狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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六十四話  兄弟、邂逅(かいこう)

 

「えー、と……なあ、そやから。元気やったか」

 聞こえなかったのかと思い、三度目の同じ言葉を吐いた兄、清明。

 

 弟は無言で目を伏せている。

 

 清明は頭をかく、稲穂色の髪が揺れる。

思い出して狐耳を震わせ、尾をつまみ上げた。

「おお、そうそう。あれから色々あってな、今じゃすっかりこんな形(なり)よ。狐兄弟、お揃いやな」

 微笑んでみせた。

「見違えたじゃろうが、中身は変わらずお前の兄(あに)様よ」

 

「……兄」

 弟の長いひげが震えた。次いで眉間にしわが寄り、黒く薄い唇が震え、歯が剥き出しとなる。

「兄、兄、だト? お前が?」

 牙を剥いて弟は言う。

「兄じゃあナい。己で己の母を殺ス奴が、俺の兄のはずがナい」

 

 半ば偶然とはいえ母を突き殺した感触が手に蘇り。童子丸は――いや、清明は――頬を歪めた。

「尾花(ハナ)。……あんまり何べんも、言うてくれるなよ。お前を護るためにやった。お前にゃさせれん、兄が殺った。それだけじゃ」

 

「晴明、だ」

 弟は固い顔のまま続けた。

「もウ尾花丸じゃナい。安倍晴明……そレが俺の名だ」

 

 清明の顔がわずかに引きつる。が、嘲(あざけ)るように笑ってみせた。

「ほゥ? よう似合(にお)うとるわ、兄(あに)様に倣(なろ)うてつけたお揃いの名ァがな。なァ、セイメイ兄弟の弟よ」

 

 震えるほどに晴明の顔が引きつる。

「童子ぃ……いや、清明。そウ言ウお前はどうシて、賀茂忠行と一緒にイる。賀茂忠行だぞ……何年も、探シた。母様の、仇だ」

 

 噛み潰すように放たれた弟の言葉に、清明は自らの両手へ目を落とした。母を殺した手に。

「……それ言うなら、わしも同(おんな)じでな。母様殺したわ。それは抜きにしても、なんのかのと言うてあのじじい、陰陽の道随一の術者じゃ。一緒におった方が都合がええ。術習うにも、お前ら止める策を編むにも」

 

 口を開きかけた弟を制するように、兄は先に続けた。

「なあ、尾花(ハナ)。お前本当に、あのお母(か)ん蘇らせるんか」

 

「当たリ前だ。童子――清明こそ、本気か。そうスる方法があるノに、そうシないでいらレるのか」

 

「分かっとンのか。お前がそうするなら、この国壊す言うンなら。いくらも出るぞ、親ァ死ぬ子。わしらと同じじゃ。日の本壊してわしらみたいな奴たぁんと出して、引き換えに生き返らすようなお母(か)んか」

 

 弟はわずかに身じろいだ。

「……ああ。母様は、母様だ。引き換えようもなイものを引き換えらレるなら、安イ取り引きだとは思わナいか」

 

 弟の目の奥を見据える。

「賭けてもええ。またやるぞ、あのお母(か)ん。自分の命が危うくなりゃ、我がの子ォでも頭ッから喰らうぞ」

 

 弟は視線をうつむけた。

「……ああ。そウかもな」

 

「なら――」

 

 目だけが上を向き、兄を見た。

「それデも。やルさ。……強くナる、俺は。もう喰わレることのないぐらい。そうスる必要もナいぐらい、母様を完全に蘇らセることのでキるぐらい。……そうでなかったとしても、喰うことなんてできナいぐらい」

 

 今になって気づいた、にらみ上げる弟の目は金色をしていた、清明と同じく。もう、小狐の目ではない。

 その目の奥が燃えるような光を宿した――そんな風に見えた。

 

 頬を歪めて弟は言い放つ。

「行クぞ、清明。船の中では殺シ損なっタが……阻ムならばここデ殺す!」

 強く唱える呪(しゅ)と共に、傍らの土が盛り上がる。見る間に頭へ草土を戴き、土層の縞を腹に見せた、岩の拳を具(そな)える巨人と化す。

 

 清明は笑う。

「ほォ、優しいなお前は。やめるなら見逃してくれるっちゅうんかい。とはいえ、わしの方は許さんがな」

 低く唱える呪(しゅ)と共に、手に提げた白羽草薙剣から袋越しに精(モノ)が立ち昇る。

 それらが飛び込んだ地面が盛り上がり、八つ首の大蛇の形を取る。鱗代わりには黒々とした鉱石が並び、牙も同様だった。それぞれの頭には、枝葉が一対の角となって突き出ている。

「今やめようがやめまいが、拳固(げんこ)の一発もくれてやる。それで終いじゃ、尾花(ハナ)」

 

 弟の顔から表情が消える。

「やメろ。俺の名は……安倍晴明。お前に、邪魔はさせナい」

 

 兄は固く笑う。

「名なぞどうでもええが、お前らは止める。ただの清明がお邪魔するわ。――さあ行け、【大式神・八剣大神(やつるぎのおおかみ)】!」

 

「舐めルな……行け【大式神・大山祇神(おおやまつみのかみ)】!」

 

 あるいは地を這いあるいは宙高く鎌首をもたげ、四方八方から安倍晴明へと蛇が向かう。

 岩土の巨人はそれをまとめて踏み締め、あるいはつかんで引きちぎる。

 巨人の手を逃れた二つの首が、左右から孤を描いて晴明へと向かった。

 

「そレが、どウしたっ!」

 

 稲穂色の毛が覆う晴明の両手に、白く金気の精(モノ)が集う。それらは指先で凝(こご)って、長い鋼の爪と化した。

 風を裂いて振るう十本の刃に、蛇は断たれて土へと還る。

 

「いいや。どうもせんわ」

 兄たる清明はそう声をかけた。爪を――かつて兄を殺そうとした、鋼の爪を――振るったばかりの弟の背に。

 多方向から向かいくる式神に目を向けさせ、対処に忙殺させておいて、その隙に背後へと回り込む。大式神という名の目くらまし、それが清明の仕込んだ化かしであった。

 

 すでに袋と鞘を払い、腰だめに構えた白羽草薙剣から光を帯びた精(モノ)が緩く立ち昇り、揺らめく刃と化す。【模造草薙断(くさなぎのたち)】――断つつもりはない、緩く、あくまで緩く振るう――

 

「さんざと破ケや――【八面王(やつらおう)】」

 弟は振り向きもしなかった。ふさふさとした尾を打ち振るうと、稲穂色の毛が舞い散った。

 そのうちのいくつかが絡み、宙を舞いながらさらに絡み。八つ股となった毛が、風を吸ったように膨らみ、肥(ふと)り。端から端から走るように鱗が具(そな)わり、蛇と化した。人の身長ほども長さのある八つ首の蛇、四国に伝わる妖蛇の名を冠したそれが、清明へと跳びかかった。

 

「うおおッ!?」

 剣を右に左に振るい、首を二つ、三つとまとめて斬り払う。

 

「そラああっ!」

 その間に振り向く弟の、繰り出す爪が八面王ごと、兄を斬ろうと振り下ろされる。

 

 半ば目をつむりながら振り上げた剣が、甲高い音を立てて爪と打ち合い。どうにか、へし折った。

 

 慌てて飛び退く兄へ、安倍晴明は牙の並ぶ口を開けて笑った。

「何やら強イ剣ダな。お前自身よリよっぽどな、清明」

 

 歯噛みした後で剣を握り直し、兄は構え直す。

「あァ、悪いが強いぞ、この剣。お前らが神器を持つと同じに、わしらが持つはもう一つの草薙剣。神霊を封じた白羽草薙剣よ。どうじゃ、試してみるか」

 

 清明が低く呪(しゅ)を唱えると同時、刀身から赤い光を帯びた精(モノ)が立ち昇る。それらは宙で集い、火を羽先に帯びた朱(あか)い鳳(おおとり)――いや、朱のうちに幾筋か、真っ白な羽根が混ざる――と化した。

 

「焼き尽くせ……【白羽朱雀(しらはすざく)】!」

 

 飛びゆく白羽朱雀はその身を火焔へと変じ、燃え盛る音と共に晴明を包み込んだ。熱風が辺りを打ち、兄たる清明の髪と尾をもなぶる。

 

 本当に焼き尽くす前に止めねばと、清明が水の精(モノ)を宙に練り始めたとき。

 燃え盛る焔が、内から斬り裂き散らされた。黒く濁った色をした、精(モノ)で形作られた刃、いや、爪に。

 

 黒いもやのように精(モノ)の立ち昇る爪を構えた、弟には焼け焦げ一つなかった。

「悪イが、清明。お前たちが神霊トやらを得たよウに、俺たちも力を得テる。草薙剣には志度の龍、俺の身には大悪魚。龍神と神魚を喰らっテな。お前たちにはもはや――」

 

 清明は歯を見せて笑った。笑ってみせる他なかった。

「知ったことか、お喋りは終いじゃ! それ、金(こぉん)!」

 

 狐影の印を突き出し、粗く削り出したような金属塊を放つ。片手に持った剣から追いかけるように精(モノ)が飛び出し、金属塊に次々と合わさり。背丈に倍する大きさへと膨れ上がらせた。

 

 弟たる晴明が尾を振るう。そこから立ち上る漆黒のもやが巨大な尾となり、その毛が金属塊を絡めて止め。同じく夜の黒さを持った爪が縦横に走り、金属を斬り裂き落とした。

 

 口を開けたまま言葉もない兄に、晴明は言い放つ。

「なるほど、お喋リはお終いのよウだな。これももウ終わりにしよウ……下らナい兄弟ごっこはな」

 

 

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