論追加』には〈讃岐(さぬき)の国象頭山(ぞうずさん)の御神を今は金毘羅(こんぴら)神と称し奉れど(中略)元は琴平(ことひら)の大神と称し大物主の神に座せるを、仏書の金毘羅(こんぴら)神と云うに形勢霊応似たる故に混合して金毘羅(こんぴら)と改めたる由、彼の山の秘記に見えたり――琴平(ことひら)の神は元々大物主であったが、仏教の金毘羅(こんぴら)神の在り方が似ていたために混淆され、祭神については金毘羅(こんぴら)神と改められた、と金刀比羅宮(ことひらぐう)の秘記にある――〉といった記述がある。――

 

 

 清明は顔をしかめる。

「はあ? 他所(よそ)から来た神じゃと言うてみたり、日本の神じゃと言うてみたり……結局どっちなんじゃ」

 

 空海は笑う。

「言うたろうが。両方やと」

 

 空海の語るところによれば。

 八俣大蛇(やまたのおろち)の正体ともいえる国津神の首領ら、彼らの力を恐れた天津神とそれに従う人々は、彼らを日本各地に分散して封じた。そうして奉り上げることで彼らの祟りを鎮めようとしたという。

 

「そやけどの。こなな奉られ方しとんはここだけや、縁(ゆかり)もない仏教の神と一緒くたにされとんはの。大物主神は『古事記』『日本書紀』において大和の三諸(みもろ)山――三輪(みわ)山――に奉られる神やが、そっちじゃあこんな奉り方はせん。要は、や」

 額をずい、と二人に寄せ、声を低めて続けた。

「ここに奉られとる大物主が八俣大蛇(やまたのおろち)の本体も本体……一番厄介な奴やということや。仏神の力を借りて、がんじがらめに封じ上げにゃならんほどにの」

 

 清明は鼻から息をついた。

 空海の言はにわかに信じられるような内容ではなかったが。そのとおりであるなら、草薙剣を得た貞明がなぜ讃岐の地に来たのかが分かる。

 八俣大蛇(やまたのおろち)の正体たる神に草薙剣を還し、力を取り戻させる。その力を使い、日本を妖(あやかし)や精(モノ)満ち溢れる地へと還す――この国を、尽(ことごと)に破壊して。

 そうするためには、最も恐るべき神を目覚めさせることこそがふさわしい。他の地ではなく、讃岐に封ぜられし神を。

 

 胸の傷――日本武(やまとたける)に斬られ、無理やり焼いて傷口を塞いだ火傷――が引きつって顔をしかめつつも、清明は身を乗り出した。

「そンならこんな所でくっ喋(ちゃべ)っちゃおれん、早(はよ)う向かうぞ!」

 

 空海は苦い顔を向ける。

「簡単に言うがの。同(おんな)し讃岐にしてもここ、白鳥(しろとり)は東の端近く、琴平(ことひら)の宮はだいぶ西寄りや。そんな、ちゃっと行けるかだ」

 

 清明は空海の胸ぐらをつかみ、締め上げる。

「何じゃと!? そンなら何でわざわざこんな反対側に来たッ!」

 

 空海は清明の両頬をつかんで引っ張る。

「言うたやろうがっ、模造草薙剣に日本武(あの阿呆)を封じて本物に近い神器とすると! 大物主の封印をさらに強めるか、それともわしらが封を解いてよそに移すかは状況次第やが、どちらにせよ(どっちゃせ)神器の力が要る」

 

 忠行が二人の間に手を差し込み、押し分ける。

「御止(や)めなさいませ。とはいえ、院がすでに神器を手にしておられる以上、こちらが遅れを取っておる道理。清明の申すとおり、すぐに出立すべきかと」

 

 空海は辺りを見回す。

「分かっとる、分かっとるがの。そのためにさっきから探しもんを……あっ! おった!」

 

 空海の視線の先には、砂地をちょろちょろと這う小蛇がいた。

 猫の子でも持ち上げるように、空海はその首根っこをつまみ上げた。

「こんな(こなな)ときに何をしよんじゃお前はっ! あ? 小腹が空いて? 鼠を呑みに行っきょった? そんな(そなな)ことをしよる場合か、大体お前は元の大きさを――」

 

「……おっさんこそ何をしよンじゃ」

 

 清明と忠行のいぶかる視線に気づいたか、空海は大きく咳払いをする。

「あー……ぐだぐだと御託(ごたく)はええわい。お前らのご所望(しょもう)のとおり、ぱっと行こうやないかだ」

 

「行くッて、あんた――」

 

 清明の言には取り合わず、空海はぶら下げている蛇の頭へ、片手に提げていた竹筒から水を垂らす。

 と。水を浴び、開いた口から飲んだ蛇の体が膨らんだ。水を吸っただけ、いや、それ以上に。

 見る間に蛇は膨らみ、膨らみ、伸びては伸び。柔らかささえ感じさせた鱗は松皮のようになり、さらには岩肌のように硬くなり。手から落ちて浜に伸び、長い長い尾が松に巻きつき、その先で別の松を巻き。振るう頭にはいつの間にか、たてがみと角を具(そな)えていた。同じくいつの間にか在った四肢の一つ、鋭い爪の伸びるそこには宝玉が握られている。

 

「な……ぇ……?」

 口を開け閉めしている清明と固まった忠行へ向け、空海が笑う。

「紹介しよう。オレが讃岐で昔補修した、日の本最大の溜め池、満濃池(まんのういけ)。そこに住まう龍や」

 

 ――讃岐の地の言い伝え、並びに『今昔物語集』にある。

 あるとき、満濃池の龍神が小蛇に姿を変えて昼寝をしていた。と、飛んできた鳶(とび)にさらわれ、近江(おうみ)の比良山の洞窟まで連れていかれてしまう。鳶(とび)は比良山に住む天狗が姿を変えたものだった。

 龍は元の姿に戻ろうとしたが、一滴の水もないため叶わず、何の力も発揮できなかった。

 そうするうち、鳶(とび)が今度は比叡山(ひえいざん)へ飛んでゆき、厠から出て手を洗おうとしていた僧をさらってきた。

 洞窟に連れてこられた僧は蛇の頼みを聞き、手にしていた柄杓(ひしゃく)に残っていた水を与える。

 たちまち元の姿に戻った龍は天狗を討ち、僧を元の寺へ帰すと、満濃池へと帰っていったという。――

 

 

「やれやれだ(よもよもと)。何をぐずぐず(よもよも)としとる、とっとと行くぞ」

 

「えっ、や、ちょっ――」

 固まったままの清明の周りを、水のように波打つ長い体が囲む。それに足を取られ、流されるように押し上げられ。気づけばその背の上、たてがみのある首の辺りへうつ伏せに乗っていた。見れば、忠行も同様だった。

 

 空海はすでに龍へまたがっており、片手で角をつかんで意気揚々と声を上げた。

「さぁて、見る者あらばとくと見い! 弘法大師が龍にまたがり、大陰陽師ども連れて金毘羅(こんぴら)参りや! めっちゃ縁起のええこっちゃ、拝むんなら今のうちやぞ!」

 

 清明は顔を引きつらせ、慌てて空海の方へにじり寄る。

「やっ、待てお前、龍てこれ、まさかっ、空を――」

 

 忠行は石地蔵のように固まっている。

 

 空海は歯を見せて笑っていた。

「当たり前や、龍が歩いて参るものかよ。ほれ、持っとけ」

 固まったままの忠行から白羽草薙剣を納めた袋を取り上げ、清明に押しつける。

「ようにつかまっとけよ。落ちたら死ぬぞ」

 

「待、ちょっ、待――」

 

「そら行けぇぇぇ!」

 

 号令と共に龍が砂地の上を滑り出し、風が清明の顔を打ち。そうこうするうち金玉が浮き上がる感覚があり、そのときにはもう龍は宙へと舞っていた。

 

「はっはぁーっ!」

 

 ご機嫌な空海の声を聞きながら、清明は風圧の中必死でたてがみにつかまりつつ、目の端から涙をこぼしていた。風に目が痛んだものか本気で泣いているのか、自分にも分からなかった。

 忠行がどうしているかは、振り返って見る余裕もなかった。

 

 龍は翔(か)けていく。ぅわああああぁああ、と清明の叫びを空へ置き去りにして。

 

 

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